真夏の香草
初めての短編です!暖かい目で読んで頂ければ幸いです。
「 いらっしゃいませー。」
誰から見ても気だるい声色に、力の抜けたと瞼と口角。癖毛つきな髪の毛も半年以上切っていない。
その容姿は皆が口を揃えて接客になんかには向いていないと言うだろう。
「廣瀬 響」それが、俺の名前だ。
歳は、本当なら今頃大学2年生だっただろうか。
大学受験を前にプレッシャーに押し負けた俺は、受験生にもかかわらず、学校をさぼり家に引きこもるようになった。適当な時間に起き、腹が空けば何か食べ、眠くなれば寝る。それ以外は常に画面越しにブルーライトを眼に浴び続ける。そんな不規則な生活リズムをただ毎日繰り返していた。
俗に言うヒキニートだった俺だが、しびれを切らした両親に家を追い出され、挙げ句の果て親父には「一生帰ってくるな」とも言われる始末だった。
俺もさすがにこの歳で、家なしホームレス生活なんかは、絶対にしたくなんかない。
ようやくバイトで、雇ってくれたこのコンビニも俺なんか採用するだなんて、かなり物好きな店だろう。
いや、こんな正に怠惰を具現化したようなこの俺を雇うほど、この店は正に人手が欲しかったのだろう。
店長とアルバイト生が俺を含めてたったの三人。 計四人でこの店をまわしているようだ。そして全員が全員俺みたく勿論、フリーなわけではない。
性格や態度なんかで目を瞑りさえすれば俺はこの店にとってはかなり好都合な人間だったようだ。故に店長はさぞかし俺がこんな腐った人間だったことを悔いているだろう。
あと二、三人程新しい人が入りさえすれば俺なんかきっと即クビだ。確定だ。交代要員がいさえすればいいのだから、こんな俺なんか直ぐに追い出されても当然なんだ。
「兄ちゃん、あんたやる気あんのか?俺はコロッケを頼んだんだぞ?お前、これメンチじゃないか、それにこのレシート、酒が二つ分打たれてるんだが?!接客態度も悪いしどーなってんだ、この店はよぉっ⁈」
「も、申し訳ございません。直ぐにご返金、お取替え致します。」
とっさに横から店長が入り、「廣瀬、お前はしばらく品出しでもしてなさい。」と眉間にシワを寄せ小声でそう言った。
そもそも俺がレジ打ちしてる時に客が真っ先に指摘してくれたらこんな面倒なことにはならなかったんだ。
一番は俺がぼけっとしながらレジを打っていたせいではある。ただ、俺の中であの客に対して自分のミスを認めたくなかった。本当に俺の性根は腐っている。
「……とりあえずパン出せばいいのか?」
くそみたいにマイペースで、パンを新しい物を後ろにし、古いのを前に並べる。
その殆どは売れ残り七月十八日と刻まれた今日の日付の商品もおそらくは、ほぼ廃棄になるだろう。
都会でもなければ、言ってど田舎でもない。田舎よりではあるが。
そんな場所に静かに構えるこのコンビニには人なんか殆ど来なかった。
故にこの店に面接しに来る人もまた少ない。人手不足もそのためだ。いくらなんでもレジに誰もいない、店に誰もいないなんてことがあれば、万引きしてくださいと言ってるようなものだ。
交代出来る人が入りさえすればいい。そして数少ない面接希望者がこんな俺では、店長もさぞかし採用に至るまで、悩みに悩んだことだろう。
こんな静かな店だからこそ俺は、今日まで続けられたのだと思う。人が大勢入るような都会のコンビニなんかに雇われたなら、毎日何十回、何百回と客と店長に怒られ、それこそ一日でクビだ。第一俺自身、身が持たない筈だ。
「あ、あの……お花ってこのお店にありますか?」
品出し中の俺に客が聞いてきた。長い黒髪に前髪には青いヘアピンを留めている。とても落ち着いた雰囲気な女の子だ。格好からおそらく高校生だろうか。
「花は、うちにはないですよ。花屋に行った方が良いかと」
「そう、ですか……。実はすぐそこの信号でさっき事故があって、人が亡くなったみたいで……。すぐにでもお花をお供えしたいと思いまして。」
あまり話上手ではないようだった。
すぐそこの交差点。そういえば三十分ほど前に救急車の音が聞こえた覚えがある。
「その事故に会われた方は、お知り合いの方だったんですか?」
思っても普通聞かないだろう言葉を、さすがは俺だ。しれっと聞いてしまう。
「ううん、そういうわけではないんです。ただ、なんだか他人事には感じられなくて、私にとってもあの事故がなんだか引っかかるんです。私に出来ることなんて、せめてお花をお供えするくらいしか出来ないから。」
