表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

地球の裏側から、君に贈る物語

作者: ふぬん

## 第1章:孤独な日常


モスクワの古びたアパートの窓辺に、ユーリ・イワノフは立っていた。


窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、25年という歳月が刻んだ痕跡を確かめるように、彼は無意識に頬に触れた。顔に浮かぶ影は、外の暗さよりも彼の内面の闇を映しているようだった。


十一月の冷たい雨が窓を叩き、部屋の中の暖房は十分に効いているにもかかわらず、彼の心に纏わりついた寒さは消えなかった。


「また一人で…」


ユーリは小さく呟いた。父ミハイルの葬儀から三ヶ月が経っていた。遠い記憶の中の母の面影も、今では曇りガラスを通して見るように不鮮明だった。親戚と呼べる者も遠くにいるばかりで、友人も数えるほどしかいない。彼の世界は、このアパートの壁と同じように、狭く、色あせていた。


キッチンへ移動したユーリは、古い電気ケトルにお湯を入れ、スイッチを入れた。ケトルが沸騰するのを待つ間、彼はテーブルに散らばった翻訳の仕事を片付けた。ロシア語から英語への翻訳の仕事は、彼の数少ない才能が活かせる場所だった。人との関わりが少なく、静かに作業できる環境は、ある意味で彼の性に合っていた。


しかし、心の奥では常に何かが足りないと感じていた。父が遺した書斎の本棚には、世界中の国々についての本が並んでいた。ユーリはしばしばそれらの本を手に取り、自分が見たことのない世界に思いを馳せた。特に南米の写真集は、彼を不思議な世界へと誘った。


「どうして父はあんなに南米に惹かれていたんだろう」


コーヒーを啜りながら、ユーリは窓の外を見た。モスクワの灰色の空は、彼の心情を映すようだった。


電話が鳴ったのは、そんな平凡な午後のことだった。


「もしもし、ユーリ・ミハイロヴィッチ・イワノフさんでしょうか?」


聞き慣れない声に、ユーリは一瞬戸惑った。


「はい、そうですが」


「コーエン・ブラッドリー法律事務所のアレクサンドラ・ペトロワと申します。お父様の遺産相続について、重要な話があります。明日、お時間をいただけませんか?」


ユーリは眉をひそめた。父の遺産についてはすでに処理済みだと思っていた。簡素な家具と本、そして小額の預金以外に何があるというのか。


「わかりました。明日の午後はどうですか?」


「ありがとうございます。では、明日の午後2時に当事務所でお待ちしております」


電話を置いたユーリは、再び窓の外を見た。灰色の空には、わずかに光が差し込んでいた。


---


コーエン・ブラッドリー法律事務所は、モスクワの中心部にある洗練されたビルの15階にあった。エレベーターの扉が開くと、洗練された空間が広がっていた。


「イワノフさん、お待ちしておりました」


受付から立ち上がった女性は、30代前半のプロフェッショナルな印象を与えた。彼女はユーリを小さな会議室へと案内した。


「ペトロワさんですか?」


「はい。お父様のミハイル・イワノフさんの遺言執行の担当をしております」


彼女はテーブルの上に置かれた分厚いファイルを開いた。


「実はあなたのお父様は、私たちの事務所を通じて、ブラジルのサンパウロに不動産を所有していたのです」


「サンパウロ?」ユーリは驚きを隠せなかった。「父がブラジルに不動産を持っていたなんて…知りませんでした」


「はい。しかも、かなり広大な土地と、そこにある建物です。具体的な場所は、サンパウロから少し離れたジャングルの中にあります。お父様の遺言によれば、その不動産と、そこに保管されている全ての物品は、あなたに相続されることになっています」


ユーリは言葉を失った。父がブラジルに土地を持っていたなんて。しかも、ジャングルの中に?


「しかし…どうして父がそんなところに…」


「詳しいことは私にもわかりません。ただ、お父様は生前、その不動産について極めて慎重に扱うよう指示されていました。そして…」ペトロワさんは少し言いよどんだ。「遺言には、あなたが必ず自分で現地に行き、その場所を訪れるべきだとも書かれています」


「自分で?」


「はい。遺言の条件として、相続を完了するためには、あなたが実際にその場所を訪れ、中にある特定の物を確認する必要があります」


ユーリは頭の中が混乱した。父のことを知っていると思っていたが、これは全く予想外だった。なぜ父はブラジルに土地を持っていたのか。そして、なぜそのことを一度も話さなかったのか。


「それで…いつ行けばいいのでしょうか?」


「できるだけ早い方がいいでしょう。お父様の遺言には期限が設けられています。今から3ヶ月以内に現地を訪れなければ、その不動産は別の指定された人物に譲渡されることになっています」


ユーリは窓の外を見た。モスクワの冬の空は相変わらず灰色だったが、彼の心の中には何か新しい感情が芽生えていた。それは不安と期待が入り混じった、奇妙な感覚だった。


「準備します。必要な書類は?」


ペトロワさんはファイルから数枚の書類を取り出した。


「これがブラジル入国に必要なビザの申請書、これが不動産の所在地を示す地図です。そして、これがその場所への正確な行き方を記した指示書です」


彼女はさらに小さな封筒を取り出した。


「そして、これはお父様から直接あなたへのメッセージです。現地に到着してから開封するようにとの指示がありました」


ユーリは封筒を受け取り、その重さを感じた。それは単なる紙の重さではなく、父の意志の重みだった。


「ありがとうございます」


部屋を出る前に、ユーリは振り返った。


「ペトロワさん、父はなぜブラジルにこだわっていたのでしょうか?何か知っていますか?」


彼女は少し考えてから答えた。


「私が知っているのは、お父様がよく『人生の真実は、時に地球の裏側に隠されている』と言っていたということだけです」


---


アパートに戻ったユーリは、書斎の本棚から南米に関する本を全て取り出した。その中の一冊、「アマゾンの神秘」という写真集の間から、一枚の古い写真が滑り落ちた。


それは父が若い頃、おそらく30代前半と思われる時に、うっそうとしたジャングルの中で撮影されたものだった。父の隣には見知らぬ男性が立っており、二人とも笑顔を浮かべていた。写真の裏には、「ミハイルとカルロス、1990年、アマゾン探検にて」と書かれていた。


ユーリは写真を長い間見つめた。父の若い頃の姿は、自分と驚くほど似ていた。しかし、その目には自分にはない、何かへの情熱が燃えていた。


「父さん…あなたは一体何を探していたんだろう」


窓の外では、雪が静かに降り始めていた。モスクワの冬の到来を告げる雪は、いつもなら彼に憂鬱をもたらすものだったが、今日は違った。その白い結晶の一つ一つに、未知の世界への期待が込められているように感じた。


ユーリはノートパソコンを開き、ブラジル行きの航空券を探し始めた。これまでの25年間、彼は常に安全な場所にとどまることを選んできた。しかし今、父の遺産という名の呼び声が、彼を未知の世界へと誘っていた。


恐れと期待が入り混じる中、ユーリは決断した。彼は地球の裏側へ向かうことになる。そこでは、自分自身と父の過去が、彼を待っているのかもしれなかった。


## 第2章:思いがけない遺産


シェレメーチエヴォ国際空港の出発ロビーは、様々な国へ向かう旅行者で賑わっていた。ユーリはパスポートと搭乗券を握りしめながら、搭乗ゲートへと向かった。これまで海外に出たことのなかった彼にとって、すべてが新鮮で、少し怖くもあった。


「お客様のお荷物は大丈夫ですか?」


チェックインカウンターの女性の声に、ユーリは我に返った。


「はい、大丈夫です」


彼のスーツケースは小さく、必要最低限の衣類と、父の書斎から持ってきた南米関連の本数冊だけが入っていた。そして内ポケットには、ペトロワさんから渡された封筒と、父の若い頃の写真が大切に収められていた。


搭乗ゲートに着くと、ユーリは窓際の席に座り、滑走路に並ぶ飛行機を眺めた。モスクワからサンパウロまでは、乗り継ぎを含めて20時間以上かかる。彼は深呼吸をして、これから始まる長い旅に備えた。


「初めての海外ですか?」


隣に座った中年の男性が、親しげに話しかけてきた。


「はい、そうです」ユーリは少し戸惑いながら答えた。


「ビジネスで?」


「いいえ、家族の…遺産の件です」


「それは大変でしたね」男性は同情的な表情を浮かべた。「でも、ブラジルは素晴らしい国ですよ。特にサンパウロは活気に満ちています。きっとあなたも楽しめるでしょう」


ユーリは微笑んだが、内心では不安が増していた。彼は一人で見知らぬ国に行くのだ。言葉も文化も異なる場所で、父の残した謎めいた遺産を探すことになる。


搭乗のアナウンスが流れ、ユーリは立ち上がった。搭乗口に向かう列に並びながら、彼は最後にモスクワの景色を見渡した。雪に覆われた街並みは、彼が生まれ育った場所だった。しかし今、彼はその安全な世界を離れようとしていた。


「さようなら、モスクワ」


彼は小さく呟き、搭乗口へと進んだ。


---


機内では、時間がゆっくりと流れていた。ユーリは窓から見える雲海を眺めながら、父について考えていた。


ミハイル・イワノフは、ソビエト連邦時代に物理学者として活躍していた。しかし、ソ連崩壊後、彼の研究キャリアは突如として中断された。その後は翻訳の仕事をしながら、時々短期間の海外出張に出かけていた。ユーリが思春期を迎える頃には、その海外出張も無くなり、父は静かにモスクワの生活に落ち着いていた。


「一体どんな研究をしていたんだろう…」


ユーリは父の書斎から持ってきた本の一つを開いた。「アマゾン流域の地質学的特性」というタイトルの専門書で、ページの隅々まで父の書き込みがあった。その多くはロシア語だったが、時々スペイン語やポルトガル語らしき言葉も混じっていた。


特に頻繁に出てくる「ピエドラ・ネグラ」という言葉に、ユーリは目を留めた。スペイン語で「黒い石」という意味だろうか。それが何を指すのか、彼には見当もつかなかった。


疲れた目を閉じると、ユーリは幼い頃の記憶に浸った。父が仕事から帰ってきて、外国の不思議な話を聞かせてくれた夜。時に父は、世界のどこかに「特別な場所」があると語り、いつか一緒に行こうと約束していた。しかし、その約束が果たされることはなかった。


「父さんは何を見つけたんだろう…そして、なぜそれを誰にも話さなかったんだろう」


窓の外では、太陽が地平線に沈み、夜の闇が広がっていた。


---


サンパウロ・グアルーリョス国際空港に到着したユーリを迎えたのは、湿度の高い熱帯の空気だった。モスクワの冬から一気に真夏の南半球へと移動したことで、彼の体は戸惑いを見せていた。


「タクシー、センホール?」


空港を出たところで、地元のタクシードライバーが声をかけてきた。ユーリはペトロワさんから渡された紙を見せながら、ホテルの名前を告げた。


「アー、ホテル・インペリアル、シー、シー」


タクシーは喧騒のサンパウロの街を駆け抜けていった。巨大な高層ビル群、カラフルなファベーラ(スラム街)、そして至る所に溢れる人々。モスクワとは全く異なる風景に、ユーリは圧倒された。


ホテルに到着し、部屋に入ると、ユーリはベッドに倒れ込んだ。時差ぼけと長旅の疲れが一気に押し寄せてきた。しかし、休む前にすべきことがあった。彼はペトロワさんから渡された指示書を取り出し、明日の予定を確認した。


指示書によれば、明朝9時に「エドゥアルド・コスタ」という弁護士と会う約束になっていた。彼がユーリをミハイルの不動産へと案内するという。


「とりあえず、少し休もう…」


ユーリはそう思いながら目を閉じたが、興奮と不安で中々眠りにつけなかった。父の若い頃の写真を見つめながら、彼は様々な可能性を想像した。父は科学者として何か重要な発見をしたのだろうか?それとも、単に南米の自然に魅せられただけなのか?


窓の外からは、サンパウロの夜の音が聞こえてきた。クラクションの音、遠くから流れる音楽、人々の笑い声。それはモスクワの静けさとは全く違う、生命力に満ちた音だった。


ユーリはついに眠りに落ちた。その夜、彼は奇妙な夢を見た。うっそうとしたジャングルの中を歩く父の姿。父は振り返り、手招きをしている。しかし、どれだけ近づこうとしても、その距離は縮まらない。そして父の姿は、巨大な黒い石の影に消えていった。


---


「ボン・ヂィア、セニョール・イワノフ」


エドゥアルド・コスタは、50代半ばの小柄な男性だった。彼の顔には常に微笑みが浮かんでおり、その親しみやすさはユーリの緊張を和らげた。


「おはようございます、コスタさん」


「あなたのお父様とは長いお付き合いでした」コスタは懐かしむように言った。「とても賢い方で、情熱的な研究者でした」


「父がここで何をしていたのか、あなたはご存知ですか?」


コスタは少し考えてから答えた。「詳しいことは言えません。ミハイルは常に秘密主義でした。特に最後の数年は…」


彼らは弁護士事務所を出て、待機していたジープに乗り込んだ。


「これから向かう場所は、サンパウロから約100キロ離れた場所にあります。道中は長く、時には困難です。準備はできていますか?」


ユーリは頷いた。「はい、できています」


ジープはサンパウロの喧騒を抜け、徐々に自然が多い地域へと入っていった。舗装された道路が途切れ、赤土の未舗装路を進むようになると、車体は激しく揺れ始めた。


「お父様はこの場所を選ぶのに慎重でした」コスタは運転しながら話した。「アマゾンの一部ですが、大きな川からは離れていて、通常の観光ルートからも外れています。隠れ家というには最適な場所です」


「隠れ家?」ユーリは疑問を感じた。「父は何から隠れる必要があったのですか?」


コスタは黙ってハンドルを握り、しばらく答えなかった。


「それはあなた自身で見つけるべきことかもしれません」


道はさらに狭くなり、ジャングルの木々が迫ってきた。時折、カラフルな鳥が飛び交い、見慣れない動物の鳴き声が聞こえた。ユーリはその光景に圧倒された。写真や映像で見たジャングルは、実際に体験するとまったく違っていた。湿度、匂い、音、すべてが彼の感覚を刺激した。


約2時間の走行の後、ジープは小さな開けた場所に到着した。そこには石造りの小さな建物が一つだけ建っていた。外観は質素だったが、どこか近代的な要素も感じられた。


「着きました」コスタは車を停め、エンジンを切った。「これがあなたの父の隠れ家です」


ユーリはジープから降り、建物に近づいた。壁は厚く、窓は少なかった。研究施設のような印象を受けた。


「入り口はこちらです」


コスタは建物の側面にある扉に向かった。彼はポケットから取り出した鍵を差し込み、重い扉を開けた。


「この鍵はあなたのものです」彼は鍵をユーリに手渡した。「中に入るとき、私は同行しません。これはあなたとあなたの父の間の私的な問題です」


ユーリは鍵を受け取り、その重さを感じた。これが父の秘密への鍵だった。


「中には電気がありますか?水は?」


「すべて整っています。発電機もありますし、井戸もあります。数週間は快適に過ごせるでしょう」


コスタは少し躊躇ってから続けた。


「しかし、注意が必要です。この地域には危険もあります。ジャガーやヘビもいますし…」彼は言葉を選ぶように間を置いた。「そして、時には人間の方が野生動物より危険なこともあります」


「どういう意味ですか?」


「お父様の研究は…価値のあるものでした。それを狙う人々がいるかもしれません」


ユーリは不安を覚えたが、同時に好奇心も強まった。


「わかりました。注意します」


コスタは頷き、ジープに戻った。


「3日後に迎えに来ます。それまでに見つけるべきものを見つけてください」


ジープが去っていく音が遠ざかると、ユーリは一人、ジャングルの中の建物の前に立っていた。周囲からは鳥や虫の鳴き声だけが聞こえ、時折風が葉を揺らす音がした。


彼は深呼吸し、父から渡された封筒を取り出した。「現地に到着してから開けるように」という指示があったのを思い出し、彼は封を切った。


中には一枚の紙と小さな金属製の鍵が入っていた。紙にはロシア語で短いメッセージが書かれていた。


「親愛なるユーリへ


もしこの手紙を読んでいるなら、私はもうこの世にいないだろう。そして、お前は私の最後の願いを叶えるため、遠い地球の裏側までやって来たことになる。


この建物の中に、私の人生の研究成果がある。それは単なる科学的発見ではなく、私たちの家族の歴史、そしてお前自身のルーツに関わるものだ。


建物内の書斎の床下に金庫がある。この鍵で開けることができる。そこに全ての答えがある。


しかし、注意しなければならない。この発見は危険を伴う。私が守ろうとしたものを、今度はお前が守るべきかどうか、それはお前自身で決めてほしい。


最後に一つ言っておきたい。お前を一人で育てたことを後悔してはいない。しかし、真実を隠していたことは謝らねばならない。お前の母について、そして私たちの本当の使命について。


すべての答えは中にある。


愛を込めて、

父より」


ユーリは手紙を何度も読み返した。母について?彼の母親はユーリが5歳の時に事故で亡くなったと聞いていた。そして「私たちの本当の使命」とは何だろうか?


