弍の夜 「嘘は罪か」
むかあしむかし、瓜姫というかわいらしいおなごがおりました。瓜姫はおじいさんとおばあさんにめっぽう大事に育てられ、鴬のように美しい歌声で歌い、鶴のように美しく機を織って静かに暮らしておりました。
ある日、おじいさんとおばあさんが町に下りて、瓜姫がひとりで留守をしておるところに、ひとりの子供がやってきはりました。同じ年頃の遊び相手のいなかった瓜姫は、その子と一緒に遊ぶことにしました。瓜姫はその子供に尋ねます。
「お前様は、名をなんと申すのですか?」
「名などない、その昔はあったような覚えもあるが、永いこと呼ばれもせんで忘れてしもうた。」
「名のない人など初めて見ました。それでは名無しの権兵衛さんでございますね。」
「おんしはなんと申すのじゃ。」
「わっちは瓜と申します。」
「ではわしも瓜がよい。」
「瓜はじい様とばあ様につけていただいた、大事なわっちの名でございます。」
「そうか、ならわしは名無しの権兵衛でよい。」
二人は一緒にお手玉をしたり、鞠をついたりして遊んでおりましたが、やがてふと子供がぽつりと言いました。
「やっぱりわしも瓜がいいのう。」
子供は瓜姫に木登りをしようと言いました。おじいさんとおばあさんから、危ないから登ってはいけないよと言われていた瓜姫でしたが、じい様もばあ様も居ないうちなら怒られはしないと言われたので、一度はやってみたかった瓜姫は木に登ってみることにしました。
木に登ってみると、お山の下の町まで見えて、それはそれは美しい景色が広がっていました。一緒に登ろうと声をかけて子供の方を見てみると、子供はにいっと笑って、物凄い怪力で木をへし折ってしまいました。子供は天邪鬼という鬼だったのです。
木から落ちた瓜姫は、痛みで悲鳴も上げることができず、鬼を見ていることしかできませんでした。鬼はそんな瓜姫の首を掴み、ぽきりと折って殺してしまいました。そうして殺した瓜姫の着物を剥いで、皮を剥いで、鬼は剥いだ皮と着物で自分を着飾りました。瓜姫であったものは、焼いて畑に蒔きました。
「これでわしも瓜姫じゃ。」
瓜姫となった鬼は、おじいさんとおばあさんに大事に育てられました。めでたし。
なあにがめでたいものか。子供に読み聞かせていいような話でもありやあしんせん。
うちはこのお噺を知りやあしませんでしたが、瓜と名付けられてから、ふと気になって読んでみましたら、こんなに残酷なお話でありんしたかとびっくりしたものです。そしてなによりうちの正体を見透かして、瓜と名を付けたとは思うてはおりやあしませんが、これではあまりにうちがこのお噺の、天邪鬼がそのままにありませんか、と。
名は体を表すとはよくおっしゃりますが、鬼が人に近づくときに名を付けてもらうのは、その存在を強くするため。このお噺の鬼も、人になりたいがために皮や着物で自分を着飾っていたのでござんしよう。うちは子供の皮を剥ぐような残酷なことをするほど、心まで鬼になってはおりませんでしたが、騙したということでは、後ろめたい気持ちがないわけでもありはしませんで、やはり自分も鬼なのだと、邪鬼に違いないのだと。
嘘は泥棒の始まり。嘘も方便。鬼にとっては、嘘は鬼の始まりにして鬼の生きる術。成仏するという意味では、死ぬる術というたほうがよろしいか。では人にとっては、嘘とはなんのためにあるのでござんしような。
「婆さん、いつまで居座ってるつもりなんですかね。」
珍しく我が家の台所からは焼いた魚や、味噌汁の良い匂いが漂っていた。もちろん瓜が飯を作ったりするわけがないし、俺も大して食に関しては頓着がない。ではなにゆえにこんなことになっているかというと、こうして一緒に食卓を囲んでいる煙草屋の婆さんが原因なのだが。