俺の不謹慎な質問にも、彼女は嫌な顔せず答えてくれた。にしても「なんだか引っかかる」とは、どういう意味なのだろうか。こればかりは聞かなかった。
「あの、ありがとうございました。お忙しいのに。」
「あ、ちょっと待って。俺ちょうど花持ってた気がするからそれ持っていって」
三日前がちょうど俺の誕生日で、母親から貰ったものがリュックに入ったままなのを思い出した。この歳でまさか誕生日に親から花を貰うなんて思いもしなかった。正直花を貰った所で邪魔なだけで、嬉しくもなんとない。
「またせて悪いね。所々枯れちゃってるけど、バチは当たらないと思う。当たるとしても絶対俺だけだから」
そう言うと俺は、束ねられた三本の黄色い花を手渡した。花の名前なんか言うまでもなく全く興味がないので、知るよしもない。
「ありがとうございます。全然大丈夫。なんだか凄く嬉しいです」
「なんで、君が嬉しいんだ?」
「え?……、なんでだろう、なんか今、嬉しい気持ちになったんです。」
さっきから感じてはいたがその女子高生は少し不思議な雰囲気の持ち主だった。
どう説明したらいいのかうまい言葉が見つからないが、今時の女子高生にしては随分と大人しく、何処か寂しげな眼差しで、彼女の言うことが、何処か意味深に感じたのだ。
「ま、まぁすぐにお供えしたいならそれで、十分だと思うよ。一番近い花屋もたしか自転車でも一時間くらいの場所だった気がするし」
「いえ、ありがとうございました。こんなタダで頂いてしまって。」
「んいやー、どうせ置き場所に困ってたし、俺に花なんか似合わないからよ」
いつの間にか敬語を使わなくなっていたが年下だろうし、何より相手も気にするような人ではないだろう。
店員としてどうかとは思うがな。
「そんなことないと、思いますよ。 お兄さんきっとお花が似合うと思う。お兄さん凄く優しそうだから」
そんなことを女子に言われたのは、初めてだった。
俺のどこをどう見たら優しそうなお兄さんに見えるのか。嬉しかったが、理解は出来なかった。こんな人間の屑みたいな俺がそんな好青年なわけないじゃないか。
*
「今日は、もう帰りなさい。」店長に言われ俺は店を後にする。さっきまでぴりぴりしていた店長も少しは機嫌を直してくれていたようだった。
「そういや、すぐそこの信号だって言ってたな。」
あの女子高生との会話のせいか妙にその事故現場が気になった俺は、家とは真逆だったが、少し寄ることにした。後から聞いた話だと、どうやら亡くなったのは、女子高校生だったらしい。お昼休憩中の出来事だったようだ。
「興味本位で事故現場見に行くだなんて、祟られてもおかしくねぇな。」
亡くなった方が、とても心が広いお方であることを願おう。
心の中でまで、俺はとことんクソ人間だった。誰が聞いても亡くなった人を馬鹿にしてるようにしか聞こえないだろう。俺も最低限そこは、自覚している。
十字路を囲むように立つ四つある信号機の一つに俺が女子高生に上げた花だけがお供えされていた。
十歩ほどで渡りきれるほどの小さな交差点で、電柱の高さくらいの住宅が徒然と立ち並ぶ比較的静かで事故なんか早々起こり得ないようなのどかな場所だ。
俺が救急車の音を聞いたのが事故があった直後だとすると今から五時間ほど前、十二時半頃に事は起こったのだろうか。
警察なんかの姿は、すでに見当たらない。事件性がないただの交通事故ならば深く捜査するわけでもあるまい。いなくて当然と言えば当然なのか。
「亡くなった人は、一体どんな気持ちだったん、ですか、ね。」
横から突然声が聞こえたので、目をやるとそこにいたのは、先ほどの女子高生だった。
「どんな気持ちだったか……、か。つか、君いつの間に……。」
あまりにも気配がなかったので少々驚いてしまった。それも俺と女子高生との間に人が一人入るくらいの距離に立っていたのだ。
「あれから、なんだかここが、気になってしまって……。気づいたら、今に至る、です。」
なぜこの、女子高生がこんなにもこの事故の起きた交差点が気になるのか、この時の俺は特にあまり気にすることもなく、知るよしもなかった。
「きっと知らないだけで君とこの事故とは何か深い関係でもあるのかも知れないな。」
確証も全くない戯言を俺は、口にした。
「そうかも、しれないですね。」
その声は、どこか寂しそうな気がした。
