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歯車が回り始める時  作者: 黒虹
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新しい形

意識が浮上してくると、目元がヒリヒリしていることに気がつく。


そしてズキズキとした頭痛がしている。


あれだけ泣いたのだから仕方ないだろうと思いながら、明日が休みで良かったと思った。


瞼を上げるのもおっくうで閉眼したまま寝返りをうつ。


そこで、はたと気が付く。


私が意識を手放したのはどこであったかと。


勢い良く体を起こすと、頭痛が増した。


痛みの増悪に呻きながら頭を抱えてゆっくりと降ろしていく。


「…急に起き上がるから」


いるはずのない人の声に身体が固まる。


私が意識を手放したのは蓮司の部屋の前だ。


ここはたぶん私の部屋のベッドの上。


声の主は泣き疲れて眠ってしまった私をここまで連れてきた人物だろう。


にわかに信じられなくて、ベッドに突っ伏したままピクリとも動けなかった。


相手も動きもしなければ、それ以上声を発することもない。


私が聞いたのが空耳だと言われても納得できそうなほど、何も物音が立たない。


自分の心臓だけがバクバクと早鐘を打っている。


頭痛が少し弱くなってからやっと、ゆっくり身体を起こす。


先ほど声がした方を向かなくても分かる。


顔は見えなくても視界に彼が壁に背を預けている姿が見えるから。


なぜ、ここにいるのか。


問いたくても、口を開いたら彼が消えてしまいそうで、怖くて何もできない。


身体は起こしたけど顔はうつむいたまま。泣いたまま眠ったせいであろう、目じりに髪の毛が張り付いている。


彼がいるのはすぐ部屋を出ていけるような扉のすぐ近くで、私がいるベッドからは遠い。


だった6畳程度の部屋でしかないのに、ほんの数歩の距離がやけに遠く感じる。


静かに彼が壁から背を離す気配がした。


その気配に反射的に顔を上げてしまう。


まるで私が顔を上げるのを分かっていたかのように、壁から背を離しただけの彼の視線はこちらを向いていた。


「ひどい顔」


からかうでもなく、せつなげに眉をひそめて静かに呟いた彼はゆっくりとこちらに近づいてくる。


「寝てないって、光輝に聞いた」


視線を合わせるように彼はベッドの脇に跪いてこめかみに張り付いた髪を梳いた。


思わずびくりと震えた私の身体に気づいているはずなのに、何事も無かったように髪を梳いた彼は無表情でゆっくりと腕を降ろす。


「その分だと食事もろくに取ってないでしょ。作るから、リビングにおいでよ。」


そう言うと踵を返してリビングへの扉を開いたが、部屋から出る前に立ち止まる。


「急に出てったりしないから、そんなに心配そうな顔しないでいいよ。」


顔だけで振り返り私を確認すると、ふっと切なげな微笑を浮かべる。


扉を開けたままにして部屋を後にした彼は、部屋からは死角になっているキッチンへと消えていく。


開け放たれたままの扉からはキッチンで彼が料理をしているであろう、聞き覚えのある音が聞こえてくる。


数日前まで日常の一部であった音が、こんなにも心地よい音であったのかと改めて感じる。


この数日間が悪い夢だったんじゃないかと、勘違いをしてしまいそうになる。


聞こえている音が消えてしまわないように、ゆっくりと扉に近づいた。


見覚えのある後姿がキッチンにある。


それだけでまた涙があふれそうになる。


なぜ彼がここにいるのかなんて、どうでもいい気がする。


数日かけたドッキリだったんじゃないかと、突拍子もないことすら思ってしまっていた。


そんなことをする人間ではないと知っていても、そう思いたくなるほど当たり前にそこにいる。


「そんなところに立ってないで座りなよ。」


彼は手に少し小さめの土鍋を持ちながら、顎でテーブルに着くように促す。


素直にそれに従いテーブルに着くと、テーブルの上に土鍋が置かれ、お茶碗とレンゲが用意される。


「本当に俺がいないと食事適当になるよね。冷蔵庫、俺が出てった時のまんまじゃん。」


土鍋の蓋を取って、お茶碗に中身をよそって私に差し出した彼は、本当に前のまま何も変わらないように接してくる。


