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深窓の令嬢、ご当地令息に出会ったけれど。~恋より推し活に専念します!~  作者: つこさん。


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第21話 深窓の令嬢、すごくがんばった。

「お嬢、だいじょうぶですか」

「……だいじょうぶじゃありません」


 ヨーズアの問いかけに、イマは口から出そうになる心臓を呑み込みつつ答えた。

 四日ほど計画に費やして、すぐに説明会は設定された。――今日は、本番だ。

 あえてイマは、豪奢ではないけれど落ち着いた深緑のワンピースを選んだ。きっとその方が冷静になれると思ったのだ。


 町の公会堂の一室に、三十名ほどの町民が集まっている。

 告知には『温泉開発に関する意見交換会』とだけ記されていたため、ほとんどの者は好奇心と物見遊山で足を運んで来ていた。


「……だれが来るんだろうな? お偉いさん?」

「町長じゃないのかい?」

「んー、でも、主催は町議会じゃなくて、町おこし振興課ってあるべさー?」


 演壇の袖裏でも、人々のそうした声が聞こえる。イマは、メイドに教わった究極の緊張ほぐし方法『手のひらにヨーズアと書いて呑み込む』を三回やった。

 まるで効果がなく、ヨーズア本人に「なにやってんですか、あんた」と白い目で見られてしまうだけだった。


「――みなさん、お集まりいただきありがとうございます。時間になりましたので『温泉開発に関する意見交換会』を始めます」


 なんてことだろうか、イマがヨーズアを十八人しか呑み込めないうちに、説明会が始まってしまった!


「わたしは司会進行を務めます、町おこし振興課係長のレネ・フランセンです。よろしくお願いいたします」


 イマは無になろうと努めた。どうにか心を平静に保つためだ。

 なので『レネ氏は町おこし振興課の長のはずなのに、なぜ課長ではなく係長という肩書なのか』という深淵なる謎に思いを向けた。いわゆる現実逃避である。


「――ほら、呼ばれてますよ。行きなさい」


 ヨーズアに背中を叩かれ、イマははっと気を取り戻した。演壇の真ん中を見ると、レネ氏が心配そうな表情でこちらを見ている。

 ヨーズアが、小声で、けれどはっきりとした口調でイマへ言った。


「あんた、あんだけ準備して、練習してきたでしょう。あとはやるだけですよ」

「……それが一番むずかしいですわ」

「町民なんて、全員かぼちゃとでも思っておけばいいんですよ」

「……かぼちゃ?」


 イマがかぼちゃと言われて思い浮かべるのは、朝食に出される冷製スープだ。

 スープだと思え、という意味がわからず、素でイマはヨーズアの顔を見上げた。


「……わからんのですか。じゃあ、じゃがいも」

「わかりました、夕食の副菜のことですのね?」

「――あー、うん。なんかこう、思い浮かべやすいもので、人の顔を置き換えなさい」

「なんですの、それ」

「さあ、行きなさい、待たせるんじゃない」


 ざわつく声の中で、イマは演壇に出た。

 一瞬声が止み、そしてまた先ほどよりは静かなざわめきが広がる。


「まさかお嬢様が出てくるとは思わなかったねえ」


 たぶん、抑えた声のつもりのひそひそ話。イマの耳には叫び声のように響いて届く。

 レネ氏が一瞬心配そうな表情をして、それから笑顔に戻り、町民へとイマを紹介した。


「――ご紹介いたします。みなさま、もうご存じの方でしょう。ペペイン温泉の立役者であり、()()()の、イマ・ファン・レースト嬢です!」


 部屋の奥からわっと声があがり、拍手が巻き起こる。イマがそちらへ目を向けると、なんと、ペペインっぽい職人のベルント氏がいた。

 他にも数人の若い職人たち、それに、違う席には建築士のウッツ氏と、測量技師のハイモ氏まで。

 イマはとても驚いた。そして同時に心底ほっとした。ぜんぜん知らない人たちばかりではなく――親しい人たちが応援に来てくれている。もしかしたら、ヨーズアとレネ氏がそう手配してくれたのかもしれない。


