1-1 魔法と美少女
「お兄ちゃん、起きて」
「ん……」
俺の体は満たされていた。
ぬるま湯に浸かり続けているような感覚。これが最高に気持ちいい。
しかし、誰かがそれを妨害しようと試みている。
一体誰だ。俺をこの素晴らしい世界から連れ出そうとするのは。
「お兄ちゃんが起きないなら————イタズラするよ?」
「…………」
「い、いいんだね? じゃあ……ほっぺにチュー」
「……ミア、悪ふざけが過ぎるぞ」
「ってうわ! 急に目を開けないでよ!」
俺は寝起きがかなり悪い。だが、緊急時には都合よく目を醒ます。
「ミアも年頃なんだから、冗談でもこういうのはやめたほうがいい」
「子供扱いするのはやめてよ! お兄ちゃんとも年一つしか変わらないし! ……あとさっきのは冗談なんかじゃないし」
「なら、その『お兄ちゃん』って呼び方もな……。普通にレンでいいだろ」
「お、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから!」
ミアは怒って頬を膨らませる。
そういうところが、子供っぽいというのに気が付いていないようだ。
どうもお兄ちゃんと言われるのは慣れない。……何というかむず痒いのだ。
それに、俺とミアは血の繋がりはあるが兄妹ではない。
俺の名は、レン・ヴィルヘルム。
目の前のミアこと、ミア・クラインとは遠い親戚というのが正しい関係だ。
「そんなヘソ曲げるなよ」
「も、もう子供扱いしないでよー」
ミアの頭を撫で回す。確かに俺とミアは兄妹ではない。それでも大切な家族なことに変わりはない。
「いただきます」
「召し上がれ」
ミアが作ってくれた朝食をいただくことにする。
白米。味噌汁。漬け物。焼き魚。
イーヴィシュ人らしい朝食だ。やはり朝はパンより米に限るな。
「ルドルフおじさんとビアンカおばさんはもう仕事?」
「そうみたい。最近二人とも早いよね」
ルドルフ・クライン。ビアンカ・クライン。
ミアの両親であり、身寄りのない俺を引き取ってくれた人たち。二人は中央省庁で働いている官僚で、最近はとても忙しそうにしている。
「ルドルフおじさん、ビアンカおばんさんにはこうやって養ってもらって……。ミアには朝食まで作ってもらう、本当に頭が上がらない」
「お兄ちゃん」
ミアが怒ったような声でこちらを睨む。
「すまん」
「そうだよ。私たちは家族なんだから。そういう悲しいことは言わないで」
「気をつけるよ」
クライン家の人は優しい。
でも、だからこそ、そんな人たちに報いることができない自分が嫌だった。
「あーそうだ! 今日は早く学校に行かなきゃ! お兄ちゃんはゆっくりしてて。私ちょっと先行くから」
「ダメだ」
それを聞くなり目の前の食事を一瞬にして平らげた。ミアの返事も聞かずに、部屋へと向かって学校の制服に着替える。
そのあと洗面台にて素早く丁寧に歯を磨き、再びミアのいるリビングへと戻った。時間にして五分程。
「もぉー、ほんとお兄ちゃんは過保護なんだからー」
「それより、ミア」
「ん、なに?」
「ごちそうさまでした」
ミアはあきれたように、でも嬉しそうに小さく笑った。
俺はクライン家の人に何一つ恩返しができていない。だからミアの安全だけは、それだけは絶対に守らなければいけない。この笑顔を守ること、それが俺の使命だ。
「お兄ちゃん。最近、魔法はどうなの?」
「ぼちぼちだな。やはり魔法の扱いはミアの方が上だ」
魔法。世界の理を呼び出す御技。
この世界には太古より、火、水、大地、闇、光の五属性の力が存在している。
そして、その五属性の力を現出させる技術こそが魔法。
最初の原人が魔法を発見したことにより、世界は大きく発展し文明を築いた。
俺やミアはイーヴィシュ人。始まりの五族の末裔だ。
なかでもイーヴィシュ人は光属性を現出することに長けている。
基本的に現出できる属性は血筋に依存する。例えば、イーヴィシュ人ならば光属性と生まれながらに決まっている。
稀に混血の子供の中には、二種類の属性を操れるものがいるという噂もあるがこの話も眉唾だ。なぜなら、通常はより強い血筋の属性が現出するからだ。
しかし、二つの血筋に優劣がつかない——つまり、始まりの五族の血を色濃く受け継いだもの同士の混血なら、理論上は二つの属性を操ることは可能かもしれない。