彼は鍵を握りしめ、建物の入り口に向かった。扉を開け、中に足を踏み入れると、かすかに埃の匂いがした。しかし、予想したほど荒れてはいなかった。


廊下を進むと、三つの部屋があった。一つは簡素な寝室、一つは小さなキッチンとリビングスペース、そして最後の一つは書斎だった。


書斎には壁一面に本棚があり、机の上には古い顕微鏡や測定器具が置かれていた。部屋の隅には大きな金属製のキャビネットがあり、その中には地図や手書きのノートが整然と収められていた。


ユーリは父の手紙にあった指示を思い出し、書斎の床を調べ始めた。絨毯を捲ると、一部の床板が他と微妙に色が違うことに気がついた。その部分を押すと、床板が持ち上がり、下に金庫が現れた。


彼は手が震えるのを感じながら、封筒に入っていた小さな鍵を金庫に差し込んだ。カチリと音がして、金庫の扉が開いた。


中には黒い革のノートと、小さな木箱、そして一枚の古い写真が入っていた。


写真は色あせていたが、若い女性の姿がはっきりと写っていた。彼女は美しく、長い黒髪とオリーブ色の肌を持ち、カメラに向かって微笑んでいた。その背景には、ジャングルらしき風景が広がっていた。


写真の裏には、「イザベラ、1992」と書かれていた。


ユーリは息を呑んだ。この女性が彼の母なのだろうか?しかし、彼が持っていた母の写真とは明らかに別人だった。父は一体何を隠していたのか?


彼は革のノートを開いた。そこには父の筆跡で、膨大な記録が残されていた。日付は1989年から始まり、2018年まで続いていた。


最初のページには、こう書かれていた。


「ピエドラ・ネグラの発見は、単なる科学的好奇心から始まった。しかし今、私は自分がどれほど大きな力に関わっているかを理解し始めている。この力は世界を変えることができる。しかし、間違った手に渡れば、破壊をもたらすだろう」


ユーリは夜が更けるのも忘れて、ノートを読み続けた。それは父の南米での研究、ある「黒い石」の発見、そして地元の先住民との出会いについての記録だった。そして、イザベラという女性との出会いと恋愛、そして彼女の妊娠についても詳細に記されていた。


最後のページには、2018年の日付で次のように書かれていた。


「彼らが再び私を追ってきている。今度は逃げ切れないかもしれない。ユーリには真実を話すべき時が来た。彼は自分の本当のルーツを知る権利がある。そして、ピエドラ・ネグラの秘密を守る責任も。」


ユーリは木箱を開けた。中には黒く輝く石の欠片が収められていた。それは普通の石とは明らかに違っていた。表面は滑らかで、光を当てると内部から奇妙な輝きを放っていた。


彼はノートの最後のページをもう一度読み返した。そこには小さな地図が描かれ、「本物の場所」と書き添えられていた。それはこの建物からさらに内陸に入った場所を示していた。


ユーリの心は混乱と興奮で一杯だった。彼の知っていた人生の物語は、嘘だったのかもしれない。彼の母は実在の人物だったが、父が語っていた人物とは違っていた。そして、「ピエドラ・ネグラ」という謎の石の存在。それは父が命がけで守ろうとしていたものだった。


建物の外からは、ジャングルの夜の音が聞こえてきた。ユーリは窓の外を見た。月明かりに照らされたジャングルは、美しくも不気味だった。彼は初めて、自分がどれほど遠くまで来たのかを実感した。地球の裏側で、彼は自分の人生の真実に向き合おうとしていた。


小さな木箱を手に取り、ユーリはもう一度石の欠片を見つめた。それは単なる石ではなく、彼の過去と未来を繋ぐ鍵のように思えた。


「父さん…これから僕は何をすればいいんだろう」


彼は静かに呟いた。答えはなかったが、ジャングルの風が窓を揺らし、まるで「先に進め」と囁いているようだった。


## 第3章:未知の地へ


朝日がジャングルの木々の間から差し込み、ユーリの顔を照らした。彼は椅子に座ったまま眠り込んでいたことに気づき、首の痛みを感じながら身体を伸ばした。一晩中、父のノートを読み続けていたのだ。


「イザベラ…」


彼は写真を再び手に取り、そこに写る女性の顔を見つめた。彼女の目には、どこか自分に似た部分があるように感じた。ノートによれば、イザベラは地元の先住民グアラニ族と交流のあった人類学者で、父ミハイルの研究を手伝っていた。二人は1992年に恋に落ち、そして彼女は妊娠した。


しかし、父のノートはここで曖昧になる。イザベラとの関係がどうなったのか、そして彼女の妊娠の結末については詳しく書かれていなかった。ただ、「彼女を守るために、すべてを捨てなければならなかった」という一文だけが残されていた。


「僕の本当の母親は…」


ユーリは頭を振った。これまで信じていた母親の写真と、目の前のイザベラの姿はあまりにも違っていた。父は嘘をついていたのだろうか?それとも、もっと複雑な事情があったのだろうか?


彼はキッチンに向かい、水を飲んだ。幸い、冷蔵庫には基本的な食料が備えられていた。簡単な朝食を摂りながら、ユーリは今日の計画を立てた。


ノートに描かれた地図によれば、「本物の場所」はこの建物から約10キロ離れたジャングルの奥地にあった。そこには大きなピエドラ・ネグラ、黒い石があるという。父のノートによれば、それは単なる石ではなく、特殊なエネルギーを持つ物質だった。


「行くべきか…」


ユーリは迷った。3日後にコスタが迎えに来るまで、ここで待つという選択肢もあった。しかし、父のノートを読めば読むほど、彼の好奇心は高まるばかりだった。


「行こう」


彼は決意した。父の書斎からバックパックを見つけ、必要な物を詰め始めた。水、食料、懐中電灯、コンパス、そして父のノートと地図。幸い、父はジャングルでの生活に必要な装備をすべて揃えていた。


準備を終えると、ユーリは建物を施錠し、ノートに描かれた方向へと歩き始めた。最初は比較的開けた道だったが、徐々にジャングルが深くなり、道は不明瞭になっていった。


モスクワの街中育ちのユーリにとって、ジャングルの中を歩くことは全くの未経験だった。湿度の高い空気は肌にまとわりつき、見慣れない植物や虫が彼を取り囲んでいた。時折、遠くから奇妙な鳴き声が聞こえてくると、彼は立ち止まり、周囲を警戒した。


「これが父の毎日だったんだ…」


彼は父がこのジャングルを歩き、研究していた姿を想像した。物理学者から冒険家へと変わった父の姿は、これまで知っていた穏やかな翻訳者の姿とはかけ離れていた。


2時間ほど歩いたところで、ユーリは小さな川に出くわした。地図によれば、この川に沿って上流へ進むことになっていた。彼は川岸に沿って歩き始めた。


川の水は驚くほど透明で、小魚が泳ぐ姿が見えた。時折、カラフルな鳥が水面すれすれに飛び、水を啜る姿も見られた。ユーリはその美しさに見とれながらも、警戒を怠らなかった。父のノートには、この地域の危険についても詳しく書かれていたからだ。


「誰かいるのか?」


突然、茂みが揺れる音がした。ユーリは立ち止まり、息を殺した。再び音がしたが、それは彼から遠ざかっていく足音のようだった。恐らく何かの動物だろう。


安堵のため息をつきながら、彼は前進を続けた。川は徐々に細くなり、やがて小さな滝に到達した。地図によれば、ここから右に曲がり、小さな丘を登ることになっていた。


丘を登り切ると、視界が開け、小さな谷間が見えてきた。そこには円形に配置された石造りの遺跡があった。中央には大きな黒い石が鎮座していた。


「ピエドラ・ネグラ…」


ユーリは息を呑んだ。それは父のノートに描かれていた通りの場所だった。彼は慎重に谷間へと降りていった。


遺跡に近づくにつれ、奇妙な感覚が彼を包み込んだ。それは不安と畏怖、そして何か懐かしさのような複雑な感情だった。まるで彼の体が、この場所を覚えているかのようだった。


中央の黒い石は、彼が木箱の中で見た欠片よりもはるかに大きく、直径約2メートルほどあった。表面は滑らかで、太陽の光を受けると内部から奇妙な光を放っていた。


ユーリは恐る恐る手を伸ばし、石に触れた。すると、予想外のことが起きた。石の表面が僅かに光り、彼の指先にかすかな電流のような感覚が走った。同時に、彼の頭の中に映像が流れ込んできた。


ジャングルの中を歩く若い父の姿。彼の隣には美しい黒髪の女性、イザベラがいた。二人は笑顔で何かを話している。そして次の場面。イザベラがこの同じ石に触れ、驚いた表情を浮かべている。そして最後に、父が必死にイザベラを守るように抱き、何者かから逃げている映像。


ユーリは慌てて手を離した。彼は息を切らしながら後ずさりした。今見たものは何だったのか?単なる幻覚?それとも…記憶?


彼は父のノートを取り出し、再び読み返した。ノートによれば、ピエドラ・ネグラには「記憶を保存し、伝達する能力」があるという。父はこの石を研究していたのだ。


「信じられない…」


ユーリはもう一度石に近づこうとした時、遠くから声が聞こえてきた。彼は急いで物陰に隠れ、声の方向を見た。


三人の男が谷間に入ってきた。彼らはユーリが理解できない言語で話していたが、その態度は明らかに警戒的だった。二人は銃を持ち、もう一人は何か測定器のようなものを手にしていた。


ユーリの心臓が高鳴った。父のノートには「彼らが追ってくる」と書かれていた。これが父の言っていた危険な人々なのだろうか?


三人は黒い石に近づき、測定器を使って何かを調べ始めた。ユーリは動かずに息を殺し、彼らの行動を見守った。


約20分後、三人は何か不満そうに話し合い、来た道を引き返していった。ユーリはしばらく待ってから、隠れ場所から出た。


「早く戻らなければ」


彼は黒い石を最後に見つめ、来た道を急いで戻り始めた。今夜はコスタに連絡を取り、この状況について相談する必要があった。父が守ろうとしていたものが、今も危険に晒されているのは明らかだった。


帰り道は来た時よりも速く、約1時間半で建物に戻ることができた。ドアを開け、中に入ると、すぐに何かがおかしいことに気がついた。


「誰かが入った…」


書類や本が散らばり、引き出しが開けられていた。誰かが建物を捜索したのだ。ユーリは急いで金庫を確認したが、幸いにも床下の隠し場所は発見されていなかった。しかし、彼が朝食を摂ったキッチンのテーブルの上に置いていた父の写真は消えていた。


「何を探していたんだ?」


ユーリは不安を感じながらも、冷静さを保とうとした。彼は再び荷物をまとめ始めた。ここにいるのは危険だと感じた。しかし、どこに行けばいいのか?コスタはまだ2日後にしか来ない。


そのとき、外から車のエンジン音が聞こえた。ユーリは窓から覗き、見知らぬジープが建物に近づいてくるのを見た。それはコスタのものとは違った。


「逃げなければ」


ユーリは急いでバックパックに必要なものを詰め、建物の裏口から出た。彼はジャングルの中に身を隠し、建物を見守った。


ジープからは二人の男が降り、建物に入っていった。彼らは明らかに何かを探している様子だった。


ユーリは静かにジャングルの奥へと後退した。彼には一つの選択肢しかなかった。黒い石のある遺跡に戻り、そこで夜を明かすことだ。それが最も安全な場所だと思われた。


日が暮れる前に、彼は再び遺跡に到着した。今度は慎重に周囲を確認してから中に入った。幸い、先ほどの三人の姿はなかった。


「一晩ここで過ごそう」


ユーリは岩陰に小さなキャンプを設営した。父のバックパックには幸いにも小さなテントとシュラフが入っていた。簡素な夕食を摂りながら、彼は今日の出来事を整理しようとした。


黒い石からの奇妙な映像。建物を捜索した何者か。そして、父のノートに書かれた警告。すべてが繋がっているようで、しかし全体像は見えなかった。


夜空には星が広がり、ジャングルの音が彼を包み込んだ。ユーリは星を見上げながら、モスクワの空とは全く違う南半球の星座を眺めた。


「僕は一体どこから来たんだろう…」


彼は自分のルーツについて考えた。もし父の記録が真実なら、彼の母はロシア人ではなく、ブラジル人の人類学者だったことになる。そして彼自身も、ここブラジルで生まれたのかもしれない。


疲れた体に鞭打ちながらも、ユーリは黒い石に近づいた。もう一度、その謎を解き明かしたかった。


彼は深呼吸し、再び石に手を触れた。


今度は異なる映像が浮かんだ。小さな赤ん坊を抱く父の姿。そして悲しみに暮れる父が、赤ん坊を別の女性に渡している場面。「彼を守ってくれ。名前はユーリだ」と父が言う声が聞こえた。


ユーリは震える手を石から離した。これが彼の過去だったのか?父がブラジルから彼を連れ出し、ロシアで育てた理由は何だったのか?


彼はテントに戻り、父のノートの後半部分をもう一度読み返した。そこには断片的な記述があった。


「ピエドラ・ネグラの力は想像を超えている。それは単なる記憶装置ではなく、エネルギー源でもある。正しく使えば人類に恩恵をもたらすが、間違った使い方をすれば…」


「組織は石を武器として使おうとしている。私はそれを阻止しなければならない。イザベラと子供のためにも…」


「最後の手段として、石の一部を切り離し、隠した。完全な石でなければ、彼らの計画は実行できない」


ユーリは木箱から黒い石の欠片を取り出した。これが父が隠したピエドラ・ネグラの一部だったのだ。父はこの欠片を守るために、彼をロシアへ連れ去り、別の人生を与えたのかもしれない。


彼は星空の下、テントの中で眠りについた。しかし、その夜は奇妙な夢で満ちていた。イザベラの笑顔、父の悲しげな表情、そして黒い石から放たれる不思議な光。すべてが混ざり合い、彼の心を落ち着かなくさせた。


朝が来て、ユーリが目を覚ますと、遺跡の周りには奇妙な静けさが広がっていた。普段聞こえるはずの鳥や虫の声が聞こえない。


「何かがおかしい…」


彼は急いでテントから出て周囲を見回した。そして、谷間の入り口に人影を見つけた。


一人の女性が立っていた。長い黒髪を風になびかせ、彼をじっと見つめていた。


ユーリは息を呑んだ。その顔は、写真で見たイザベラにそっくりだった。しかし、年齢的に彼女自身ではありえない。


女性はゆっくりと彼に近づいてきた。


「ユーリ・イワノフ?」彼女は流暢な英語で話しかけた。


「はい…あなたは?」


「私の名前はサラ。サラ・モンテス」彼女は一瞬躊躇った後、続けた。「イザベラ・モンテスの娘よ」


ユーリは言葉を失った。イザベラの娘?それは…


「あなたが来ることは知っていました」サラは静かに言った。「でも、遅すぎるかもしれない。彼らはもうすぐここに来ます」


「彼らって?」


「ピエドラ・ネグラを狙う組織。あなたのお父さんが命がけで守ろうとしたものを奪いに」


ユーリの心臓が高鳴った。彼は父のノートとピエドラ・ネグラの欠片を握りしめた。


「逃げなければいけません」サラは急いで言った。「私についてきて。安全な場所に連れて行きます」


ユーリは一瞬迷ったが、選択肢は限られていた。彼は急いでテントを片付け、サラについていくことにした。


二人はジャングルの中へと消えていった。ユーリの心には疑問が渦巻いていたが、今は生き延びることが先決だった。そして、この謎めいた女性が、彼の過去と未来を繋ぐ鍵を握っているのかもしれないと思った。


## 第4章:ジャングルの迷宮


「急いで、こっちよ!」


サラの声はジャングルの鳥の鳴き声に紛れながらも、ユーリの耳にはっきりと届いた。彼女は獣道のような細い道を素早く進んでいき、時折立ち止まってはユーリが追いついているか確認した。


ユーリは重いバックパックを背負いながら、必死に彼女についていった。モスクワの平坦な街中を歩くことには慣れていたが、うっそうとしたジャングルの中を走るのは全く別の経験だった。足元は不安定で、時に滑り、時に絡まる蔓に足を取られた。


「どこに行くんだ?」彼は息を切らしながら尋ねた。


「村よ。私の村」サラは振り返り、簡潔に答えた。彼女の動きは軽やかで、このジャングルで生まれ育ったことを窺わせた。


二人は約1時間ほど歩き続けた。ユーリの体は汗でびっしょりになり、喉は乾ききっていた。しかし、彼は不満を漏らさず、黙々と前進した。この謎めいた女性、サラ・モンテスについて知りたいという好奇心が、彼の疲れを押し流していた。


やがて、木々の間から小さな開けた場所が見えてきた。そこには10軒ほどの小さな家が円形に並んでいた。家々は素朴な造りだったが、清潔で手入れが行き届いていた。


「ここが私の村よ」サラは歩みを緩め、ユーリに向き直った。「グアラニの人々が住んでいる。私の母の親族たちよ」


村に入ると、数人の村人が彼らに気づき、好奇心に満ちた眼差しでユーリを見た。子供たちは遊びを中断し、遠巻きに彼を観察していた。


「彼らは外部の人間にあまり慣れていないの」サラは説明した。「特に…」彼女は言葉を選ぶように一瞬躊躇った。「あなたのような見た目の人には」


ユーリは自分の姿を意識した。金髪に青い目、そして白い肌。確かにここでは目立つ存在だろう。


サラは村の中央にある比較的大きな家に彼を案内した。「ここが私の家よ。中に入って」


家の中は予想以上に広く、素朴ながらも快適な空間だった。壁には色鮮やかな織物が飾られ、棚には古い本や工芸品が並んでいた。


「座って」サラはテーブルを指さした。「水を持ってくるわ」


ユーリは疲れた体を椅子に沈め、周囲を見回した。この家の中には、現代的な要素と伝統的な要素が不思議と調和していた。本棚には科学書や人類学の本が並び、その隣には伝統的な儀式に使うらしき道具が置かれていた。


