2-1 魔王の血族
三人組のチンピラ達との諍いから数日が経った。
あんな出来事があったというのに、俺の生活にはほとんど変化がない。
朝はミアに起こされ、朝ごはんを作ってもらう。
それから一緒にミアと登校し、スチュワートさんに挨拶をしてから別れる。
自分の学校では、相変わらずチャンを中心としたグループから集団リンチに合う。
放課後はリックとデイブレイクの活動。
ミアを家まで送り届けたら、近くの廃屋で魔法の訓練。
強いていうなら、今まで以上にトレーニングを強化したくらいだろうか。
……それとミアが今まで以上にお節介を焼くようになった。弁当は作らなくてもいいと言っているのに、最近は必ず弁当を持たされる。
「最近、お兄ちゃん痩せすぎ! 食べないとほんと体に悪いから!」
過度なトレーニングのせいでミアに心配をかけてしまったみたいだ。
リックからも「レン、痩せすぎだろ」なんて言われてしまった。
だから、今回ばかりはミアに逆らうことが出来なかった。今日もカバンの中にはきちんと弁当が入っている。
しかし、チャン達の暴力によって弁当がぐちゃぐちゃになるのが嫌なので、最近は魔法実験準備室に弁当を置いてから教室に行くようにしている。
「やーやー、サンドバックくぅん。今日もよろしくなァ!」
クラスの教室に入るなり、チャンからの挨拶がてらの右ストレートを受ける。
当然、防御魔法は展開済み。もちろんリックからの外発系支援魔法も。
そして何より、チャンが全力を注いだ一点から微妙に体を動かしているので、見た目以上のダメージはないのだ。
あとは派手に飛ぶだけ。これだけでチャンの征服感を満たすことができる。
とは言っても、長引くとさすがに体もボロボロになっていくので、短時間で終わって欲しいというのが本音だ。
今日はホームルームまで時間がなかったので一○分くらいでリンチも終わった。
これくらいなら回復魔法も必要ないだろう。
「(大丈夫か)」
リックが確認するような視線を送ってきた。
「(問題ない)」
それに対して、力強い視線を送り返すことで無事を表現した。
リックはそれに安心したみたいで、すぐに目線をそらした。
クラスでは他人行儀。これが俺とリックの取り決めだ。このクラスで俺と関わるということは、チャンに否応なく目をつけられることを意味する。
何も二人揃って殴られる必要はない。
「えー、おはようございます」
担任のライマールス先生が覇気のない声と共に教室に入ってきた。
相変わらず、うだつの上がらない表情を浮かべている。教師も教師で大変だ。特にイーヴィシュ人は。
職場のアンフラグ人教師には逆らえず、またクラスのアンフラグ人の生徒にも頭が上がらない。十代の若造が相手でも立場はアンフラグ人の方が上。
そんな事情を知っていれば、ライマールス先生を責めることはできない。
むしろ、こんな敵だらけの職場で毎日働いていることは尊敬に値する。イーヴィシュ人はひ弱に見えるこが多いが、実は逆境を耐え抜く強い精神力がある。
アンフラグの植民地になってしまったが、ここまで国が維持できているのもイーヴィシュ人の一人一人の力のおかげだ。
どんなに汚され、貶められ、辱められても誇りだけは失っていないのだ。
しかし、近年では教育機関やマスメディアがアンフラグ人に掌握されたこともあって、じわじわと国民への洗脳活動が始まっている。
——時間はあまり残されていない。
「あのですね……、今日は出席前に……一つお伝えしたいことがあります」
「もごもご喋んな! はっきり喋れや!」
チャンはそう言って、自分の教科書をライマールス先生に投げつけた。
教科書は先生の額に当たり、しばらくして血が流れ始めた。
それを見てアンフラグ人の生徒たちは大笑い。心から楽しそうに笑っていた。
俺は思わず拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込んで痛い。
だが、先生が受けた屈辱と比べればこんなのは痛みのうちにすら入らない。
「あはは……失礼しました。先生の声が聞き取りづらかったら、今みたいに遠慮なく仰ってください」
ライマール先生は卑屈な笑顔を浮かべる。きっと、腸が煮えくり返りそうになっているに違いない。しかし、それを決して表に出さない。
怒りに身を任せるのは簡単だが、屈辱に耐えることは容易ではない。
あまつさえ先生は笑顔を崩さないまま、投げつけられた教科書を拾ってわざわざチャン本人のところまで届けていた。
さすがのチャンも一連の対応を見て、何も言えなくなっている。
先生を卑屈だとは思わない…………いや思えなかった。これは強さだ。
俺も先生に負けない忍耐力を身に付けたいと心から思った。
「えーと、それでは本題に入ります。実は、このクラスに転校生がやってきました」
「女か!?」
「女じゃなかったら萎えるわー」
「家畜のオスとかだったらワンチャン殺しちゃうわー」
アンフラグ人の男子生徒は大騒ぎ。
こいつらにはこのようなビッグイベントを楽しむ権利がある。
俺たちイーヴィシュ人にとっては憂鬱でしかない。イーヴィシュ人の女子生徒が転校してくる可能性はなく、おそらくやってくるのはアンフラグ人の男か女。どっちにしても自分たちにとっては害悪でしかない。
……万が一、イーヴィシュ人の男子生徒が転校してくるようなことがあれば、なんとしてでもヘイトが向かないようにしないと。
さて、やってくるのはアンフラグ人か、イーヴィシュ人か。
「じゃあ、フォードさんどうぞ」
先生に促され、外で待ち構えていた人物は教室に入ってくる。
「!?」
女子生徒。しかもかなりの美人。この時点でアンフラグ人の男どもはお祭り騒ぎ。
人形のように整った顔立ちに雪のようなプラチナブロンド。
モデルや女優と言われても疑う余地がないような風貌だ。顔立ちや髪色からしてイーヴィシュ人ではない。とは言っても、アンフラグ人っぽいかと言われると……少し違うような気もする。
でも、そんなことはどうでもいい。
周囲の喧騒に包まれながら、俺は毛穴中から汗が噴き出してくるのを感じた。
初めての感覚。だけど、これが何を意味しているか分かる。言われなくても、説明されなくても、肌で感じることができた。 ————この女は、魔王の血族だ。
理屈じゃない。姿形、雰囲気、そういった感覚的なものだが間違いない。
「初めまして、アリア・フォードです。色々と事情があってこちらのゼントム第一高校に転入することになりました。よろしくお願いします」
清流のように透き通った声。しかし、どこか強い意志のようなものを感じる。
凄まじいオーラ。物語の主人公やヒロインが持ち合わせているであろうもの。彼女を中心に物語が進んでいくという確信がある。
アンフラグ人の男子生徒は狂ったように大騒ぎしている。
俺にはそんな余裕がなかった。頭をフル回転して状況を把握しようとする。
ラストネームがフォードということは、こいつは魔王の嫡出子ではない?