「あ、ほら!君がお花をお供えしてくれてきっと亡くなった方も喜んでくれてるんじゃないか?!きっと空のてっぺんで君のこと、凄く良く思ってるだろうぜ」
言葉足らずにも程がある。さすがの元ヒキニートっぷりだ。それでも俺はこの子に何か言わなければいけない気がしたのだ。
「ふふ、廣瀬さんておかしな人ですね。置き場所に困っていた少し枯れてる花をくれたり、それこそお供えするわけでもなくこんな場所に立ち寄って。 全く深くもない言葉でなんでか、励まされて。不謹慎な方ですね。」
彼女は、俺の前で初めて笑うと皮肉たっぷりとそう言った。ただこれまでと比べると、明るい口調だった。
「や、やっぱりそうだよな……。俺って自分に都合がいいことしか受け入れられない、屑野郎でさ、高卒でそっから一年半くらいずっと引きこもって、語学力も乏しいし、軽い励ましなら寧ろいらないよな……。」
「今の言葉、気にしちゃいまし、た?その、えと、軽く冗談みたいなつもりだったのですけど……。」
ふたたび彼女はさっきまでの内気な感じで話だした。
「あ、いや、全然気にしてないから!なんだぁ、冗談かぁ。紛らわしいな、はは……」
そう返した俺はあまりにも、ぎこちなさすぎた。本人も自覚している。本音を言うとそれこそ彼女の言葉は全く気になんかしていなかったが、俺が余計な自分語りをしたせいで、なぜか引け目になってしまった。
「そういや、君、なんで俺の名前を知ってたんだ?」
とっさに話を切り替えた。
「名札を見て、覚えただけですよ。私の知り合いにも同じ苗字の人が、いた、もので。」
それも、そうか。言葉に出すことなく静かに納得する。
「きっと亡くなった方も、まだまだやりたいこと沢山あったんだろうな。」
隣にいる女子高校生はキョトン顔で、頭にはてなマークがはっきりと見えた気がした。
「さ、さっきの答えだよ。ほら、どんな気持ちで亡くなったのかって。」
今度は、納得した表情を彼女は、見せた。内気そうな割に意外と表情は豊かなようだ。
「ここで、亡くなったのって君と同じくらいの子みたいだな。家族も随分辛い思いだろう。なんでそんなこれから先色んなことが待ってるはずの命が簡単になくならなきゃいけなかったんだろうな。」
こればかりは、こんな俺でも感じる本心だった。
「……いっそ、俺が代わりに死んでたら、誰も悲しまずに済んだろうにな。」
「っそ、そんなこと言わないでくださいよっ」
「そんなこと……」
振り絞った声で彼女は言うと、途端に走り出した。
「お、おい、待てよっ」
俺は、無意識に彼女を引き止めようと右手を伸ばした。
—その手は彼女の腕を掴むことなく、空ぶった。
いや、『掴めなかった』んだ。
「?! き、君……、」
そう言葉にしたときには、彼女の姿は、もう見えなかった。
*
あれから、一週間ほどが過ぎた。彼女とは、あれから一度も会っていない。
世間は、昨日から夏休みに入ったようで、少なからず客足は増えたように感じる。
それでも、俺はやはり仕事に何一つやる気が起きず、早速先程お客に怒られた。
あれからというもの、彼女のことが気になって余計仕事に身が入らなかった。
彼女は、一体なんだったのか。俺が話していたあの女子高校生こそが、事故で亡くなった本人だったのか?
ただ、不思議と怖いだなんて感情は全くなかった。それは、多分はっきりと彼女と会話をしていたからこそだろう。もし彼女がもうこの世の人間ではなかったとしても、俺と話した事実に変わりはない。何より最も普通の女子高校生だったのだから。
お客が、来店したことを伝えるように店中にポップな効果音がほんの一、二秒ほど鳴り響いた。
—あの場所で待ってる。
効果音が鳴り止む同時より少しばかり早く、そんな声が聞こえた。
入り口に目をやるとお客は、誰一人として入店していなかった。
彼女の声だった。あの場所とは、例の事故現場だろうか。絶対にそうだ。
俺は、居ても立っても居られなくなり、店の制服姿のままで、 入り口を出ると勢いよく走り出した。
大声で俺を引き止めようとする店長の声も、すでに俺には届かない。
正直、何が俺をここまで突き動かすのかわからなかった。
彼女に会いたいからか? ほんの少し話しただけの彼女だ。
本当に 幽霊だと確かめたいからか?彼女が幽霊だろうが人間だろうが、俺にとってはどうでもいい。
一言残し、俺の前から突然いなくなった訳を知りたいからか?