サラが水差しと二つのカップを持って戻ってきた。彼女はユーリにカップを差し出した。


「ありがとう」ユーリは喉の渇きを癒すように水を飲んだ。冷たく清らかな水は、彼の体を活気づけた。


しばらくの沈黙の後、ユーリは勇気を出して質問した。


「サラ、あなたは…イザベラの娘なんだよね?」


サラは静かに頷いた。「そう。イザベラ・モンテスは私の母よ」


「それなら…」ユーリは言葉を選びながら続けた。「彼女と私の父、ミハイル・イワノフのことを知っているの?」


サラの目に悲しみの影が差した。「知っているわ。母は私が小さい頃から、ロシア人科学者の話をしてくれたの。彼女の人生を変えた男の話を」


「彼女は…」ユーリは聞くべきか迷った。「今どこに?」


サラは窓の外を見つめた。「母は10年前に亡くなったわ。病気で」彼女は再びユーリに視線を戻した。「でも、死ぬ前に私にすべてを話してくれた。あなたのこと、ピエドラ・ネグラのこと、そして私たちの使命について」


「私たちの使命?」ユーリは父のノートに書かれていた言葉を思い出した。


「ピエドラ・ネグラを守ること」サラは真剣な表情で言った。「その力が悪用されないように」


ユーリはバックパックから父のノートと、黒い石の欠片の入った木箱を取り出した。


「これが父の残したもの。ノートには断片的な情報しか書かれていないけど…ピエドラ・ネグラが何なのか、正確には理解できていない」


サラはノートを手に取り、ページをめくった。「彼の研究ノートね。母も同じようなものを持っていたわ」彼女は木箱に目を向けた。「それが…欠片?」


ユーリは頷き、箱を開けた。黒い石の欠片は、薄暗い部屋の中でもかすかに光を放っていた。


サラは息を呑んだ。「本当だわ。ミハイルは本当に石の一部を持ち去ったのね」


「父が石の一部を切り離したと書いていた。完全な石でなければ、彼らの計画は実行できないって」


「そう、その通りよ」サラは真剣な表情で言った。「ピエドラ・ネグラは単なる石ではない。それは…言葉で説明するのが難しいけど、強力なエネルギー源であり、記憶の保管庫でもあるの。グアラニの人々は何世代にもわたってその存在を守ってきた」


「記憶の保管庫?」ユーリは石に触れた時の体験を思い出した。「僕はその石に触れたとき、映像を見た。父と…おそらくイザベラの映像を」


サラは驚いた表情を見せた。「石があなたに記憶を見せたの?それは…珍しいことよ。通常、石はグアラニの血を引く者にしか反応しないはずなのに」


ユーリは混乱した。「どういう意味?」


サラは彼をじっと見つめた。「あなたは知らないの?ミハイルは本当にあなたに何も話さなかったのね」


「何を?」


「ユーリ」サラは静かに、しかし明確に言った。「あなたはミハイル・イワノフとイザベラ・モンテスの息子よ。あなたも私も、グアラニの血を引いているわ」


ユーリは言葉を失った。心の奥では、父のノートを読んだ時からそうではないかと感じていた。しかし、それを他人の口から聞くと、現実感が増した。


「でも…どうして父は僕をロシアへ連れて行ったんだ?どうして本当のことを話さなかったんだ?」


「彼らがピエドラ・ネグラを狙っていたから」サラは答えた。「組織が。彼らはミハイルの研究を知り、石の力を利用しようとした。ミハイルとイザベラは石を守るために戦った。でも、危険が大きくなりすぎた。特に、イザベラが妊娠したとき…」


「僕が生まれたとき…」


「そう。ミハイルはあなたを守るために、石の欠片を持ってロシアへ逃げたの。イザベラはここに残り、残りの石を守ることを選んだ。二人とも、子供たちを危険から遠ざけようとしたのよ」


「子供たち?」ユーリは混乱した。「他にも?」


サラは小さく微笑んだ。「そう。イザベラは双子を産んだのよ。あなたと…私」


ユーリの世界が揺らいだ。サラは彼の双子の妹だった。だから彼女の顔がどこか見覚えがあると感じたのだ。それは鏡に映る自分自身の女性版だったのだ。


「信じられない…」ユーリは震える声で言った。「父は一度も話さなかった。僕には双子の妹がいること、本当の母親のこと…何も」


「彼はあなたを守ろうとしたのよ」サラは静かに言った。「知らないことで、あなたは安全だった。組織はあなたを追跡できなかった」


「でも、イザベラは?彼女は君をここで育てたんだろう?」


「そう。でも、私たちはいつも隠れるように生きていた。村から出ることはめったになかったし、母の本名も使わなかった。彼女は人類学者としての身分を捨て、完全にグアラニの一員として生きたの」


ユーリの頭の中で、パズルのピースが少しずつ繋がり始めた。父が常に用心深く、過去について語ることを避けていた理由。そして、なぜ父がブラジルの本にこだわっていたのか。それは彼の中に残された、この地への郷愁だったのだ。


「で、その組織って…今も僕たちを追っているの?」


サラの表情が暗くなった。「残念ながら、そうよ。組織の名前は『アウローラ』。表向きは国際的な研究財団だけど、実際は軍事技術の開発を目的としている。彼らはピエドラ・ネグラの力を兵器に転用しようとしているの」


「でも、どうやって僕がここに来ることを知ったんだ?」


「彼らは何年もミハイルを監視していたわ。彼が死んだとき、あなたが遺産を相続することも知っていたはず。そして…」サラは少し躊躇った。「コスタも彼らの一員かもしれない」


「コスタが?」ユーリは驚いた。「でも、彼は父の友人だと…」


「見せかけかもしれないわ。彼らは忍耐強く、何年でも潜伏する。あなたをここに誘い出し、石の欠片を手に入れるために」


ユーリは頭を抱えた。信頼していた人が裏切り者かもしれないと知るのは辛かった。


「じゃあ、これからどうすればいいんだ?」


サラは立ち上がり、窓から外を見た。夕暮れが近づいており、村は黄金色の光に包まれていた。


「まず、夜を明かすこと。そして明日、私たちはピエドラ・ネグラに行かなければならない。石の欠片を元に戻す必要があるわ」


「元に戻す?でも、それは彼らの計画を手助けすることにならないか?」


サラは首を横に振った。「逆よ。石が完全な状態に戻ると、特別な儀式を行うことができる。石を永久に封印するための儀式を」


「封印?」


「そう。石のエネルギーを地下深くに還し、二度と使えないようにするの。それが私たちの使命。母とミハイルが果たせなかった使命よ」


ユーリはサラの決意に満ちた表情を見つめた。彼女は彼と同じ25歳のはずだが、その眼差しには彼にはない強さと知恵が宿っていた。彼女はこの使命のために育てられたのだ。


「わかった」ユーリは立ち上がった。「協力する。石を封印するために」


サラは微笑んだ。初めての、心からの笑顔だった。


「ありがとう、兄さん」


その言葉は、ユーリの心に不思議な温かさをもたらした。25年間、彼は一人っ子として育ち、常に孤独だった。しかし今、突然彼には双子の妹がいた。血のつながった家族が。


夜が訪れ、村は静かになった。サラの家の中で、二人は夕食を共にした。シンプルな料理だったが、新鮮な果物や地元の野菜の味は格別だった。


食事をしながら、二人は互いの人生について語り合った。サラはグアラニの村で育ち、母から科学と伝統的な知恵の両方を学んだこと。彼女は村の外の大学で人類学を学び、母の研究を継いだこと。そして、ミハイルの死を知り、ユーリがいつかここに来ることを予測していたことを話した。


ユーリもまた、モスクワでの生活、父との思い出、そして父の死後の孤独について語った。


「僕たちの人生は、まるで鏡に映ったように反対だね」ユーリは言った。「僕は父と共に北へ、君は母と共に南に」


「でも今、私たちは再会した」サラは静かに言った。「そして、一緒に両親の使命を果たす」


夜が更けると、サラはユーリにベッドを用意した。それは小さな部屋の簡素なベッドだったが、疲れ切ったユーリにとっては天国のように感じられた。


「おやすみ、兄さん」サラはドアを閉める前に言った。「明日は長い一日になるわ」


「おやすみ、妹よ」


ユーリはその言葉の不思議な感覚を味わいながら、瞼を閉じた。しかし、彼の心は様々な思いで騒がしく、なかなか眠りにつけなかった。


彼は自分の人生が嘘の上に築かれていたことを知った。しかし、それは父の愛情が嘘だったということではない。父は彼を守るために嘘をついたのだ。そして今、彼には新たな使命があった。父と母が守ろうとしたものを、今度は彼がサラと共に守る番だった。


窓の外からは、ジャングルの夜の音が聞こえてきた。不思議なことに、その音は今、彼を安心させた。まるで長い間忘れていた子守唄を思い出したかのように。


彼はついに眠りに落ちた。その夜、彼は生まれて初めて、本当の故郷で眠ったのかもしれなかった。


---


朝日がサラの家の窓から差し込み、ユーリの顔を照らした。彼は目を開け、一瞬どこにいるのか混乱した。しかし、すぐに昨日の出来事が鮮明に蘇ってきた。


「起きた?」


サラが部屋に入ってきた。彼女はすでに身支度を整え、バックパックを持っていた。


「うん」ユーリはベッドから起き上がった。「何時?」


「7時よ。早く準備して。8時には出発したいの」


ユーリは急いで顔を洗い、着替えた。リビングに戻ると、サラは朝食を用意していた。シンプルなフルーツとパンだったが、栄養を補給するには十分だった。


「昨日、村の長老と話し合ったわ」サラは食事をしながら言った。「彼らも儀式の準備を始めている」


「彼らも石のことを知っているの?」


「もちろん。グアラニの人々は何世代にもわたって石の守護者よ。彼らはピエドラ・ネグラを『記憶の祖先』と呼んでいる」


「でも、父のノートによれば、それは科学的な現象のはずだ。何か特殊な鉱物や…」


サラは微笑んだ。「科学と精神性は、必ずしも相反するものではないわ。母はいつも『真の知恵は両方を理解することから生まれる』と言っていた」


食事を終えると、二人は出発の準備を始めた。サラはバックパックに必要なものを詰め込んだ。水、食料、そして儀式に必要な道具類。ユーリも父のノートと黒い石の欠片を大切に収めた。


「これを持って」サラは小さなナイフをユーリに手渡した。「ジャングルでは何があるかわからないから」


村を出る前に、サラは長老たちと短い会話を交わした。彼らはユーリに対しても、尊敬と期待の眼差しを向けた。


「彼らは私たちの成功を祈っているわ」サラは言った。「さあ、行きましょう」


二人はジャングルへと踏み出した。サラが先導し、ユーリがその後に続いた。昨日とは異なるルートを通っていることがわかった。


「昨日のルートは危険よ」サラは説明した。「アウローラの人間が監視しているかもしれないから。今日は古い秘密の道を通るわ」


道はさらに険しく、時に川を渡り、時に急な斜面を登った。しかし、サラは迷うことなく前進した。彼女はこの道を何度も通ったことがあるのだろう。


約2時間後、二人は小さな滝の前に出た。


「ここで休憩しましょう」サラは言った。「次の区間は特に難しいから」


二人は水を飲み、少し食べ物を口にした。滝の水音は心地よく、一瞬の平和をもたらした。


「聞こえる?」サラは突然言った。


ユーリは耳を澄ませた。最初は何も聞こえなかったが、やがて遠くからヘリコプターの音が聞こえてきた。


「アウローラだわ」サラの表情が暗くなった。「彼らは上空から探しているの」


「見つかるかな?」


「この滝の下なら大丈夫。でも、これからは更に注意が必要ね」


休憩を切り上げ、二人は再び歩き始めた。今度は滝の裏側を通る細い道を進んだ。水しぶきで服が濡れたが、熱帯の暑さの中では心地よく感じられた。


滝を過ぎると、ジャングルはさらに密になった。サラは時折立ち止まり、周囲を確認した。ユーリも緊張感を持って前進した。


「あと1時間ほどで着くわ」サラは小声で言った。「でも、この辺りが一番危険な区域」


彼らが小さな丘を登っていると、突然サラが立ち止まり、手で止まるよう合図した。彼女は身をかがめ、前方を指さした。


ユーリも身を低くし、その方向を見た。約50メートル先に、二人の武装した男が立っていた。彼らは黒い制服を着て、周囲を監視しているようだった。


「アウローラの兵士ね」サラは囁いた。「彼らはすでに石の周辺に警備を配置している」


「どうする?」


「迂回しましょう。東側から近づけるはず」


二人は静かに方向を変え、密生した茂みの中を慎重に進んだ。時折、遠くから声や無線の音が聞こえたが、幸いにも彼らに気づかれることはなかった。


迂回路は予想以上に時間がかかり、さらに1時間以上を要した。しかし、最終的に二人は目的地に近づくことができた。


「あそこよ」サラは小さな谷を指さした。


谷間には、ユーリが以前見たピエドラ・ネグラの石が鎮座していた。しかし今、その周りには数人のアウローラの兵士と、白衣を着た科学者らしき人物が集まっていた。彼らは石の周りに機器を設置し、何かの測定を行っているようだった。


「最悪ね」サラは顔をしかめた。「彼らはすでに作業を始めている」


「どうやって近づけばいいんだ?」


サラは周囲を見回し、考えを巡らせた。「夜を待つしかないわ。彼らも休憩を取るはず。その隙に石に近づく」


二人は谷を見下ろす小さな洞窟に身を隠し、夜の訪れを待った。サラはバックパックから双眼鏡を取り出し、アウローラの活動を監視した。


「彼らは石からエネルギーを抽出しようとしているわ」彼女は言った。「でも、欠片がないからうまくいっていないみたい」


時間が経つにつれ、太陽は地平線に近づき、ジャングルに長い影を落とし始めた。アウローラのチームは作業を続けていたが、疲れの色が見えた。


「あの白衣の男性を見て」サラは双眼鏡をユーリに渡した。「彼が責任者みたい」


ユーリは双眼鏡を覗き、指示を出している中年の男性を観察した。何か見覚えのある顔だと思ったが、はっきりとは思い出せなかった。


日が完全に沈み、夜の闇がジャングルを包み込んだ。アウローラのチームは発電機を稼働させ、作業エリアを照らしていた。しかし、予想通り、彼らの活動は徐々に減少し、休息を取る者が増えた。


「待つのよ」サラは小声で言った。「彼らが最小限の警備になるまで」


深夜近くになり、ほとんどのチームメンバーはテントで休息していた。残っていたのは二人の警備員だけだった。


「今よ」サラは立ち上がった。「後ろから近づいて、石に到達する。欠片を持っている?」


ユーリは頷き、木箱を確認した。


二人は暗闇の中、谷間へと降りていった。月明かりがわずかに道を照らす中、彼らは岩や木の陰に隠れながら進んだ。


警備員たちが反対側にいることを確認し、二人は素早く石に近づいた。


「急いで」サラは囁いた。「私が準備するから、あなたは欠片を石に合わせて」


サラはバックパックから小さな布袋を取り出し、その中身を石の周りに撒き始めた。それは粉末のようなものだった。その間、ユーリは木箱から黒い石の欠片を取り出した。


石の表面を調べると、欠片が合うであろう箇所が見つかった。表面には微妙な凹みがあり、それは欠片の形と一致していた。


「いいわ」サラは囁いた。「欠片を置いて」


ユーリは欠片を石の凹みに当てた。するとどうだろう、欠片は磁石のように石に引き寄せられ、ぴったりとはまり込んだ。


瞬間、石全体が鈍い光を放ち始めた。そして、地面がわずかに揺れた。


「警報だ!侵入者だ!」遠くから叫び声が聞こえた。


「やばい」サラは顔を上げた。「見つかったわ。急いで儀式を始めなきゃ」


彼女は石の周りを囲むように歩き始め、グアラニ語らしき言葉で何かを唱え始めた。石の光は徐々に強くなり、その青白い輝きが谷間を照らした。


「そこで止まれ!」


二人の警備員が銃を構えて近づいてきた。


「やめろ!彼らを止めろ!」白衣の男性も走ってきた。


ユーリは本能的にサラの前に立ちはだかった。「サラ、続けて!儀式を完了させて!」


サラの声はさらに高くなり、石の光も増していった。地面の揺れも強くなり、周囲の小石が跳ね上がるほどになった。


「撃て!」白衣の男が命じた。


銃声が鳴り響き、ユーリの近くの地面に弾が当たった。警告射撃だった。


「次は当てる!儀式を中止しろ!」


ユーリは動かなかった。彼はサラを守るために立ちはだかり続けた。


「兄さん、下がって!」サラが叫んだ。「あなたも儀式に参加しなきゃ!」


しかし、時すでに遅し。一人の警備員がユーリに飛びかかり、彼を地面に押し倒した。もう一人はサラに向かった。


混乱の中、ユーリは必死に抵抗した。彼は父の教えた自己防衛の技を思い出し、攻撃者を振り払おうとした。一瞬の隙を見て、彼はサラが渡したナイフを取り出し、警備員の腕を軽く切りつけた。


警備員は痛みで叫び、一瞬緩んだ。ユーリはその隙に立ち上がり、サラの方へ駆け寄った。


しかし、もう一人の警備員がサラを捕まえていた。彼女は必死に抵抗していたが、儀式は中断されていた。


「やめろ!」ユーリは叫んだ。「彼女を離せ!」


「ユーリ・ミハイロヴィッチ・イワノフ」白衣の男が前に進み出た。「ついに会えましたね」


その声を聞いた瞬間、ユーリは凍りついた。彼はその声を知っていた。


「コスタ?」


男は笑った。「正確には、ドクター・アレクサンドル・コスタです。アウローラの科学部門の責任者です」


「だが、君は…父の友人だったはずだ」


「ミハイルとは確かに長い付き合いでした」コスタは冷静に言った。「彼は優秀な科学者でした。しかし、彼の研究成果を独り占めしようとした。それは許せません」


「父は石の力が悪用されることを恐れていたんだ!」


「悪用?」コスタは苦笑した。「私たちは人類の進歩のために研究しているのです。この石のエネルギーは、世界を変える可能性を秘めています」


サラが必死に抵抗しながら叫んだ。「嘘よ!あなたたちは兵器を作ろうとしている!」


コスタは彼女を無視し、ユーリに向き直った。「あなたのお父さんは私たちを妨害するために石の欠片を持ち去りました。長い間探していました。そして今、あなたがそれを元に戻してくれた。皮肉ですね」