まるで旅行から帰ってきただけのような感じである。


頭がついていかない。訳が分からなくて彼をずっと視線で追っている。


「食事、ほとんどしてないんでしょ?卵雑炊、少しは胃に優しいでしょ。」


「なんで…」


いつものように目の前の席に座った彼はずっとこちらを見ている。


私がそう問いかける事も分かっていたのだろう。視線を外さず、表情も変わらない。


「なんで泣いてたの?」


「え…?」


質問に質問が返ってくる。何を聞かれたのかよく理解できなかった。


「侑奈さんはなんでそんなに瞼が腫れるまで泣きはらしたの?」


質問を理解できなかった子供に言うように、噛み砕いてさらに質問をしてくる。


「…なんで、って…」


頭の中にはいろいろと理由が浮かぶ。


そのどれもが正解で、そのどれもが正しくないような気がする。


何故と問いかけられて初めて、きちんと考えさせられている気がした。


「俺の事が心配だった?」


答えられない私にしびれを切らしたのか、答えを誘導するように彼が聞いてくる。


間違ってはいないから、彼の答えに頷く。


「心配なだけでそんなに泣いたの?」


さらに聞かれて、首を傾げてしまう。心配だけが理由だったら、こんなに泣かない気がしたから。


心配で泣いていたのでなければ、私は何故こんなにも泣き崩れたのだろう。


「寂しかった?」


確かに一人になって、寂しさを感じていたのは確かだと思う。でも、それも正しくないような気がした。


すぐに頷けない私に、目の前の彼は苦笑する。


「俺がこんな事した理由、聞きたい?」


こんな質問ばかりで、いったい彼が何をしたいのか全く理解することができなかった。


混乱から立ち直れていないこちらに構う事なく、彼は話を続ける。


「…こうでもしないと、侑奈さんきちんと考えてくれないでしょう。……泣いたのはなんで?俺は侑奈さんにとってどんな存在?」


もう一度真顔で聞かれて、息をのんだ。


急に視線が定まらなくなってしまった。その理由は、答えに行き着いてしまったから。


気付いてしまった答えに納得できなくて首を振る。


「分かってると思うけど、俺は保護者の顔が欲しいんじゃないからね。世間体を気にしたまっとうな答えなんて欲しくない。…侑奈さんはなんで泣いたの?」


私が答えるより先にどんどんと逃げ道を塞がれていく。


答えに気付いてしまっては、他の可能性なんてただの言い訳でしかない事を、自分で知ってしまう。


一連の行動で、きっと目の前の彼は私が気付いた答えを知っている。


知っていて、あえて逃げ道を塞ぐ。私が自覚した答えを言わせるために。


ぐっと唇を噛んだ。


私が行き着いた答えはきっと彼が言って欲しい言葉。


でも、私はそれを認めちゃいけない。何度も首を横に振る。


「…言って。侑奈さんが強情なのは知ってる。でも、自分の気持ちには嘘をつかないでよ。言って。」


「言えるわけがないでしょう!」


反射的に叫んでいた。


「認めろっていうの?認められるわけが無いでしょう⁉︎そんなことしたら、私、最低の人間じゃない…」


「それでも、俺はそれを望んでる。あなたを一人にはしたくないから。」


「やめて…」


何もかもから逃げ出したくなって自室へ向かおうとしたが、部屋に入る手前で彼に腕を掴まれた。


止まっていたはずの涙が再びあふれてくる。


「どうして?どうして保護者のままでいさせてくれないの?」


「…俺が嫌だった。そんなことしたら、侑奈さん簡単に俺から離れていくでしょ?」


「そんなことしない!私は…」


「するよ!俺の気持ち否定し続けて、自分の気持ちに気付かないで俺のためだって言いながら保護者の顔のままで俺の前から消えるんだ!」


否定しようとする私の声を遮って上げられた声は、聞いたことのないような苦し気な声だった。


掴まれた腕が痛い。


「それなら自分から掴み取りに行くしかないじゃないか」


腕を強く引かれてバランスを崩すと思った次の瞬間には、彼の腕の中に閉じ込められていた。


「俺が消えても、侑奈さんが変わらなかったら本当に戻らないつもりだった。でも、こんな状態のあなたを見せられて、諦めろって言う方が酷だよ。」


「蓮司…」


瞼の裏に美弥の顔がちらつく。押し返そうとして胸を押すがびくともしなかった。


