第19話 深窓の令嬢、自分もなんとかしたい。
『第三条(権限の一部移譲)
一、本施設の使用権及び施設管理権のうち、事業推進上必要と認められる範囲については、乙の同意の下、一定期間、甲に移譲される。
二、前項の期間及び範囲については、別紙「使用権移譲附則」に定める。』
イマが署名した書類には、そう記されている部分があった。
そしてそれが、とんでもない内容だと、イマはヨーズアの説明でやっと理解した。
「……じゅうごねん……わたくし、そんなに長い間、ペペイン温泉に関われなくなるんですの……」
別紙、と呼ばれている書類は確かに存在した。しかし、細かい字で難しいことがずっと連ねられていて、イマが署名した『地域振興協定書』よりもさらに意味がわからずにいたのだ。
一読しただけで理解してしまったヨーズアは、もしかして天才なのではないかとイマは思った。たしかに、その中には『十五年』という数字があった。メガネだろうか。もしかして、メガネがあると、読みこなせるのだろうか、とイマは少しだけ思った。
ヨーズアは息をひとつ深くついて、それから「朝になったら、フランセン君に会って来ます。あんたが問題を認識しましたからね」と、じっとイマを見た。
「……反撃だ。準備しますから、あんたは部屋に戻って寝なさい」
「え、わたくしも! わたくしも、なにかします!」
「いや、あんたなにもできんでしょう」
無情にもヨーズアはそう言った。たしかにそうなのだが、問題の種を蒔いた自覚があるイマは、居ても立ってもいられない。
なので食い下がろうとしたが、ため息混じりに顔をしかめて言われた、ヨーズアの次の言葉にあわてて退室した。
「そもそもあんた、こんな真夜中に寝巻きで男の部屋に来ることの意味、わかってんすか? ――メイドたちが起きて来ないうちに、さっさと戻るんですよ」
「――まあ、なんてことでしょう!」
イマは飛び出した後、開け放たれたままだったヨーズアの部屋の扉を音を立てないようにそっと閉める。
なんとなく、ヨーズアが笑っていたような気がした。
ドキドキしながら自室のベッドに入ると、ほっとした気持ちから、イマはすぐに寝入った。
そして、翌朝。
「……ドクは、出かけましたの?」
「はい、フランセン様のところへ行く、とおっしゃっていました。お帰りは遅くなるそうです」
「そう……」
イマも行ってしまおうかと思った。フランセン家の庭には史跡のペペイン邸があるので、気持ち的にはとても行きたい。けれど、そんなことを言っている場合ではないのだ。
イマは、温泉が湧いた土地の他にも、自分専用のペペイン邸を建てるための土地を探している。なので、その見積もりや選定をまとめて建築士のウッツ氏へ委託していた。
その件でウッツ氏がやってきたので、応接室で話を聞く。
「あれ? メールディンク先生は、ご不在ですか?」
「ドクは、今日はべつのお仕事に行きましたの」
「あー、そうか。――じゃあ、あらためて後日伺いますね」
「あの、ウッツ様。お願いがございます」
イマが扇子で口元を隠し、声をひそめて言うと、ウッツ氏は目を丸くして「はい、なんでしょう?」と言った。
「あの……わたくしにも、わかるように説明してくださいませんか。土地とか、契約のこと。――あの、わたくし、あまりにも物知らずで、ぜんぶみなさまの善意に頼ってきました。それではいけないと思うのです。あの、ドクにも伝えてはいただきたいのですけれど、わたくしも、理解したいのです」
しどろもどろになってしまったイマの言葉を聞くと、ウッツ氏の大きい目が、もっと大きくなった。
そして、彼は満面の笑顔で「お安い御用です!」と言ってくれた。
ヨーズアが屋敷に戻って来たのは、イマが夕食を終えて、ウッツ氏に書いてもらった土地に関する難しい言葉一覧を辞書で調べていたときだ。
メイドがヨーズアの帰宅を告げてきたとき、イマはすぐに立ち上がって玄関広場へ向かった。
「おかえりなさいまし、ドク!」
「ああ、ただいま戻りましたよ。――どうにかなりそうなんで、期待していてください、お嬢」
「どうにかって、どうですの?」
階段を駆け下りてイマが尋ねると、ヨーズアは笑った。そして「デッケルス先生に連絡しましたよ、活きの良い若いのをよこしてくれって」と言う。
「まあ、まあ、ヴェルネルおじさまに?」
思わぬ名前が出てきたので、イマは目を丸くした。それはイマの実家の顧問弁護士で、幼いころからイマをかわいがってくれている男性だ。
ヨーズアは階段を登りながらメイドへ「蒸留酒と、なんか、つまみを軽く」と頼んでいる。イマはその背中を追いかけながら「おじさまに、連絡してどうするのです?」と尋ねる。
自分の部屋の前までやってきて、ヨーズアは扉を開けながらイマを振り返った。
「フランセン君のところの弁護士が、町とやり合いたくないみたいで、アテにならんので。先生のところの若いもんなら、安心だしいい実績づくりになるでしょうよ」
「町? イブールを、訴えますの⁉」
驚いて、イマは声がひっくり返った。ヨーズアはニヤリと笑って「それくらいの覚悟でやろうじゃないか、ってことですよ」と言った。
「まあ、明日、フランセン君がこっちに来てくれるんで。そんときにぜんぶ説明します」
「ええ、でも。でも、わたくしも、なにか……」
「はい、わかってますよ。段取りはしました。――あんたの温泉だ」
メイドが酒瓶や軽食を持って来た。礼を言って受け取りながら、ヨーズアはイマを見た。
「あんたが、自分で取り返すんですよ。じゃあ、酒かっくらって寝ます。あんま寝てないんすよ。明日はみっちり作戦会議ですよ、覚悟しといてください」