ユーリの心は沈んだ。彼は父の守ろうとしたものを、自分の手で敵に引き渡してしまったのだ。


「さあ、二人とも連れていけ」コスタは命じた。「彼らは貴重な研究対象になる。特に双子は」


警備員たちがユーリとサラを拘束し始めた時、突然ジャングルから矢が飛んできた。一本、また一本と、矢が警備員たちの周りに刺さった。


「攻撃だ!」一人が叫んだ。


次の瞬間、数十人のグアラニの戦士たちがジャングルから飛び出してきた。彼らは弓矢や槍を手に、アウローラの人間たちに襲いかかった。


「サラの村の人たちだ!」ユーリは理解した。


混乱に乗じて、サラは拘束から逃れ、ユーリのところへ駆け寄った。


「急いで!儀式を完了させなきゃ!」


二人は再び石に向かった。石はまだ光を放ち、地面も揺れ続けていた。


サラは再び儀式を始め、ユーリも彼女の指示に従って唱え始めた。彼は言葉の意味を理解していなかったが、不思議とその音の並びは彼の記憶の奥底から湧き上がってきた。まるで幼い頃に聞いていたかのように。


石の光はさらに強くなり、地面の揺れも激しくなった。周囲では戦いが続いていたが、石から放たれる光があまりに強くなったため、両陣営とも一時的に戦いを中断し、その光景を見つめていた。


「最後のステップよ!」サラは叫んだ。「一緒に石に触れて!」


二人は同時に石に手を置いた。すると、驚くべきことが起きた。石が内側から割れ始め、光が亀裂から漏れ出した。その光は天に向かって柱のように立ち上り、夜空を照らした。


「何が起きている?」ユーリは叫んだ。


「石が自らを封印しているの!」サラは答えた。「エネルギーを地下に戻しているわ!」


石は完全に割れ、その破片が地面に落ちた。しかし、破片は普通の石のように見えた。内側から放たれていた光は消え、特別な輝きも失われていた。


「ノー!」コスタが叫んだ。「何をした!石を破壊したのか!」


サラはユーリに向き直り、微笑んだ。「成功したわ。石のエネルギーは地球に還った。もう誰も悪用できない」


アウローラの人間たちは茫然と立ち尽くし、グアラニの戦士たちは勝利の雄叫びを上げた。


コスタは怒りに震えながら、破片を手に取った。「これでは…何の価値もない。ただの石だ」


「それが正しいあり方よ」サラは静かに言った。「力は使う時と、手放す時を知るべきなの」


グアラニの戦士たちはアウローラの人間たちを取り囲み、武器を下ろすよう命じた。抵抗する余地のないことを悟ったアウローラの警備員たちは、武器を置いた。


「これで終わりではない」コスタは去り際に言った。「いつか必ず…」


しかし、彼の言葉はグアラニの長老の厳しい視線によって遮られた。アウローラの人間たちは、グアラニの戦士たちに監視されながら谷を去っていった。


ユーリとサラは、石があった場所の前に立った。今はただの岩の破片が散らばっているだけだった。


「本当に終わったの?」ユーリは尋ねた。


「石のエネルギーはね」サラは答えた。「でも、私たちの旅は始まったばかりよ」


彼女は微笑み、ユーリの手を取った。


「さあ、村に帰りましょう。家族があなたを待っているわ」


二人はグアラニの戦士たちと共に、月明かりの下、ジャングルの道を歩き始めた。ユーリの心は様々な感情で一杯だった。悲しみ、安堵、そして何より、新たな始まりへの期待。


彼は振り返り、石があった場所を最後に見つめた。父と母が守ろうとしたもの。そして今、彼とサラがその使命を果たした。


「ありがとう、父さん。ありがとう、母さん」彼は心の中で呟いた。


ジャングルの風が彼の言葉を受け止め、遠くへと運んでいった。


## 第5章:謎の救助者


村に戻ったユーリとサラを、グアラニの人々は勝利の英雄として迎えた。彼らは焚き火を囲み、特別な儀式を行って二人の勇気を称えた。ドラムの音と歌声が夜遅くまで続き、村全体が祝福の雰囲気に包まれていた。


「彼らは何を歌っているの?」ユーリはサラに尋ねた。


「古い伝説よ」サラは微笑んだ。「双子の兄妹が世界を救うという予言について」


「まるで私たちのことみたいだね」


「そうかもしれないわね」


祝宴の後、疲れ切ったユーリはサラの家で深い眠りについた。翌朝、彼が目を覚ますと、村は通常の生活に戻っていた。女性たちは料理をし、男性たちは狩りの準備をし、子供たちは村の広場で遊んでいた。


「おはよう」サラはテラスでハーブティーを用意していた。「よく眠れた?」


「うん、久しぶりに」ユーリはティーカップを受け取った。「でも、これからどうするんだろう?」


サラは遠くを見つめた。「アウローラはあきらめないわ。石のエネルギーは失われたけど、私たちはまだ彼らにとって価値がある。特に…」


「特に?」


「私たちの血には、石と共鳴する何かがあるの。グアラニの血筋だけが持つ特性よ。それが、私たちが儀式を行えた理由」


ユーリは考え込んだ。「それで彼らは僕たちを追い続けるのか」


「可能性はあるわ」サラは正直に答えた。「でも、今は安全よ。村には古い保護の魔法があって、外部の者は簡単には見つけられない」


「魔法?」ユーリは半信半疑だった。


サラは微笑んだ。「現代的に言えば、この地域特有の磁場の乱れとジャングルの自然迷彩ね。でも結果は同じよ。私たちはしばらく安全」


二人は静かに朝食を取りながら、昨日の出来事について話し合った。石の破壊、アウローラの後退、そして何より、彼らが共に成し遂げた使命について。


「それで、あのコスタという男は本当に父の友人だったのか?」ユーリは尋ねた。


「多分最初はね」サラは答えた。「母の話では、ミハイルは最初、科学者のチームと一緒に研究していたらしいわ。コスタもその一人だった。でも、石の力の本質を理解したとき、意見が分かれたの。ミハイルは保護を選び、コスタは利用を選んだ」


「父はそのために石の欠片を持ち去ったんだね」


「そう。そして私たちを分けた。一人はロシアへ、一人はここへ」


ユーリはカップを見つめた。「僕の育ての母…彼女は誰だったんだろう?」


「ミハイルの同僚だったはずよ。彼を助けて、あなたを自分の子として育てることに同意した人」


「彼女は事故で亡くなったと聞いていた。5歳の時に」


サラは同情的な目でユーリを見た。「本当に事故だったのかしら…」


その言葉が意味するところを、ユーリは考えたくなかった。彼の育ての母も、アウローラの犠牲者だったのかもしれない。


しばらくの沈黙の後、サラは立ち上がった。


「さて、今日はあなたに村を案内するわ。そして、母の研究資料も見せたい。ミハイルのノートと合わせれば、全体像が見えるはず」


その日、ユーリはサラに導かれて村の隅々まで案内された。彼はグアラニの生活様式、彼らの伝統、そして石との関わりについて学んだ。彼らにとって石は単なる科学的現象ではなく、祖先の知恵が宿る聖なる場所だった。


午後、サラは小さな小屋に彼を連れて行った。それは村はずれにあり、普通の家よりも現代的な設備が整っていた。


「ここが母の研究所よ」サラはドアを開けた。


中には驚くほど整然とした空間が広がっていた。顕微鏡や測定器具など科学的な機器と、伝統的なグアラニの儀式の道具が共存していた。壁には何百枚もの写真や図表が貼られ、棚には何十冊もの研究ノートが並んでいた。


「母はここで20年以上研究を続けたの」サラは説明した。「石のエネルギーの性質、グアラニの血筋との関連性、そして…私たちについても」


ユーリは棚から一冊のノートを手に取った。それは「双子の特性 - 1997年」というタイトルが付けられていた。


「読んでいいわ」サラは言った。「それはあなたについての記録でもあるから」


ノートを開くと、そこには幼児の発達記録が詳細に記されていた。サラの成長過程、そして遠く離れたユーリの様子も、時折情報が得られた時に記録されていた。


「母はあなたのことをずっと気にかけていたのね」ユーリは感動した。


「彼女はミハイルに定期的に連絡を取っていたわ。直接ではなく、暗号化された方法で。あなたの様子を知るためにね」


ユーリはノートをめくり続けた。そこには双子としての彼らの特殊な能力についても記述があった。石と共鳴する能力、時に感じる不思議な繋がり、そして何より、彼らが離れていても時折同じ夢を見ることがあるという記録。


「君と同じ夢を見ていたのかな…」ユーリは不思議に思った。


「たぶんね」サラは別のノートを取り出した。「これは母の最後の研究よ。彼女が亡くなる前にまとめたもの」


それは「ピエドラ・ネグラの終焉 - 計画と予測」というタイトルだった。イザベラは自分の死後に起こることを予測し、サラとユーリが再会して石を封印するまでの道筋を描いていた。


「彼女は知っていたのね。僕たちがいつか会うことを」


「そう。それが彼女の最後の願いだったわ。そして、私たちはそれを叶えた」


二人は夕方まで研究所で過ごし、イザベラとミハイルの研究を詳しく調べた。彼らの親は単なる科学者ではなく、世界の均衡を守ろうとした勇敢な守護者だったのだ。


夕食時、村の長老がサラの家を訪れた。彼は品のある老人で、目には古い知恵が宿っていた。


「息子よ、話を聞いたぞ」長老はユーリに向かって言った。「お前は遠い地から来て、我々の予言を成就させた」


「私は何もしていません」ユーリは謙虚に答えた。「すべてはサラとグアラニの人々のおかげです」


「いや」長老は首を振った。「石の封印には双子の力が必要だった。お前がいなければ、儀式は完了しなかっただろう」


長老はポケットから小さな木彫りのペンダントを取り出し、ユーリに差し出した。


「これを受け取ってくれ。グアラニの守護の象徴だ。どこへ行こうとも、これがお前を守るだろう」


ユーリは感謝の気持ちでペンダントを受け取った。それは小さな亀の形をしており、甲羅には複雑な模様が彫られていた。


長老は去り際に、一つ警告を残した。


「気をつけるのだ。石は封印されたが、アウローラの野望は終わっていない。彼らは新たな方法を探すだろう」


その夜、ユーリはサラと共に村の外れにある小さな丘に登った。そこからは満天の星空が広がり、遠くにサンパウロの灯りがわずかに見えた。


「この風景が好きなの」サラは言った。「二つの世界の間にいるみたい。伝統的なグアラニの世界と現代の世界の」


「僕たちみたいだね」ユーリは微笑んだ。「二つの世界の間の存在」


二人は静かに星を見上げた。


「これからどうするつもりなの?」サラが尋ねた。「モスクワに戻るの?」


ユーリは深く考え込んだ。「正直、わからない。モスクワには戻るべきものがある。仕事や…」彼は言葉に詰まった。「でも、実際には誰も待っていないんだ」


「ここにはあなたの家族がいるわ」サラは静かに言った。「もしここに残りたければ…」


「考えさせてくれ」ユーリは答えた。「すべてが急すぎて、まだ整理できていない」


二人が丘を降りて村に戻ろうとしたとき、遠くからエンジン音が聞こえてきた。


「車?」ユーリは驚いた。「この時間に?」


サラの表情が緊張した。「普通じゃないわ。村に急いで戻りましょう」


二人は急いで村に向かった。しかし、村の外れに着いたとき、不吉な光景が目に入った。三台の大型の車両が村に近づいていた。ヘッドライトが暗闇を切り裂き、その姿は軍用車両のように見えた。


「アウローラだわ」サラの声は震えていた。「彼らは報復に来たの」


「どうすれば?」


「村の人々を逃がさなきゃ。秘密の避難経路があるわ」


二人は村に駆け込んだ。サラは長老に状況を伝え、すぐに避難の準備が始まった。女性たちは子供を集め、男性たちは最小限の荷物をまとめ始めた。


「時間がない」長老は言った。「南のルートを使え。そして分散するんだ」


サラはユーリの手を取った。「私たちも行かなきゃ。彼らの本当の目的は私たちよ」


ユーリは村を見回した。平和だった村が、突然の危機に直面している。これは彼と父が守ろうとしたものだった。そして今、再び危険にさらされている。


「逃げるんじゃない」ユーリは決意を固めた。「彼らに立ち向かうんだ」


「何を言ってるの?」サラは驚いた。「彼らは武装しているわ!」


「だからこそ、僕たちが時間を稼がなきゃ。村の人々が逃げる時間を」


サラは弟の目を見つめた。そこには決意が燃えていた。彼女は深く息を吸い、頷いた。


「わかったわ。でも、二人だけじゃ無理よ。何か計画が必要」


長老が近づいてきた。「古い罠がある。かつて侵入者から村を守るために使った。もし時間を稼ぐなら、それを使うといい」


彼は素早く計画を説明した。村の入り口にある古い仕掛け、木々を倒して道を塞ぐ罠。それを作動させれば、車両の進入を遅らせることができる。


「行くわよ」サラは言った。


二人は村の入り口に向かった。その間、村人たちは急いで避難を始めていた。森の中に隠された小道を通って、彼らは小グループに分かれて逃げていった。


村の入り口に着くと、サラは古い木の幹に隠された仕掛けを指さした。


「あれを引くと、向こうの木々が倒れるわ」


ユーリは仕掛けの位置を確認した。それは車両が通過しそうな瞬間に作動させる必要があった。


「車が来たら合図するよ。君はロープを引いて」


二人は茂みに隠れ、接近する車両を待った。間もなく、ヘッドライトが村の入り口に向かって近づいてきた。


「準備して」ユーリは囁いた。


最初の車両が入り口に近づいたとき、ユーリは「今だ!」と叫んだ。


サラはロープを強く引いた。すると、大きな音とともに数本の木が倒れ、道を完全に塞いだ。最初の車両は急ブレーキをかけ、その後ろの車両と衝突した。


「やった!」


しかし、喜びも束の間、車両から武装した人々が飛び出してきた。彼らは黒い制服を着て、サブマシンガンを構えていた。


「逃げるわよ!」サラが叫んだ。


二人は森の中へと駆け込んだ。背後から怒号と、数発の銃声が聞こえた。


「撃ってる!」ユーリは恐怖を感じた。


「気にしないで!威嚇射撃よ。彼らは私たちを生きたまま捕まえたいの」


二人は暗闇の中を走り続けた。サラは道を知っていたが、夜間のジャングルは昼間とは全く異なる場所だった。足元は不安定で、枝や蔓が彼らの進行を妨げた。


「どこに行くの?」ユーリは息を切らしながら尋ねた。


「洞窟があるわ。そこなら隠れられる」


しかし、彼らが小さな開けた場所に出たとき、前方から光が差した。別のグループがすでにその場所を取り囲んでいたのだ。


「くそっ!」サラが叫んだ。「罠だわ!」


二人は急いで方向を変えようとしたが、後ろからも光が差してきた。彼らは完全に包囲されていた。


「動くな!」厳しい声が響いた。「武器を持っていれば捨てろ!」


ユーリとサラは立ち止まり、手を上げた。彼らには武器らしいものはなかった。


光の中から、ドクター・コスタが姿を現した。彼の表情には勝ち誇りがあった。


「そこで止まりなさい、イワノフ兄妹」彼は冷たく言った。「もう逃げ場はありません」


彼らの周りには、少なくとも10人の武装した兵士が円を描いて立っていた。


「何が欲しいんだ?」ユーリは怒りを込めて尋ねた。「石はもうない。力も失われた」


「石は確かになくなりました」コスタは認めた。「しかし、その力はどこかに移ったはずです。おそらく…」彼はユーリとサラを指さした。「あなたたち自身の中に」


サラは目を細めた。「何を言ってるの?」


「儀式の最中、石のエネルギーは解放されました。しかし、エネルギーは消滅しません。変換されるだけです。我々の理論では、そのエネルギーの大部分はあなたたち、双子の中に吸収されたはずです」


「馬鹿げている」サラは反論した。「私たちは普通の人間よ」


「本当にそうでしょうか?」コスタは笑った。「グアラニの血を引き、石と共鳴する能力を持つ双子。儀式を行った後、あなたたちの中に変化は感じませんでしたか?」


ユーリとサラは顔を見合わせた。確かに、儀式の後、二人とも何か異質な感覚を抱いていた。より鋭い感覚、より強い繋がり。しかし、それが石のエネルギーによるものだとは考えていなかった。