「お願い、言って。それが罪だって言うなら、俺が一緒にその罪を背負っていくから。侑奈さんの気持ちを、ちゃんと言って。」


「…苦しかった…まだ、一緒に、居ると思ってた、から。」


「うん。それから?」


「……美弥と、崇さんの、忘れ形見。…自分の子供だと思って、育ててきたつもりだった。」


「うん。」


「大事、なの。何よりも。離れることが、耐えられないくらい。」


ぽつり、ぽつりと話し始めると、隠す術も、止める術も見つけられなかった。それが認められない自分の気持ちであっても。


「擬似家族していたかったの。知らない振りしなきゃなんだって、思ってた。蓮司が離れていったらって、恋人ができたらって考えたらたまらなかった。嫌だって思った事があった。でも、知らない振りしたの。そうじゃないといけないから。」


蓮司が慰めるように頭を撫でてくる。それがきっかけになって、また涙が流れ落ちた。


「蓮司のことが、大事なの。……好き、なんだと、思う。子供としてではなく…」


口から避け続けた言葉を零してしまえば、すとんと気持ちが落ち着く。


ぐちゃぐちゃになっていた視界が開けていく。


認めてしまえば、あとは今までの自分のちぐはぐな行動にも納得ができる。


それでも、認めてしまってよかったのか、口にした言葉を後悔するのではないかと不安があふれてくる。


そんな不安から守ろうとするかのように、蓮司の腕に力がこもった。


「すごい不安にさせたよね。ごめん。でも、俺は嬉しかった。ひどい言い方かもしれないけど、侑奈さんがこんなになってくれなかったら、きっと俺は帰ってこれなかったから。」


ぎゅっと抱きしめるその腕は優しく力強い。


「俺、これからも侑奈さんの傍に居てもいい?」


答えなんてわかりきっているはずなのに、そんな風に言葉にさせようとするのは彼の抱える不安からなのだろうか。それとも、私の抱える不安を少しでも削ろうというのか。


「…いてくれなきゃ、こまる」


「…それなら、覚悟しておいて。たぶん、我慢効かないと思うから。」


少しの間の後に耳元で囁かれた言葉の意味を、一瞬理解できなかった。


呆けている私の唇にほんの一瞬優しく唇が重なる。


「こういう意味、分かってる?」


一気に血液が逆流したような気がした。


確かに失念していた。そのせいで、まるで子供のような反応になってしまう。慌てて彼の胸を押し返して体を離す。今度は簡単に離れてくれた。


「分かってる、けど。頭、整理する時間くらいは欲しい、です。」


たぶん顔が真っ赤になっているはず。頬に熱が上がってくるのが自分でも分かるから。


「善処します。でも、できるだけ早めにお願い。これでも健全な男子大学生なので。」


「どこが健全よ‼︎」


いつものようにからかいを含んだ声に、ついいつものように返す。


「一応成人するこの歳まで我慢したんだから、褒めて欲しいくらいですけど?」


私の反応に嬉しそうな声が返ってくる。


「ほら、怒ってないでごはん食べなよ。もう冷めちゃったんじゃない?温め直そうか?」


「いい。」


恥ずかしさを隠すようにぶっきらぼうに返事をして、椅子に座る。


蓮司もいつものように向かいに座った。


視線だけで見上げてみると、優しげな笑顔がそこにある。


それを確認して、ほっとして、それ以上に喜んでいる自分がいるのが分かる。


それを上手く相手に伝えるのは難しいかもしれない。でも今、この瞬間から今までと同じようでいて違う時間と関係を紡いでいく。


それが嬉しくて仕方ない。


きっと私達が選んだ道は優しい道ではないだろう。それでも、この笑顔が自分のものであるなら、まだ頑張れそうな気がした。




一応これで完結です。


でも、蓮司サイドとか裏話がいろいろあり過ぎて…追加していく予定ではありますが、仕事との兼ね合いにより、更新は遅いと思います。


ちなみに蓮司は侑奈にはいい子と映ってますが、それなりに腹黒いです。友人の井田君も含めて。


井田君もかなり特殊な恋愛してるので、余裕があったら書きたいです。自己満足目指して。


ここまで読んで頂きありがとうございました。


黒虹ユエ


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