「何を馬鹿言ってんだが、若ぇもんが娘っ子ど二人で住んでで、まんまひとづ炊がねぇで。若ぇがらって世のものばっかり食って、飯炊きぐれぇやんねげ将来話になんねぇべっちゃ。」
ごりごりの東北訛りで話す婆さんの気迫に負けて、瓜ですら食卓にちょこんとつかされている。
事のはじめは今日の朝、煙草をせがむ瓜にずるずると引かれて煙草屋まで来た時のこと。俺の顔を見た婆さんが目を丸くして、子持ちだったのかと騒ぎ立てたところから始まった。もちろん俺は否定したが、瓜を指差して喚く婆さんを見てどうしたものかと頭を抱えた。
婆さんは瓜の細い腕や白い肌を見てちゃんと飯を食わせているのかとまくし立てて、その腕を引いたままどかどかと我が家の台所まで来て、冷蔵庫を開けてはまたなんやかんやと騒いで出ていき、食材の入った袋を大量に抱えて戻ってきて、勝手に飯の支度を始めて今に至る。
問題は俺が子持ち扱いされて、酒や肴や煙草ばかりに浪費して、挙句娘に大した飯も食わせないでいると思われていることじゃあない。婆さんに瓜が見えていて、触れられるということが問題なんだ。
「あんだも冷める前にちゃんと食べな。若ぇ娘がそんな女郎みでぇな格好して。」
瓜は何か言おうとしたのか口をぱくぱくさせながら手をはらはらと動かしたが、諦めたのかその手で箸を持ち上げた。その様子を見て不安と興味で頭がごちゃまぜになったが、鱈の身を口に運んで目を輝かせた瓜を見て、徒労だったと安堵した。
「ばあ様、お料理がお上手なんどすなあ。」
「あんれまぁ綺麗な声で、京都がら来たのが?」
「住んで長いんはこちらのほうなので、たまあにいろんな言葉が混ぞうてしまっておりますが。」
談笑するふたりを見ながら俺も飯に手をつける。たしかに旨いが、今は正直それどころではない。
「婆さん、最近何か体壊したりとかしてないか?なんとなくだが…顔色が良くなさそうに。」は見えない。
「あんだ達よりよっぽどおらの方が元気だ。」
「いやまぁ歳も歳だし、ちゃんと一回病院で診てもらった方がいいんじゃないか。」
「年寄り扱いするんじゃないよ馬鹿者が。」
自分でも苦しいとは思いつつ、そんな事を言ってしまう。鬼は死に近い者にしか視えない、鬼である瓜が視えているということはつまり、死に近い者であるということだ。もちろん何らかの病気である可能性もあるが、寿命ということもあるし、事故ということもある。鬼が視えるからといってどんな死に方をするかわからないのだ。しかし死なないということは、ほとんどない。少なくとも俺たちが関わってきた者達はその例に漏れたことはない。あまり他人と深く関わらないようにしているのはこういうことがある可能性を少しは感じていたからだ。婆さんには長生きしてもらいたいと常々思ってはいたが、突然瓜が視えるようになってしまったことには疑問が浮かぶし、納得がいかない。そんな俺を見て瓜が箸を置いて話し出す。
「ばあ様、正直に申し上げて、ばあ様にあんまり良くない相がでていらっしゃると、当主はんはおっしゃりたいんでありんす。こう見えて、ご立派な占い師でござりますゆえ。」
「そうなのがい?んでもあんましそういうのは信じでねぇがらなぁ。」
「なんでしたら、一度ちゃんと占うてみまして、それでもやっぱり当主はんが納得しはらないようでしたら、医者に診てもろうた方がよろしいと、うりも思います。ばあ様にはお元気でおってもろうて、またこんな美味しいごはんを作ってもらいたいものです。」
鬼の口から説法を聞いている気分だが、俺もまぁ同じような気持ちではある。婆さんは口は悪いが人としては悪い人間ではない。
「わがった、あんだがそこまで言ってくれんなら、近ぇうちに一応行ってみっからな。」
瓜の手を握って言う婆さんの姿を見て、俺は少し思うことがあったのだった。