「彼らを連れていけ」コスタは命じた。「研究施設で詳しく調べる必要がある」


二人の兵士が近づき、ユーリとサラの手を後ろで拘束し始めた。


その時だった。


ジャングルから突然の銃声が響き、コスタの横にいた兵士が倒れた。


「攻撃だ!」一人が叫んだ。


次の瞬間、ジャングルの様々な方向から銃撃が始まった。アウローラの兵士たちは混乱し、防御態勢を取ろうとした。


「伏せて!」ユーリはサラを地面に押し倒した。


銃撃戦が数分間続いた後、突然、煙幕が投げ込まれた。灰色の煙が周囲を包み込み、視界が完全に遮られた。


「ユーリ!サラ!こっちだ!」


見知らぬ声が彼らを呼んでいた。


「誰?」サラは不信感を抱いた。


「味方だ!急げ!」


選択肢がない状況で、二人は声の方向に向かって這い始めた。煙の中で誰かが彼らの拘束を解き、手を引いて走り始めた。


煙から抜け出ると、二人は見知らぬ男性と対面した。40代半ばで、精悍な顔立ち、軍人のような立ち居振る舞い。彼は黒い戦闘服を着て、ライフルを持っていた。


「誰なんだ?」ユーリは警戒心を崩さなかった。


「後で説明する」男は短く答えた。「今は逃げることに集中しろ」


彼は無線機で何かを伝え、二人を小道に沿って導いた。彼らは約15分間、休むことなく走り続けた。


ようやく小さな開けた場所に到着すると、そこにはヘリコプターが待機していた。回転翼はすでに回り始めていた。


「乗れ!」男は二人を促した。


「どこに連れて行くつもりなんだ?」ユーリは尋ねた。


「安全な場所だ。信じろ」


サラはユーリの腕を掴んだ。「選択肢はないわ。アウローラがすぐに追ってくる」


二人は渋々ヘリコプターに乗り込んだ。男も続いて乗り込み、パイロットに合図を送った。ヘリコプターは地面から浮かび上がり、夜空へと上昇していった。


「ロイ・ブラックウェル」男は自己紹介した。「国際安全保障機関の者だ」


「国際安全保障機関?」サラは懐疑的だった。「そんな組織聞いたことない」


「正式名称は秘密だ」ロイは説明した。「我々は世界各国の政府から独立した組織で、特殊な脅威に対応している」


「アウローラのような?」ユーリは尋ねた。


「その通り」ロイは頷いた。「我々はアウローラを長年監視してきた。彼らの野望と、ピエドラ・ネグラへの関心も知っている」


「どうして今まで姿を現さなかったんだ?」ユーリは不満を感じた。「父は一人で戦っていた」


「いいや、一人ではなかった」ロイの表情が柔らかくなった。「ミハイル・イワノフは我々の協力者だった。非公式にだがね」


ユーリとサラは驚きの表情を交換した。


「協力者?」


「彼は我々に情報を提供していた。アウローラの動きや、石の研究について。我々も彼を守るために動いていた。しかし…」ロイは言葉を選んだ。「彼の死の時は間に合わなかった」


「父は…事故で死んだと聞いていた」


「事故を装ったアウローラの仕業だ」ロイは厳しい表情で言った。「ミハイルは彼らの計画に関する重要な情報を発見した。それを我々に伝える前に彼らが動いた」


ユーリの胸に痛みが走った。父は彼が思っていた以上に勇敢で、危険と隣り合わせの生活を送っていたのだ。


「なぜ僕たちを助けに来たんだ?」


「ミハイルとの約束だ」ロイは答えた。「彼は最後の伝言で、『双子が再会したら守ってほしい』と言っていた。我々はずっとあなたたちを監視してきた。特に、ユーリがブラジルに来てからは」


ヘリコプターは夜空を飛び続けた。窓の外には、広大なジャングルの暗い輪郭が見えた。


「どこに行くの?」サラが尋ねた。


「安全な施設だ」ロイは説明した。「アウローラの手の届かない場所。そこであなたたち二人を調べる必要がある」


「調べる?」ユーリは警戒心を強めた。「あなたたちもコスタと同じことをするつもりなのか?」


「違う」ロイは首を振った。「我々はあなたたちを保護するためにいる。しかし、コスタの言ったことには真実があるかもしれない。儀式の後、あなたたちの中に変化があったのなら、それを理解する必要がある」


「私たちの中にピエドラ・ネグラのエネルギーがあるって、本当に思うの?」サラは尋ねた。


「可能性はある」ロイは正直に答えた。「ミハイルの理論によれば、石のエネルギーは消滅せず、変換される。グアラニの血を引く双子が儀式を行えば、そのエネルギーは彼らに流れ込む可能性があると」


ユーリは自分の手を見つめた。確かに、儀式の後、彼は何か違和感を覚えていた。体の中で小さなエネルギーの流れのようなものを感じていた。しかし、それを石と結びつけることはなかった。


「もし本当なら、どういう意味があるんだ?」


「それはこれから調べることだ」ロイは言った。「ただ一つ言えるのは、もしあなたたちが石のエネルギーを保持しているなら、アウローラはどこまでも追ってくるということだ」


サラはユーリの手を握った。彼女の手は温かく、安心感を与えた。


「私たちはこれからも逃げ続けなければならないの?」彼女は小さな声で尋ねた。


「いいや」ロイは断固として言った。「我々が守る。そして、アウローラの脅威を永久に排除する方法を見つける」


ヘリコプターは雲を抜け、遠くに街の灯りが見えてきた。


「あれはサンパウロ?」ユーリは尋ねた。


「いや、リオデジャネイロだ」ロイは答えた。「我々の施設はそこから少し離れた場所にある」


ユーリとサラは窓の外を見つめた。遠くにコルコバードのキリスト像のシルエットが見え、その足元に広がる街の灯り。美しい光景だったが、彼らの心は不安で一杯だった。


「どんな未来が待っているのかな…」ユーリは小声で言った。


「わからないわ」サラは答えた。「でも、一緒に立ち向かいましょう。もう二度と離れ離れにはならないわ」


ユーリは妹の手を強く握り返した。彼らは運命に翻弄されていたが、少なくとも今は一緒だった。そして、それだけでも大きな違いだった。


ヘリコプターは夜空を進み、未知の目的地へと向かっていった。


## 第6章:追われる二人


リオデジャネイロから約50キロ離れた海岸沿いの崖の上に、「国際安全保障機関」の秘密施設はあった。外観はモダンな別荘のようだったが、内部には最先端の医療機器や研究設備が整っていた。厚いコンクリートの壁と強化ガラスの窓、そして最新のセキュリティシステムが、この場所を要塞のように守っていた。


ユーリとサラは到着後すぐに医務室に案内された。そこでは白衣を着た医師たちが様々な検査を行った。血液検査、脳波測定、身体能力テスト。一連の検査は丸一日かかり、二人は疲れ果てていた。


「これ以上何を調べるっていうんだ?」ユーリはベッドに横たわりながら不満を漏らした。


「彼らは私たちの中の変化を探しているのよ」サラは隣のベッドから答えた。「石のエネルギーの痕跡を」


部屋のドアが開き、ロイと白衣の女性医師が入ってきた。


「検査結果が出ました」医師は二人のベッドの間に立ち、タブレットを見せた。「確かに、あなたたちの体内には通常とは異なるエネルギーパターンが存在します」


スクリーンには二人の体のスキャン画像が表示され、神経系に沿って微かに輝く筋が見えた。


「これは何?」ユーリは身を起こして尋ねた。


「私たちの理解によれば」医師は慎重に言葉を選んだ。「ピエドラ・ネグラのエネルギーがあなたたちの神経系に統合されています。それは脳から脊髄を通って全身に広がっています」


「危険なの?」サラは心配そうに尋ねた。


「今のところ、健康上の問題は見られません」医師は安心させるように言った。「むしろ、あなたたちの治癒能力や感覚は通常より鋭くなっているようです」


「それだけじゃない」ロイが口を開いた。「あなたたち二人の間には、特殊なつながりがあるようだ」


「つながり?」


「テレパシーとまではいかないが、感情や感覚を共有する能力だ」ロイは説明した。「検査では、一方が刺激を受けたとき、もう一方の脳も同様のパターンを示した」


ユーリとサラは顔を見合わせた。確かに、ここ数日、彼らは不思議なつながりを感じていた。相手が何を考えているか、何を感じているかが、言葉なしでわかるような感覚。


「これは想像以上だ」ロイは続けた。「ミハイルの理論は正しかった。石のエネルギーは消滅せず、あなたたち双子に移行した」


「それで、私たちはどうなるの?」サラは不安げに尋ねた。「実験台?研究対象?」


「いいや」ロイは即座に否定した。「我々はあなたたちを保護し、この能力を理解するのを手伝いたい。アウローラのように利用するのではなく」


「彼らは私たちを見つけるだろうか?」ユーリは窓の外を見た。青い海と空が広がっていたが、その美しさの中にも危険が潜んでいるように感じた。


「この施設は完全に秘密だ」ロイは自信を持って言った。「最高レベルのセキュリティがある。しばらくはここで安全に過ごせる」


その日の夕方、ユーリとサラはテラスで夕日を眺めていた。海に沈む太陽が水面を赤く染め、美しい光景を作り出していた。


「信じられないね」ユーリはしばらくの沈黙の後に言った。「一週間前、僕はモスクワの冷たいアパートで翻訳の仕事をしていた。そして今は…」


「ブラジルの秘密施設で、超能力の研究をされている」サラは微笑んだ。「確かに信じがたい展開ね」


「僕たちの中にある力…君は感じるかい?」


サラは空を見上げた。「ええ、感じるわ。何か温かいものが、常に体の中を流れているような。そして…」彼女はユーリを見た。「あなたとの繋がりも」


「僕も感じる」ユーリは頷いた。「まるで君が僕の一部であるかのように」


「私たちは25年間離れていたのに、今はまるで常に一緒だったかのようね」


彼らは静かに日没を見守った。夕暮れとともに、施設のライトが自動的に点灯し始めた。


「ロイを信頼していいと思う?」ユーリは突然尋ねた。


サラは少し考えてから答えた。「完全には信頼できないわ。でも、今のところ彼らは私たちを助けてくれている。それに…」


「それに?」


「母の日記に、『R』というイニシャルの人物への言及があったの。信頼できる同盟者として。それがロイ・ブラックウェルかもしれない」


ユーリは納得した様子で頷いた。「父のノートにも似たような記述があったかもしれない。でも、確かなことは言えない」


夜が深まるにつれ、二人は部屋に戻った。彼らには隣接する二つの部屋が用意されていた。シンプルだが快適な空間で、必要なものはすべて揃っていた。


「おやすみ、兄さん」サラはドアの前で言った。


「おやすみ、妹よ」


ユーリは自分の部屋に入り、ベッドに横たわった。天井を見つめながら、彼は今日の出来事を振り返った。医師たちの言葉、彼らの体内に流れるエネルギー、そしてサラとの不思議な繋がり。すべてが非現実的に感じられた。


しかし、彼の心の奥底では、これがいつか起こるべき運命だったという感覚があった。父がブラジルの本を見せていたとき、南米の写真を見せていたとき、それは彼を未来の出来事に備えさせていたのかもしれない。


眠りに落ちる直前、ユーリはサラの存在を感じた。物理的には隣の部屋にいるのに、彼女の心が自分のすぐそばにあるかのように。その感覚は奇妙だったが、同時に慰めにもなった。彼はもう一人ではなかった。


---


三日目の朝、ロイはユーリとサラを施設の地下にある大きな訓練室に案内した。


「今日から特別なトレーニングを始めます」ロイは説明した。「あなたたちの能力を理解し、制御するためのものです」


「どんなトレーニング?」ユーリは尋ねた。


「まずは基本的な感覚強化の練習から」ロイは言った。「医師たちの分析によれば、あなたたちの感覚は通常の人間より鋭くなっています。それを活用する方法を学びましょう」


最初の練習は視覚に関するものだった。部屋の反対側に設置された小さなスクリーンに、一瞬だけ画像が表示される。その内容を正確に記憶するという課題。


ユーリとサラは最初は苦戦したが、数時間の練習で驚くほど上達した。彼らは0.1秒間だけ表示された複雑な画像でも、細部まで正確に描写できるようになった。


「驚くべき進歩です」立ち会っていた医師が言った。「普通の人間なら、このレベルに達するまで何週間もかかるでしょう」


午後のセッションでは、二人の間の精神的繋がりをテストした。サラは別室に移動し、ユーリには様々な感情を喚起する画像が見せられた。サラはユーリの感情を読み取り、どの画像が表示されているかを当てるというテスト。


結果は驚くべきものだった。サラは80%以上の正確さでユーリの感情を読み取ることができた。特に強い感情—恐怖、喜び、悲しみ—については、ほぼ100%正確だった。


「これは単なる双子の繋がりを超えています」医師は興奮気味に言った。「あなたたちの脳波パターンは、実際に同期しているんです」


一週間のトレーニングで、ユーリとサラの能力は着実に向上した。視覚、聴覚、触覚の鋭さ、そして互いの感情や時には思考さえ共有する能力。彼らはこの新しい力に徐々に慣れていった。


「あなたたちの進歩は素晴らしい」ロイは一週間後のミーティングで言った。「しかし、アウローラもまた動いています」


彼はテーブルの上にタブレットを置き、映像を再生した。それは監視カメラの映像で、コスタと数人の男たちがサンパウロのホテルを出入りする様子が映っていた。


「彼らはあなたたちを必死で探しています」ロイは説明した。「我々の情報筋によれば、彼らは『プロジェクト・オリジン』という作戦を開始したようです」


「プロジェクト・オリジン?」サラは眉をひそめた。


「詳細はまだわかりませんが、あなたたちの能力を利用するための計画です」ロイは続けた。「おそらく、あなたたちからエネルギーを抽出し、兵器化する試みでしょう」


「抽出?」ユーリは恐怖を感じた。「それは可能なのか?」


「理論的には」ロイは重い口調で言った。「しかし、それはあなたたちにとって致命的なプロセスになるでしょう」


サラはユーリの手を握った。彼女の恐怖が、彼らの繋がりを通してユーリにも伝わってきた。


「我々は引き続きあなたたちを保護します」ロイは約束した。「しかし、いつかは施設を離れる必要があるかもしれません。そのための準備も必要です」


その夜、ユーリとサラはテラスで静かに話し合った。


「私たちはずっとここにいられないわ」サラは言った。「いつかはアウローラが見つけるわ」


「でも、外に出れば危険だ」ユーリは心配した。「彼らは世界中に目と耳を持っている」


「だからこそ、私たちは自分たちの力を完全に理解する必要があるのよ」サラは決意を込めて言った。「それが私たちの唯一の防御手段かもしれない」


二人は翌日からさらに集中的にトレーニングに取り組んだ。彼らは自分たちの能力の限界を押し広げようとした。時に挫折を感じることもあったが、互いの存在が支えになった。


二週間後、予期せぬ出来事が起こった。


ユーリとサラが訓練室でセッションを終えた直後、施設全体にアラームが鳴り響いた。赤いライトが点滅し、「セキュリティ警告レベル1」という機械的な声がスピーカーから流れた。