「それだ」
俺が代わりに死ねば良かった。その言葉が彼女にどんな思いをさせたというのだろうか?なぜ彼女は、
そんなこと言わないで、などと俺に言ったのか。何より彼女は自分自身が幽霊だということに気がついていないような気がするのだ。
コンビニから事故があった交差点までは、徒歩で十五分程だ。走ればすぐの距離に俺は、高校の体育祭を最後に全く走ることをしなかった鉛のように重い足をいかにも軽いように見せ、ただひたすらにぎこちなく走って見せた。
ようやく足を止めると不意に、草の匂いが香った。
昼間に天気雨が通ったせいだろう。ほんの少し残る雨の匂いと夏草の香りが混じり合い穏やかな風が一つ吹くと、なぜだかとても懐かしい気分になった。
そんな空気の中で、今までの自分の人生の堕落っぷりが頭を過ぎった。
「俺は、俺はいつからこんなダメな人間になっちまったんだ……。」
幼稚園、小学校では、「とても真面目で悪目立ちもしませんし、しっかりとした普通の子ですよ」なんてようなことをよく言われていた至って『普通の子』だったはずだ。
それが、いつからか、中学校に入った頃だろうか。悪くもなけれは、特別良くもない。
普通と言われることが嫌になったんだ。それが、いい方向に転がりさえすれば良かったものを、俺は何故か粋がって悪い方向へと持っていってしまったんだったな。
簡単に言うと学校をさぼるようになった。
受験生になった頃にもさぼり癖はなくならず、テストだけ受けて、気まぐれに登校するくらいだった。
学校は受けさえすれば誰でも通れるような底辺の夜間定時に渋々行くことになるが、高校生になってもやはりさぼり癖はなくならずに、いよいよテストにすら顔を出さなくなったんだ。
自分の将来のことを考えるだけで何もかも捨てて、消えてしまいたくなる。だから学校になんかいかずに日々ネットを漁り、気を紛らしていたんだ。
勉強、受験、大学、就職、将来、結婚、定年、老後、人生。こんなことを考えるだけでどうにかなってしまいそうだった。このままずっと歳をとらなければいいだなんて、夢物語を勝手に描いては突きつけられる現実に立ち向かうことなんて出来なかった。
どうして、こんなにも将来のことを考えたくないんだろうか。
答えは、はっきりしてるじゃねえかよ。
「何にも取り柄がないから、なんて、言わせないよ。」
心を見透かされたように俺に当てられたその声の主は
「き、君……」
言うまでもなく、あの女子高生だった。
「この前は、つい取り乱しちゃって……でも、廣瀬くんには、あなたが知らないだけでいいことが沢山あるん、だよ?」
この子は俺の何を知っているんだ? 何を根拠にそう、言い放つんだ?
「いつか、言ってた、よね。大きくなったら、プロの漫画家になってやるって……。私は、覚えてる。」
—「俺、大きくなったらぜってえプロの漫画家になってやっからな!だからそん時はよ、」
—だから、その時は……、君は……。
「だから、その時は私があなたのアシスタントになって立派にサポートするって。」
なんで、今日の今まで忘れていたんだろうか。 自分の夢と、そして彼女のことを……。
「琴音……、なの、か……?」
「うん……ひろくん。」
白詰草 琴音。二歳下の俺が小学生だった頃に公園で仲良くなった子だ。
「久しぶりだよね、元気だった?」
「あ、あの、ええと……。」
整理することが多すぎて処理が追いつかなかった。見つからない言葉を必死に脳内で探して、なんとか声にだした。
「昔はショートカットだったし、何より随分大きくなったから全く気づかなかったよ……。でも、うん、言われてみれば面影は確かにあるみたいだ」
俺が小学三年生の頃にたまたま近くの公園で知り合い、子供特有の話したらもう友達的なノリでいつしか毎日のように学校終わりに遊ぶようになった。
けれど、半年程経つと彼女は突然公園に姿を見せなくなったんだ。
「本当に、久しぶりだね。ひろくんもだいぶ変わったよね。声なんかすごく低いし背はとても高くなってて、ふふ、何より目が生き生きしてないよね」
「目が生き生きしてねえのは、気のせいだかんな?!」
気のせいなかんかじゃない、俺が一番わかってる。
けど、そうは言わなかった。
「なんで、この前会った時に教えてくれなかったんだよ?琴音はとっくに気づいていたんだろ?」
「うん、まあ、ね。でも、ひろくんが気づいてくれるまでは、言わないようにしようと思って、ね。」
どうしてだよ。俺がそう聞くと琴音から思いもよらない言葉が出てきた。
「私ね、もうこの世にいないから、ひろくんには、私だってことも言うつもりなんてなかったの。それでも一目あなたに会いたくて。」
……は?