「さて、これからどうしたもんかな。」
婆さんが帰って暫くした夜、俺と瓜は店で煙草を吸いつつ頭を抱えていた。
「身近な者の死を見んように、あんまり関わりを持たへんようにしてまいりましたが、いざこのようになってしまうと、どうしたもんかと悩んでしまいますなあ。」
「婆さんが自分の病に気付いていなかっただけとか、いっそ寿命と言われた方がよっぽどましなんだがなぁ。」
「一飯の恩人に向こうてひどい言い様どすなあ。」
瓜はくすくすと笑ってはいるが、今回ばかりはあまりいい気分とは言い難そうだ。
「問題はやはり事故や事件の方だった場合だ。そうは言っても、はたして僕達に何ができるのか。」
「ばあ様に暗示をかけるわけにはいかないんどすか?」
「暗示といっても危機を回避させるように操ったり、行動を制限できるわけじゃない。夢は夢、その中身を僕自身が知るすべはないし、その人自身の欲を自覚させてあげているに過ぎない。」
言っていて、正直お手上げ状態なのを自覚してしまった。ため息を吐きつつ、もう一本煙草に火を点ける。その様子を見て瓜は何かに気付いた。
「ばあ様の死は恐らく、その結果をうりたちがどうこうできる範疇ではないと思うのはうりもおんなじでありんす。ですが、ばあ様がどのように死にたいかは知ることができますし、それを叶えてさしあげることはうりたちの仕事ではないかと。」
瓜は立ち上がって俺に近づき、咥えた煙草を取り上げた。
「ばあ様の今生の願い、『欲』はいったいどこにあるのか、気になりはしはりませんか、当主はん。」
俺から奪った煙草をふかして、瓜はにやりと笑った。
二十年以上前に息子が東京へ行ったきり、盆も彼岸も正月も、全く顔を見せにもこないまま。爺さんが死んだ時だって、帰ってくることはなかった。それからずうっと独りで暮らしていたが、やっぱり寂しいもんで、爺さんが遺した煙草屋を再開した。あんまり客が来ることもないが、この商店街では煙草屋の口の悪い世話焼き婆さん、なんて呼ばれるようになった。口が悪いと言われることはその通りだと思っているし、「婆さんまだお迎えこないのか」なんて、笑って冗談を言われることも嬉しかった。
少し変わったのは三年前、いつの間にやらできた路地裏の占い屋。そこの辛気臭い顔をした店主がふらっとやってきて、大して口も開かないが、煙草を買っていった。決まっていつも違う銘柄を二つ頼んで、毎度どうもなんて言いやがってね。まったくこっちの台詞だってんだよ。
ある朝店の前を掃除していた時、ふっと黒い影が横を通っていった。なんだろうと振り返ると、椿柄の綺麗な黒い着物に、真っ白な髪に彼岸の花の簪を挿したそれはまぁめんこいお嬢さんが歩いていた。椿に彼岸だなんて、縁起が悪いという人もいそうなもんだけど、その時はただ美しいとだけ思ったのを覚えている。
それからひと月ぐらい経った最近になって、あの辛気臭い店主がそのお嬢さんを連れて店に来たんで、そりゃあもう驚いたってもんだ。娘がいたのかなんて冗談を言ったら、あの辛気臭い店主がわたわた慌てて面白いんで、理由をつけて面倒を見てやりたくなっちまった。喋ってみたらお嬢さんの方もほんとに可愛らしくて、綺麗な声で、優しくて、孫がいたらこんな子に育っていて欲しいもんだと思った。
でももうね、本当は自分でもわかってはいるんだよ、先が長くはないんだろうってね。それを知るのが怖いから、医者に診てもらうなんてこともしなかったんだよ。でもお嬢さんが、あんまり優しく言ってくれるんで、結局はこうして病院の床に寝ているんだろうね。ありがとうね。
ふと遠くで声が聞こえて、うっすらと、ゆっくりと、目を開けてみると、だんだんとはっきり声が聞こえるようになってきた。