「何が起きたんだ?」ユーリは驚いて立ち上がった。


ドアが開き、ロイが急いで入ってきた。彼の表情は緊張に満ちていた。


「アウローラが我々の施設を特定した」彼は息を切らしながら言った。「10分以内に襲撃される可能性がある」


「どうやって?」サラは信じられない様子で尋ねた。


「内部に裏切り者がいた」ロイは歯ぎしりした。「今はそれを議論している時間はない。すぐに避難しなければ」


彼は二人を施設の最下層に案内した。そこには小さなトンネルがあり、海岸線に沿って建設されていた。


「このトンネルを通って、2キロ先の隠れた入り口まで行きなさい」ロイは説明した。「そこに車が待機している。この座標に向かいなさい」


彼は小さなGPSデバイスをユーリに手渡した。


「そこで何を?」ユーリは尋ねた。


「私の古い友人が待っている」ロイは答えた。「彼はあなたたちを次の安全な場所に案内するだろう」


「あなたは?」サラは心配そうに尋ねた。


「私はここに残る」ロイの目は決意に満ちていた。「彼らを食い止め、あなたたちに時間を稼ぐ」


「危険すぎる」ユーリは反対した。「一緒に来るべきだ」


「それは不可能だ」ロイは首を振った。「誰かが彼らの注意を引きつけなければ、あなたたちは逃げ切れない」


施設の上層階から、銃声と爆発音が聞こえ始めた。時間がなかった。


「これを持って行きなさい」ロイはバックパックを二人に渡した。「中には必要なものが入っている。パスポート、現金、そして…ミハイルからの遺品だ」


ユーリはバックパックを開け、中に小さな金属製の箱を見つけた。


「父からの?」


「彼はいつか必要になると言っていた」ロイは説明した。「その時が来たようだ」


爆発音がさらに近づいてきた。


「行きなさい!」ロイは二人を急かした。「トンネルの入り口はこちらだ」


彼は壁のパネルを押し、隠された扉が開いた。


「ロイ…」サラは躊躇った。「ありがとう」


「感謝の言葉は後でいい」ロイは微笑んだ。「生き延びることに集中しなさい」


ユーリはロイの肩を強く握った。「必ず会おう」


「もちろんだ」ロイは頷いた。「さあ、行け!」


ユーリとサラはトンネルに入り、暗闇の中を走り始めた。背後で扉が閉まる音がした。彼らは懐中電灯を使って先を照らしながら、できるだけ速く前進した。


トンネルは狭く湿っていたが、十分な高さがあり、二人は前かがみになることなく走ることができた。時折、海の波の音が壁を通して聞こえてきた。


「ロイは大丈夫だろうか」ユーリは心配した。


「彼は強い人よ」サラは答えた。「きっと生き延びる」


彼らは約20分間走り続け、ようやくトンネルの出口に到達した。それは岩の間に隠された小さな扉だった。ユーリが扉を開けると、夕暮れの光が差し込んできた。


外に出ると、彼らは人里離れた小さな入り江にいることがわかった。遠くには施設があった丘が見え、黒い煙が上がっているのが確認できた。


「攻撃は続いているみたいね」サラは心配そうに言った。


「車を探そう」ユーリはGPSを確認した。


予告通り、近くの茂みの中に小さな四輪駆動車が隠されていた。鍵はタイヤの上に置かれていた。


二人は急いで車に乗り込み、GPSの示す方向へと向かった。道は険しく、時に舗装されていない部分もあったが、車はしっかりと走り続けた。


「どこに向かっているんだろう?」サラは窓の外を見ながら尋ねた。


「わからない」ユーリは答えた。「でも、ロイを信じるしかない」


彼らは約1時間ほど走り続け、小さな漁村に到着した。GPSはそこにある古い倉庫を示していた。


「ここみたいだ」ユーリは車を停めた。


倉庫は使われていないように見えたが、ドアは施錠されていなかった。二人は慎重に中に入った。


「誰かいますか?」ユーリは声をかけた。


返事はなかったが、奥から足音が聞こえてきた。彼らは緊張して立ち止まった。


暗がりから、一人の老人が姿を現した。70代半ばくらいで、白髪と日焼けした肌を持ち、漁師のような風貌だった。


「ユーリとサラだな?」老人は静かな声で言った。「ロイから連絡があった。私はペドロ。ミハイルの古い友人だ」


「父の友人?」ユーリは驚いた。


「ああ、30年以上前からの」ペドロは頷いた。「彼がまだ若く、このジャングルを初めて探検していた頃からの付き合いだ」


ペドロは二人を倉庫の奥に案内した。そこには小さなボートがあり、旅の準備がされていた。


「これから君たちを安全な場所に連れて行く」彼は説明した。「海路で。それが一番安全だ」


「どこに?」サラは尋ねた。


「まずはパラグアイ国境近くの隠れ家へ」ペドロは言った。「そこから先は状況次第だ」


「でも、私たちを追ってくるわ」サラは心配した。「アウローラは」


「だからこそ、常に動き続けなければならない」ペドロは真剣な表情で言った。「彼らの追跡をかわすには、予測不可能であることが重要だ」


彼は二人にボートに乗るよう促した。


「今夜は海上で過ごす。明日の朝、内陸の川に入る。そこからボートを乗り換えて上流へ向かう」


ボートに乗り込むと、ペドロはエンジンを始動させた。太陽が完全に沈み、星空が広がる中、彼らは静かに港を出て行った。


ボートの船尾から振り返ると、陸地の明かりが徐々に小さくなっていった。そして遠くに、大きな爆発の閃光が見えた。おそらく施設の方向からだった。


「ロイ…」ユーリは小さく呟いた。


サラは兄の手を握った。彼女も同じ不安を感じていた。しかし今、彼らにできることは前に進むことだけだった。


星空の下、ボートは静かに海を進んでいった。未知の目的地へ、そして不確かな未来へと。


## 第7章:父の足跡


ボートは一晩中、静かな海を進み続けた。ペドロは熟練の手つきでハンドルを操り、星空を目印に航路を定めているようだった。ユーリとサラは甲板の下の小さな寝床で交代で仮眠を取った。


夜明け前、ボートは海岸線に近づき、小さな入り江に入った。周囲はマングローブの林に囲まれ、外からは見えにくくなっていた。


「ここで数時間休む」ペドロは船を固定しながら言った。「日が昇ったら、川に入る」


朝食は簡素なものだった。パンと果物、そして魚の干物。しかし、空腹の二人にとっては十分だった。


「ペドロさん」ユーリは食事をしながら尋ねた。「あなたは父とどのように知り合ったんですか?」


老人は遠い目をして微笑んだ。「1987年のことだ。私はまだ若く、この地域のガイドをしていた。ミハイルは科学調査隊の一員としてやってきた。彼は他の科学者たちとは違っていた。本当にこの地を理解しようとしていた」


「父はここで何を研究していたんですか?」


「最初は地質学だった」ペドロは答えた。「この地域の岩石構造を調べていた。しかし、彼の関心は徐々に変わっていった。特に、グアラニの部族と出会ってからは」


「母の部族ね」サラが言った。


「そう」ペドロは頷いた。「イザベラとの出会いが、彼の人生を変えた。彼女はグアラニの血を引きながらも、大学で教育を受けた賢い女性だった。二人は一緒にピエドラ・ネグラの研究を始めた」


「石のことを教えてください」ユーリは興味深そうに尋ねた。「父のノートには断片的な情報しか書かれていませんでした」


ペドロは慎重に言葉を選んだ。「石は古代からこの地に存在していた。グアラニの人々はそれを『記憶の祖先』と呼び、敬っていた。科学的に言えば、それは地球上で他に類を見ない鉱物だった。記憶を保存し、エネルギーを生成する能力を持っていた」


「それがアウローラの関心を引いたのですね」サラは言った。


「そうだ」ペドロの表情が暗くなった。「彼らは当初、エネルギー源としての可能性に興味を持っていた。しかし、研究が進むにつれ、その軍事的価値に気づいた。記憶を操作する能力、そして膨大なエネルギーは、兵器として利用できると」


「父はそれを阻止しようとした」ユーリは言った。


「ミハイルとイザベラの両方がね」ペドロは頷いた。「彼らは石の研究を続けながらも、アウローラから守ろうとした。特に、双子が生まれてからは」


彼は一度止まり、海を見つめた。「日が昇ってきた。出発の時間だ」


ボートは再び動き出し、マングローブの間を縫うように進んだ。やがて、彼らは小さな川の入り口に到達した。


「アマゾン川の支流の一つだ」ペドロは説明した。「この川を上流に進むと、パラグアイとの国境近くに出る」


川は徐々に狭くなり、両側の植生も密になってきた。ジャングルの木々が頭上で交差し、緑のトンネルを形成していた。鳥の鳴き声や昆虫の音が絶え間なく聞こえ、時折水面に魚がはねる音も聞こえた。


「どれくらいかかりますか?」サラは尋ねた。


「この川を3日ほど遡る」ペドロは答えた。「その後、ボートを乗り換えて小さな支流に入る。全部で5日から1週間はかかるだろう」


ユーリはバックパックからロイが渡した金属製の箱を取り出した。それは手のひらサイズの銀色の箱で、表面には複雑な模様が刻まれていた。


「これは何だろう」彼は箱を回転させながら言った。


「ミハイルの遺品か」ペドロは箱を見て言った。「彼は常に重要なものを隠すのが上手だった」


ユーリは箱を開けようとしたが、鍵がかかっていた。


「開け方がわからない」


「時が来れば開くだろう」ペドロは神秘的に言った。「ミハイルは常にタイミングを重視していた」


川の旅は穏やかに進んだ。彼らは日中は移動し、夜になると安全な場所に停泊した。ペドロは熟練のサバイバリストで、ジャングルの食料を集めたり、安全な休息場所を見つけたりするのが上手だった。


三日目、彼らは川沿いの小さな集落に立ち寄った。そこはわずか数十人が暮らす場所で、外界からほぼ隔絶されていた。


「古い友人がここにいる」ペドロは言った。「ボートを乗り換え、補給もしなければならない」


集落の人々はペドロを温かく迎え、彼の紹介でユーリとサラにも友好的だった。彼らは村の中央にある大きな小屋に案内され、そこで休息をとることになった。


「今夜はここで過ごす」ペドロは言った。「明日、新しいボートで出発する」


夕食時、集落の長老がユーリとサラに近づいてきた。彼は非常に年老いた男性で、顔には人生の知恵が刻まれていた。


「ミハイルとイザベラの子どもたちだな」長老は彼らを見つめた。「目に出ている。特に、お前たちの中に宿るエネルギーが」


ユーリとサラは驚いて顔を見合わせた。


「どうして私たちのことを?」サラは尋ねた。


「私はかつてミハイルとイザベラの儀式に立ち会った」長老は言った。「彼らが石と契約を交わした時にね。お前たちが生まれる前のことだ」


「契約?」ユーリは混乱した。


「石の力を守るための誓い」長老は説明した。「その代償として、彼らの血筋は石と繋がりを持つことになった。そして今、その繋がりはお前たちの中に生きている」


長老は二人に近づき、彼らの額に触れた。


「強い。非常に強い」彼は目を閉じながら言った。「しかし、まだ目覚めていない。完全な力はまだ眠っている」


「完全な力?」サラは興味を示した。「どういう意味ですか?」


「石のエネルギーは、お前たちの中で変化している」長老は神秘的に言った。「新しい形に。しかし、それを完全に目覚めさせるには、親の足跡をたどらなければならない」


彼はユーリが持っていた金属製の箱を指さした。


「答えはその中にある」


長老は去り際に、一つの警告を残した。


「気をつけるのだ。暗闇の追跡者たちが近づいている。彼らはお前たちのエネルギーを感じ取ることができる」


その夜、ユーリとサラは小屋の中で金属製の箱について話し合った。


「開け方がわからない」ユーリは箱を回転させながら言った。


「何か特別な方法があるはずよ」サラは箱を覗き込んだ。「物理的な鍵穴はないみたいね」


彼らは箱の表面の模様を調べた。それは一見ランダムに見えたが、よく見ると一定のパターンがあった。星座のような配置に見えた。


「これ、星座みたい」サラは言った。「南半球の星座」


「父は天文学にも詳しかったんだ」ユーリは思い出した。「モスクワでもよく星空を見上げていたよ」


サラは箱を持ち上げ、明かりに照らした。


「待って、これって…」彼女は箱の裏側を見た。「裏側の模様が、表側と対になっている」


「南半球と北半球の星座?」ユーリは推測した。


二人は箱の両側を同時に押してみた。しかし、何も起こらなかった。


「何か足りないのかな」ユーリは考え込んだ。


その時、サラはふと思いついた。「私たちの能力を使ってみない?長老は私たちの中のエネルギーと箱が関係していると言ったわ」


二人は向かい合い、箱を間に置いた。そして、これまでのトレーニングで学んだように、互いに意識を集中させた。彼らは自分たちの中に流れるエネルギーを感じ、それを箱に向けようとした。


最初は何も起こらなかった。しかし、数分後、箱がわずかに光り始めた。表面の星座の模様が青白い光を放ち、箱全体が暖かくなってきた。


「続けて」サラは囁いた。


彼らはさらに集中を深めた。すると、カチリという小さな音とともに、箱の上部が開いた。


中には小さなUSBメモリと、折りたたまれた紙があった。


「父からのメッセージだ」ユーリは紙を広げた。


紙にはミハイルの筆跡で、次のように書かれていた:


「親愛なるユーリとサラへ


もしこの箱を開けることができたなら、あなたたち二人が再会し、石の力を受け継いだということだ。


このUSBには私とイザベラの研究データの全てが含まれている。そして、あなたたちの能力を完全に目覚めさせる方法も。


パラグアイとブラジルの国境近く、三つの川が交わる場所に行きなさい。そこに私たちの最後の研究施設がある。座標は付属の地図に記されている。


しかし、警告しなければならない。アウローラもまた、その場所を探している。彼らが先に到達すれば、あなたたちは永遠に追われることになる。


急ぎなさい。時間がない。


常に一緒にいること。あなたたちの力は、二人が一つになった時に最も強くなる。


愛を込めて、

ミハイル・イワノフとイザベラ・モンテス」


メッセージの下には、手書きの地図と座標が記されていた。


「父と母からのメッセージ」サラは感動した様子で言った。「二人で書いたのね」


「彼らはこのすべてを予測していたんだ」ユーリは驚いた。「石の破壊も、私たちの中のエネルギーも」


「そして、研究施設の存在も」サラは地図を見た。「ここからそう遠くないわ。ペドロの言っていた目的地に近い」


翌朝、彼らはペドロに地図を見せた。老人はそれを見て頷いた。


「知っているよ、その場所を」彼は言った。「ミハイルの秘密の研究所だ。しかし、そこに行くのは危険かもしれない」


「なぜですか?」ユーリは尋ねた。


「アウローラの活動が最近活発になっている」ペドロは心配そうに言った。「彼らもその場所を探しているらしい」


「だからこそ、私たちが先に行かなければ」サラは決意を示した。「父と母の研究を守るために」


ペドロは二人の決意を見て、深く息を吐いた。


「わかった。行こう。しかし、最大限の注意が必要だ」


彼らは新しいボートに乗り換え、さらに上流へと向かった。川はますます狭くなり、時に倒木や浅瀬を避けながら進まなければならなかった。


五日目、彼らは三つの川が交わる地点に近づいた。この辺りはジャングルがさらに密になり、時折サルの群れや色鮮やかな鳥の群れが見られた。


「もうすぐだ」ペドロは周囲を警戒しながら言った。「しかし、何か変だ」


「何がですか?」ユーリは尋ねた。


「静かすぎる」ペドロは答えた。「この時間帯、もっと動物の声が聞こえるはずだ」


彼らはボートのエンジンを切り、パドルを使って静かに進んだ。やがて、三つの川が交わる地点に到達した。周囲は巨大な木々に囲まれ、自然の要塞のようだった。


「研究施設はどこ?」サラは地図を確認した。


「見えないはずだ」ペドロは言った。「ミハイルは完璧に隠していた」


彼らはボートを岸に寄せ、周囲を探索し始めた。地図によれば、施設は最も大きな木の近くにあるはずだった。


ユーリが巨大な木の根元を調べていると、不自然な隙間を発見した。


「ここかもしれない」彼は二人を呼んだ。


三人で協力して根元の部分を押すと、驚くべきことに、地面が動き始めた。土の下には金属製のハッチがあり、それが滑るように開いた。


「見事だ」ペドロは感嘆した。「完全に自然に溶け込んでいる」


ハッチの下には、金属製の梯子が続いていた。彼らは懐中電灯を取り出し、一人ずつ降りていった。


地下約10メートルのところで、彼らは小さな通路に出た。通路の壁には小さな照明パネルがあり、彼らが近づくと自動的に点灯した。


「電源が生きている」サラは驚いた。「何年も経っているのに」


通路を進むと、彼らは広い研究室に出た。そこには様々な機器や実験台、そして壁一面を覆うコンピューター設備があった。すべてが驚くほど良い状態で保存されていた。


「太陽電池と地熱を利用したシステムだ」ペドロは天井を指さした。「ミハイルは長期間の運用を想定していた」


ユーリはUSBメモリを取り出し、中央のコンピューターに差し込んだ。画面が点灯し、パスワード入力を求めてきた。


「何だろう?」ユーリは考え込んだ。


サラは静かに「ミハイル・イザベラ」と入力してみた。しかし、アクセスは拒否された。


「私たちの誕生日かも」彼女は「06051997」と入力した。これも拒否された。


二人は様々な組み合わせを試したが、すべて失敗した。


「何か特別な意味のある言葉があったはず」ユーリは言った。


その時、サラは思いついた。「石の儀式の日かもしれない」


彼女は「21121992」と入力した。すると、スクリーンが点滅し、アクセスが許可された。


「成功した!」


画面には大量のファイルが表示された。研究データ、写真、ビデオ録画。そして「双子へ」というフォルダ。


サラはそのフォルダをクリックした。中にはビデオファイルが一つだけあった。彼女はそれを再生した。


画面にミハイルとイザベラの姿が現れた。二人は若く、約30代半ばに見えた。背景は、彼らが今いるのと同じ研究室だった。


「ユーリ、サラ」ミハイルが話し始めた。「もしこのメッセージを見ているなら、あなたたちは成長し、再会したことになる」


「そして、石の力を受け継いだということでもある」イザベラが続けた。彼女の声は優しく、サラにそっくりだった。


「我々は石の研究を通じて、その真の力を理解した」ミハイルは説明した。「それは単なるエネルギー源や記憶装置ではない。それは意識そのものだ」


「何千年もの間、石は地球のエネルギーを集め、グアラニの人々の記憶を保存してきた」イザベラが言った。「それは一種の集合意識となり、我々の理解を超える知恵を蓄積した」


「しかし、アウローラのような組織がその力を利用しようとしている」ミハイルの表情が暗くなった。「彼らは石のエネルギーを兵器化し、記憶操作技術として利用しようとしている」


