途絶えた道
「お久しぶりです」
改札を抜けた私を待っていたのは、明るい髪色をした背の高い男の子だった。
「井田君」
顔は良く知っている。蓮司と小さい頃からの友人だ。
私に遠慮してるのか、普段あまり友人を家に上げない蓮司が唯一家に連れてくる男の子だ。
友達を呼んでも良いと私が言っても、連れてきたことがあるのは井田君だけ。
他の友達は外で一緒にいるところを見かけたり、泊まりに行くことはあったけれど家に連れてきたことはついぞなかった。
「井田君、あの、蓮司のことなんだけど…」
「座って話しません?向こうに隠れ家カフェがあるんですよ」
私が口を開くと、にっこりと笑った彼は私の了解を待たずに歩き出す。
遅れないように慌てて後を追うと、彼は歩く速度を落として私の隣に並んだ。
最近の男の子は随分とスムーズにこういうことをするんだなと、ぼんやりと思った。
けれど重要なのはそこではなくて、蓮司の居場所…というより無事なのかどうかを確認したかった。
蓮司の親友である井田君がそれほど慌てていないということは、緊急性がある状態ではないということなのだろうけれど。
交差点を曲がったところにある半地下になっているカフェへと降りていく井田君の後を追う。
ゆったりとした店内は半地下になっているからかやや薄暗い。
まだ少し強い日差しがテラス席に降り注いでいるのが窓辺から見える。
窓際から離れた少し奥まった席に案内されると、ソファに座るように促され、促されるままにソファに腰を降ろした。
「ミルクティーで良いですか?確かコーヒー飲めませんでしたもんね。」
まるでこちらが口を開こうとするタイミングをわかって遮っているかのように、井田君はこちらに質問を投げかけてくる。
まさに話しかけようとした口は開いたまま、肯定の言葉を口にするしかなかった。
「よく覚えてるね。私がコーヒー苦手なこと」
私の言葉に眉を上げ、目だけで微笑むと店員に淡々と注文をしていく。
「蓮司が良く言ってたから。」
こちらに向き直って頬杖をつきながらそう話す。
大学生とはこんなにも大人びているものだっただろうか。目の前の彼は学生というよりもスーツが似合う大人の男性のように思える。
「そう、蓮司が…」
蓮司もスーツが似合いそうだ。昔から大人びていた彼は、早く大人になろうとしていたようにも思える。
私がそうさせていたのだろうか…。
「蓮司、ちゃんと生活してるのかな?」
そう言葉にして泣きそうになってしまい、浮かんだ涙を見られたくなくて俯く。
「あいつなら、大丈夫ですよ。…真っ先に居場所聞かれるんだと思ってた。意外。」
大丈夫の言葉にほっとした。無事でいるなら、それがわかるならそれでいい。
もう会えなくても、無事に生きていてくれるなら…。
ほっとしたからか涙がこぼれた。
「無事なら、それで、いい。」
ぽつりとつぶやいて、零れた涙の痕を拭う。
「居場所聞かないの?」
「いい。無理やり連れ帰っても何の意味もないもの。」
今回のことは他の人には蓮司が家を出ていったことしか伝えてない。どうしてそうなったのかも誤魔化している。
言える訳が無いのだから。だからせめて彼の将来に傷がつかないように、喧嘩をしてしまい出て行ったのだとしか言ってない。
もちろん目の前にいる井田君にも同様の説明をしている。
「ひどい顔してる。侑奈さん寝てないの?顔色悪いよ。」
ふと顔を上げて、化粧をしなかったことを思い出す。
「あぁ、化粧してないしね。眠れてないのはそうだけど、もとから顔色悪いのよ。ありがとう心配してくれて。」
そういえば、蓮司もよくそんなことを言っていたなと思い出した。
『いつもより顔色悪いよ。今日は俺が夕飯作るからそれまで寝てなよ。』
ただの心配性だと思ってた。けれど、彼にとってはそうじゃなかったのかもしれない。
私は彼の優しさに気づきながら、甘えていたんだ。
自分に向けてくれていた優しさが心地よすぎて、手放せなかった。
「蓮司に伝えて欲しいんだけど…。」
これはきっと良い機会。彼の将来を潰してしまわないために、離れなくては。
私は彼の気持ちに応えてはいけないのだから。
心にぽっかり穴が開いて寂しくて泣きそうな自分を叱咤して井田君を見る。
「何を伝えればいい?」
「無理に連れ戻すつもりは無い。…落ち着いたらでいい、せめて無事でいることだけは教えて欲しい。…何年かかってもいいから。」
決心が鈍いのか、最後の言葉は震えていた。
残る思いを振り切るように強く瞼を閉じると、また涙が頬に流れた。
濡れた頬を手の甲で拭う。
「ありがとうね」
それだけ言うとお金を置いて足早に店を出る。
駅に向かう道の途中で、蓮司がいるかもしれない大学の学舎を見上げる。
きっともう交わることのない彼の歩むべき道がそこにあるのだろう。
それでいい。
自分を納得させるように視線を逸らせて、まっすぐに駅へと向かった。
家に帰ってくるまでは我慢した。
ドアを閉めて、誰もいないリビングを見たら堪えられなくなった。
気持ちの箍が外れた気がした。
せり上がってくる涙を抑える必要もない。
蓮司の部屋に続く扉に手を置くと、今までの9年間の思い出が一気にあふれ出てくるようだった。
仕事が辛くても、蓮司がいるから何とか頑張ろうと思えた。
本当に自分の子供のように思っていた。
本当に大切な存在だった。
蓮司と暮らしていて嫌だった事なんて一度も無かった。
大変ではあったけど、守るべき存在がいることはくすぐったくて、同時に嬉しいことだった。
ずっとそれが続くんだと、どこかで思っていたのかもしれない。
家族だと、そう思っていた。でも、蓮司にとってはそうじゃなかったのかなと思うと、無性に寂しくてたまらなくなる。
美弥が亡くなった時だってこんなに泣かなかった。
それはきっと蓮司がいたから。
彼のために、泣いてはいけないと思ったから。
「これから、一人、だ。」
涙は止まらない。
彼が社会人になる頃には、そうなるかもしれないと覚悟していたはずだったのに。
私はどうなりたかったのだろう…。
本当にただ子供だと思ってたのなら、こんなに離れていくことに涙することはないのかもしれない。
悲しくて、一人になる自分のために流す涙はこれで終わりにしよう。
蓮司が無事ならそれでいい。
道を間違ってはいないのだと言い聞かせながら、泣き疲れて眠る子供のようにそのまま意識を手放した。
次話は10月11日に投稿します。
一応次話で一区切りします。