第15話 深窓の令嬢、お礼がしたい。
「うわっ、お湯だ!」
「まじかー! 本気であったー!」
イマが、開け放たれた窓からそよ風とともに入って来たその大きな声を聞いたのは、メイドといっしょに午後の休憩時間にどんな菓子を職人たちへ提供するか悩んでいたときだ。甘党も辛党も居て、配分や目新しさになかなか頭を使うのだ。
「出たか!」
玄関ホールにヨーズアの声が響き、轟速で走って外へ出て行く音が扉越しに聞こえる。
イマも「ペペイン温泉ですのね!」と手を打ち鳴らしてよろこんだ。
二カ月にも及ぶ試掘期間中、イマよりもヨーズアの方が温泉の存在に胸踊らせていたことは間違いない。
外からヨーズアの「――うおおおおおおおおお!」という雄叫びが届いた。
イマはその、前代未聞のはしゃぎっぷりを、扇子を口元に当て窓から「ようございました」とにっこり眺めた。
イマもすごくうれしいのだが、金の成る木――もとい湯を得て、いまだかつてなく全力でよろこぶヨーズアを見ると、なんだか心がスンッとなった。
ヨーズアは真夏だというのに吹き上がった湯を浴びて、びしょ濡れのまま珍妙な踊りをしている。職人たちは爆笑し、ひとり、またひとりとそれを真似て、最後には全員がてんでばらばらに踊り始めた。おもしろすぎる。
休日だったベルント氏、建築士のウッツ氏や測量技師のハイモ氏、それにレネ氏まで呼びつけて、にわかのお祝い会をすることになった。
日も暮れていないというのに「宴会だ!」と職人たちが騒ぎ立てる。
屋敷の厨房は臨戦態勢に入った。メイドたちもいつでも応戦できるよう控え、他の使用人たちは圧倒的に足りない酒類と食材を調達に走った。
家族のいる職人たちは、家へひとっ走りして全員連れてきた。出勤していなかった他の職人たちも呼んで来たようだ。
それぞれの手には家から持ち寄った酒や手製の惣菜がある。単身者たちは、即席でかまどを作り炭を焚き付け、炙り焼きができるようにした。使用人たちがテーブルをいくつか用意したが足りないので、職人たちは盛り土の上でさえならしてテーブルにしてしまった。
人が集まるにつれて、場は収拾がつかなくなるくらい賑わって行く。
急いで酒や食材を納品に来た業者たちから「温泉が湧いた!」と話が広がって、イブールはその日、町全体がお祭り騒ぎになった。
そして、後日町議会にて審議され、その日は『温泉の日』という、イブールの祝日に制定された。
「さて。イマお嬢様。――これからが、本番です」
ある日のこと。
ウッツ氏が炎天下で汗だくになりながら、湧いた温泉をどのように成形していくか案をスケッチしている。それを涼しい室内から眺めつつ、ヨーズアが深刻な口調でイマへ言った。
温泉はこんこんと湧き上がっていて、今はもったいないことに、そのまま流れてしまっている。夜にメイドたちがこっそり汲んで、顔を洗うのに使っているのは知っている。よって最近みんなツヤツヤだ。イマもそのうち使おうと思う。
「本番……とは――なんですの、ドク」
調子を合わせて低めの声でイマはそう尋ねた。
振り返ってこちらを見たヨーズアのメガネがギラリと光った。
「商売の段取りは……早いにこしたことはありません。まずは、いつから開業し、入湯料をいくらかにするか、だ」
イマは、目をまばたいて、少し考えてからヨーズアへ言った。
「まあ……みなさんへ、無償開放してはいけませんの?」
「なぁああああぁに言ってんだあんたの頭は温泉か⁉」
なるほど、湧くをかけたのか、上手い、とイマは思った。ヨーズアはかなり賢いとイマは思う。
しかし、イマも完全に無償にするとは考えていない。
「ドク、考えてもみてくださいまし。このペペイン温泉事業、わたくしたち二人で成したものではありませんわ」
イマが冷静に、扇子をびしっとヨーズアへ向けて言うと、彼は「それは、まあ」と言った。
イマはたたみかけるように「わたくし、この事業に関わってくださったみなさまに、ぜひ一番に温泉をたのしんでいただきたいのです」と言った。
「――そして、それは無償としたいですわ。……ドクが教えてくださったんですのよ? 働きに報いるには、お金ではなく『ありがとう』と言うべき、と」
ヨーズアは口をつぐんでイマを見た。イマも、笑顔でヨーズアを見た。
「わたくし、みなさんへ『ありがとう』したいのですわ」