琴音はもう、この世の人間じゃない。そう言ったのか?
でも、それはとっくに察していたじゃないか。はなっから彼女は幽霊かもしれない……と。
琴音だからか? 琴音だと知ってしまったから事実を受け入れまいとしているのか? 俺は。
「なんで、突然ひろくんの前からいなくなったかと言うとね。私、あの日も公園に行こうと思って、ランドセルを置いて家をでたの。でも、その途中で、トラックに跳ねられ、て。」
「お、おい?ってことは、琴音は十年前にすでに死んじまっていた……ってことかよ?」
「……そういうこと」
おかしい。だったら一週間前に起きた事故は一体どういうことなんだろうか……?
それに、琴音はあの頃の容姿なんかじゃない。明らかに成長している。
「そんな顔しなくても、今、教えてあげる、から」
琴音は、十年前この交差点で命を落とした。ただ、死んでからも琴音が俺に対して「会いたい」と思う気持ちがなくなることはなかったらしい。
十年間、変わることのない俺への気持ちに、俺は全く気づくことなくこの交差点を毎日のように渡っていた。琴音は俺のその後ろ姿をずっと見ていたらしいのだ。
「ひろくんが、中学生になって三学期が来たくらい、かな、ひろくんがここを通る回数が減ったの、は。」
それは、俺が不登校になり始めた時期であった。
「やっとこの交差点を通り掛かったひろくんの表情はいつも憂鬱そうで、悲しそうだった。そんなひろくんに声を掛けてあげたい……。背中をポンって押してあげたい……。でも私にはもうひろくんと関わることなんて、出来なかった。」
高校生になってからは、この交差点をめっきり使わなくなった。通学路が変わったからだ。
「私は、地縛霊みたいなものらしくて、どうしてもここから動くことは、できなかった、の。」
来る日も来る日も琴音は、俺がこの交差点を通り掛かるその時を待ち続けていたという。不思議と姿も実際の人間同様に成長していたらしい。誰かに対する想いの強さが幽霊なのに、人間のように錯覚したのでは、ないだろうか。本人はそう考えているみたいだった。
「それで、この前、やっと、私はこの場所から離れられるようになったの。十年間想い続けてきたおかげ、なのかな。動けるようになったと思えば今度は、ひろくんとだけ、話せるように、なった。」
一週間前に至る、か。
「でも、それじゃあ俺が聞いた救急車の音とか琴音が俺にお供え用の花がないか聞いたのは?」
「救急車は多分、単なる偶然。お供え用のお花の件は、ひろくんに話すためのきっかけにしかすぎなかったん、だよ」
なんて、偶然なんだろうか。これも琴音の想いから産んだ必然なんだろうか。警察なんかも通りでいなかったわけだな。
「ふふ、まさかあんなに、真面目になってお花くれるだなんて思わなかったんだけど、ね」
琴音は、笑いながらそう言った。昔から人見知りするような子で、話上手じゃなかった内気な彼女。俺に対してもあの頃から終始ぎこちない喋りかただった。それは今でも変わってはないみたいだが。
それでも時々琴音の見せるその笑顔があの頃のから大好きだったんだ。
「本当は、あの時コンビニで話しかけたらもう最後にしよう。そう思ってたんだ。ひろくんに私だと知られずにほんの少しだけ、もう一度だけ、ひろくんとお話ししたら、それで、終わるつもりだったの。」
琴音の表情は打って変わり寂しげな表情へと戻った。
「でも、話たらやっばり、私、ひろくんともっとお話ししたいと思って……、また、あの頃みたいに仲良くしたいって……。また一緒に遊びたいってっ……。」
琴音は、泣いていた。静かだけど、心は叫んでいるようなそんな声で。俺に心情を打ち明けた。
「なんで、あの時……、ちゃんと横断歩道を確認しなかったんだろう……、なんでひろくんを置いて自分だけいなくなっちゃったんだろうって……。ごめんね、ひろくん……。私、私……。」
「なんで、謝るんだよ……。一番辛い思いをしてるのは、琴音じゃねえか……。悪いのだってきっと運転手だ、お前を待ってやれずにいつの間に今日まで置き去りにしたのは誰でもないっ、この俺だ!お前の存在に気づいてやれなかった俺が全部悪いんだよっ!!」
