王太子殿下を盗るはずだった男爵令嬢の王妃体験物語
「イオル様ぁ。どこですかぁーー」
間延びした話し方で、イオル王太子をマーヤは探していた。
場所はマスル王国の王宮。扉を開けた先は奥まで廊下が続いていて。
ゆらゆらと蝋燭の灯りが揺れている。
王立学園で親しくなったイオル王太子殿下。
とても美しい銀の髪の王太子で、マーヤは一目見て夢中になった。
しかし、マーヤはロクテス男爵家の男爵令嬢。身分違いもよいところだ。
普通ならそこで諦めるだろう。
ピンクブロンドの髪の小柄な姿。そして、豊かな胸。
顔は男好きするような可愛らしい顔。
マーヤは自分の顔と身体に自信があった。
だから、偶然を装って、もっとも位の高いイオル王太子に近づく事にしたのだ。
もしかしたら未来の王妃様になって、綺麗なドレス。豪華な装飾品。全ての人間にかしずかれて。幸せになれるかもしれない。
マーヤは市井の生まれで、食堂を経営していた両親に育てられた。
生活は貧しく、マーヤは幼い頃から店の手伝いをしていたが、着る物にも、二着を着回すくらいに、オシャレをしたくてもオシャレできない位に、貧しい生活だった。
ロクテス男爵が、マーヤを見初めて養女にしたいと言った時には天にも昇る心地だった。
両親の反対を押し切って、ロクテス男爵の元へ喜んで行った。
綺麗なドレスを着て、贅沢で美味しい物を食べて、うんと幸せになるの。
自分はこんなに可愛くて、魅力的なのだから。そう思ったのだ。
王立学園に入って、チャンスが来た。
イオル王太子殿下の目の前で転んで、ウルウルした目で見上げて。豊かな胸を押し付けて。
手段を選ばず、イオル王太子に積極的に接近していった。
イオル王太子殿下には婚約者のオリビア・シャレード公爵令嬢がいたが、そんなの関係ない。
自分の魅力で落として見せると、マーヤは頑張ったのだ。
イオル王太子はマーヤの事を気に入ったらしく、とある日、王宮へ内密に招いてくれた。
王太子たる自分の豪華な部屋を見せたかったと言っていたが、部屋に入った途端、激しく口づけをされて。
マーヤは嬉しくて嬉しくて。こんなに激しく求められるということは、イオル王太子殿下と結婚出来るかもしれない。
勿論、これ以上の事を求めてこられても、マーヤは受け入れるつもりでいた。
男性経験はないけれども、初めてがイオル王太子殿下だなんて、なんて幸せなのだろうと。
しかし、口づけをしていた所で、扉がノックされて。
乱れた格好のイオル王太子は、渋々という感じで扉を開けて、応対していたようだけれども。部屋から出て行ってしまったのだ。
そして、いつまでたっても帰って来ない。
マーヤはイオル王太子を探すことにした。
「イオル様ぁ。おかしいな。見つからない」
王宮の廊下には誰一人見当たらず、不気味に蝋燭が揺らめいている。
歩いて行くと、扉が細く開いていて光が漏れている部屋があった。
何かしら?と、思わず扉を開けるマーヤ。
中に入れば、床におかしな模様のついた大きな丸い円が浮かび上がっていて。
緑色に光って輝いている。
吸い寄せるようにマーヤは近づけば、その円の中から声が聞こえてきた。
― お前は何を望む? ―
「私はイオル様と結婚して、王妃様になるの。うんと贅沢をして、幸せになるの」
― ならばこの円の中に足を踏み入れるがよい -
思わず足が動いて、円の中にマーヤが入ってしまう。
円が明るく緑色に輝いて、マーヤはそのまま意識を失ってしまった。
「王妃様。王妃様?」
「うううん。眠いのぉ」
ハッと目覚めれば、見覚えのない天井。しかし、ドラゴンの模様が描かれた装飾のある天井で。
思わず飛び起きれば、見覚えのない、メイド服を着た女性がこちらを見つめている。
「あんた、誰よ」
「王妃様。私はメイドのクララです。お忘れですか?」
「へ?」
クララ?クララなんて知らない。それにここはどこよ。
マーヤは慌ててあたりを見渡す。
クララというメイドはマーヤに向かって、
「今日はお天気もよろしいので、テラスでお食事をなさいますか?」
自分の身体を見渡して、着ている夜着が見覚えのない、桃色の高価そうな生地で出来ているのに驚いた。
「あの、わたしっ……」
「テラスでお食事という事でよろしいですね?」
お腹がぐうううっと鳴った。