魔王ゼア。本名をゼア・プロシオン・ダークネスという。
もし魔王の嫡出子なら、ミドルネームやラストネームが魔王と同じになるはず。
第一に本国ではなく植民地の学校に通うだろうか。それにアンフラグ人たちの反応も変だ。もし魔王の正式な子供なら、こんなふざけた態度も取れないはず。
どのように対応するのが正解なのかは分からないが、とりあえずは目を付けらないに越したことはない。————だが、そんな理想は簡単に打ち砕かれた。
明らかに、アリアと呼ばれる女子生徒がこちらを凝視している。恐ろしいくらい目が合う。どうやら何かを感じ取った様子。
俺は慌てて目をそらすが、もう手遅れだった。
「まさか……」
「フォードさん?」
ライマールス先生を無視して、女子生徒は俺の方に向かってくる。
目を逸らしていても気配で分かった。気配はどんどんこちらに近づいて来る。
「ねぇ、あなた」
女子生徒が声を発する。正面だった。声は正面からまっすぐ俺に向かって届いた。
実は、俺の後ろの人に話しかけていた……そんな奇跡に期待して顔をあげる。
転校生、アリア・フォードが目の前にいた。
アリア・フォードの目は————確実に俺のことを捉えている。
奇跡なんかに期待した自分を呪う。この女は間違いなく俺に話しかけていた。
「……自分に何か?」
こんな注目の的になっている中で、無視を決め込む訳にもいかない。
しぶしぶとアリア・フォードに返事をする。
「あなた、アンフラグ人?」
「いえ……イーヴィシュ人ですが」
この女はまずい。まだ半信半疑みたいだが、これが確信に変わってしまったら……。
「もしかしてだけど——」
女は何かを口にしようとする。確信に迫る何かを。
「( ……ナイスタイミングだ)」
俺は視界の端で、とある人物が動き出したことを確認した。
いつもは憎たらしく思っていたが、今日ばかりはあいつに感謝しよう。
「おい! サンドバッグごときが女と口を聞くんじゃねぇ!」
「ぐはっ!」
チャンに思い切り顔面を殴られる。今回は避けないことを選択した。
俺は演技でも何でもなく椅子から転がり落ちる。
「テメェは、俺たちにボコボコにされてりゃいいんだよ! 色気出してんじゃねぇ! 気色悪いんだよ、死ね! 死ね死ね!」
そこから、いつも通り集団リンチが始まる。防御魔法もない、避けもしない、気を利かせてくれたのだろう、リックからの支援魔法もない。
俺が何分間耐えられるか。それだけが問題だ。意識を失わないように気を張った。
気絶してしまったら、たぶん俺の命はない。だから気絶だけはできない。
————意外なことに、今回の暴力は一○分足らずで終わった。
「フォードさん。こんなやつに構ってないで俺らと遊ぼうぜ」
チャンは俺に唾を吐きかけると、アリア・フォードに話しかけていた。
いつもは高く耳障りな声だというのに、転校生に話しかけるときはやけに低く落ち着いた声だった。まったく色気出しているのはどっちだよ。
「……気のせいだったのかしら」
アリア・フォードは、死んだ虫けらのような俺を見て怪訝そうな顔をしていた。
それでいい……俺に興味を持つな。この状況を鑑みれば、きっと自分の考えが間違っていたと思うはずだ。
「なぁ、フォードさん聞いてる?」
「私、無意味な暴力は嫌いなの。そこのあなた、巻き込んでごめんなさいね」
アリア・フォードはチャンを突っぱねると、地面に転がる俺に対し謝罪をした。
そして興味がなさそうに立ち去っていく。変わった女だ。アンフラグ人にしては品がある。
だが、アンフラグ人であることに変わらないし、何と言っても魔王の血族だ。
きっとこれからも、俺と彼女の道は交わることはない。もし次に相対することがあれば、それは互いに殺しあう時に他ならないはずだ。
魔王の関係者は一人たりとも残さない。……絶対に。