 おかげさまで、イマの心はすっと風が吹き込んだように涼やかになった。


 半分近くは、イマの知人だ。それに、あとの半分は、きっとペペイン温泉の常連客。あちらはイマのことを知っている。

 なので、ヨーズアが言ったとおり、人の顔を置き換えてしまえば緊張しない――とイマは思い……


 ――そういえば、先ほどドクを十八人呑み込みましたわね。……ちょうどそのくらいかしら。そうね、見知らぬ顔は、すべてドクに置き換えてしまいましょう。


 そして――イマは深く息を吸い、口を開いた。


「……本日は、お集まりくださりありがとうございます」


 声が震えている。こんな風に、だれかの前に立って話すなど、イマにとって生まれて初めての経験だ。

 胸に手を当てながら、イマは言葉を続ける。


「ご多忙の中、お時間を割いてくださったこと、心より感謝申し上げます。本日は、ひとつだけ、みなさまにどうしてもお伝えしたいことがございます」


 ――だいじょうぶ、だいじょうぶ。今ここにいるのは、ペペインっぽい人と、そうじゃない人と、たくさんのドク。


「わたくしが、町にお譲りすると契約してしまった、温泉地についてです」


 イマのその言葉に、会場の空気がいくらか変わった。町の人々は顔を見合わせる。


「え、あれって……もう町のものになったって……公示が」

「再開発が進むんじゃなかったのか」


 疑問はすぐにその場全体を覆った。ひとしきりささやき合った後、ヨーズアの顔をした人々は、回答を求めてイマへじっと視線を戻す。


「――はい。すでに、町との契約は結ばれております。その事実に間違いはありません。ですが……」


 イマはうなずいて言った。だが、次の言葉に一瞬だけ詰まる。


「……わたくしは、それが『あのような形』になるとは、知らされておりませんでした」


 イマの言葉を固唾を呑んで聞き入っていた人々が「どういうこと?」「だれがなにを決めたってんだ」「どんな形さ?」と口々につぶやく。

 その勢いに気圧されてしまって、イマは一歩退いた。心の中で、もう一度人々の顔をヨーズアの顔に置き換える。

 レネ氏が、イマをかばうように一歩前に出て「わたしの口から詳細をご説明いたします」と述べた。


「――町長と副町長を中心とした町議会によって、再開発契約が急ぎ進められました。その際、ファン・レースト嬢への説明が、契約の要点を外れた形で行われたのです」

「ようするに、騙されたってことかね?」


 年配の男性が、立ち上がって問いかけた。

 レネ氏がそれを肯定しようとしたのを制して、イマは「騙された、というより……わたくしの確認不足でございました。責任は、わたくしにもございます」と、震える声ではっきりと告げた。


 立ち上がった男性は、そのままイマへ尋ねた。


「とにかく、その内容を教えてくれ。なにがあったんだ」


 その言葉に賛同する声がいくつもあがる。レネ氏がイマの様子を見て、一歩下がる。イマは深呼吸をした。

 立ちくらみのような目まいを覚える。この日のために、ヨーズアやレネ氏と打ち合わせ、メイドたちを相手に話す練習だってしてきたのだ。

 ――ぜったいに、この説明会を成功させる。


「少なくとも十五年……そして、わたくしがなにか申し立てをしない限り、半永久的に無条件で『ペペイン温泉』がわたくしからイブールに譲渡される、という内容です」


 どよめきがあがった。ウッツ氏が思わずといった風に立ち上がり「そんな横暴な契約、無効ですよ! イマお嬢様が、どれだけあの温泉のために動いてきたか!」と声をあげた。

 他の町民たちも、何人も立ち上がり、その言葉を肯定する。

 イマはそのとき――町民ひとりひとりの顔が、ヨーズアに見えなくても、ふしぎと怖くなくなった。


「――わたくしは、この町が好きです。イブールのことをもっとよく知り、みなさまとも、もっと仲良くなりたい。みなさまの癒しの場所になるようにと願って、温泉を一般開放しました」

