記憶
電車に揺られながら指定された駅まで向かう。
その駅を利用するのは蓮司の入学式と文化祭の時くらいしか行った事がない。
私にとっては馴染みのない駅だ。
携帯で行き方を確認して方向を間違えないようにしながら電車に乗る。
さっきから動悸が治まらないのは、不安しか見つけられないからなのかもしれない。
もともとがネガティブな考え方しかできない私にとっては、希望を見つけることのほうが難しい。
周りにわからないようにゆっくり息を吐き、動悸を隠すように自分の手を握る。
うつむいて目を閉じると、9年前の事が思い出されて仕方ない。
あの時もこんな感じで、喪服を身にまとって電車に揺られていた。
「美弥と崇さんが亡くなった⁉︎なんで?」
訃報の知らせは本当に突然だった。
夜勤に入る直前、親友とその旦那が亡くなったと母から連絡が来た。
そもそも母親から連絡が来ること自体がおかしいのに、そのことにすら気付かなかった。
親友とその旦那が亡くなったから、明日の通夜に来られるかという電話だった。
駆け落ち同然で結婚して家を飛び出した親友の美弥。
その後も私は連絡を取っていたし、お互いの家を行き来してもいた。
でも、実家と絶縁状態だった美弥は地元から遠い都心部で暮らしていたのに、なぜ私の実家からそんな連絡が来るのか。
確かに私の家と美弥の家は昔から付き合いがあるし、仲は良い。
それでもと疑問に思いながらも、そんなことよりも、美弥と崇さんが亡くなったことが嘘なのではないかと、祈るような状態で電車に揺られていた。
そして通夜でさらに地獄に突き落とされたような気がした。
美弥の家で執り行われたのは『美弥の通夜』だった。
そこに美弥の旦那さんである崇さんの姿はない。
母親からは「美弥とその旦那さんが交通事故で亡くなった」と聞いた。
けれど通夜は美弥の通夜だけ。
おかしい状態なのは誰の目にも明らかだ。
それでも誰も何も言わなかった。何かを聞ける雰囲気でもなかった。
交通事故は激しいものだったようで、正面衝突した遺体の損傷は激しく、美しかったはずの美弥の姿はそこにはなかった。
皆が対面するたびに顔をしかめるほど無残な姿。
彼女の姿を見ても私はまだどこか現実として受け止めることができずにいた。
遺体と生前の彼女の姿とが重ならない。
涙すら出なかった。ただ呆然と立ち尽くすだけ。
遠巻きにするように美弥の親戚と思われる人たちがひそひそと話す声がちらほらと聞こえてくる。
「あの子どうするのかしらね」
「どこが引き取るの?」
「両親がいっぺんにでしょ」
「両家とも引き取るつもりないんだろう?」
「今はこっちにいるけどお葬式終わったら施設に入れるって」
そこまで聞こえて美弥の子供のことを思い出した。
つい数日前にも会ったはずなのに、今の今まで忘れていた。
視線で辺りを見回すと、泣きもせずにうつむいたままの男の子がじっと椅子に座っている。
母親であった遺体に縋りつくわけでも、泣きじゃくるわけでもない。
ただただじっとそこにいる。
誰も彼に声もかけず、労わる様子も見せない。
多くの大人がここにいるのに、その小さな存在を無視し続けていた。
私ですら、忘れていた。
小さく丸められた背が痛ましい。
声を掛けるか少しためらわれたが、傍に寄り彼の名前を呼んだ。
ゆっくりと上げられた顔は、私の顔を確認すると死んだように濁っていた目に少し色が戻ったような気がした。
大きく見開かれた目に一瞬にして涙がせり上がってくる。
歪んだ顔にいくつもの涙が零れ落ちていく。
大声をあげて泣き叫びたいだろうに、声を押し殺して唇を噛み締めながら涙を流していた。
小さくなった背を抱きしめると、押し殺したような嗚咽はいっそうひどくなった。
私の目からも止めどなく涙が溢れてくる。
本当に美弥が亡くなったのだと、理解するより仕方なかった。
腕の中の小さな存在の、声もなく慟哭する姿に胸が締め付けられる。
本当に大好きだった親友。
私の憧れだった美弥。
もう彼女はここにいないのだと。
亡くなったことを受け入れると、次第に不安になってくる。
私の腕の中で泣いているこの子はどうなるのだ。
遠巻きにしていた親戚の話を聞く限りでは、美弥の旦那さんであった崇さんのご家族も引き取らないと言っていた気がする。
そして美弥の家も。
美弥も崇さんも駆け落ち同然の結婚に、それぞれの家族とは絶縁状態だったのは知っている。
それでも亡くなった二人のためにそれぞれの家族で葬式を出してもらえただけでもありがたいのかもしれない。
でも、この子はどうなる?