気づいたら俺のこんなにも汚れた瞳からですら、流れた涙はなんとも言えぬ程に透き通っていた。
「……やっぱり、ひろくんは優しすぎる……よ」
「もう、……もう俺は、あの頃みたい……、琴音が思っているような……、そんなにいい人間なんかじゃないんだよ……。」
琴音の言葉を全て否定するように俺はそう言い返した。
「……そんなこと、ないよ。自分でも気づいてないだけ。今のひろくんにだって良いところたくさんあるん、だよ?」
そんなわけがないじゃないか。そう返すと琴音は口を再び開いた。
「ひとつは、まだ私だって気づいてもいないのに自分のお花を恵んでくれた。」
そんなの良いところでもなんでもないよ……。置き場所に困ってていらなかっただけなんだ。それに枯れていたんだ。
「本当はすごく、優しくて、とても人思いで、いつも誰かのことを第一に考えていて……。」
やめてくれ……、俺はそんな人間じゃないんだ。俺の今の姿が全てを物語っているじゃないかよ。バイトでの接客っぷりを見てみろよ……。
「悩み事なんかも人に迷惑を掛けたくない一心で一人で抱え込んじゃうほど、お人好しで。」
この際のお人好しは良い意味じゃないはずなんだ……。ただ俺の思考が幼いだけなんだよ。
「もう、隠さないでよ……、ひろくん。」
—そうなのか……。琴音……。君はもう知っていたんだな……。
さっきより大粒な涙がぼろぼろと流れて俺の視界は完全にぼやけた。
「俺が……、俺のせいで君が……、」
俺は声にならない声を振り絞った。
「 「「俺のせいで、琴音は死んだんだよっ……」」」
「……うん。」
ぼやける視界でもわかるほどに琴音はなぜか笑ってくれたんだ。
*
俺が、琴音が実はすでに亡くなっていたを知ったのは不登校になり始めた頃。中学一年の三学期頃だ。不登校になった理由もこの事実を知ったことが関わっていることに違いなかった。
知ったきっかけは風の噂で白詰草 琴音という名前とともにその人が亡くなったなんて話がたまあま耳に入ったからだ。
話を聞いていると亡くなった時期的にも年齢なんかからも俺の知っている琴音に違いなかった。
二個下であり、小学校も実際違かったために知らなくても仕方ないことではあった。……ただ、三年も経ってから知ることになるだなんて思いもしなかった。
どうやらどこかに遊びに行く道中でトラックに轢かれたようだった。運転手はひき逃げをし、人通りの少ないあの交差点だ。発見されたのも三十分ほど経った頃で、すでに手遅れだったようだ。
もし俺があの日、彼女を遊びに誘わなければ……
もし俺があの日、彼女を置いて帰らなければ……
もし俺があの日、彼女のことを少しでも早く見つけてやれてたら……。
途端に自分自身が憎らしく感じ、罪悪感や後悔、無念、とてつもない悲しみが一気に俺の肩にのし掛かったようだった。
第三者から言わせれば、おそらく皆口を揃えて俺は悪くない、悪いのは全部ひき逃げ半だったと言うだろう。たが俺にとっては理屈じゃ解決しきれない重みだった。
何もかも捨て去りたくなった。琴音が死んでいたとも知らずにのうのうと過ごして来た自分が憎たらしくて仕方なかった。いっそ俺も死んでしまえばなんて考えたのも事実だ。
授業にも身が入らず、学校にもあまり出なくなった。家にいても頭にちらつくのは琴音の姿だった。
都合が良すぎなのは、わかっている。けれど琴音のことは忘れてしまいたいなんて思ってしまったんだ。
だから、家ではネットやなんかをしてずっと気を紛らわしていた。学校を休むようになった理由も単なるさぼり癖などと自分にずっと言い聞かせていた。
—忘れられなかった。人間というのは面白いもので、忘れたい事ほど脳裏に焼き付いて余計強く記憶してしまうようだった。
実際、琴音が死んだなんて知るまではこんな子がいたな、今どうしているかな。程度にしか意識はしてなかった。
それが今は、どうだろうか。
俺は何にも知らなかっただけ。何にも悪くない。その通りだ。誰もがそう納得するだろう。でも自分自身で勝手にそれを受け入れなかった。あの日に戻れればきっと彼女の運命を変える道はいくらでも作れるはずなんだ。二度と戻れないあの日を求め俺は、一人ずっと抱え込んでいた。
