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空想妓楼 悪鬼人-あきんど-  作者: 桜路 葵
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壹の夜 「人と鬼」

 鴬の声が聞こえる。ということはきっと、眠っているうちに春になってしまったんだろう。そんな面白くもない冗談が出るぐらい僕は毎日床から外を眺めるためだけに生きている。それでは本当に生きているというのだろうか。ふたつ隣の屋敷の名前も知らない女の子が友達と遊んでいる声が聞こえる。同じぐらいの歳かも知れない。顔も知らないけど、僕がもっと元気な体に生まれていれば一緒に遊んでいたかもしれない。きっと僕はこれからも誰ともかかわらずに外の景色を眺めるだけで、そしてそのうち何もわからないまま死んでしまうんだろう。こんなに理不尽なことがあるのだから、きっと神様も仏様もいないんだろう。もし天国や極楽浄土があって神様や仏様がいるのなら、こんな仕打ちはしないだろう。何かひとつぐらい良い事があってもいいだろう。そう思ったら悔しくて、情けなくって、羨ましくて、腹立たしくて、気付いたら僕は泣いていた。

「あんたはいつでも泣いてはりますなあ。」

 声に驚いて顔を上げると、いつの間にか縁側に女の人が座っていた。椿模様の黒い着物に、雪のような肌と絹のように美しい白い髪、後ろできゅっと結わえたところに映えるように彼岸の簪が咲いている。その髪の隙間から夏の終わりに庭に実った鬼灯のように、真っ赤で綺麗な瞳がこちらを見ていた。

「泣いてなんかねえ。」

 泣き顔を見られたことが恥ずかしくて、着物の袖で目をごしごしと拭ってそう言うと、女の人は驚いたような顔をしてから少し目を逸らして、それから僕を見て小さく笑った。

「おやまあ男の子やねえ。ほんでも綺麗な目えがお天道はんみたいに真っ赤っかになってしまうから、ほないに拭ってもうたらあきまへんよ。」

 この辺りではあまり聞き慣れない京の言葉みたいだけど、鈴の転がるようなその声を聞いていると、母様が生きていたならこんなに優しい声だったのだろうと思って安心した。

「ねえ様は京からきたの?お客さん?」

 家は代々呉服の商いをしているからというのと、まるで花魁さんのような綺麗な着物を着ていたので思わずそう言った。でも女の人はゆっくり髪を横に揺らしただけで、僕にこう問うた。

「なにゆえに泣いてはりますの?」

 その目があまりに綺麗で優しかったから、虚勢を張って笑われるより話を聞いてもらいたくなってしまった。

「僕は体が弱えから、そのうちきっと死ぬんだ。かあ様もおんなじ病気で死んだってじい様が言ってた。」

「死ぬんが恐くて泣いてはったんどすか?」

「死ぬのは誰だって恐えべ。んだけど死ぬよりも独りで居るのが恐え。」

 死んでしまうことよりも、生きていたとしても、友達もいなくずうっと独りでいることの方がよっぽど恐いと思った。すると女の人はゆっくり近づいて、僕の頭を撫でてくれた。

「死ぬんを恐れてはあきまへんよ、そんな人のところには鬼が寄ってきてしまいます。」

「鬼なんてお噺の中にしかいねえべ。」

 それを聞いた女の人は少し悲しそうに笑ってこう言った。

「独りでおるんがさびしいんなら、うちが側で話の相手になりましょか。ほうしたら少しはあんたの泣き虫も治るかも。」

 泣き虫呼ばわりに少しむっとしたけど、優しい声と優しい目に僕は頷いてまた少し泣いた。女の人はずっと頭を撫でてくれた。

「ねえ様の名前はなんていうの?」

「さあて長いことそんなもの呼ばれてまへんから、名前なんぞ覚えておりまへんなあ。」

「自分の名前がわかんねえ人なんているか?」

「あんたの目の前におりますなあ。」

 ころころと笑う顔を見ながら、この人は少しひねくれているか、たんにいじわるな人なのかなと思った。

「あんたがうちに名前をつけてくれはりますか?」

「僕が?」

 人に名前をつけたことなんてない。ぽちだのみけだの動物につけるのとはわけが違う。僕はううんと唸りながらなんやかんやと考えた。ひとしきり考えたあと、女の人の顔を見てはっとひとつ思いついた。

