人外に転生したので今度こそ一生を添い遂げようと思います。
※現実世界での話が多めで異世界でのお話は最後にちょこっとあるだけです。
本当にプロローグだけでこれから男が我武者羅に頑張って彼女を迎えに行く。(続くかは未定)
途中流血表現などあります、注意。
彼女と出会ったのは必然だったと思う。
特別な出会いではなかった。劇的な理由とか、ロミジュリ並みの波乱万丈な恋愛劇を繰り広げたとか、そんなことは一切ない。少しばかり彼女のガードが堅かったけれどアタックしまくって付き合っただけの、普通の恋。
穏やかに愛を育み、時に喧嘩をしながらも隣を歩くことは止めなかった。一緒にいるだけで心が満たされる安心感とでもいうのだろうか。友人に話せば、老夫婦みたいだなとかお前枯れてるんじゃないかとか失礼な評価を受けた。勿論やることはやってた。
きっと自分は彼女と結婚するだろうと考えていた。相手も同じだったようで、ある日の晩、夕食の後一服している時にお茶と一緒に結婚指輪を差し出せばちょっと噴き出しつつも受け取ってくれた。流石に唐突過ぎるだろうと少し小言は貰ったが、お互いに夜景の見えるレストランでとか、大勢の前でサプライズとかは苦手だったため言葉の割に不満はなさそうだった。
代わりに、箱の中から指輪を取り出して左手の薬指にはめて眺める横顔がやけに印象に残った。シンプルなシルバーの指輪を光りにかざしてしばらく見つめ、恥ずかしそうに小さくお礼を言われて此方まで照れてしまった。
何年か夫婦水入らずの生活を楽しみ、30の中頃には流石に二人は寂しいということで子供を設けた。夜泣きは激しいわ物は壊すわと想像以上に子育ては過酷だったし、彼女が俺よりも子供に付きっ切りになるのはたまに面白くなかったが、抱き上げた際に時折見せる花が咲いたような笑顔を見てしまえばもう駄目だった。
彼女と同じ丸顔の中にある、俺とよく似た目鼻立ち。間違いなく彼女と俺との間に出来た我が子であるという実感は何にも勝る歓びだった。
一番上の子が一人で歩けるようになると、今度は第二子の知らせを受けた。家族が増える大変さは勿論あったが、彼らのためにもっと働こうという気持ちの方が大きかった。
教科書にお手本として出てきそうな、一般的で平凡な家族。大きな怪我もトラブルもなく、少し経済的には厳しかったものの、間違いなく俺は幸せだった。
埋没しそうな程平凡な家族だったのだ。
ただ、ある一点を除いて。
彼女の秘密を知ったのは付き合い初めて数年が経った頃だと思う。
結婚も視野に入れ初め、いつ切り出そうかと内心でタイミングを見計らっていた時にちょっとした事故が起こった。事故といっても、彼女が料理の最中に誤って指を切ってしまったとかそんなレベルだ。本来なら消毒して絆創膏を貼って、心配なら病院に行くとかその程度で終わる出来事だった。
しかし、それは傷が塞がったのを俺が目撃してしまったことで叶わなくなってしまった。
秘密を知られた彼女は驚く俺よりも余程青い顔をして取り乱した。けれど人間自分よりもパニックになる人を見るとかえって冷静になるという言葉は正しかったようで、俺は懸命に彼女を宥めながら訳を話してもらえるように説得した。
彼女は俺が彼女のことを化け物だと言って離れていくことを恐れていたみたいだ。元々俺の一目惚れで付き合い出したのに、俺から離れて行くことなんてあり得ないのに。馬鹿だなぁと苦笑しながらも、それだけ俺のことを愛してくれているのだと思えば内心悪い気はしなかった。
彼女は孤児院の出で、己がどのような家系だったのかは分からないという。しかし、昔から傷の治りが異様に早く、どんな大怪我を負っても瞬く間に元通りになってしまうのだと語った。
当然それを見た人間は彼女に恐怖した。彼女自身も己の体が気持ち悪く、孤児院を出てからはひたすら隠していたのだと震える二の腕を抱き締めて呟いた。
