第22話 深窓の令嬢、話し合う。
「穏便に済むと思っていたのですがね、お嬢さん。これはいったい、どういうおつもりで?」
翌日イマが屋敷で迎えたのは、痩せぎすの副町長であるヘルト・ノーテボーム氏だ。町長といっしょではなく、ひとりだった。
町議会からすぐにだれかが来るとは、レネ氏からも予告されていたので、イマはそれほど驚かなかった。
今日はイマひとりで迎えるのではなく、壁際にはヨーズアが控えている。ヨーズアがあえて下座に立っているのは、相手に彼を使用人と思わせるための作戦だ。
伝えること、明確にすべきことはみっちり話し合った。それに、ヨーズアが見守ってくれている。
なので、イマに不安はない。
「ノーテボーム様には、こうしてお運びくださってありがとう存じます。提出いたしました、異議申し立て書に記載した通りです」
イマは落ち着いて対峙することができた。やるべきこと、できること、すべて手を尽くし、あとは穏便に話し合うだけだ。
事を大きくしたかったわけではないが、結果的にそうなってしまった。それについて悔いる気持ちはあるけれど、すべて自分が蒔いた種だとイマは腹をくくった。それで実ったものは、自分で収穫しよう。ひとりでは難しいけれど、支えてくれる人たちだっている。
ノーテボーム氏は、イマの返答を受けてからもしばらく口を開かなかった。
その細い目が、書類の内容ではなくイマ自身を測っているようだった。
「……あなたは、まだお若い。世の中には納得いかない契約だって、ままあるものです」
ようやく発された声は、低く抑えられていたが、どこか人を諭す響きを帯びていた。
「――ですがそれでも、大人は一度交わした契約に従って生きるものですよ。感情で事を運んでは、社会が立ち行かない」
「ええ、だからこそ法に則って申し立てを行いました。感情のもつれでご迷惑をおかけするような真似はいたしません」
イマは軽くうなずく。感情ではなく、理屈で話すべき相手だと、最初からわかっていた。
ぴしりと畳みかけるようなイマの口調に、ノーテボーム氏の眉がわずかに動いた。
「わたくしは、契約の解消を望んでおります。ただそれだけです。今後も温泉の運営は継続していきたいと考えております」
「温泉はイブールの大切な財産です。たまたま、あなたが所有している屋敷の、隣の土地をあなたが購入し、そこに湧いただけで――そもそもはイブールの管理下にあった土地だ」
「まあ、ではわたくしが正式な土地の所有者であることも、十分ご存じだったということですね?」
イマがそう切り込むと、ノーテボーム氏は探るような視線でイマを見てから、ふっと鼻で笑った。
「先日は、もっとかわいらしいお嬢さんだと思いましたがね」
「わたくし、ファン・レーストという姓を持っておりますの。お嬢さんという名前ではございません」
ノーテボーム氏は「これは失礼、ファン・レースト嬢」と口先だけの謝罪をする。
自分が侮られるのは仕方ない、とイマは思った。これまで、本当に愚かだった。けれど。
現在は、ひとりで立っているわけではない。
イマは「本題に入りましょう?」と扇子を開いて口元を覆った。
「わたくしが署名をいたしました契約は、町議会による不十分な説明に基づくものでした。内容の重要な部分――たとえば、町議会による一方的な運営権主張――について、事前に説明を受けた記憶はございません」
扇子越しにじっと、イマはノーテボーム氏を見た。彼は静かなほほ笑みをたたえたまま、イマの目を見返す。
「それはわたくしの落ち度ではなく、契約を提示した側の説明義務に問題があったと考えております」
「そうでしたか。それは本当に申し訳ない」
「――町と争いたいなどとは、まるで思っておりません。わたくしはこの温泉が、イブールの発展につながるように運営されるべきだと心から思っております。そのためにこそ、対等な立場で新たな協議をお願いしたいのです」
「対等……ですか」
ノーテボーム氏は困惑したように眉をひそめた。そして「なるほど……。いまどき、こんな片田舎で『対等な協議』を望まれるとは、少々驚きましたな」と穏やかに言う。
「――温泉がイブールにとってどれだけ重要な資源か、おわかりですか? この町には、工場も企業も、目立った観光名所もない。ようやく掴んだ町の『売り』を、簡単に手放すわけにはまいりませんな」
「イブールの良さは、その、のどかなところだと思っておりますわ。ペペインが入植した当初の、美しさを失っていないところが。ペペイン温泉は、そんな願いも込めてつけた名前ですの。もちろん、イブールのために運営して行きたいと考えております」
「あなたの理想は立派だ。しかし、申し訳ないが、我々があなたの理想をすべて叶える存在だとお考えであれば――それは誤解です。ファン・レースト嬢」
ノーテボーム氏は、どこか遠くを見るような仕草をしてから、イマへ向き直った。その目はまっすぐで、なにかイマを謀ろうとしているのではない、とイマには思えた。
おそらく彼は、この契約が本当に良いものだと考えているのだ。
「――この契約は、あなた個人と町の間で結ばれただけのものではない。我々がこの町の代表として進めようとしている、いわば『イブール発展計画』の一部です。それを、いまさら気が変わったとおっしゃるのは――いささか無責任ではありませんか?」
イマがそれに答えようとしたとき、応接間の扉が静かにノックされた。控えていたヨーズアがさっとそれに応じる。
彼は扉越しになにかのやり取りをし、そしてイマへ向き直り、言った。
「先生がおみえになりました」
イマはその言葉ににっこりと笑った。ノーテボーム氏はヨーズアを見、そしてイマを見て「……あくまで、争うということですか」とつぶやいた。
「いえ、何度も申し上げている通り、愛するイブールと争いたいとは、これっぽっちも思っておりません。なので、これはお互いの意見をすり合わせて、一番いいところへ運ぶためですわ」
「なんとでも、言葉ではキレイに言えますな」
ヨーズアは扉を開けて、若い金髪のくせ毛の男性を招き入れた。
どこか腰の低い印象があるその男性は、立ち上がったイマへ「初めまして。『ファン・ボルスト法律事務所』から参りました、ドリース・ファン・ヴァーヘニンゲンです」と言った。
「ようこそおこしくださいました、ファン・ヴァーヘニンゲン先生」
「ドリースでけっこうです、ファン・レースト嬢」
「まあ、ではわたくしのこともイマとお呼びになって」
「承知しました、イマ嬢」
イマとの握手を終えると、ドリース氏はノーテボーム氏へと向き直った。
そして柔らかな笑顔で「では、私がお話しすべき方は、こちらの方ですね?」と言い、手を差し出した。
ノーテボーム氏はそれには応じず「さて、なんの話でしょうか。今から裁判所へ移動しましょうか」と挑戦的に言う。
「いえ、私がこちらへ派遣されてきたのは、あくまで折衝のためです」
「ほう。弁護士が挟まる時点で、争う姿勢だと思えますがね」
「それは弁護士の一面ではありますね。しかし、私みたいに仲裁を得意とする人間もいるのですよ」
ドリース氏は、敵愾心をむき出しにするノーテボーム氏の態度にも動じず、一人掛けソファに腰を下ろした。そしてにこにこと、ノーテボーム氏へと言う。
「依頼人である、こちらのイマ・ファン・レースト嬢のご意向は『だれの権利も損なわず、だれの不利益も生じない、一番いいところへの着地』です。そうですね、じゃあ今から、町議会へ移動しましょうか。――法廷ではなく、あなたの懐で話し合いましょう」