「ねえ様はまるで、ばあ様から聞いたお噺に出てくる瓜姫様みてえだ。」

「あらそれはうれしいこと言うてくれはりますなあ、でも姫様はぎょうぎょうしいから瓜だけもろうてもええどすか。」

 僕が瓜と名づけた女の人は、目を瞑って胸に手を当てて、うり、うり、と繰り返して、なぜかまた少し悲しそうな顔をしたあと小さく微笑んだ。それを見て僕は嬉しいのか恥ずかしいのか、顔が熱くなるのを感じた。そして瓜は僕の頭を撫でながら言った。

「あんたの名前も教えてくれりやんせ。」

 僕が名前を答えようとしたら、遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。




「当主はん、当主はん。いい加減に起きてもろうてよろしおすか?」

 目を開けるとそこは自分の店の中の様だった。どうやら机に突っ伏したまま眠っていたらしい。顔を上げると黒い着物の裾から伸びる白い足が机の上に乗っていた。

「当主はんに起きてもらわへんと、だあれがうりの煙草買いに行ってくれはるんどすか?」

 太股が喋っているのかと思ったが、どうやら声は太股より上に付いている、机の上に座った人物の頭の方から聞こえてくるらしい。

「すまない、どうやら眠ってしまっていた。」

「それはもうぐうっすりと眠ってらっしゃったご様子でしたなあ。突然神鳴りか地鳴りや思うたら当主はんのおおっきないびきが聞こえてきはりまして、それはそれはうりはびっくりぎょうてん、四半刻笑い転げたあとに煙草を吸おうと思うたら切らしてしもうておりまして、しかたなく当主はんを起こしてさしあげたわけでありんす。」

 俺はこの京言葉と廓言葉とどっかの田舎の方言を混ぜて、鴬が唄うような声で皮肉を言うところから、瓜の言葉を鴬弁や、鴬なまりと呼んでいる。そんな事を本人に言うと。

「鴬ちゆうのはほうほけきょと鳴きはりますが、ほうほけきょと鳴くのは決まって雄の鴬だそうで、ほうしたら当主はんはうりのことを男や思うてるということでよろしおすか?うりには女としての魅力を一切感じないと。ああかなしやかなしや、よよよよよ。」

 などと嘘泣きを始めたことがあったので内心そう呼んでいるという話だ。

 机の上の時計を見ると、あと半刻ほどで午前零時を指すという時間だった。近所の婆さんがやっている煙草屋は開いているわけがないし、今から行くとなるとコンビニぐらいだろうか。最近この田舎にも増えてきたとはいえ、歩くには少し苦労する距離である。

「煙管の葉ならあるんじゃないのか。」

「当主はん、まだ寝ぼけてはるんどすか?煙管はうりの商売道具。すぱすぱ吸うておりましたら、肝心な時にないなんてことになってもうて、困るんは当主はんじゃありやあしまへんか?なにより、煙管はいちいち葉あを詰め直すんが面倒くさいんどすえ。」

 理由が最後の一言に集約されていたな。まぁ客も滅多に来るわけでもなし、少し店を空けるのも今に始まったことでもない。瓜がこれ以上ほうほけきょと鳴き出す前に買出しに行った方がいいだろう。

「今日も煙草だけでいいのか?たまには何か食べてみてもいいと思うんだが。」

 あまり目立たぬように暗い色のコートを羽織りながら瓜の方を見ると、ソファに寝転んで爪の手入れを始めていた。

「うりは当主はんと違うて、眠くもなりはしまへんし、腹も減りやあしまへんので。気分のことを申しておりますのなら、たまあに当主はんの甘あいお水を盗み舐めておりますのでお気になさらず。」

 最近秘蔵の酒が減っている気がすると思っていたら犯人はこんなところにいたらしい。気にしないわけがないだろう、見た目は十五、六の女子のくせに。不良め。

 店の外に出ると冷たい風が耳に刺さった。もうそろそろ三月になろうというのにまだまだ東北では冬の気配は過ぎそうにない。この百年の間に日本という国は大きく変わったが、冬の寒さは変わりないことを喜ぶべきか。そんな物思いにふけつつ、夜の街へと歩き出した。街の中心部から少し離れただけでこんなにも暗いのはいかがなものか。我らが鴬嬢ならまだしも、普通に生活している人のためにももう少し街灯を増やしてもいいのではないだろうか。そんな文句をこんなところで言っていても、勝手に街灯が増えるわけでもなし。