だからこそ、俺に告白された時も嬉しさより恐怖が強かったと。気を付けていても、いつかはこんな風に知られてしまう日が来てしまうのではないかと危惧していたことを語った。
一通り彼女の中で燻っていた想いを全て吐き出させた。そしてその後からは俺のターンだった。
如何に俺が彼女を愛しているか。勿論驚きはしたがそれだけで彼女を手放すと思われていたのならば片腹痛いと散々愛を囁いた。終いには横抱きにして寝室に連れて行き、もう分かったからと白旗を上げるまで身体に教え込んだ。満足だ。
まあそんなことはあったが、彼女は回復力が異常である以外特に変わった所はない。
見た目は普通の人間だし、目や口からビームが出ることもない。俺は素敵だと思うが、客観的に見て絶世の美女ということもない。一番懸念していた子供への遺伝も杞憂に終わった。
二度目の転機はその数年後に訪れた。
子供も大きくなってきて、小皺や白髪が目立ち始めてきた頃だと思う。子供たちが寝静まった後に珍しくやることもなくゆったりと夫婦二人で酒を飲んで談笑していた時だ。
程よく酔って、何気なく自分の妻を眺める。惚れた欲目か、俺と同じく四十路に入ったというのに妙に若々しく映った。俺とは違いまるで出会った頃と同じくらい、美しいままの姿にある仮説が浮かび上がる。上機嫌に飲んでいた俺が不意に強張ったのを敏感に感じ取った彼女が、泣きそうに顔を歪める。
彼女も俺と同じ結論に至ってしまったことを知り、筋張った腕で瞼を覆った。
彼女は歳を取っていなかったのだ。
人はいずれ老いるものだ。成長し、そして老化が進む。しかし彼女は、成長が止まってからの変化がまるでなかった。
若い頃の写真を引っ張り出す。出会った頃の二人の写真。結婚式の写真。子供が生まれた頃の、成長していく子供との写真。段々老いて行く俺と、子育ての疲労を差し引けばまるで変わらない彼女が並ぶ写真。
残酷なほど変わらない、美しい微笑みに顔を覆った。そして写真の彼女はいつしか笑顔が曇り、正面からのものがここ数年にかけて見当たらないことに気付く。
彼女は勘付いていたのだ、俺が気付くずっとずっと前から。そしてそれを直視することを恐れた。
不老不死、という言葉が脳裏に浮かんだ。
そんな馬鹿なというには証拠がありすぎていた。不死であるかは分からない、しかし試すなんて恐ろしいことを俺は絶対に望まなかった。それに、もし仮に証明したとして、得をする人間は俺でも彼女でもないのだから。
子供が成長する。俺は順調に老いていく。
それでも彼女は変わらない。
彼女自身、化粧で若さを誤魔化していたようだが結婚当初から付き合いのあるご近所さんから時折不審そうな目で見られることが増えた。彼女は常に何かに怯えるように家に籠るようになった。就寝しても夜中に飛び起きるようになった。自傷を隠れて繰り返すようになった。けれど、手首には傷跡一つ残らず綺麗なまま。
おいて逝かないでと縋りつく腕を彼女ごと抱き締める。狂う一歩手前の彼女を見捨てる選択肢なんて、俺にはなかった。
平凡な家族だったんだ。望んだのは些細なことだったんだ。
けれど普通の家族を演じることさえ、彼女には難しかった。
彼女を殺した。
正確には、『社会的に』彼女という存在を葬った。
老いない彼女がこの先普通に生活することは難しい。もしも彼女が一人で生きていくのならそれも可能だったかもしれない。けれど、俺はどうしても彼女と離れたくはなかった。
だから、彼女が亡くなったように偽装して、その存在を戸籍から消した。全ては俺のエゴのためだ。
子供たちが泣き叫ぶ声が鼓膜に焼き付いて離れない。胸が締め付けられる思いで、己の行った代償に必死で耐える。子供たちのことは愛しているが、俺は彼女と自分の未来を取ったのだ。当然の報いだった。
引っ越しをした。俺達のことを知らない、別の地域に全員で移り住んだ。
新しい家には子供たちに内緒で地下を作った。そこにはひっそりと彼女が暮らしている。