「わかったわ」
「では、お着替えを置いておきますので。テラスにお食事を運んでおきます」
メイドは出て行ってしまった。
部屋はとても広くて、日の光が差し込んで。
大きな鏡が置いてあって、その前に立てば、変わっている自分の姿に驚いた。
大人っぽくなっている。
ピンクブロンドの髪も伸びて。
テラスに続いているであろう、大きな窓から外に出てみれば、王宮だろうか。
立派なお城が近くに見えて、眼下に広い庭が一面に広がっている。
王妃様ですって?私が?あの不思議な部屋が私の願いをかなえてくれたのかしら。
嬉しいっーー私は王妃様になったんだわ。
マーヤは嬉しくて嬉しくて。
ソファに置いてある深紅のドレス。上等な生地だという事が解る。
それを自分で着て。
食事を持ってきたクララというメイドに向かって、
「私は王妃様なのよねーー。イオル様は?イオル様に会いたいわーー」
「イオル国王陛下は、側妃オリビア様と今日は、視察に出かけております」
「へ?」
側妃?オリビア様って、公爵令嬢オリビア様よねーー。確かイオル様の婚約者だった。
「私も一緒に視察に出かけたいわ」
クララはちらりと、こちらを見たようで、
「王妃様はおとなしく、こちらにいらっしゃるようにイオル国王陛下からの命を受けております。お忘れですか?」
マーヤは混乱する。
「私は王妃よーー。王妃様なのよーーー」
「誠に申し訳ありませんが、王妃様はこの部屋から出る事は許されておりません」
「どうしてよ。夜会とか、沢山の貴族に私はかしずかれたいの。ちやほやされたいの。どうしてよ」
「それは、私の口から申し上げるべき事では」
「いいから言って?」
「恐れながら」
クララは言いづらそうに、
「王妃様の言動が、このマスル王国の王妃にふさわしくないと、イオル国王陛下がお考えだからです。ですから、王妃様は病で療養中という事になっております。お忘れですか?隣国のリュード皇太子殿下を、接待の席で怒らせたのを。その件で、家臣の皆様一同、貴方様を公の場に出すべきではないと」
「で、でも、イオル様は私に会いに来てくれるのよね?」
「いえ、イオル国王陛下は貴方様に会いには来られません。リュード皇太子殿下を怒らせた件以外でも、貴方様にお会いしたくないと。イオル国王陛下はオリビア様との間に王子様もおり、そちらに愛情を。お忘れですか?」
王妃様になりたいとあの不思議な部屋で願って、叶ったと思ったのに。
部屋に閉じ込められて。もしかしたら、いずれ殺されるかもしれない。
病死とか言われて。
そんな王妃様になりたくない。
マーヤは叫んだ。
「ここから出してっーーー。イオル様に会わせてっーー私は死にたくないっーー」
「王妃様っーー」
テラスの手すりに駆け寄って、庭に向かって叫ぶ。
「イオル様っーー。私はここよ。お願い助けてーー」
ドンッと背を誰かに押された。
マーヤはそのまま三階のテラスから地に落下した。
見覚えのある天井。
ここは王立学園の寮。自分の部屋の天井である。
汗びっしょりで、マーヤは慌てて飛び起きた。
王妃になったのは夢?自分はその前に王宮に行ってイオル様の部屋で……そして不思議な部屋に入って。
混乱するマーヤ。
やけに生々しい夢だった。
そして、思った。
王妃様なんてなるものではないと。
結局、自分は嫌がられて、一室に閉じ込められて。挙句の果てに殺された。
そんなの幸せだなんて言えない。
自分の器では王妃様になれないのだろう。
翌日、イオル王太子殿下がいつもの如く、マーヤに声をかけてきた。
「昨日はいつの間に、帰ったんだ?私が用事で部屋を出て戻ってきたらいなくなっていた」
「ごめんなさぁい」
いつもなら可愛らしさを見せるために、媚びた言い方をしただろう。
しかし、マーヤは慌てて頭を下げて、
「今までごめんなさいっ。もう、イオル様には近づきません」
「誰に言われたんだ?いきなり。もしかしてオリビアか?オリビアが君にっ?」
「いえ、私には身分不相応です。今までごめんなさいっ」
急いで逃げた。イオル王太子殿下から。
彼とはクラスが違う。
今まで、平気でイオル王太子殿下に会いに、高位クラスに入りこんだりしていたけれども。
これからは行いを改めよう。
そう、思うマーヤであった。
