十八話 井上 真琴
名無しの権兵衛がなぜ【刀持ち】になったのか。
それが明らかになる過去の話。
普通の女の子らしい部屋。
姿見鏡に映る普通に可愛い服を着た普通に可愛い髪の長い少女。
それを見て、名無しの権兵衛はこれは夢である事を即座に理解した。
自分が朧に殺され、復活するまでの間にたまたま見てしまった夢だと。
鏡に映っているのは昔の自分である事を。
鏡に映る自分の姿を見て名無しの権兵衛は、井上 真琴だった頃の記憶を一斉に思い出してしまう。
◆◇◆◇◆
真琴は普通の家庭のもとに生まれた。
普通の父と母と一緒に暮らし、普通の学校に通っていじめられる事もなくかといって誰かに期待されるような事はなく普通に過ごして。普通に幸せな生活をおくっていた。
普通。普通。普通。
真琴にとってそれは苦痛だった
普通の女の子のように伸ばしている長い髪の毛が嫌で美容院に行って髪を短く切ってほしいと頼んだら美容師に
「女の子なんだから長い方がいいよ。普通が一番だよ。」
と言われ、毛先を整えるだけで終わらせられた。
男性ものではあったがデザインが気に入ってそれを買おうとしたら一緒に来た母に
「女の子は普通そんなものを着ません。こっちにしなさい。」
と言われ、真琴が選んだ服をあった場所に戻し母が選んだ可愛い服を押し付けられた。
学校用の鞄に一つだけキーホルダーをつけていいため、とあるアニメに出てくる悪役のキャラクターのキーホルダーをつけたらそれを見た父に
「何その怖いの。普通そんなものつける?」
と言われ、何度もしつこく外すよう言われ、真琴は結局そのキャラクターのキーホルダーを鞄から外した。
自分が恵まれた環境で生まれ育っている事は理解している。
両親や周りも良かれと思ってそう言っていると理解はしている。
それでも、そうと分かっていても真琴にとって今の生活が、普通が大嫌いだ。息苦しささえ感じている。
真琴が好きなものは否定され、それぞれが思う普通のものを押しつけられる。
周囲の人達の手によって普通という概念を塗り固められる事が真琴にとって苦痛だ。
普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通。
真琴は普通が大嫌いだ。
真琴は普通を押しつけてくる人が大嫌いだ。
そして、結局は押しつけられた普通を突っ返さず甘んじる井上 真琴が大嫌いだ。
それでも、真琴には救いがあった。
母方の祖父と祖母の存在だ。
真琴が学校の長期休暇に入ると母と一緒に数日間ほど祖父と祖母の家に泊まり込みで遊びに行く。
真琴は祖母が好きだ。優しくて真琴の好きなものを否定せず話を聞いてくれて好物のキャラメルをくれる。
真琴は祖父が好きだ。寡黙な人だがけっして無愛想というわけではない。教師として働いていた事があったため勉強で分からない事を聞くと分かりやすく教えてくれる。時間があれば剣道の師範として子供達に剣術稽古をつけている姿を見学させてもらえる。
真琴は祖父の事が好きだが、母は違った。
祖母に対しては気兼ねなく話をしているのに、祖父に対しては挨拶すら嫌がっている。
真琴にはなぜ母が祖父の事を嫌っているのか分からないが、聞く事はしなかった。聞いたところで関係ないと話を終わらせられると分かっているし、怒られると分かっていながら聞くほど興味はなかった。母が祖父を嫌っている事自体はどうでもいいと思っていた。
しかし、母は真琴が祖父と話をする事すら嫌がった。
最初は無理して話をしなくてもいいとやんわりと真琴に言っていたが、真琴は気にせず祖父に話しかけた。
やんわり言っても意味がないと察した母は、今度は真琴を祖父に近づけさせないよう家の手伝いをさせたり宿題をさせたり一緒に出かけようとした。
しかし真琴は手伝いをさっさと終わらせるし宿題をやる時は祖父に分からない問題の解き方を教えてもらっている。外出は高確率で拒否される。
なかなか思う通りに動いてくれない真琴に対して苛立った母は家に帰った後、叱りつけるように強い口調で祖父と話をするなと命令した。