愛妻家として知り合いに少し有名だった俺の行動を不審に思う者はいない。罪悪感と恐怖に押しつぶされそうな彼女を支えながら、俺は子供たちを男手一つで育てた。
子供たちが親元を離れると、俺はすぐさま家を売り払い、彼女と二人で行方をくらませた。彼女がもっと伸び伸び暮らせる場所に移り、余生を二人で過ごすためだ。
この時の俺は既に50過ぎ。彼女は未だ変わらず、最早不老の仮説は確定と見て良いだろうと思われた。
人里から離れた、絶対に誰も来なさそうな山奥の洞窟に身を置いた。まさか現代日本でサバイバル生活をするとは思ってもみなかった。老いた体には中々に大変で、途中何度も挫折しそうになった。
けれど、少しずつ笑うようになった彼女を見ているとそんな気持ちは吹き飛んでしまった。
畑を耕し、居を構え、娯楽も何もない質素な生活。毎日その日に食べるものを取るのに精いっぱいで、決して楽ではなかったものの、数年が経つ頃にはお互いに順応しまくっていたと思う。都会では見ることの叶わなかった満天の星空を草むらにごろりと肩を並べて見上げながら、ここに来て良かったと笑った。
ただ、そんな生活も長くは続かなかった。
還暦を過ぎた当たりで急に足腰が弱っていった。少し動いただけで息が上がり、無理をすれば動けなくなることもしばしば。終いには10年もしない内に寝たきりになった。
冷たい石の台に藁を敷いた寝床はお世辞にも寝心地がいいとは言えない。ムズムズと背中が痒いのを我慢して、俺はぼやける視界の中彼女を探した。
鼻を啜る音に声をかければ、痛いほど手を握られた。結局俺は彼女を泣かせてばかりだと溜息を零した。それにもう、俺に残された時間はわずかしかない。
今俺に出来る限りの力で彼女の掌を握り返す。彼女のためを思うのなら、きっとこの手を離すべきだったんだ。そうすればこんなに彼女は悲しむことも、泣くこともなかったのに。
俺が死んだ後彼女はどれだけ生きねばならないのだろうか。もしかしたら俺以外に伴侶を見つけるのだろうか、想像したら相手の男にちょっと腹が立ってくる。けれども俺は、この結末にあまり後悔は抱いていない。彼女にとって、俺みたいな自己中心的な男に捕まってしまったことが人生で一番の失敗だっただろう。
本当なら、世界の終わりまで彼女と生きていたかった。
俺が普通の人間でなければ。彼女が普通の人間だったなら。
目とは違い未だ機能している耳が彼女の慟哭を捉える。全身から力が抜けていく。迎えがすぐそこまで来ているのだと、はっきり自覚した。
「迎えに…来るから……」
何年経っても迎えに行くから。虫や風になっても、必ずまた逢いに来るから。どうかどうか、待っていて、と。
懲りずに再び彼女を縛り付けて、俺は眠りについた。
◆◆◆
目が覚める。
…目が覚める? はて、俺は確か死んだはずでは? 意味が分からずに瞬きを繰り返し、鉄の臭いに思わず上体を起こした。
「え…」
視界に広がるのは何処かの林の中。辛うじてそこが道であることは分かるが、何故かそこかしこに生乾きの夥しい血が飛び散っている。
しかも馬車が転倒し、積んでいたと思わしき荷物が散乱していた。これはどういうことか、一瞬込み上げた嘔気を堪えようと口許に手をやり、逆に強くなった鉄錆の臭いに目を剥いた。
「なんで、俺の手に血が…」
見下ろせば、掌だけでなく身体の至る所が赤く染まっている。
「いや…これ、もしかして」
所々すっぱりと切られた衣服に、明らかに致死量と分かる血がべっとりとついている。
もしかして、この血は俺から出たものではないか? そんな疑問が頭をよぎる。しかし服を捲った下は傷一つついていない。白くてすべすべの腹を撫でていると再び強烈な違和感に襲われた。
何故、俺の腹はこんなに瑞々しいのだと。
俺は飛び上がるように立ち上がり、散らばった荷物の中から鏡を探した。その時に発見した訳の分からない道具類や少年のように小さく細い手が嫌でも目に入る。