大学受験を控えた時期ですらその感情が消える事はなかった。考え込みすぎなのは自分が一番よくわかっている。けど、ひとときも琴音の面影を忘れることなんて出来やしなかった。
琴音にはこれから色んな未来が待っていたはずなのに……。こんな俺が、のうのうとただ生きている。俺なんかが……。
琴音の無念を思うたびに、大学受験のプレッシャーと共に複雑な感情が降りかかり、もうどうにかなりそうだった。
上辺では、受験のプレッシャーに押し負け、ヒキニートになった豆腐メンタルなクソ人間として振る舞い続けた。誰にも打ち明けられなかったんだ。話したところで何かが変わるなんてこともまずないだろうし、「そうなんだ。」きっとこんな一言で終わるのは分かりきっている。実際、俺が琴音に手を加えたわけでもないからだ。
何よりあの日が決して戻ることはないのだから。
過去に戻ることなんて絶対に、叶わないんだ……。
「ひろくんて、将来、何になりたい、の?」
「……笑わないって約束してもらえるか?」
「人の夢を笑うなんてヒドイこと、しない、よ」
「俺な、実は漫画家目指してるんだ。」
「ふふ、」
「あっ、琴音お前笑わないって言っただろ‼︎」
「あ、ごめんなさい、まさか漫画家さんなんて、思わなかった、から」
「わ、悪いかよ」
「ううん、全然悪くない、よ! むしろすごいと思う!ひろくんが描いたお話しで、皆んなを笑顔にしたり、感動させたり、楽しませたりできるんだよ? それって、とってもすごいこ、と!」
「ま、まだ夢ってだけで実際なれるわけ……」
「絶対、なれるよ!ひろくん、なら!」
「……よ、よーし‼︎」
「⁈」
「 俺、大きくなったらぜってえプロの漫画家になってやっからな!だからそん時はよ」
「その、時は?」
「琴音が俺のアシスタントとして、みっちり働かせてやるよ‼︎」
「ア、シ、スタン、ト……」
「あ、いや、嫌なら無理にとは言わないよ……。なんかすごい、上からで悪い……」
「う、うん!すごく、嬉しいよ」
「ほ、本当かよ?」
「うん!その時は私があなたのアシスタントになって立派にサポートする」
「よ、よし!約束な!破ったら……ええと、そうだな」
「もし、約束破ったら、私がひろくんの前に化けて出てあげるよ」
「そんな笑顔で、恐ろしいこと言うなよ。」
「へへ、冗談、だよ」
「だったら琴音が約束破った時には、罰として俺と結婚して貰う刑にする?」
「……え?」
「ア、アシスタントにならないんだったらならないで、ずっと俺の隣にいろってんだ……!」
「わかった!ひろくん、指切りしよ」
「お、おう!」
———指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーますっ指切った!
「約束破ったから化けてでてきちゃった、よ」
琴音は何処か寂しそうに微笑みかけながら言った
「それは、その……」
俺は返す言葉に迷って曖昧に返答してしまった。すると琴音は、
「ひろくん、私、本当にひろくんに出会えたこと、死んじゃった今でも、ずっとずっと、もし叶うのなら、またあの頃に戻りたい。死なずにひろくんの隣にずっといたかった。」
「そ、それは俺もだよ……」
「またこうして、ひろくんとお話しできるなんて、本当に夢みたい。」
「俺も、夢を見ているようだよ」
俺はオウム返しのように琴音の言葉を真似ることしか出来なかった。
そしてようやく俺はその答えを導き出す。
「琴音、俺と、俺と結婚してください」
「ひ、ひろくん⁉︎え、な、なんて……」
あの琴音がまるで絵に描いたように動揺した。
「約束破った罰だよ……、君はアシスタントにならなかったからこうして俺の前に化けて出てきた。俺は漫画家になれなかったから……。」
「嬉しい……けど、ごめん、ね」
それもそうだ、琴音はもうこの世にいないんだ。何を馬鹿なことを言いだすんだよ俺は。
「だって、だってひろくんは、まだ漫画家になれないなんて決まったわけじゃないんだか、ら」
俺には未来がある……?
「約束した時いつまでなんて言ってないし、ひろくんの歳ならまだ何とでもできる、よ、きっと! これからが将来なんだ、よ?」
俺には、まだ夢を叶えられる?