「そんなことないよ。光魔法っていっても外発系と内発系があるでしょ? 私は外発系が得意で内発系は苦手。けど、お兄ちゃんは内発系の魔法が得意じゃない」
そして、この属性の中にも内発系と外発系の二種類が存在する。平たく言ってしまえば、内発系は自分自身を改革する魔法、外発系は世界を改革する魔法と言える。
どちらにも一長一短があるが、傾向として外発系の方が強力な魔法が多い。
俺は内発系が得意で、ミアは外発系が得意だ。
血縁同士でも、光魔法の扱いや使える魔法の威力は圧倒的にミアの方が上だった
「内発系までミアに負けたら年長者として立つ瀬がないからな」
「別に、外発系だってお兄ちゃんそこそこ使えるじゃん。バランスで言ったらトントンだと思うけどな」
「あのなぁ。俺はミアみたいに、太陽光をねじ曲げて周囲を焼き払うような魔法は使えないからな? 全然トントンじゃないぞ?」
昔からミアは魔法の才能に恵まれていた。高度な魔法も難なく習得し、常に成績はトップ。一方の俺は魔法を使って自身の能力向上や傷の治療ができる程度だ。
「い、いや! そこはお兄ちゃんの耐久力上昇の魔法で!」
「そんな魔法は万能じゃない。普通に焼き死ぬ」
「ごめん……って! まず、私がお兄ちゃんにそんな魔法を使うわけないから!」
なんて冗談交じりの会話をしながら通学路を歩いていると、周囲にはミアの通うイーヴィシュ女子学園の生徒たちの姿が見え始めた。
俺とミアが通っている高校は別々だ。
しかし、ミアを学校まで送り届け、そして迎えにいくのが俺の日課だ。
兄バカ。シスコン。なんとでも言ってくれ。……過保護なくらいがちょうどいい。
「ミアちゃーん!」
そろそろ学園の校舎がうかがえる……といったところで背後から声をかけられた。
振り向くと、小動物のように愛らしい女子生徒の姿が。
「あ、エマ」
「おはようございます。……そのお兄さんも」
彼女は、ミアの友達ことエマ・スチュワートさんだ。こうやってミアを学校へ送るたびに高確率で遭遇する。スチュワートさんは人見知りなのか、俺とはなかなか目を合わせてくれない。いつも顔を赤くして俯いている。
「おはよう。あれ、スチュワートさん髪切った?」
「え、分かりますか……? そ、その気がついてもらえて嬉しいです!」
「すごく似合っていると思うよ」
俺は素直な感想を口にした。
「~~~~!!」
それを聞いて、スチュワートさんはいつもの三倍くらい顔を赤くしていた。
あまり人から褒められるのに慣れていないのかもしれない。
「……兄さん」
ミアは、人がいるところでは「お兄ちゃん」ではなく「兄さん」と呼ぶ。
やはりミアにも体面というものがあるらしい。
……しかし、兄さんと呼ぶその声音がいつもより冷たいというか、なんだか殺気のようなものを内包しているように感じる。
「ん、どうしたミア?」
「私が髪切ったときは気がつかないよね」
「いや、それは毎日顔を合わせていると、逆に気が付きにくいというか」
「我、根源を照らすもの。御光の加護を持って敵を打ち払わんとす——」
俺の言葉を無視して、ミアが詠唱を始めた。
ちなみに、詠唱を必要とする魔法は大抵が強力なものである(魔法適性がない者も詠唱を唱えがちだが、当然ミアには当てはまらない)。
「おいおい! こんなところで魔法をぶっ放すのはやめてくれ! お詫びにほら、この間見たいと言っていた映画でも見に行こう! な?」
「……なら許す」
命拾いした。隣のスチュワートさんも青ざめた表情で怯えていた。
時々、ミアはこうして不機嫌になる時がある。
原因は分からないのだが、こういうときは素直に謝らないと後々怖い。
「相変わらずお二人は仲が良いんですね。私もお兄さんみたいなカッコいい兄がいたらなぁ……とないものねだりをしてしまいます」
「そんなことないって。逆に、俺はスチュワートさんみたいな可愛い妹がいたらいいなって思うけど————」
凄まじい殺気。恐る恐るミアの方を見ると、額に怒りマークを浮かべていた。
「それじゃ!」
学園はもう目の前に見えているし、周囲にもたくさんの生徒たちがいるのでもう安心だろう。それに女子校の近くを男がうろちょろするのも好ましくない。
決して、ミアが怖いとかそういうことではない。
「逃げるなぁ!」
ミアの怒声を背中に受けながら、俺は自分の学校へと向かうのだった。