食洗機
「洗われたい。身体はもちろんのこと、心まで」
バイトのキッチンで大きな業務用の食洗機で皿やらなんやらを洗っている時に、彼女はそう言った。僕を含め、高校生だらけの居酒屋の中、一人、大学四年生の彼女はいつもどこか「遠く」を見つめていた。
「どうしたんですかいきなり」
僕は隣のドリンクを作るサーバーで、メロンソーダを入れている最中だった。本当は話している余裕などなかった。もうこれは結構前のオーダーで頼まれた品だったのもあるけど、食洗機がすごく大きい音で終了の合図を出すからだ。あの音をここで聞くと耳がイカれてしまうかもしれない。誰かが素早く皿拭きが出来るようにという店長の粋な計らいだ。粋が過度すぎて僕には理解ができなかったけど。
「私は、あまりに汚れすぎたなと思って」
「少なくとも表側は綺麗ですよ、多分」
僕はよく分からない弁解をした。それは彼女に自分自身を否定してほしくなかったからだと思う。才ある人の否定ほど、聞きたくないものは無い。
「正直者だね君は。煤けてる気がするよ。いや翳りがあるという方が限りなく表現に近いな」
食洗機が低い唸り声のような音がひっきりなしに鳴っている。まだ当分このままだろう。
「そういう日もありますよ」
僕はそう言い、十二番のカウンターにメロンソーダを運びに行く。
それなりの激務だった。お客は途絶えず、9時を過ぎてもその勢いは留まることを知らないようだった。
僕は店長やチーフにバレないように、外に出る。真っ暗な人通りの少ない路地裏だ。そこに灰皿があるのを僕は知っていた。多分、店長が隠れるようにここで煙草を吸っているんだろう。
もちろん、高校生が煙草を吸って、利益が何一つないことや、むしろ害しかないことを分かっていた。僕は大人になりたい。卑怯だ、邪魔者だ、夢がないと罵られていようが大人になって希望を抱きたい。だからといって煙草を吸えば大人になれるかといえばそう出ないのも分かっている。
「君もか」
同じ、居酒屋チェーン店の制服を着た彼女がいた。片手に火のついた煙草、近くには缶コーヒーがあった。
「驚きました。吸ってたんですね」
「はは、そりゃあ成人だからね。君こそ吸っているんだろう? 良くないことだ。知らないのかもしれないから言っておくけど犯罪なんだぜ? 未成年の喫煙は」
彼女は、なんというか言い方は悪いが、邪悪な笑みを浮かべた。けれどそれはすごく似合っていると思った。
「なるほど、煤けてるかもしれませんね」
僕は二時間前くらいにちょっとだけ話した内容を思い出し、そう言った。
「分かってくれたようだけど、高校生の君にはまだ分からないかもね」
やっぱり「遠く」を見つめていた。
もしかして僕が大人になりたいのも、彼女に近づきたいからなのかもしれない。彼女の見ている「遠く」に行きたい。
「僕なら、僕だからこそ分かることが出来るかもしれないですよ」
僕もセブンスターをポケットから取り出し、火をつけた。
「駄目だよ。犯罪の重みを知らないな?」
そう言って勝手に僕の煙草を取った。そして地面に押し付けて火を消した。
「まだ、君は綺麗な気がするから。そのままでいて欲しい」
「あなたが黒だったなら、無理に白にする必要はないんですよ。僕が黒になるから」
あはと彼女が笑った気がした。一瞬のことだったから本当に笑ったかは分からない。
「大丈夫、私は白になれる気がするから」
大きく食洗機が終了の合図を教えてくれた。外にまで聞こえる大きな音で。