「我々はそれを阻止するため、最終的な対策を立てた」イザベラは続けた。「石が破壊された場合、そのエネルギーがあなたたち、我々の子どもたちに移行するように」


「あなたたちの中のエネルギーは、まだ完全には目覚めていない」ミハイルが説明した。「それを活性化させるには、この研究所の奥にある装置を使う必要がある」


「しかし、警告しなければならない」イザベラの声は真剣だった。「一度活性化すれば、あなたたちの能力は大きく増幅する。それは大きな責任を伴う」


「選択はあなたたちに委ねる」ミハイルは言った。「能力を完全に目覚めさせるか、あるいは現状のままでいるか」


「我々はどちらの選択も尊重する」イザベラは微笑んだ。「ただ知っておいてほしい。我々はあなたたちを愛している。そして、あなたたちの判断を信じている」


「必要な情報はすべてコンピューターに保存されている」ミハイルは最後に言った。「さあ、自分たちの道を選びなさい」


ビデオはそこで終わった。ユーリとサラは言葉を失い、しばらく黙っていた。


「父と母だ」ユーリは感動した様子で言った。「彼らは本当にすべてを予測していた」


「そして、選択を私たちに委ねた」サラは考え込んだ。「能力を目覚めさせるべきかどうか」


ペドロは黙って二人を見つめていた。「これは重大な決断だ」彼は静かに言った。「よく考えるべきだ」


ユーリとサラは研究室の他のファイルも調査した。そこには石の詳細な研究データ、アウローラの計画に関する情報、そして能力活性化装置の詳細な説明があった。


「この装置を使えば、私たちの能力は何倍にも増幅するみたい」サラはファイルを読みながら言った。「テレパシー、記憶の共有、そして…物理的な現象への影響力まで」


「すごい力だ」ユーリは驚いた。「でも、それは私たちを更なる標的にもする」


彼らが議論している最中、ペドロが突然立ち上がった。


「静かに」彼は囁いた。「誰か来た」


三人は息を殺した。確かに、上からかすかな物音が聞こえた。


「アウローラか?」サラは恐れた。


「可能性が高い」ペドロは緊張した面持ちで言った。「彼らも研究所を探していたはずだ」


「どうする?」ユーリは尋ねた。


「二つの選択肢がある」ペドロは言った。「逃げるか、あるいは…」彼は活性化装置を見た。


サラとユーリは顔を見合わせた。時間がなかった。彼らは決断を迫られていた。


「どうする?」サラは兄に尋ねた。


ユーリは深く息を吸い、決意を固めた。


「やろう」彼は言った。「能力を目覚めさせよう。それが父と母の望みだったはずだ」


サラは頷いた。「私もそう思う。アウローラと戦うには、私たちにはこの力が必要よ」


ペドロは入り口を見張りながら言った。「急いで。彼らはすぐにここに来る」


ユーリとサラはコンピューターの指示に従って、研究室の奥にある装置に向かった。それは円形のプラットフォームで、周囲には複雑な機械が配置されていた。


「指示通りに」サラはマニュアルを確認した。「私たちは円の中心に立ち、手を繋ぐ必要がある」


二人はプラットフォームの中央に立った。ペドロがコンピューターの前に立ち、起動シーケンスを入力した。


「準備はいいか?」ペドロは尋ねた。


二人は頷いた。彼らは手を繋ぎ、互いを見つめた。


「何が起きても、手を離さないで」サラは言った。


ペドロが最後のボタンを押すと、装置が低い音を立てて作動し始めた。プラットフォームの周囲の機械から青白い光が放たれ、それが徐々に二人を包み込んでいった。


最初は軽い温かさだけだったが、徐々にその感覚は強くなった。ユーリとサラは自分たちの中のエネルギーが活性化するのを感じた。それは血管を流れる温かい流れのようで、全身に広がっていった。


「感じる?」サラは息を呑んだ。


「ああ」ユーリは答えた。「信じられない感覚だ」


光は更に強くなり、研究室全体を照らすほどになった。二人の間の繋がりも強まり、互いの思考や感情が直接流れ込んでくるようになった。


突然、爆発音が上から聞こえた。アウローラが入り口を破壊したのだ。


「急いで!」ペドロは叫んだ。「彼らが来る!」


装置の光が最も強くなった瞬間、すべてが一度に起こった。ユーリとサラの中のエネルギーが完全に目覚め、二人の意識が一つに融合した。同時に、研究室のドアが開き、武装した兵士たちが飛び込んできた。


「動くな!」兵士たちが叫んだ。


しかし、その時にはもう遅かった。ユーリとサラの周りの光が爆発的に拡大し、研究室全体を包み込んだ。兵士たちは一瞬で後ろに吹き飛ばされ、機器や家具も宙に浮いた。


ペドロは驚愕の表情で二人を見つめていた。


光が収まると、ユーリとサラは変わっていた。彼らの目は青白い光を放ち、周囲の空気が彼らの周りで渦を巻いていた。


「行くぞ」ユーリは不思議な響きを持つ声で言った。


サラは頷き、二人は手を繋いだまま、倒れた兵士たちの間を歩いて通路へと向かった。


「待て!」ペドロが叫んだ。「どこへ行く?」


「心配しないで」サラは振り返った。「私たちは何をすべきか知っている」


彼らは地上に上がり、更に多くの兵士たちと対面した。しかし、兵士たちが銃を向ける前に、ユーリとサラは手を上げた。すると、周囲の空気が波打ち、兵士たちは意識を失ったように倒れた。


「信じられない」ペドロは二人についていきながら言った。


「私たちにも驚きだよ」ユーリは言った。「でも、何をすべきか、どこに行くべきかが見えるんだ」


彼らはジャングルの中を進み、ボートに戻った。


「どこに行くんだ?」ペドロは尋ねた。


「アウローラの本部へ」サラは決然と言った。「彼らの計画を永久に止めるために」


「危険すぎる!」ペドロは反対した。


「今の私たちなら大丈夫」ユーリは静かに言った。「彼らの持つ全ての記録、研究データを破壊しなければ、この追跡は終わらない」


ペドロは二人の変化した姿を見つめ、やがて諦めたように頷いた。


「わかった。行こう」


彼らはボートに乗り込み、川を下り始めた。ユーリとサラの中では、新たな力が脈打っていた。それは単なるエネルギーではなく、何千年もの記憶と知恵が詰まった意識だった。


石の力は確かに彼らの中にあった。そして今、それは完全に目覚めていた。


## 第8章:隠された真実


リオデジャネイロの高層ビル群が、午後の陽光を反射して輝いていた。観光客で賑わうコパカバーナビーチからわずか数ブロック離れた場所に、アウローラ財団の南米本部は存在していた。外観は普通のオフィスビルだったが、内部には最先端の研究施設と厳重な警備が施されていた。


「あれが標的だ」


ユーリは高台から双眼鏡でビルを観察していた。彼の横には、サラとペドロが同じく緊張した面持ちで立っていた。


研究所での出来事から三日が経っていた。彼らはジャングルからリオデジャネイロまで、驚くほどの速さで移動してきた。ユーリとサラの新たな能力は、彼らの旅を加速させた。彼らは直感的に安全なルートを見つけ、時に危険を前もって感知することさえできた。


「見た感じ、セキュリティは相当厳重ね」サラは建物の周囲を観察した。「正面には少なくとも六人の警備員がいるわ」


「それだけじゃない」ユーリは言った。「監視カメラ、電子ロック、そしておそらく目に見えないセキュリティシステムも」


彼らの能力は視覚も強化していた。通常の人間なら見落とすような細部まで、彼らは容易に識別できた。


「正面からの侵入は無理だな」ペドロは断言した。「他の方法を考えるべきだ」


ユーリとサラは顔を見合わせた。彼らは言葉を交わさなくても、互いの考えを理解できるようになっていた。


「地下から行ける」サラが言った。


「下水システムを使って」ユーリが続けた。


ペドロは二人を不思議そうに見た。「どうやってそれを知ったんだ?」


「感じるんだ」ユーリは説明した。「建物の下には、古い排水路が通っている。それは建物の地下室に繋がっているはずだ」


「記憶の一部として見えるの」サラは付け加えた。「石に保存されていた情報が、私たちの中にあるわ」


ペドロは頭を振った。「まだ慣れないな、お前たちの…変化には」


彼らは高台を降り、街の下水道入口を探した。裏通りにある古いマンホールを見つけ、周囲に人がいないことを確認してから、彼らは素早くマンホールを開け、中に入った。


下水道内は予想通り不快だったが、ユーリとサラは奇妙なほど冷静だった。彼らは迷うことなく前進し、複雑な分岐点でも正しい方向を選んだ。


「ここから右」サラは言った。


「そして50メートルほど直進」ユーリが続けた。


ペドロは黙って二人に従った。彼は長年、ジャングルのガイドとして生きてきたが、今は彼自身がガイドされる立場になっていた。


約30分後、彼らはアウローラ財団のビルの真下に到達した。


「ここだ」ユーリは上を指さした。「この上に維持点検用のハッチがあるはずだ」


彼らは古い金属製のはしごを上り、ユーリが指摘した場所にハッチを見つけた。それは錆びついており、長い間使われていないようだった。


「鍵がかかっているかもしれない」ペドロは心配した。


サラはハッチに手を置いた。彼女の手から微かな青い光が放たれ、金属に流れ込んだ。カチリという小さな音がして、ハッチが開いた。


「すごい」ペドロは驚いた。


「私たちにも驚きよ」サラは微笑んだ。「これらの能力が何を意味するのか、まだ完全には理解できていない」


彼らはハッチを通り、建物の地下室に入った。それは古い機械室で、ボイラーや配電盤などが置かれていた。幸い、そこに人はいなかった。


「研究データはどこにあるんだ?」ペドロは小声で尋ねた。


「上の階」ユーリは答えた。「おそらく高層階に研究室があり、そこにメインサーバーがあるはずだ」


「警報システムは?」


「すでに対処したわ」サラは言った。「私たちが入ったときに、小さな電磁パルスを放ったの。このフロアのセキュリティシステムは一時的に機能停止しているはず」


彼らは慎重に地下室を横切り、階段を見つけた。そこから上階へと向かった。建物内は意外と静かで、業務時間後のためか、従業員の姿はまばらだった。


「15階に行く必要がある」ユーリは階段を上りながら言った。「そこが研究部門だ」


「階段を15階まで上るのか?」ペドロは心配そうに言った。


「エレベーターは危険すぎる」サラは答えた。「監視カメラがあるし、途中で止められる可能性もある」


彼らは黙々と階段を上り続けた。驚くべきことに、ユーリとサラは疲労を感じていなかった。彼らの体は新たなエネルギーで満たされ、通常の限界を超えていた。


15階に到着すると、彼らは慎重にドアを開け、廊下を覗いた。幸い、そこには誰もいなかった。


「どっちだ?」ペドロは尋ねた。


ユーリとサラは同時に右を指さした。彼らは廊下を進み、「研究データセンター」と書かれたドアの前で立ち止まった。


「ここだ」ユーリは言った。「でも、高度なセキュリティロックがある」


ドアには生体認証スキャナーとキーパッドが設置されていた。


「どうやって開ける?」ペドロは尋ねた。


サラはドアに近づき、手をスキャナーの上に置いた。彼女の手から再び青い光が放たれ、システムに流れ込んだ。数秒後、ロックが解除され、ドアが開いた。


「すごい」ペドロは再び驚いた。


「電子システムに干渉できるみたい」サラは自分の手を見つめた。「まるで…思考でコードを書き換えるような感覚」


彼らは部屋に入った。そこには大型のサーバーラックが何列も並び、壁には大きなモニターが設置されていた。部屋の中央には操作コンソールがあった。


「これが彼らの研究データの全てだ」ユーリはサーバーを見回した。「ピエドラ・ネグラの研究、私たちの追跡データ、すべてがここにある」


「どうするの?」サラは尋ねた。「全て消去?」


「いや」ユーリは考え込んだ。「消去するだけでは不十分だ。彼らはバックアップを持っているはずだ」


「では?」


「データを変更しよう」ユーリは操作コンソールに向かった。「彼らの研究結果を書き換えて、石の力は完全に失われたと思わせるんだ」


サラは頷き、兄と共にコンソールに向かった。二人はキーボードに触れることなく、手をかざすだけでシステムを操作し始めた。彼らの指から青い光の糸のようなものが伸び、コンソールに接続した。


画面上では、ファイルやコードが信じられない速さで流れていった。ユーリとサラの意識がシステムと直接繋がり、データを書き換えていた。


「ピエドラ・ネグラの分析データを改変中」ユーリが言った。


「追跡アルゴリズムを無効化しているわ」サラが続けた。


ペドロは二人の作業を見守りながら、ドアの前で見張りを続けた。


「急いでくれ」彼は緊張した声で言った。「いつ誰が来るかわからない」


「あと少し」ユーリは集中したまま答えた。


突然、警報音が鳴り響いた。赤いライトが点滅し始め、部屋中に警告が響き渡った。


「侵入者アラート!15階研究データセンターに侵入者あり!」


「見つかった!」ペドロは叫んだ。


「もう少しで終わる」サラは言った。「あと30秒」


ドアの外から足音が聞こえ始めた。複数の警備員が近づいてきていた。


「時間がない」ペドロは銃を構えた。


「終わった!」ユーリは手を引っ込めた。「データは書き換えた」


「バックアップシステムも改変したわ」サラも操作を終えた。「これで彼らは石の力が完全に消滅したと思うはず」


ドアが開き、数人の武装した警備員が入ってきた。


「動くな!」彼らは銃を向けた。


ユーリとサラは振り返り、手を上げた。ペドロも渋々武器を下ろした。


「手遅れだ」ユーリは静かに言った。「もう終わっている」


警備員たちが近づいてきたとき、ユーリとサラは再び顔を見合わせた。二人は微かに頷き、同時に手を握った。


一瞬で、部屋全体が青白い光に包まれた。警備員たちは目を覆い、後ずさった。光が消えたとき、ユーリ、サラ、ペドロの姿はなかった。


「どこに行った?」一人の警備員が叫んだ。


「全フロアを封鎖しろ!」別の警備員が命じた。


しかし、三人はすでに建物を離れていた。彼らは信じられないことに、瞬間移動したのだ。


---


リオデジャネイロから数キロ離れた海岸で、三人は砂浜に現れた。


「何が…どうやって…」ペドロは言葉を失った。


ユーリとサラも同様に驚いていた。彼らは自分たちの能力がそこまで及ぶとは予想していなかった。


「私たち、瞬間移動したの?」サラは自分の手を見つめた。


「そのようだ」ユーリは頷いた。「危険を感じたとき、本能的に反応した」


「どこにでも行けるのか?」ペドロは尋ねた。


「わからない」ユーリは正直に答えた。「おそらく限界があるはずだ。そして、エネルギーも消費する」


実際、二人は急に疲労を感じ始めていた。瞬間移動は彼らのエネルギーを大量に消費したようだった。


「休む必要がある」サラは砂浜に座り込んだ。


彼らは静かな浜辺で休息を取ることにした。夜空には星が輝き、波の音が心地よく響いていた。


「成功したのか?」ペドロは尋ねた。「アウローラの脅威は去ったのか?」


「少なくとも一時的には」ユーリは答えた。「彼らのデータベースには、石の力は完全に失われ、我々の中にも何も残っていないという記録が残っている」


「それで彼らは諦めるだろうか?」


「コスタのような人間は簡単には諦めないわ」サラは心配そうに言った。「でも、少なくとも私たちを追跡する能力は大幅に低下したはず」


彼らは静かに波の音を聞きながら、次の行動について考えた。


「これからどうする?」ペドロは尋ねた。


「私たちの能力についてもっと学ぶ必要がある」ユーリは言った。「それがどこまで及ぶのか、どう制御するのか」


「そして、この力をどう使うべきかも」サラは付け加えた。


彼らの会話は、遠くからのヘリコプターの音で中断された。


「アウローラか?」ペドロは緊張した。


「いや」ユーリは空を見上げた。「別の誰かだ」


ヘリコプターが近づくにつれ、その機体にはアウローラのロゴではなく、別のマークが付いていることがわかった。


「国際安全保障機関だ」サラは認識した。


ヘリコプターは砂浜に着陸し、ドアが開いた。ロイ・ブラックウェルが降りてきた。彼の顔には疲労の色が見えたが、生きていることに三人は安堵した。


「よく見つけたな」ユーリはロイに近づいた。


「君たちからの強いエネルギー信号を感知した」ロイは説明した。「特に、あの瞬間移動の時にね」


「私たちを追跡できるの?」サラは警戒心を示した。


「心配するな」ロイは安心させるように言った。「我々だけがその能力を持っている。アウローラにはできない」


「施設での戦いは?」ユーリは尋ねた。


「激しかった」ロイは認めた。「我々は撤退を余儀なくされたが、多くの情報と人員を救出できた」


「それで、私たちをどうするつもりだ?」ペドロは直接的に尋ねた。


ロイはユーリとサラをじっと見つめた。「それは君たち次第だ。我々は保護を提供できる。そして、能力の理解と制御を手伝うこともできる」


「でも?」サラは疑問を投げかけた。


「しかし、最終的には君たち自身が決めることだ」ロイは真摯に言った。「この力をどう使うかは、君たちの責任だ」


ユーリとサラは顔を見合わせた。彼らは再び、言葉なしで意思を交換していた。


「我々には計画がある」ユーリは静かに言った。


「聞かせてくれ」ロイは言った。


「まず、世界を見て回りたい」サラが説明した。「この力がどこから来たのか、完全に理解するために」


「そして、他にも私たちのような人がいないか探す」ユーリは続けた。「グアラニの血を引く者で、石と繋がりを持つ可能性のある人々を」


「広大な旅になるな」ロイは考え込んだ。


「我々には能力がある」ユーリは自信を持って言った。「それを使って、謎を解き明かし、そして最終的には…」


「最終的には?」


「世界を守るために使いたい」サラは決意を込めて言った。「父と母が望んだように」


ロイは長い間二人を見つめ、やがて頷いた。


「我々は必要な時に援助を提供する」彼は約束した。「そして、アウローラの動きも監視し続ける」


「ペドロは?」ユーリは老人を見た。


「私はもう若くない」ペドロは微笑んだ。「冒険は若者に任せよう。私は村に戻り、静かに余生を過ごそう」


「いつでも会いに行くよ」サラは言った。


「知っているさ」ペドロは頷いた。「君たちは今や、どこへでも行ける」


翌朝、彼らはロイの施設で計画を立てていた。地図が広げられ、ユーリとサラは最初の目的地について話し合っていた。


「まずはグアラニの古い聖地へ行くべきだ」サラは提案した。「母の日記には、他の石の存在についての言及があった」


「他の石?」ロイは驚いた。


「ピエドラ・ネグラは一つではなかったかもしれない」ユーリは説明した。「父のノートにも暗示があった。世界の異なる場所に、同様の力を持つ石が存在する可能性がある」


「それなら、我々の情報網を活用しよう」ロイは提案した。「世界中の古代遺跡や、異常なエネルギーが報告されている場所について情報を集めることができる」


彼らは南米から始め、次にアフリカ、アジア、そして北極圏へと広がる計画を立てた。それは数ヶ月、あるいは数年かかる大きな探求になるだろう。


「一つ気になることがある」ロイは慎重に言った。「君たちの能力の限界だ。どこまで制御できるのか?」


「まだ完全には理解していない」ユーリは認めた。「時々、感情が高ぶると制御が難しくなる」


「それが私の心配だ」ロイは言った。「大きな力には大きな責任が伴う」


「私たちは気をつけるわ」サラは約束した。「そして、互いを助け合う」


その夜、ユーリとサラはテラスで星空を眺めていた。明日から彼らの新たな旅が始まる。


「信じられないね」ユーリは言った。「数週間前、僕はモスクワの翻訳者だった。そして今は…」


「超能力を持つ世界旅行者ね」サラは微笑んだ。「人生は予測不可能よ」


「父と母は、僕たちがこうなることを知っていたのかな?」


「たぶんね」サラは星空を見上げた。「彼らは道を示してくれた。あとは私たちが歩むだけ」


「少し怖いよ」ユーリは正直に言った。「この力、この責任」


「私も」サラは兄の手を握った。「でも、一人じゃないわ。私たちには互いがいる」


「そうだね」ユーリは妹を見つめた。「もう二度と離れ離れにはならない」


彼らの間に流れるエネルギーが強まり、青白い光が二人を包み込んだ。それはもはや脅威ではなく、彼らのアイデンティティの一部となっていた。


翌朝、ユーリとサラは最小限の荷物だけを持って旅立った。彼らはロイとペドロに別れを告げ、手を繋いだ。


「準備はいい?」ユーリは尋ねた。


「ええ」サラは頷いた。「新しい冒険の始まりね」


彼らは集中し、目的地をイメージした。一瞬で、二人の姿は青い光に包まれ、消えた。


彼らの旅は始まったばかりだった。そして、それは単なる場所の探索ではなく、自分たち自身の可能性と、彼らが受け継いだ遺産の探求でもあった。


ジャングルの奥深くで始まった物語は、今や世界中へと広がろうとしていた。


## 第9章:絆の芽生え


アンデス山脈の高地、ペルーとボリビアの国境近く。空気は薄く、風は冷たかったが、太陽の光は強烈に大地を照らしていた。そこにある古代の石の祭壇の前に、ユーリとサラは立っていた。