施設に入れるって言ってなかったか?
「侑奈ちゃん」
名前を呼ばれてハッとする。
顔を上げると美弥の母がすぐそばに立っていた。
「美弥の葬儀に来てくれてありがとう」
そう言って頭を下げてくれる。
美弥に似た綺麗な顔立ちには多少疲労の色が見え、無表情だが幾分か年月を重ねた女性の面持ちをしていた。
けれどその視線は私しか見ない。
まるで傍にいるこの子が見えていないかのように。
ズキズキと警鐘でも鳴るように、次第に頭痛がしてくる。
夜勤明けでそのまま来たから、寝不足のせいかもしれなかったけど、そうじゃない気がした。
形式的な挨拶を交わしたが、そのまま子供には目もくれずに離れようとする。
「あの、蓮司君はこれからどうなるんですか?」
離れようとしたその背中に投げかけた質問。
離れようとした美弥の母の冷たい視線が蓮司君を一瞥し、そのまま私にも冷えた視線を投げた。
「侑奈ちゃんには関係のないことでしょう。」
「でも…」
「この子が居なけりゃ、美弥がこの家を出ていくこともなかったのよ。あんな男に騙されなきゃ、こんなことにはならなかった。」
「そんな言い方!美弥も崇さんも蓮司君を大切に育ててた!あの二人はずっと幸せそうでした!」
声を張り上げた私に、彼女は一層冷たい視線を向けると吐き捨てるように言葉を浴びせる。
「あぁ、あなたは美弥の傍に居たんですものね。私が美弥を探しているのを知っていながら。…たとえ美弥が産んだ子供でも、あんな男の子供要るわけがないでしょう。双方の家で話がついていることです。施設か養子にでもだします。」
「…それなら私に養子としてください」
売り言葉に買い言葉だったのかもしれない。
それでも、美弥と崇さんが大切に育ててきた蓮司君を手放してはいけないと思った。
たぶん、ずっと昔に美弥に言われた言葉が頭の中にあったからかもしれない。
『もし、もしもよ。私たちに何かあったら、蓮司を見守ってあげてね。侑奈ちゃんに託すからね。』
その時は何縁起でもないこと言ってるのと怒ったけれど。
見放してはいけない、そんな使命感に駆られていたのかもしれない。
あのあと私では養子縁組の許可が下りず、色々大変だった。
結局私が後見人として、生活を共にしながら暮らすことになった。
私の両親にも反対をされていた。
『結婚もしてないあんたに子供が育てられるわけがないでしょう!』
そんな風に言われながらも、本当に必死であの後の9年間を過ごしてきたんだ。
私の両親は頑固な私を知っているから、途中で折れて蓮司を可愛がりに来てくれていたこともあったけれど、彼の本当の祖父母とは和解できていない。
一緒に暮らし始めてからの蓮司は、私を煩わせないようになのか、非常に手のかからない子供だった。
成績も良く、運動もそれなりに。反抗期もなく、模範的な優等生でありながら、明るく社交的で家の手伝いもよくしてくれていた。
私が彼を支えている気でいたけど、本当は私のほうが彼に支えられていたのかもしれない。
今回のことだって、本当は私が彼を追い込んだのではないだろうか?
考えれば考えるほど、不安と後悔が襲って来る。
「大学前〜 大学前〜」
ハッとして慌てて電車を降りる。
たとえ何かが間違っていたとしても、蓮司を引きとったことだけは後悔しちゃいけない。
泣きそうになる自分を叱咤して待ち合わせの場所に向かった。
次話は10月4日に投稿します