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歯車が回り始める時  作者: 黒虹
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動き出す

蓋をした感情。


押し殺して何かが変わる訳ではない。


腹の奥底でじりじりと焼けるような感覚はどれだけの月日を重ねても消えることはなかった。


それでも、それに気づかない振りをずっとしていた。


その感情から目を逸らすように、勉強に没頭することで逃げた。


そう。


逃げていたんだ。


真正面から向き合うことで、何かが変わってしまうことを無意識の内に理解していたのだと思う。


そのことで少なからず恐怖を覚えていたのだから。


自分が自分ではない何かに変わってしまうような感覚。


それを受け入れるだけの許容量が俺にはなかった。


そんなふうに自分の内に燻る魔物のような何かを誰にも知られないように、ひっそりと隠し続けたんだ。


「蓮司?」


思考を止めた一瞬、不意に声を掛けられて頭を上げると、見慣れた顔が不思議そうにこちらを見ていた。


「いや、なんでも」


昔の自分を振り返りすぎて、思考の波に飲み込まれていた。


力の入っていた体をほぐすように座ったまま伸びをしてから、ソファの背もたれに身体を預ける。


「…お前また中学の時のこと思い出してんだろ」


「………」


あまりにも自分のことを知りすぎている相手に隠すことはしないが、それでも言い当てられることはあまり嬉しいことではない。


それが、思い出したくなくて、思い出すことすら躊躇っていたことであれば尚更に。


無言を貫くことで指摘されたことに肯定の意を示す。


目の前に座った光輝は、家を訪問した俺のためにコーヒーを入れて戻ってきたところだった。


「眉間のしわ、やべえよ。」


「外では気を付けてるよ。」


黒いローテーブルの上に置いたマグカップをこちらのほうに押しながら、嫌そうに顔を顰める。


それに苦笑しながら答えて、マグカップを受け取る。


よくこの部屋を訪れる俺用に、自分で持ち込んだマグカップ。光輝は律儀にそれに入れてきてくれる。


『恋人でもない上に野郎の持ち物を俺の家に増やすんじゃねぇよ』


なんて心底嫌そうに言われたが、光輝の家にこのマグカップは居場所を獲得している。


マグカップの中身のブラックコーヒーに視線を落とすと、つい笑みが浮かんでしまう。


光輝には毎度のその光景を『気持ち悪い』と言われるが、もはや反射と言ってもいいほど習慣的に思い出されることがある。


それに幸せを感じてしまうのだから仕方ない。


コーヒーは決して好きで飲んでいるわけじゃない。


ただ、侑奈さんの一言がきっかけで、彼女に好かれたいがために飲み始めただけに過ぎない。


初めてコーヒーを飲んだ時は、こんな苦い飲み物の何が良いのだろうと疑問に思ったものだ。


それでもテレビのCMを見て言った彼女の一言に動かされてしまう。


テレビの中でコーヒーを飲む男性をみて『ブラックコーヒーが飲める人ってかっこいいよね』と、誰に言うわけでもなく呟かれた彼女の言葉。


コーヒーが飲めない彼女自身と比較して羨望があったのかもしれないが、その言葉は俺の中にずっと留まり続けた。


幼いころ、 まだ父と母が生きていた頃は、朝、父のために母がコーヒーを用意していたのを思い出す。


子供の目から見ても仲の良い夫婦だった。


コーヒーは俺にとって幸せな夫婦を、そして父、大人の男を象徴するものでもあった。


それに加えて彼女がそんなことを言うものだから 、彼女から「かっこいい」と思ってほしくて飲み始めた。


はじめのうちは顔を顰めながらしか飲めなかったから、隠れてひっそりと自分の部屋で飲んでいた。


そのうちコーヒーを飲みながらだと勉強が進むこともあり、常用するようになった。


高校生になって侑奈さんと外でお茶をした時に、ブラックコーヒーを飲んでいる俺を見て驚いた顔をした彼女の顔も可愛かった。


けど、それ以上に『ブラック飲めるんだね』と驚きながら『蓮司かっこいいわぁ』って笑った彼女の顔が忘れられない。


あまりにも不意打ちすぎて、そっけない返事しかできなかったように思う。心臓だけが壊れそうなほどの脈を打っていた。


家にもコーヒーはあったし、俺が飲んでいるのを侑奈さんは知っていたはずなのに、彼女の中では俺が飲むコーヒーは甘いものだと勝手に思っていたらしい。


自分がコーヒーを出された時は必ず甘くしないと飲めないためか、そんな勘違いをしていた。


『大人になったなぁ』と感慨深げに言う彼女に、少し近づけたような気がして嬉しかった。


その時からコーヒーを飲むたびに、一連の出来事を思い出してしまい、つい口角が上がる。


「相変わらず薄気味悪い顔してコーヒー飲むよな」


呆れたような声が飛んでくる。


「仕方ないだろ。それに、お前も同じだろうが。」


「…まぁな。」


それを肯定しつつも反撃すると、意外にも反撃が返ってこなかった。


お互い大切な相手の事には顔が緩むのは自覚しているのだ。


黒い水面を見ていた視線を光輝に戻し、口に含むとふわりとした香りが鼻に抜ける。


「…今年の誕生日もコーヒーやるよ。親父がお前にって送ってきやがった。」


「それ別に誕生日プレゼントでもなんでもないじゃん。しかも全然自分でお金使ってねぇし。」


あまり自分の事は話さない光輝が珍しく何か話すかなと待っていたが、話を逸らした。


その事に苦笑しながら、自分がなんのためにここに来たのかを思い出す。


自然に浮かべた笑顔のはずが、急激に仮面のように張り付いていく。


俺の雰囲気がガラリと変わったことに気づいたのだろう。


光輝の顔から揶揄うような色が消えた。


「今年の誕生日、何が欲しい?」


「お前からは協力を。」


俺の計画を知っている光輝は静かに頷いた。


「上手くいくことを祈っててやるよ」


まだ少し揺らぐ心を押しとどめるように深く目を瞑ると、ゆっくりと目を開けた。


「ありがとう」


静かに言いながら、歩き出したからには戻れないことを覚悟した。



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