「ここが最初の場所ね」サラは石の構造物を調査しながら言った。「母の日記によれば、このティワナク遺跡には、ピエドラ・ネグラと同じエネルギーを持つ石があるはず」


ユーリは周囲を見回した。雄大な山々を背景に、かつて栄えた古代文明の痕跡が広がっていた。石造りの建物、精巧に彫られた門、そして謎めいた彫刻。


「驚くべき場所だ」ユーリは感嘆した。「何千年もの歴史を感じる」


彼らは能力を目覚めさせてから三週間が経過していた。その間、南米の様々な遺跡や聖地を訪れ、石のエネルギーについての手がかりを集めていた。彼らの能力は日に日に成長し、制御も容易になってきていた。


サラは祭壇の表面に手を置いた。彼女の指から青い光が石に流れ込み、石の表面に古代の模様が浮かび上がった。


「ここだわ」彼女は興奮した声で言った。「エネルギーの痕跡を感じる」


ユーリも祭壇に近づき、手を置いた。彼も同様にエネルギーの流れを感じた。しかし、それはピエドラ・ネグラとは少し異なっていた。


「これは…違う」ユーリは眉をひそめた。「同じような力だけど、異なる性質を持っている」


「そう感じるわ」サラは同意した。「ピエドラ・ネグラが記憶に関連していたなら、これは…」


「時間」ユーリは直感的に言った。「これは時間に関連したエネルギーだ」


彼らは祭壇に集中し、その力を探った。すると、彼らの意識が広がり、過去の映像が流れ込んできた。古代のティワナクの都市、儀式を行う祭司たち、そして星を観測する天文学者たち。


「彼らは時間を測定していた」サラは映像を見ながら言った。「太陽と星の動きを使って、驚くほど正確に」


「そして、この石が彼らを助けていた」ユーリは付け加えた。「それは過去と未来への窓だったんだ」


彼らは手を離し、映像は消えた。しかし、彼らの中にはその記憶が残っていた。


「石のネットワークだったのね」サラは理解した。「世界中に散らばる異なる力を持つ石のネットワーク」


「そして、それらの力は…選ばれた人々に受け継がれた」ユーリは続けた。「私たちのように」


彼らはさらに遺跡を探索し、古代の碑文や象徴を調べた。それらの多くは、彼らの新たな能力によって読み解くことができた。碑文は世界中に存在する七つの石について語っていた。それぞれが異なる要素—記憶、時間、生命、エネルギー、物質、精神、そして調和—に関連していた。


「ピエドラ・ネグラは記憶の石」ユーリは理解した。「だから私たちは記憶を見たり共有したりできる」


「そして、ここティワナクの石は時間の石」サラは付け加えた。「だから私たちは過去の映像を見ることができたのね」


彼らが碑文を読み進めると、もっと驚くべき発見があった。


「ここに書いてある」サラは石板を指さした。「『選ばれし双子たちが石の力を受け継ぐとき、分断された力は再び一つとなり、新たな時代が始まる』」


「私たちのことを予言していたのか?」ユーリは驚いた。


「それとも…他の双子たちがいるのかしら」サラは考えた。「他の石の力を受け継いだ双子が」


日が暮れ始め、彼らは近くの小さな村に宿を取った。シンプルな宿だったが、彼らには十分だった。彼らは今や物質的な快適さにあまりこだわらなくなっていた。


夕食後、二人は小さな暖炉の前で今日の発見について話し合っていた。


「次はどこに行く?」ユーリは尋ねた。


サラは地図を広げた。「碑文によれば、生命の石はアマゾン深部にあるはず。そして、エネルギーの石はアフリカの東部に」


「広範囲だな」ユーリは考え込んだ。「すべての石を見つけるのは、かなりの時間がかかりそうだ」


「時間はあるわ」サラは微笑んだ。「それに、瞬間移動できるしね」


彼らは能力をさらに向上させていた。今では、より長い距離を移動でき、エネルギー消費も少なくなっていた。また、テレパシー能力も強化され、数キロ離れていても互いの思考を感じ取れるようになっていた。


「アウローラの動きは?」ユーリは心配した。


「ロイからの最新情報では、彼らは活動を縮小しているみたい」サラは言った。「データベースの改ざんは成功したようね。彼らは石の力は消滅したと信じている」


「コスタはどうだ?」


「彼はまだ疑念を持っているらしいけど、証拠がないから何もできないのよ」


彼らは安堵のため息をついた。少なくとも当面は、追われる心配はなさそうだった。


「明日は?」ユーリは尋ねた。


「アマゾンに戻りましょう」サラは提案した。「生命の石を探す」


---


アマゾンのジャングル、三日後。湿度は高く、蚊の大群が彼らを取り囲んでいたが、ユーリとサラは不思議と苦にしていなかった。彼らの体は環境に適応し、不快感を感じにくくなっていた。


彼らは古い地図と碑文の情報を頼りに、伝説の「生命の石」を探していた。それは「永遠の若さの泉」の伝説の起源とも言われていた。


「ここから北に約2キロのはず」サラは地図を見ながら言った。


彼らはジャングルの中を進み、やがて小さな滝にたどり着いた。その下には澄んだ池があり、周囲には不思議なほど豊かな植生が広がっていた。


「生命力を感じる」ユーリは周囲を見回した。「ここの植物は、他の場所よりも生き生きとしている」


彼らは池に近づき、その水面に映る自分たちの姿を見た。ユーリは水に手を浸した。


「温かい」彼は言った。「そして…何か流れるものがある」


サラも手を水に入れた。すると、池全体が淡い緑色の光で輝き始めた。


「生命の石はここにある」彼女は確信した。「池の底に」


二人は顔を見合わせ、頷いた。彼らは服を脱ぎ、池に飛び込んだ。水は驚くほど透明で、底まで見通すことができた。そこには大きな緑色の石が埋め込まれていた。


彼らは潜って石に触れた。すると、信じられないことが起きた。彼らの体が緑色の光に包まれ、全身に温かいエネルギーが流れ込んだ。彼らは水中で呼吸できることに気づいた。


「信じられない」ユーリの声がテレパシーで伝わってきた。


「生命の力ね」サラも同様に答えた。


彼らは石から新たな能力を吸収していた。生命のエネルギーを感じ、操る能力。それは治癒や成長に関連していた。


水面に戻ると、彼らは新たな感覚に圧倒された。周囲の植物や動物の生命力が、色鮮やかなオーラとして見えるようになっていた。そして、彼ら自身の体も変化していた。小さな傷や疲労が消え、完璧な健康状態になっていた。


「これが生命の石の力」サラは自分の手を見つめた。「治癒と再生」


彼らは池の周りの植物を観察した。サラが枯れかけた花に触れると、それは見る見るうちに生き返り、鮮やかな色を取り戻した。


「この力は…素晴らしい」彼女は感動した。


「でも、責任も伴う」ユーリは考え込んだ。「生と死のバランスを崩すことになりかねない」


彼らは生命の石について学べるだけ学び、その力を尊重することを誓った。そして、次の目的地へと向かう準備を始めた。


「アフリカのエチオピア高原」サラは言った。「エネルギーの石がある場所よ」


彼らは手を繋ぎ、目的地を思い描いた。青い光が彼らを包み込み、一瞬で彼らの姿は消えた。


---


数週間が過ぎ、ユーリとサラは世界中を旅し、四つの石の力を吸収していた。記憶、時間、生命、そしてエネルギー。彼らの能力は増大し、理解も深まっていた。


彼らは今、アジア、チベット高原の神秘的な洞窟にいた。そこには「精神の石」があるとされていた。


洞窟は狭く暗かったが、彼らの強化された視覚で進むことができた。奥へと進むにつれ、壁には古代の壁画が現れ、瞑想する人々や宇宙の秩序を表す図形が描かれていた。


「ここで多くの修行者が悟りを開いたのね」サラは壁画を見ながら言った。


「石の力を借りてね」ユーリは付け加えた。


彼らは洞窟の最奥部にたどり着いた。そこには小さな祭壇があり、その上に紫色に輝く石が置かれていた。


「精神の石」ユーリは畏敬の念を込めて言った。


彼らは石に近づき、同時に触れた。瞬間的に、彼らの意識は肉体から解放され、より高次の次元へと上昇した。そこでは、時間と空間の概念が溶け、すべてが一つに繋がっているように感じられた。


彼らは宇宙の壮大さと、その中での自分たちの小ささを同時に体験した。すべての生命との繋がり、過去と未来の糸、そして無限の可能性。


意識が肉体に戻ったとき、彼らは変わっていた。目には新たな理解が宿り、心には深い平穏があった。


「私たちはすべてに繋がっている」サラは静かに言った。


「そして、その繋がりこそが私たちの真の力の源だ」ユーリは理解した。


彼らは洞窟を出て、星空の下で瞑想した。新たに得た精神の力は、他のすべての能力を調和させ、制御する鍵となった。


---


アフリカのサバンナ、夕暮れ時。ユーリとサラは小さなアカシアの木の下で休んでいた。彼らは「物質の石」を探す旅の途中だった。


「ロイからメッセージが来ているわ」サラは彼らの特別な通信装置を確認した。


「何だって?」


「アウローラに動きがあるみたい」彼女は心配そうに言った。「コスタは私たちの追跡を再開した。彼は私たちが石の力を保持していると確信しているらしい」


「証拠はあるのか?」


「まだないけど、彼は世界中の異常現象を調査しているわ。私たちの移動が痕跡を残している可能性がある」


ユーリは顔をしかめた。「気をつけないとな。もっと慎重に行動する必要がある」


彼らは物質の石を見つけるため、更に旅を続けた。それはカラハリ砂漠の奥地、古代の洞窟にあるとされていた。


砂漠の厳しい環境も、彼らにとってはもはや脅威ではなかった。生命の石の力で、彼らは極端な環境に適応できるようになっていた。


洞窟に到達すると、彼らは驚くべき光景に出会った。洞窟の壁は鉱物で覆われ、虹色に輝いていた。奥には茶色の石があり、それは地面と一体化しているようだった。


「物質の石」サラは石に近づいた。


彼らが石に触れると、新たな能力が流れ込んできた。物質の構造を理解し、時に変化させる能力。岩を砂に、砂を結晶に変える力。


「物質の本質を理解できる」ユーリは手の中の小石を見つめた。それは彼の意志で形を変え、小さな彫像になった。


「六つの石の力を手に入れた」サラは言った。「残るは一つ。調和の石」


「それはどこにあるんだ?」


「碑文によれば、『すべての始まりの地』にあるはず」


彼らは古代の文献を調べ、「すべての始まりの地」について考察した。それは人類の発祥の地を指す可能性があった。


「アフリカの大地溝帯」ユーリは推測した。「人類の最古の遺跡がある場所」


彼らは東アフリカへ向かう準備を始めた。しかし、その前に、彼らは獲得した能力について深く考える時間を取った。


---


タンザニアのセレンゲティ国立公園近く、彼らは小さなキャンプを設営していた。星空が壮大に広がる夜、二人は火を囲んで座っていた。


「私たちはこの力をどう使うべきだろう」ユーリは火を見つめながら言った。


「父と母が望んだように、世界を守るためよ」サラは答えた。


「でも、どうやって?」ユーリは続けた。「私たちには人々の人生に介入する権利があるのか?」


「難しい問題ね」サラは認めた。「私たちの能力は大きな影響を与える可能性がある。だからこそ、慎重に使わなければならない」


彼らはしばらく黙って考えていた。


「私は思うんだ」ユーリはやがて口を開いた。「この力は解決策を強制するためではなく、人々が自ら解決策を見つけるのを助けるために使うべきだと」


「賛成よ」サラは頷いた。「私たちは導き手であるべき。支配者ではなく」


彼らの会話は、突然の物音で中断された。二人は即座に立ち上がり、暗闇を見つめた。


「誰かいる」ユーリは警戒した。


「三人…いや、四人」サラは精神の力で感知した。


彼らは防御姿勢を取ったが、現れたのは予想外の人物だった。


「ロイ?」ユーリは驚いた。


ロイ・ブラックウェルが三人の若者を連れて現れた。二人の男性と一人の女性、いずれも20代前半に見えた。


「邪魔して申し訳ない」ロイは言った。「しかし、彼らをあなたたちに会わせる必要があった」


「彼らは誰?」サラは尋ねた。


「私たちのような人たち」三人の中の一人、背の高い青年が一歩前に出た。「石の力を受け継いだ者たちだ」


ユーリとサラは驚きの表情を交換した。


「あなたたちも?」


「私はマルコ」青年は自己紹介した。「これはマリア、そしてジョナサン。私たちは南米のインカの子孫で、『調和の石』の守護者だった」


「調和の石?」サラは興奮した。「私たちが探していた最後の石よ」


マルコは頷いた。「我々はその力を受け継いだ。そして、あなたたち双子を探していた」


「どうやって私たちのことを?」ユーリは尋ねた。


「調和の力は他のすべての石と繋がっている」マリアという若い女性が説明した。「あなたたちが石の力を目覚めさせるたびに、私たちはそれを感じた」


「そして、ロイの組織が私たちを見つけてくれた」ジョナサンが付け加えた。


「彼らは数ヶ月前に私たちの監視網に引っかかった」ロイは説明した。「彼らもアウローラに追われていた。彼らの話を聞いて、すぐにあなたたちに会わせるべきだと思った」


「碑文にあった『選ばれし双子たち』」サラは思い出した。「それは私たちのことだったのね」


「そして、私たちの使命は何?」ユーリは尋ねた。


マルコは真剣な表情で答えた。「七つの石の力を一つに統合すること。そして、それを使って世界の均衡を回復すること」


「具体的には?」


「それを見つけるのが私たちの次の旅だ」マルコは微笑んだ。「一緒に行かないか?」


ユーリとサラは顔を見合わせ、言葉なしで合意した。


「行こう」ユーリは手を差し出した。


マルコがその手を取ると、彼らの間に小さな光の輪が形成された。調和の力が、彼らを繋ぎ始めていた。


新たな仲間との出会いは、彼らの旅に新しい次元をもたらした。彼らはもはや二人きりではなかった。共に力を持ち、共に世界を守る使命を持つ仲間がいた。


その夜、キャンプファイアを囲んで、彼らは互いの物語を共有した。ユーリとサラは父と母の研究、ピエドラ・ネグラの封印、そして世界中の石を探す旅について語った。マルコたちも同様に、インカの守護者としての彼らの歴史と、調和の石の力について語った。


「私たちの先祖は、石の力が悪用されることを恐れていた」マルコは説明した。「だから、世界中に分散させ、様々な文化の守護者に託した」


「そして今、その力が再び集まろうとしている」マリアが言った。「世界が危機に瀕しているから」


「どんな危機?」ユーリは尋ねた。


「地球のエネルギーバランスの崩壊だ」ジョナサンが答えた。「人間の活動による環境破壊、そして…より深い次元での乱れ」


「アウローラもその一因?」サラは疑問を投げかけた。


「彼らは症状の一つに過ぎない」マルコは答えた。「真の問題はもっと深い。人類と地球の繋がりの喪失だ」


彼らは夜通し話し合い、次の行動計画を立てた。調和の石の力を共有し、七つの力を統合して、世界の均衡を回復するための方法を探ること。


朝が近づくにつれ、彼らの間には新たな絆が生まれていた。彼らはもはや単なる知り合いではなく、共通の使命を持つ家族のようだった。


「新しい旅の始まりだね」ユーリはサラに微笑みかけた。


「ええ」サラは頷いた。「そして今度は、私たちだけじゃない」


東の空が明るくなり始め、新しい日の到来を告げていた。彼らの前には未知の道が広がっていたが、もはや恐れはなかった。彼らには力があり、仲間がいた。そして何より、彼らには明確な目的があった。


世界を守るという、親から受け継いだ使命を果たすために。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