ようやっと見つけたのは水晶のように綺麗な玉。しかしこの際姿が分かれば何でもいいと反射する自分の顔を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、全くしらない外国人風の少年だった。
「……だれ?」
明るめの髪にアーモンド型の大きな目。華美ではないがそこそこ可愛らしい顔立ちをしているが、何故そんな少年の顔があるのかは分からない。
そもそも、俺は死んだはずでは? そうだ、確かに彼女に看取られて死んだ。その筈なのに。そう混乱する頭でもう一度水晶を覗き込むと、額からは小ぶりな角らしきものまであるではないか。
「もしかして、生まれ変わったのか?」
ふと天啓のようにそんな考えが降ってくる。我ながら頭でも打ったのではと思う程突拍子もない発想だが、事実己の顔も姿も変わっているという非現実的なことが起こっているのだから仕方がない。
おまけに見渡した景色は――現代でサバイバルしてた自分が言えた義理ではないが――明らかに国内ではなかったし、止めに馬車だ。ここまで手の込んだドッキリなど流石にないだろう。
けれど俺が気になっているのはそんなことではなかった。改めて己の服や半身を見下ろして、徐に自分の頬をつねる。普通に痛いので夢落ちという訳ではなさそうだ。
「これは、まさか」
ドキドキと心臓が忙しない。逸る気持ちを必死で抑え込み、落ちていた刃物の一つを手に取った。ずっしりと重い剣はこの状況の現実味を持たせているようでやけに印象深かった。
震えそうになるのを懸命に堪えながら、俺は剥き出しの腕に剣を走らせる。所々刃こぼれはしているが本来の切れ味までは損なわれていたわけではないようで、直ぐにチリリとした痛みと共に濡れた線が出来上がる。
些細な変化も見逃すまいと傷を凝視していれば、みるみる内にその傷が塞がっていく。そう理解した瞬間、俺の心は歓喜に震えた。
衝動のままに持っていた剣で今度は躊躇なく己の頸動脈を掻っ切る。酷い痛みと共に生暖かなにわか雨が降り注ぎ、一瞬意識が途絶えかける。力が抜けた体がぐらりと倒れかけるが、刹那もしない内に意識を取り戻し地面すれすれで手を付いて支えた。
喉をなぞる。あれだけ深く切ったのに蚯蚓腫れさえ残っていない。そのことを確認した俺は腹の底から湧き上がる笑いが抑えきれなかった。
「やっぱりだ! 嗚呼、嗚呼、やったよ菫。俺は遂に不死になれたんだ!」
なんて素敵なんだろうか。自分の血を浴びながら大声で笑う俺は異形の角も相俟ってさぞや不気味な化け物に見えることだろう。けれど、そんな些細なことは気にならなかった。
だって考えてみてくれ。俺は何故か知らないが若く健康な身体に生まれ変わり、老いは分からないがとりあえず死ぬことはなくなったわけだ。普通の人間ならばその後の人生を考えて恐怖に震えることだろう。しかし俺の頭を占めていたのは全く別のことだった。
―――これでもう、彼女を一人にせずに済むんだ。
「それどころか、これなら今度こそ添い遂げることだってできそうだ。嗚呼どうしよう嬉しすぎて死にそう…早く彼女の元に帰らないと」
そうと決まれば善は急げだ。俺は地面の荷物から着替えに出来そうなものを引っ張り出してボロボロな衣服から着替える。どうせ捨てて行くだけならと使えそうな物を片っ端から拝借していき、念のために額の角はタオルを巻いて隠して準備は整った。
ここがどこかは分からない。それどころか日本であるかさえも疑問だ。自分の姿を鑑みると、恐らく人間ですらない可能性さえある。
けれど歩き出した俺の足取りは軽かった。夢にまで見た彼女との永劫の日々を妄想し、逸る心に手を当てた。
「さあて、まずは情報集めから始めようか」
その後の計画も宛てもない。帰る方法があるのかさえも分からない。けれど俺は絶対に戻ってみせる。なぜならきっと、彼女は今もあの呪い(約束)に縛られて待っていてくれているだろうから。
「喩え何を犠牲にしたとしても、帰ってみせるよ」
そう笑った俺の顔は、ちょっと彼女には見せられない自覚があった。