 繁華街の灯りが遠くに見え始めた頃、ふっと黒い何かとすれ違った。足音も聞こえず、匂いもしない、ただ黒い人の形をしたような靄が後ろを遠ざかっていくのを感じる。

「鬼」だ。

 現代において鬼と言って想像するのは、昔噺に登場する真っ赤な皮膚に角や牙が生えた巨体の男で、大抵は虎柄の腰巻をして金棒を持っているといった感じであろうか。鬼という存在を知っている者からすれば、逆にそんな鬼がいるのなら見てみたいと思ってしまう。

 鬼というのは一般的に言うところの魂や霊のことを指す名だ。人々は地獄に居場所がなく、現し世を彷徨う魂のことを鬼と呼び、目に見えない悪いものや災厄を悪い鬼の仕業として、悪鬼と呼んだ。普段人間に悪鬼が視えることはほとんどない、が。病気や寿命により死に近しい人間ほど悪鬼を喚びやすく、悪鬼が視えるという。鬼というものは人間の魂を指すと言ったとおり、本来は害のないものだったはずなのだが、宗教や信仰によって神や仏がその姿や在り方を変えるように、鬼は長い年月をかけて災いの象徴として人々がそういうふうに形作ってしまった。故に悪鬼は死に近しい者に死をもたらす。ほとんどの力の弱い悪鬼は直接手を下すことはできないが、視える者に好まれる容姿で現れ、言葉巧みに近づき、生への執着を削ぎ、死に至らしめる。それが俺達の知る鬼と呼ばれるものである。昭和中期以降は鬼の数もだいぶ減ったようだが、たまにこうして見かけることがある。昔ほど鬼の由来を知る者も少なく、その存在を信じる者が減っているせいか、力を持った悪鬼であることは稀なのでほうっておいても問題はない。というより俺自身がそれらに興味がない。そんな一人語りをしているうちに繁華街の入口にあるコンビニエンスストアに着いた。

 酒のつまみをいくつかと、自分用の煙草を二箱、瓜用の煙草を一カートン買って足早に店を出る。どうせならもっと買って置いておけばいいとは自分でもわかっているのだが、そうすると馴染みの煙草屋の婆さんが可哀想なことになってしまうと、いらぬ心配が働いてしまった。今のご時世、煙草屋として残っている店は貴重なのだ。婆さんには長生きしてもらいたい。

 帰り道は特に何という面白いこともなく、遠回りも近道もせず、いつも通りの暗い道をコートのポケットに買い物袋を引っ掛けた手を突っ込んでとぼとぼ帰ってきた。珍しく瓜が店の前で出迎えしてくれたと思ったら、買い物袋を手からちぎって戻っていった。

 ソファという名の巣の上でご満悦な鴬を横目に、グラスに氷を二つ三つと入れたブランデーを自分の机に置いて、コートを脱ぎ、椅子にぐったり腰掛けたところでやっと一息ついた。時計を見ると午前零時になろうかとしていた。一時間近くも外に居たせいだろうか、暖炉の暖かさが冷えた耳に染みて、余計に熱を感じていた。こういう時は少しだけ安心すると同時に、同じくらい瓜が羨ましいと感じてしまう。グラスを一口傾けたところで、柱時計がぼおんと鳴った。

「当主はん、お客様どすえ。」

 瓜の紫煙混じりの言葉を聞いて店の入口に目を向けると、少ししてから扉が開いた。

 入ってきたのはよく言えばあまり柄の良くなさそうな、悪く言えばちんぴらな男だ。

「あ?なんだここは。」

 機嫌の悪そうにそう言う男は明らかに酒に酔っており、目の焦点があっていない様子だったが、瓜が客という以上は客としてもてなさなくてはならない。

「いらっしゃいませ、外は風が冷たいでしょう。どうぞこちらにお座りになってください。」

 にこやかに物腰柔らかく言ったつもりだったのだが、それすらもこの男には不快だったらしく、舌打ちをしながら俺の目の前の椅子にどっかりと座った。

「で?ここはなんなんだよ。」

「こちらは空想妓楼あきんど。空想、妄想、夢、幻。お客様が望むものを望むままに叶える手伝いをさせていただいている店となっております。」

「ぎろう?ってなに、裏風俗みたいなもん?俺そんな金ねぇんだけど。」

 あまりの低俗さに瓜が鼻で笑う声が聞こえたが、聞こえないふりをして話を続ける。

「妓楼と申しましても私どもは女郎売りというわけではありません。妓楼とは忘八、八徳を亡くしたお客様を相手にするという意味で付けた名でございます。」

「難しいことばっか何言ってっかわかんねぇんだけど。」

「簡単に申し上げれば、お客様が今欲しているものが手に入る店、ということです。」

 店に置いている一番安いウイスキーをグラスに注いで男の前に出す。客は瓜が選んでいるように、こちらにも客に出す飲み物を選ぶ権利がある。

 男は出された酒を一気に飲み干すと、一際大きな声で言い放った。

「なんでもくれるって言うなら金だ!金くれよ金!金さえあれば好きに食って好きに女を買える!俺を見下してきた連中も見返せる!真面目に働くのがバカみてぇなぐらいの金が欲しい!」