イオル王太子殿下から、何度か廊下で声をかけられるも逃げるように避け続けて。
そんなとある日、自分のクラスから放課後帰ろうとしたら、一人の女生徒が、
「オリビア・シャレード様が貴方にお話があるそうです。一階のカフェへおいで下さい」
「解りました」
オリビアに呼び出された。今まで、平然とイオル王太子殿下と付き合っていたのだ。
今は避け続けているけれども。
苦情を言われるかもしれない。どうしよう。
マーヤは恐る恐る呼びに来た令嬢と共に食堂へ行った。
食堂に併設されているカフェのテラスで、オリビア・シャレード公爵令嬢が待っていて、
「お待ちしておりましたわ。どうぞお座りになって」
オリビアに促されて、席に座るマーヤ。
銀の髪のそれはもう美しきオリビア。
恐る恐る聞いてみる。
「あの、どんな要件なのでしょう」
「イオル王太子殿下の件よ。貴方は今は避けているけれども、いまだにイオル王太子殿下は貴方の事を追いかけているのよ。まぁ、わたくし、イオル王太子殿下が望むなら、貴方を妾妃にしてもいいと思ってはいるのだけれども。イオル王太子殿下もわたくしを切り捨てて、貴方を王妃にするなんて言わないでしょう。さすがに」
マーヤは立ち上がると、思いっきり、床に土下座した。
「申し訳ございませんでしたっ。私、間違っておりました。愚かにも王妃様になりたいだなんて思っておりました。私では無理ですっ。妾妃だって無理です。私が望むのは幸せになりたい。私の幸せって……」
マーヤはふと考える。
貧乏だった。綺麗なドレスを着て豪華な宝石を身に着けて。そして愛するイオル王太子殿下と可愛い子を授かって。沢山の人にかしずかれて。
いえ、違う。私では王妃になれない。あの夢に見た通り、偉い人に会っても恥をさらすだけだろう。
では、妾妃?
ううん。違う。愛する人の一番になれないだなんて、なんだか悲しい。
私の求める物は?いったい何?
オリビアが近づいて来る気配がした。
肩に優しい手が触れてきて。
「沢山勉強しなさい。女を磨きなさい。貴方には貴方に相応しい相手に出会えるはず」
「私はイオル王太子殿下に近づいた。悪い女なのにっ。私はっーー」
「わたくしは王妃になるの。王妃になる人間が、貴方みたいな女を上手くあしらえなくてどうするのかしら?」
あの部屋は?あの不思議な緑の円は?あの自分が王妃になった体験は?もしかして?
「解ったかしら。我が公爵家は王室の中でも力があるの。もし、貴方が王妃になったとしても、夢と同様な事が起こるでしょうね。貴方ではこのマスル王国を背負っていくには力不足。愛だけでは王妃になれないのよ」
「本当に本当に申し訳ございませんっ」
床に額を擦り付けてマーヤは謝った。
「解ればよろしくてよ」
マーヤはその場を去る事を許されて、カフェをふらふらして退出した。
自分を殺すことも出来たはず。あの恐ろしい公爵令嬢ならば。
でも、殺されなかった。
これからは、へらへらしているだけでなく、努力をしよう。
女を磨こう。身体だけではなく、美しさだけでなく、せっかく男爵家に引き取られたのだ。
勉強もして素敵な女性になろう。
そうしたらきっと自分にふさわしい相手と結婚出来て、幸せになれるかもしれない。
マーヤは改めて心を入れ替えるのであった。
イオル王太子殿下は翌日以来、マーヤに近づいてこなくなった。
あの公爵令嬢が何かしたのかもしれない。
マーヤは人が変わったように勉学に励んだ。
礼儀作法も身に付けて、王立学園を良い成績で卒業し、優雅で素敵な女性になった。
シャレード公爵派閥の伯爵令息に見初められ、一年の婚約期間の後、結婚することになった。
オリビア様が口利きをしてくれたのかもしれない。
夫となる伯爵令息は何も言わないけれども。嫁ぐ予定の伯爵家はシャレード公爵家と繋がりの深い伯爵家だ。
マーヤはオリビアに感謝をした。こんな自分によき伴侶を紹介してくれた。
本当に、なんて有難いことだろうと。
伯爵令息と結婚し、二人の間には男子一人と女子一人に恵まれ、マーヤは幸せな一生を送る事となった。
イオル国王は、オリビア王妃に子が出来ず、側妃を二人娶った。
側妃達との派閥争いが激化したが、伯爵夫人となったマーヤは、王妃オリビアを尊敬し、他の夫人達と共に、オリビア王妃の為に力になったと言われている。