二十二話 井上/真琴
時間が経ち痛みがなくなった真琴は目の前にいる天野とようやく話をする事ができるようになった。
それを確認した天野は真琴と話をする前に綱吉の遺体を持ち上げ家の中へと運んでいく。道場と家は隣接しているため誰かに目撃される事はない。寝室まで運ぶと天野は血まみれの綱吉の体を綺麗にし新しい服を着せて布団で寝かした。
その後、後片付けと手洗いを素早く終わらせた天野は手慣れた様子で台所でお茶を入れ、それを居間で待たせていた真琴に差し出す。
「はい、どうぞ。」
差し出されたお茶を真琴は飲む様子はない。目の前にいる天野に対して警戒心を隠す事なく、真琴は天野に問いかける。
「誰なの、あんた。」
「オイラが誰かって? そんな事、分かってるでしょ。【刀持ち】になった君なら、オイラが誰なのか分かるはずだよ。オイラの名前を言ってみてよ。」
「…天野 一。」
「正解。じゃあ次の質問。君の願いはなぁに?」
「願い?」
「そう。【刀持ち】になった事で強大な力と【合戦場】で活動するにあたって必要な記憶を手に入れて前の持ち主の記録を引き継げてこれから華々しい活躍をする【刀持ち】達へのお祝いとしてオイラが願い事を一つ叶える事になっている。あっ、言っておくけど願い事を増やせとかは無しね。願い事は一人一つまでだよ。」
天野の言う通り、【刀持ち】になったものには願いを一つ叶えられる権利が無償で与えられる。富や長寿に自由など、手段は不明だが天野は【刀持ち】の願いを叶える事ができる。
「もちろん今すぐじゃなくてもいいよ。例えば、鬼丸 綱吉の死を隠蔽するとか。事後処理はオイラがしておくから安心して。願いは君のために使いなさい。」
「…願い。」
願い事と言われ、真琴は考えた。自分に叶えたい願いなどあるのかと。
[お前に【無名】を渡そう。お前になら託せられる。その後は、好きにしなさい。好きなように生きて、幸せになりなさい。]
ふと、綱吉の言葉が思い浮かぶ。そして、その言葉のおかげで真琴の願いは決まった。
「ある。」
「ん? 何が?」
「願いならある。」
「なになに?」
「私の願いは」
これを言ってしまえばもう今までの日常を、他人から見れば穏やかで平和な暮らしを捨てる事になる。
それでも真琴は自分のためだけに願いを口にした。
「井上 真琴を殺して鬼丸 真琴に生まれ変わりたい。」
真琴の願いを聞いて、天野は呆然とした様子で目を瞬かせる。わずかな時間の間互いに無言のままでいたが、考えがまとまった天野が口を開く。
「えっと。自分を殺して、新しく生まれ変わりたいか。それだと願い事が二つになっちゃうから少し内容を変えない? 例えば遠い場所で一人暮らしをしたいとか。」
「それじゃあ駄目。井上 真琴を殺さなければ私は幸せになれない。」
妥協案を出されても真琴はひかない。
それに対して天野は自分のお茶をすすった後、わざとらしく呆れた様子で首を横に振る。
「そうは言っても叶えられるのは一人一つまで。それは変えられないよ。」
「あるだろ。もう一つ願いが叶えられる方法が。」
「へぇ。もしかしてオイラと契約を結ぶ気?」
「そうだ。【血盟書】、だっけ? それはどうすれば手に入る?」
【血盟書】。
それは【合戦場】に来られるものであれば誰でも使用できるものであり、天野と契約を結べる唯一のもの。だが、大抵のもの達は天野に要求される対価が怖いため使用するものはほとんどいない。その事を知っていながら真琴は【血盟書】による天野との契約を望んだ。
「ふーん。いいね。それだったら【合戦場】で【ムソウ】をやればいい。百人くらい斬ったらすぐに目標金額を達成できるよ。」
【合戦場】で人を殺すと【合戦場】内でのみ使える金銭が手に入る。【ぶっ殺ランキング】で上位のものを殺せばさらに大金が手に入る。
「【血盟書】は売れ残り気味だから急がなくていーよ。」
天野はそう言うが、真琴はさっさと立ち上がり早足で居間から出ていく。
「すぐ戻ってくるから待ってて。」
「えっちょっ、即決!? そんなに急ぐ必要ある?!」
真琴は天野の言葉を無視して早足で歩き、洗面台のある風呂場に入る。壁に設置されている鏡の前に立った真琴が鏡に触れると手が水面に触れるように鏡の中に入る。それを見た真琴は一瞬戸惑いを見せたが、意を決して勢いよく手を鏡の中に入れる。すると手だけでなく真琴自身も鏡の中に吸い込まれていく。
そして、鏡の先にあったのは明るくて人が大勢いる場所。
大小様々な大きさや形や色の鏡が壁に設置されており、その鏡から人が出入りしている。
鏡だけでなく《【水の島】行き》や《【金の島】行き》に《御手洗い》と書かれている標識が天井からぶら下げられている。鏡がある場所から離れた所には土産用のお菓子の販売所もある。
どことなく交通機関を思わせるここは【合戦場】にある島の一つ、【月の島】にある【鏡駅】。【合戦場】を利用するもの達のほとんどが島へ行くための交通手段として重宝している場所だ。