 瓜が呆れたように眉をハの字にしながら煙管に灯を入れる。それを見て俺も本格的に仕事の話に入る。

「私どもは慈善事業でもなければ金借しでもございません。申したように、お客様が望みを叶える手伝いをするだけでございます。気に召さなければお代は結構、そのお話をするためにも、少しばかりお客様について尋ねてもよろしいでしょうか。」

 顧客名簿の真っ新な頁を開きながら男に尋ねるが返事はない。ちらりと顔に視線だけを向けると、男はとろりとした顔をしてゆっくり頷いていた。俺は煙草を一本咥え、オイルライターで火を点け、一息ついて蓋を閉めた。その音を聞いた男がはっとした顔でこちらを見ている。

「それではお名前と年齢から。苗字だけでも構いませんし、言いたくなければ偽名でも大丈夫です。ですが偽名を使うのならば、しっかりとそれが自分の名前だと意識してから使ってください。これからする全ての質問に対しても、自分のことであると自分で確認しながら話してください。」

 言っている意味が理解できているのかいないのか、定かではないが、やがて男は口を開いた。

「名前は太宰だ。歳は三十一。」

 それを聞いた瓜がごほっとむせ返っている。ソファの背もたれに顔を突っ伏してどうやら笑いを堪えているようだ。確かに冗談みたいで面白いが、瓜の笑いの沸点はどうも低いような気がする。咳払いをして続ける。

「お仕事は。」

「フリーターだ。といっても別に仕事もしてねぇし、親とか友達に金借りてパチンコ行ってるだけだけど。」

「借金を?返済の目処が立っていないから金銭が欲しいのですか?」

 事前に用意してある項目ごとに、逐一内容を書き込んでいきながら質問をする。

「は?親とか友達に借りたって返す必要なんかなくね?利子とかつくわけじゃなぇんだからさ。」

 どうやら想像以上にこの男は典型的なくずらしい。まぁそういう人間だからこそ、このあきんどの客ではあるのだが。ペンを置いて煙草を一口吸ってゆっくりと吐く。

「何?住所とか電話番号も言った方がいいわけ?」

 太宰が眉間にしわを寄せながら貧乏ゆすりをして聞いてくる。

「いいえ、お宅にお邪魔するつもりなどありませんし、この店には見ての通り電話の類もございませんから。」

 空になっていた太宰のグラスにウイスキーを注いで、にっこり笑って続ける。

「最後にもう一度だけ確認しますが、望むものは『金』でよろしいですね?」

 差し出されたグラスを引っ掴んで一気に飲み干し、太宰は叫ぶように言った。

「そうだ!俺は金が欲しい!」




 太宰を帰したあと、店の鍵を閉めて自分の椅子にぐったりともたれる。氷が溶けきってしまったブランデーを呷って煙草に火を点けると、そこに薄ら笑いの瓜がやって来た。

「怒りっぽくて傲慢、食と色には強欲で、嫉妬深いくせに怠け者。その上に名前が太宰と来ては、笑いを堪えるのも一苦労でありんした。」

 くすくすと笑いながら机の上に腰掛けて、俺の膝に足を乗せて言う瓜は心底楽しそうだ。

「見事なほどの煩悩のバーゲンセールだったからなぁ。それでも僕はあれを人間失格とは思わないけどね。」

 瓜と話している時、油断をすると僕が出てしまう。なんとなく子供っぽい気がして、俺や私を使うようにしているんだが、癖というのは思いのほかに頑固なやつである。

「彼は人間失格というよりはむしろ、誰よりも人間だよ。次来る時が楽しみだ。」

 そう言って煙草を一口吸った僕の胸の下あたりを、瓜が足の指先でこちょこちょとくすぐってくる。

「当主はん、悪ういお顔がでてもうてますよ。」

 そうやって笑う瓜の顔はいつも通り美しい顔だった。


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