「だから、ひろくん、絶対に、絶対に諦めちゃ、ダメだよ!こればっかりは、私が許さない!」
「こ、琴音……」
琴音は死んでも尚、いろんな意味を含め俺のことを誰よりも思ってくれていた。こんな、俺なんかのために……。
「琴音……、どうして……、どうして死んじまってんだよ……。」
ついずっと内に秘めていた本音が出てしまった。
「ごめんね、ひろくん……」
「琴音を謝らせる気なんてなかったんだ……。ただ……ただ、君のことが……。」
次の瞬間、俺の身体を包み込むように、温かくて柔らかくて、どこか弱々しいようなそんなぬくもりが、俺の一人抱え込んだ心ごと抱きしめてくれた。
「こと、ね。触れられるのか……?」
「今だけ、今だけならひろくんのこと、抱きしめられるかもって、思ったら……」
背中に手を回し強く、優しく抱きしめてくれている琴音を俺も抱きしめ返す。
「琴音……ずっとずっと言いたかっんだよ。君のことが好きなんだ。あの頃から、ずっと」
この状況で、自分の心に嘘をつくことができなかった。
「私も、私もずっとひろくんのことが好きだったよ……」
「俺、本当は今でも漫画家になりたいって……夢、叶えたいんだ……。けど、琴音がいなくなって……」
「ひろくんなら出来るよ!漫画家さん、絶対になれる!」
「今度こそ約束して、ひろくんは、絶対に漫画家になって見せるって!」
「琴音……」
約束……か。
「わかった。俺、これから頑張って、これまでクソみたいに過ごしてきた分、人一倍頑張って、絶対に漫画家になってみせるよ‼︎」
「……うん!今度はお空の上から見守ってるよ」
涙ぐむ目を細め、笑みを浮かべる琴音の身体は徐々に薄れかかっていた。
「ひろくん、最後に、本当に最後の指切り、しとこうよ」
琴音との別れが近づいているようだ。
「わかった」
「せーのっ」
どうして琴音はずっと俺を見守ってくれていたのか、どうして、こんな俺なんかのことを思ってくれていたのか、どうして、俺なんかを好きになってくれたのか。
もし俺が女だったとしたら、こんな男なんか絶対に好きにならない自信しかない。琴音には失礼かもしれないが、俺なんか琴音には見合うわけもないんだ。
けど、こんだけ俺のことを思ってくれた。死んじまってもずっと好きでいてくれた。そんな琴音のことを俺は絶対にこれからも忘れないだろう。
そんな琴音のことが今でも好きでいる。これからもきっと。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーますっ指切った!」
「琴音、俺、頑張るよ」
「約束破ったら、また化けてでるから、ね!」
「へへ、また琴音に会えるんなら悪くないことだな」
「ひろくんってば……。」
「冗談だよ、琴音、今度こそ絶対に夢叶えるからな!」
「うん!頑張って、ね!約束だよ、ひろくん!」
「おう!」
俺が一瞬瞬きをすると琴音の姿は消えた。琴音を抱きしめていた両腕は自分の肩に触れていた。琴音がさっきまで、ここにいたことを証拠付けるような、細かい光の結晶のようなものが目の前に浮んでは、消えていった。
*
「いらっしゃいませー」
「兄ちゃん!最近明るくなったんじゃねえか?ははっ、この調子でしっかりレジ打ってくれよなあ」
琴音との一件があってからというもの、俺は再び忘れかけていた漫画家になるべく引き続きアルバイトでお金を稼ぎながら、地道に漫画を描き、ようやく一月ほど前に初めて持ち込みなんかをしてみたり。
ぶっちゃけ手応えはこの前の持ち込みでも全く感じられない。むしろあれやこれやとかなりズタボロに叩かれる始末だった。十年以上漫画を描いていないハンデはやはり大きかった。
ただ、琴音との約束だけは絶対に成し遂げる。俺の中で半年前とは違う何かが芽生えていた。
とにかく今は、少しでも多くの漫画を描き、持ち込みをする。それが今の俺にできる唯一のことだ。
それもこれも、本当に琴音がいたからだろう。バイトも随分接客態度で店長からも褒めらるようになった。店長もさぞ喜んでいるようだ。
こんな短期間で人がここまで代われるものなのかと思うだろうが、俺にとって琴音はそれほどに大きい存在であった。彼女とどんな形であれこうしてまた再開できたことが何より大きいことだった。
「廣瀬さーん、レジお願い」
「はーい!」
店長がそう俺を呼ぶと俺は今までとはまるで別人のようにハキハキとした明るい返事をしてみせた。
店の入り口がそっと開くと夏草の香りが風に運ばれ、草の香りが鼻をすーっと抜けた。
—「ひろくん、応援してるよ」
風とともに琴音の声が流れ込んだ。
——そんな気がした