さすがにこれはおかしいと思った真琴はついになぜそんな事を言うのかと理由を聞いたが、真琴の予想通り母は答えずいいから祖父と話をするなと怒鳴るだけ。
母が祖父の事を嫌っている事は知っていた真琴だが、母の言い分に納得する気はなかった。理由も言わずに一方的に祖父から遠ざけようとしている母に真琴は怒りを感じ抗議した。
母は素直に聞き入れてくれない真琴に苛立ちを感じまた怒鳴ろうとした時、母の携帯端末が鳴った。母は話を一旦中止にし、携帯をとると相手は祖父だった。聞きたくない声に母は早く連絡を切りたいと思い前置きなしで祖父に用件を聞き出すと、携帯の向こうにいる祖父は落ち着いた声音で母に伝えた。
祖母が亡くなった。
◆◇◆◇◆
母に連れられて祖母の葬式に参列した真琴に母は真琴におとなしく座っていなさいと言いつけ、祖母を弔うために訪れた祖母の友人や親戚達との挨拶まわりに向かった。
母が離れた事を確認した真琴はすぐに母の言いつけを破って席から立ち祖父を探しだした。しかし喪主である祖父も挨拶まわりや準備のためにあちこち動き回っているためなかなか見つからなかった。
祖父を探しているうちに外に出てしまった真琴はひとまず自分の席に戻ろうとした時、近くの部屋から男のわめき声が聞こえた。それを聞いた真琴は立ち止まり、声が聞こえた方を見ると、真琴の目線の先にある部屋の扉が勢いよく開き部屋の中から中年の男性が出てきた。酒に酔っているのか顔が真っ赤で足元はふらふら。底が割れた酒瓶を握っている。男が出てきた部屋からは複数の悲鳴が聞こえてくる。
まだ幼い真琴でも面倒な事が起きていると分かり、巻き込まれる前に立ち去ろうとしたが、その前に男に気づかれてしまった。男は酒のせいで呂律の回らないまま真琴に向けて怒鳴りつけ近寄ってくる。手元には依然と割れて凶器になりそうな酒瓶がある。
部屋から焦った様子で飛び出して来た老人が真琴に近寄る男の姿を見て慌てて止めようとしたが、逆効果だった。老人がやめろと言いながら近づいて来るのがよほど気に食わなかったのか、男は意味の分からない叫び声を上げながら真琴に向けて酒瓶を振り上げた。
普通の女の子だったら、目が血走った男を見たら怯えるかもしれない。
普通の女の子だったら、男が近づいて来たら逃げようとするかもしれない。
普通の女の子だったら、男が酒瓶を振り上げた時、泣くか悲鳴をあげるかもしれない。
普通の女の子だったら、このまま男に酒瓶で殴られるかもしれない。
だけど、真琴は違った。
真琴は目が血走った男を見ても男の声がうるさいという感想しか思い浮かばなかった。
真琴は男が近づいて来ても逃げようとはしなかった。冷静に男の動きを見ていた。
真琴は男が酒瓶を振り上げた時、真琴は男の股下まで行き、しゃがんで、勢いよく立ち上がった。
その結果、男は酒瓶を手放し股間あたりを両手で抑え、うずくまってしまった。
頭に残っている嫌な感触に嫌悪しながら真琴は男から目を離さない。男が何か不審な動きをしたら即座に攻撃をするつもりだった。
「真琴。」
しかし、名前を呼ばれた真琴はあっさりと男から目を離し、名前を呼んでくれた人物に目線を合わせる。
真琴の名前を呼んだのは祖父だ。
祖父は真琴と倒れている男を交互に見た後、真琴の目を見る。
「お前がやったのか?」
祖父の言葉に真琴は黙って頷くと祖父は真琴に手招きをしてきた。真琴がまっすぐと祖父の元に来ると祖父はしゃがみ真琴と目線を合わせる。そして、笑った。祖母にさえ滅多に向けない笑顔をこの場で、真琴に見せた。
「やっと、見つけた。」
そう言って祖父は真琴を抱きしめた。
真琴はなぜ祖父が笑ったのか分からなかったが、それでも嬉しかった。祖父の笑顔を見れて、祖父に抱きしめられて。真琴は嬉しかった。
そのまま視線を少し上に向けると少し離れたところに母がいるのが見えた。真琴と祖父と倒れている男を見て怯えている様子だったが、真琴はそんな母の事を気にせず抱きしめてくれる祖父の背中に手をまわした。