「おうよ、知ってるぜ! お嬢は、オレらに一番風呂をくれたんだからな!」


 ずっと後方で腕を組んで成り行きを見守っていたベルント氏が、朗々とした声でイマの言葉を肯定した。職人たち、それにウッツ氏もそれに同調する。ハイモ氏も、表情が見えないなりにうなずいていた。

 イマはそれらの、ともに働いた仲間たちの顔を見て、ほほ笑んだ。


「……結ばれた契約によって、町で進められようとしている再開発は――もともと、わたくしが思い描いていた『町のための温泉』とは、まったく異なる方向に進んでいます」


 沈黙が広がる。町民たちが、互いに顔を見合わせてイマの言葉の意味を確認し合う。

 皆、なにかしら思うところがあるようだった。


「……本日は、お願いがあって参りました。どうか、みなさまのご意見を、聞かせてください。わたくしひとりでは、町と交渉することができません。なぜなら、わたくしはもう、署名してしまったからです」


 本当にうかつだった、とイマは自分のことを泣きたくなった。

 成人して、こうしてイブールへやってきて、まるでなんでもできるかのように――イマは愚かな振る舞いをしていた。


「契約への異議申し立て文書は、すでに町議会へ提出いたしました。町議会の公示から二週間以内で、そして議決前であれば、それが可能なのです。今必要なのは、それを後押しする――みなさまの声です」


 ――なにもわかっていなかったのに。いろいろな人に支えられてきたのに。


 深い感謝と後悔が、イマの言葉を重くする。


「撤回は、むずかしいかもしれません。けれど――みなさまとご一緒なら、きっと道が、拓けると、信じています」


 イマは胸に手を当て、うなだれた。


 会場に静寂が満ちる。そのなかで、だれよりも早く手を挙げ立ち上がったのは中年の女性だった。


「――イブール全町婦人会代表の、デボラ・ステーフマンスです。こんな形でのあいさつになってしまってごめんなさいね。ペペイン温泉、週末に伺っております」

「まあ、うれしゅうございます!」

「お嬢さん、わたしたちも、この前の町議会の公示に違和感を持っていましたよ。まったく説明がないままでしたからね。今回はやっと、その説明会だと思って来たんですよ」


 憤慨した様子で、ステーフマンス婦人会長は大きな体を揺らした。


「まして、一番の功労者であるお嬢さんをだまくらかして町の方針だけが決まっていくなんて……こんなやり方、納得できませんよ!」


 職人たちから「そうだそうだ!」「いいぞ、デボラの母さん!」と声があがった。それを皮切りに、様々な声が飛び交う。


「意見書なら、書きます!」

「会場もっと広くしたら? 次も来ますから!」

「町長、いったいなにやってんだよー! もー!」

「いやあ、あの子にもなんか、考えがあるんでしょ。責めてやるな、まだひよっこだからね」


 たくさんの意見が波のように広がり、会場を満たしていく。イマは演壇上で、まっすぐその様子を見据えていた。

 もうイマは、町民たちが、見知らぬだれかだとは思わなかった。なのでひとりひとりとしっかり目を合わせたかったのに、視界がかすんでよく見えない。


 レネ氏が閉会の言葉を述べ、今後の段取りについて説明し始めた。イマはそれを聞きながら、ふらふらと演壇の袖裏へ戻る。


 ヨーズアがそこに立っている。イマの目には会場にも十八人ほど居たが、こちらが本体だ。


「おつかれさんです。帰りますか」


 そっけない態度だった。でもそれはいつものヨーズアで、イマはいろいろなものがこみあげて、泣いてしまった。


「はいはい。ほら、ハンカチ当てときなさい」

「ドク、わたくし、がんばりましたの」


 涙を拭かれながら、イマは鼻をすすって言った。ヨーズアは「知ってますよ。見てましたから」と、やはりそっけない。


「……ちゃんとできていましたか」


 鼻にハンカチを当てられながらイマが言うと、ヨーズアはおもしろくもなさそうな表情で言った。


「できてましたよ。上出来でしょう。今日は温泉でも入って、ゆっくりしなさい」


 いよいよイマは嗚咽をあげ、ヨーズアに抱えられ馬車へ乗せられた。

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