「婆さん、死にぞこなったみたいだな。」
そう笑って言うと俺は看護婦に頭をひっぱたかれた。そんな俺を押しのけて、荻野月美は婆さんにすがって泣いていた。
仙台の銘菓みたいな名前のこの女は、婆さんの孫だ。俺が婆さんの親類縁者について方々調べて辿り着いたのがこの女だった。
二十年以上も前に東京に行った息子は、そこで結婚し子を成していた。しかしその後ほどなくして事故で亡くなってしまったそうだ。それからしばらく母と二人で暮らしていた月美だったが、母の再婚と大学進学を機に、父の地元へ帰ってきていたのだ。祖母との面識はなかったが、会えるのならば会いたいと思うのが人情というものだろうか。
「おばあちゃん、私、おばあちゃんの孫だよ。」
月美が婆さんの頬を撫でながら言うと、婆さんは静かに涙を流して言った。
「そうかい、あんだの名前は、なんて言うんだい。」
俺はそこで病室を後にした。
婆さんの病気は大腸癌だった。早期発見とは言い難いが、まだ治療の見込みがあるということだった。もし気付かずにそのまま放置していれば、まぁあまり喜ばしくはない結果となっていただろう。治療費に関しては、しばらくは心配する必要もないとは思う。代わりと言ってはなんだが、俺の酒代が少し減っただけだ。
病院を出てしばらく歩くと、商店街の曲がり角に瓜が立っていた。病院は死に近いものがたくさん存在するので、瓜は近付かない方がいいといって店に残っていた。
「ばあ様、どないでしたん。」
「まぁしばらくは大丈夫そうだよ、何かあればこっちにも連絡をくれるように頼んでおいたし。」
店に帰りながらそんな話をしていると、ふと瓜が立ち止まった。
「ひと月前にここで、ばあ様と初めて会うたんどす。」
周りを見るとそこは婆さんの煙草屋の前だった。瓜は外に出ることは全くないわけではないので、初めてという言葉を少し疑問に思ったのだが。
「ここを通った時、ばあ様を見かけて、ああこん人がいっつも当主はんやうりがお世話になってらっしゃる方なんですなあと思うて、軽うく会釈をして通り過ぎたんですが、ばあ様そんときから、うりのことがううっすらと視えてしもうていたようで。」
「あぁ、だからなんとなく病を疑っていたのか。」
瓜は目を閉じて頷く。
「いつものことでしたら、そうそう気にすることではありはしまへんが、やはり気にはなってしまっていたようで、少しばっかり占いを。そうしてあの日、当主はんを引っ張っていったのでありんす。」
瓜の占いはよく当たる。未来を視ているといっても過言ではないぐらいだ。あまり自分のために占うのはよくないと普段は言って、俺のことや瓜自身のことを占ったりはしないのだが、今回は瓜にとっても特別だったようだ。
「孫のことも占いで知ったのか?」
「いいえ、お孫はんのことなんてうりはなあんにも知りやあしまへんでした。ただふっと、ちょおとだけ昔噺を思い出して、思い立っただけでありんす。」
「昔噺?」
「ええ、当主はんはご存知でありんすか?天邪鬼も、本当はばあ様に可愛がられたかっただけなんどすえ。」
婆さんの煙草屋はそれからしばらく休業していて、多少不便に思いながらとぼとぼ歩く生活を送っていたのだが、やがて再開した。孫の月美が後を継ぐようだ。買い出しに出た時に煙草屋の前を通りがかったら、背中をばしっと叩かれて、振り返ると長髪を金髪にして、婆さんの仕事着であるスカジャンを羽織った月美が笑顔で立っていた。なんだろう、様にはなっているんだが、なんとなくそう、好みではないというか、初めて会った時の印象の方が良かったというか。
「似合ってるでしょ?」
そんなに嬉しそうに笑顔で言われると皮肉も言いにくくなりそうで。
「まぁ、似合ってるんじゃないか。」
と、俺は少し嘘をついた。




