二十一話 井上 真琴
流浪。
真琴はその名前に聞き覚えがあった。
祖父、綱吉の持つ刀に見覚えがあった。
以前、受像器で【合戦場】という名の殺し合いが許されている場所で戦う流浪の姿を特集した番組を観た事があった。流浪の存在を知ったのはそれが初めてであり、真琴は受像器越しで行われる流浪と対戦相手の殺し合いを食い入るように観ていたが、番組を観ている途中で母親からこんなものを観ている暇があったら勉強をしなさいと消されてしまい最後まで観る事はできなかった。
それからも流浪が受像器に出るたびに母が番組を変えたり消したりするため流浪が戦う姿を観る事ができたのは最初の時だけ。
それでも、真琴の脳裏には流浪の姿が焼き付いていた。鬼の仮面を身につけて顔を隠した黒い着物を着た男。殺し合いに使う武器は一振りの真っ黒な刀のみ。
真琴は流浪が持っている刀の名前を知っている。名前は【無名】。流浪だけが持つ特別な刀。
それなのに、流浪が持っているはずの刀を綱吉は握っていた。
受像器越しでしか観た事のない、遠い存在であるはずの流浪の名を綱吉は名乗った。
そして、【無名】を持った綱吉が真琴を殺そうと【無名】を振るった。
怒涛の情報量の上に綱吉が襲いかかってきたが、真琴は何とか体を動かして綱吉の攻撃から逃れる。
綱吉の攻撃をかわしながら真琴は必死に頭を働かせる。何故、こんな事になったのか自分なりに考える。
「考え事か? 余裕そうだな。」
しかし、それを綱吉は許さない。一気に距離を詰めて真琴の腹を、胃の辺りを蹴る。
蹴り飛ばされた真琴は倒れ、蹴られた衝撃で吐きそうになった。何とかそれを飲み込んだが、痛みと衝撃のせいで真琴は蹴られた場所を押さえ咳き込む。
「このままでは死ぬぞ。さっさと起きろ。構えろ。」
真琴の苦しそうな姿を見ても綱吉は容赦なくそう言う。
痛みに耐えながら真琴は立ち上がり、刀を持ち直す。しかし、そこから動こうとはしない。動かせなかった。
「…おじいちゃん、無理。無理だよこんなの。」
「無理じゃない。やるんだ。」
「やめようよ。」
「やめない。」
真琴の懇願を聞き入れず、じわじわと距離を詰めていく綱吉。
それに合わせるように真琴は少しずつ後ろに下がっていく。
真琴の言う無理、には綱吉を殺したくないという気持ちの他に理由が込められていた。
綱吉と過ごし、剣術の稽古をつけてくれたため真琴は綱吉の動きを間近で観察する事ができた。それゆえに真琴は理解していた。自分と綱吉の間に大きな実力差がある事を。
綱吉の剣術には無駄な動きが一切ない。長年の鍛錬で鍛えられた体はとても老年の男のものとは思えない。そして思考の早さ。
門下生達から天才ともてはやされた真琴だが、簡単に綱吉を越えられると思うほど自惚れてはいない。
「無理。できない。」
綱吉の強さを知っているからこそ真琴は無理と言う。
「お前がそう思い込んでいるだけだ。いや、そう思い込ませるよう躾けられたか。」
それを他でもない、綱吉本人が否定する。
「何を、根拠に。」
「刀を捨てず、逃げださない。今のお前が何よりの根拠だ。」
祖父にそう言われ思わず手に力が入る。綱吉に渡された刀を両手でしっかりと握っている。攻撃を避けた時と倒れた時も真琴は刀から手を離した事はない。
「お前には才能がある。人斬りとしての才能が。腕前もそうだが精神面でもお前は優秀だ。」
「え。」
「こうしている今、お前は恐怖に囚われていない。私から目を逸らさずにいる。」
確かに綱吉の言う通り真琴はこの局面においても落ち着いていられた。
人殺しの道具を渡され、愛する祖父に殺すと言われた上に蹴られても真琴は逃げ出そうとはしなかった。泣こうとはしなかった。
恐怖の感情がないわけではない。しかし、考え事をしたり綱吉の話を聞けるくらいの気持ちの余裕が真琴にはあった。
真琴がずっと言われてきた普通とはかけ離れた心的傾向だ。
「経験不足はこれから補えばいい。それさえ足りてしまえばお前は私以上の、あの人以上の人斬りになれるかもしれない。」
なんて事ないように綱吉は真琴に人殺しの才能があると言う。それを聞いても真琴は取り乱さない。無意識の内に納得しているためだ。
真琴は過去に他人に向けて何度か暴力を振るった事があったが、何も感じなかった。嫌悪も喜びも達成感も、何も感じなかった。暴力を振るった後、真琴が思った事は邪魔なものを片付けたという事だけ。それこそが綱吉の言う人斬りとしての才能だと真琴は無意識の内に受け入れていた。
「それゆえにお前が井上 真琴である限り、苦しみ続ける。いずれこの世界で溺死する事になる。それは何としてでも避けたい。だから今ここで殺す。」