【合戦場】の外からやって来たもの達は必ず【鏡駅】に着くようになっている。
【刀持ち】ならば無条件かつ無料で使用する事が可能であり、人が通れるくらいの大きさであればただの鏡であっても【鏡駅】に行く事ができる。
それ以外のもの達が【鏡駅】を利用する場合は島に行くための切符を購入しなくてはならない。さらに【鏡駅】に入るためには公共施設に設置されている専用の鏡から通らなければならない。地域によってはその鏡が設置されていない場合もあるため【合戦場】に行きたくても行けないという人が大勢いる。
真琴は【火の島】行きへの鏡を見つけるとその鏡を使って【火の島】へと向かおうとする。向かった理由は【火の島】の方が人通りが多く、【写し持ち】達が大勢集まっていると知っているからだ。
鏡に向かう途中、真琴は自分の格好が黒い袴の着物に変わっている事に気が付く。それを見て、以前見た流浪の格好に似ていると思いながらも真琴は歩く速度を緩めない。
一刻も早く願いを叶えるために真琴は【火の島】へと向かう。
◆◇◆◇◆
一方その頃、【火の島】及び【合戦場】では大騒ぎだった。
【ぶっ殺ランキング】から【合戦場】最強と謳われている流浪の名前が無くなってしまったからだ。人々は殺し合いそっちのけで考察を話し合っていた。
そのせいで、そのおかげでとある【刀持ち】の事はこの時は注目されなかった。
流浪の名前が無くなった事に興味が無かった【写し持ち】達は今日はどう過ごそうかと思っていると、【合戦場】のあちこちに設置されている電子掲示板に【ムソウ】の申し込みが表示されていた。
《【火の島】で【ムソウ】の対戦者求む。応戦者、【刀持ち】名無しの権兵衛。申し込み人数残り百人。》
それを見た【写し持ち】達は名無しの権兵衛という名前に見覚えはなかったが、最近入ってきた新入りと思いその刀を奪うために近くにいた【巫女】に頼んで【ムソウ】の申し込みをした。
申し込み人数の百人はすぐに達成し、【ムソウ】は速やかに行われた。
参加した【写し持ち】達のほとんどは見た事もない名無しの権兵衛の刀を奪って自分が新しい【刀持ち】になる事しか考えていなかった。【刀持ち】であろうと新人でこの人数差ならば余裕で勝てるとたかをくくっていた。
しかし、結果は【写し持ち】達の惨敗。名無しの権兵衛の圧勝。
百対一という人数差をものともせずに名無しの権兵衛は勝ち、そして早々に【合戦場】から立ち去っていった。
これが名無しの権兵衛の、真琴の【合戦場】での初めての勝利。
そして、これから起こる大騒動に巻き込まれるきっかけでもある。
◆◇◆◇◆
「取ってきた。」
そう言って真琴が机の上に置いたのは真っ赤な紙。これこそが【血盟書】。見た目は赤い事以外何の変哲もない紙だ。
「早。もう取ってきたの。ゆっくりでいいのに。」
そう言いながら天野は【血盟書】を手に取り、真琴の目を見る。
「本当にいいの? 一度契約したら途中で無効にする事は出来ないよ。」
「かまわない。」
即答。
真琴は悩む間も無くそう言い切る。
他者から見れば無謀ともとれるその答えを天野は否定せず【血盟書】を真琴に見せるように持ち上げる。
「なら、オイラが君に要求するのは一万人の殺害だ。期間は君が【刀持ち】である限り。対価を支払っている間はオイラの指示に従ってもらう場合がある。だけどそれは君にとっても利益があるものだ。それでもオイラと契約する?」
「あぁ。」
真琴が頷くと【血盟書】に黒い文字が浮かび上がっていく。内容は真琴の願いにそれに対する対価が書かれている。
「よろしい。ならば君の願いを叶えよう。一つはオイラからのお祝いとして。二つ目は契約として。君は何を願う?」
天野からの問いに真琴は臆する事なく自分の願いを再び言う。
「私の願いは井上 真琴を殺して鬼丸 真琴に生まれ変わりたい。」
真琴の発言に【血盟書】の文字が付け加えられる。【血盟書】の下部分には《鬼丸 真琴》の名前が書かれている。
「いいとも!」
天野が真琴の願いを了承すると【血盟書】に書かれた《鬼丸 真琴》の名前の横に《天野 一》の名前が書き足される。
「はい、これにて君の願いは叶えられ、君とオイラとの契約は完了。これからよろしくね、鬼丸 真琴。」
【血盟書】を懐にしまい、真琴の新しい名前を呼んだ天野は真琴に座るよう促す。
「じゃあ次は井上 真琴をどう殺すのか話し合おう。ほら、座って座って。疲れていると思うけど君、ささっとやりたいんだろ。お茶入れ直すから座ってちょっと待ってて。」
そう言うと天野は一度も口をつけられず冷めてしまったお茶が入った湯呑みを掴み台所へと向かっていく。
天野の背中が見えなくなった真琴は一人、ため息をついた。自分がとんでもない決断をしてしまったのは分かっているが、後悔はしていなかった。
[お前に【無名】を渡そう。お前になら託せられる。その後は、好きにしなさい。好きなように生きて、幸せになりなさい。]
愛する祖父、鬼丸 綱吉から貰ったものを大切にするために。自分のために真琴は自ら外道に踏み入れた。