一方的に話を終わらせた綱吉は刀を構える。
それを見た真琴はこれを受けたら死ぬと直感した。しかし、真琴は逃げず刀を構えたまま動かない。どう動いたらいいのか分からないからだ。
そうと分かっていながら綱吉は刃を真琴に向け、刀を振るった。
そして、決着はついた。
「…えっ?」
真琴は目の前で起こった事が信じられなかった。
気がつけば体が勝手に動き突き出した刀の先は綱吉の胸元に深々と突き刺さっている。
今まで行ってきた鍛錬が体に染み込んでいたのと条件反射によって真琴は一瞬の間に綱吉の攻撃を掻い潜り、持っていた刀で綱吉の急所に重い一撃を与えた。
肉と刀の隙間から大量の血が流れ出て綱吉の着物と床を濡らしていく。
真琴は刀を突き刺したまま、動く事ができなかった。状況の把握が遅れていた。
「よくやった。」
真琴の手によって致命傷を受けて激痛を感じているにもかかわらず綱吉は穏やかに微笑む。
「こんな、乱暴なやり方ですまない。だが、これしかなかった。俺の刀を渡すにはこれしかない。」
綱吉が話をしている間にも血はどんどん流れ出ていき、顔色はどんどん悪くなっていく。もう間も無く綱吉は死んでしまう。それは真琴も綱吉自身も分かっている事だが、真琴は祖父が死んでしまう事を察した時に身がすくんでしまい、声を出す事ができない。綱吉は自分が死ぬ事など瑣末な事だと言わんばかりに限られた時間の中、真琴に語りかけていく。
「お前に【無名】を渡そう。お前になら託せられる。その後は、好きにしなさい。好きなように生きて、幸せになりなさい。」
そう言いながら綱吉は持っていた刀を、【無名】を床に突き刺す。倒れた時に真琴が怪我をしないようにするための配慮だ。
「お前が殺したのは流浪だ。流浪を殺せたのはお前が初めてだ。すぐには無理だろうが、その事を誇りに思ってほしい。」
その言葉を最後に、綱吉は穏やかな表情で背中から倒れていく。刀が突き刺さったままなのでその拍子で真琴は刀を手放してしまう。
綱吉の血の匂いがはっきりと分かるほど近くにいた真琴はただ、力尽きて血溜まりの中に倒れ込む綱吉を見ていることしかできなかった。死にゆく綱吉に何も言えないまま、その死を看取った。
井上 真琴は殺した。
愛する祖父を、真琴の事を理解してくれる唯一の人物を真琴の手で殺した。
鬼丸 綱吉は死んだ。
真琴を襲い、返り討ちにあって死んだ。
結果としてそうなり、真琴は最強の【刀持ち】流浪を殺した事にもなるが、今の真琴はそれどころではなかった。
胸のあたりに穴が空いたような喪失感が真琴に襲いかかり、その場に座り込んでしまった。何もせず、ただ綱吉の遺体を見つめていた。
が、そう長い時間ではなかった。
「おめでとう。」
背後から突然誰かの声がした真琴は振り返ろうとしたが、その直後に胸に激痛が走った。胸元を見ると綱吉が持っていた刀、【無名】が真琴の胸元に深々と突き刺さっている。しかも、刀はどんどん奥深くまで進行していく。刀は真琴の体を貫通せず、吸収されていくかのように奥へ奥へと進んでいく。
刀がなぜ突き刺さったのか、なぜ貫通しないのか。謎は多いが今の真琴にはそんな事を考えている余裕はない。
痛い!
痛い痛い痛い!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
真琴は胸元を中心に全身に広がる痛みに悶絶していてそれどころではない。刀がこれ以上食い込まないよう掴むが、刀はお構いなしに真琴の体内に侵入し、とうとう鍔も柄も体内に入り込み、【無名】は完全に真琴の体内に収まってしまった。どういうわけか刀が突き刺さった部分に傷は一切無く出血もない。しかし、耐え難い痛みに真琴は倒れてしまう。
「ハッピバースデートゥーユー。」
真琴に声をかけた主は手を叩いて歌っている。
その声を、歌を聞かされて苛立つ真琴だったが痛みに悶絶しているため文句の一つを言う余裕さえない。
「ハッピバースデートゥーユー。」
声の主の歌を止めるものが誰もいないため歌は途切れない。真琴の呻き声を楽器代わりに歌い続ける。
「ハッピバースデーティアまーことー。ハッピバースデートゥーユー。」
そして歌い終わったのか激しく拍手をする声の主。
つい先ほどまで死闘が行われて血の匂いがついた道場内で声の主は明るい声で真琴に語りかける。
「おめでとう。おめでとう井上 真琴! 君は流浪を殺し、見事【無名】を手に入れた。【合戦場】の外だけど、君を【無名】の新しい持ち主である事を認めるよ。だってオイラはカミサマだから!」
そう言ってニコニコと笑いながら声の主、天野 一は痛みでのたうち回る真琴を見下ろしていた。




