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無垢な頃  作者: 鮎沢琴美
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第七章

 刑事が来たのはニュースを見た二日後だった。

 僕は一昨日のニュースを見たあとから脱け殻のようにギリギリの日々を過ごしていた。そんな僕を家族はもちろん心配してくれていたが、僕がしおれた声で少し一人にしてほしいと言うと何も言わずにうなずいた。家族だってつらいのは僕にもわかる。特に母は圭のことをよく知っている。僕が小学生だった頃なんて僕と同じように毎日顔を合わせていたのだから。

 本当は僕が母に何か声をかけてやらねばならないのに。

 でも僕にそんな心の余裕はなかった。

 このことについて自分の中で整理しなければならないのだろうが、もはやそんな余裕はなかった。だからほとんど何も考えず食事もろくにとらずに過ごした。

 ただ圭は僕に助けを求めていたんじゃないかとよく思う。

 だから何度も圭の夢を見たんだと理解し、さらに救えなかった自分に罪を感じる。冷静な脳をもっていたならこんなオカルトめいたことも思わなかったかもしれない。ただ今は気持ち悪く波打つ心が僕の脳を圧倒しているのだろう。意味もなく自分をせめてまた吐きそうになる。

 警察が家にきたことはかすかに聞こえる下の階の様子からわかった。母は僕が今精神的に弱っていて話をするのには無理があると刑事に説明し、刑事はすぐに済みますからと言い方は丁寧であるが引き下がるわけには行かないという執着が感じられた。

「頼みますよ、重要なことなんです」

「今日のところはおひきとりください」

 こんなふうに会話が延々と続く中で僕は部屋の戸を空け、階段を降り、母と刑事のやりとりに割って入った。

「僕に何のようでしょう?」

 母は大丈夫なの?と心配したが、僕は年配と若手のふたりの刑事への言葉で返した。

「僕と話すためにこれから毎日刑事さんに来られても困りますから」

 そう僕は少し強めに言った。刑事に嫌な顔をされると思ったが実際はその逆でうれしそうであった。僕はなにか不自然で気分は良くなかった。

「それで僕に何か?」

「その前に外へ出ないか?お母さんには悪いが君だけと話がしたい」

 年配の刑事がやさしい口調で言った。

「僕は別にかまいませんが」

「それじゃあ私たちは外で待ってるから用意ができたら来てくれ」

 刑事はそう言って玄関の戸を閉めた。

 僕はそのまま出ていこうとしたがボサボサの髪に寝巻を着たままであったことに気付き、すぐ部屋に取りに行った。

 やはりここ数日、大げさに言えば人間らしく生きることを忘れていたのかもしれない。身なりのことなんて頭になかった。自分がどんな格好をしているのかどんな表情しているかなんて日頃の当たり前が皆無の状態になっている。それほどに僕はギリギリであった。

「少し先のファミレスでも行こうか。何か食べたいのならおごってやるよ」

 申し訳程度に着替えた僕が外へ出るとやさしい口調で年配の刑事が答えた。僕は特に返事をしなかった。しかし刑事は一方的に僕に話し掛けた。リラックスさせようとしているのか?よくわからないが僕が少し警戒しているように見えているのかも知れない。実際、警戒はしているのだが。

「最近の男は結婚してなくても指輪をするのかい?」

「え?」

 僕は刑事が何を言っているのかわからなかった。

「なあ」と年配が若手を振りかえって言うと

「結婚してなくたって指輪くらいしますよ。今じゃファッションで指輪をしている男もいるんじゃないですか」

 はじめて若いほうの声をきいた。

 指輪。

 リング。

 ふと如月愛の顔が頭をよぎった。今の今まで忘れていた。あんなに夢中だったのに。無理もない、こんなことがあって平静でいられるものか。

 久しぶりに外の空気を吸った。たった二日間部屋に閉じこもっていただけなのに妙に懐かしい。もちろん学校にも行っていない、家族以外の人と会うのも久しぶりだ。

 近くのファミレスに着いた。中に入ると飛びっきりの笑顔の店員の向こうに時計が見えた。

 二時。

 僕の中に時間というものが存在していなかった。これまた久しぶりに時の感覚を思い出した。

 窓側の一番奥の席に案内された。店員には僕らがどのように見えているだろう。父と長男、次男というところか、いや、そんなことどうでもいい。

 僕と向き合うように二人の刑事が座ってオープンな取調室のように錯覚した。いったい何を話すのだろう。

 なるべく刑事と目は合わさないようにしていると若手のほうが手をあげて店員を呼んだ。年配のほうが僕に聞く。

「何か食べるかい?」

「いえ」

 僕は答える。

「じゃあアイスコーヒーでいいかな?」

「はい」

 僕はまた感情をいれずに答える。

 若いほうが店員にアイスコーヒー三つと注文する。アイスコーヒーは驚くほど早く目の前にやってきた。年配のほうが一口飲むと僕のほうをじっと見つめた。

「悪いね、つき合わせてしまって。これがわたしの仕事なもんでね」

「いえ。それで僕に話とは?」

「わかっているだろうとは思うが五十嵐圭さんの事件のことでね」

「それはもちろんわかってます」

「彼女とは古い付き合いなのかね」

 いったいこの刑事は何が言いたいんだろう。もうかなり前から僕が何かしら疑われていると感じていた。しかし何を根拠に僕を疑うのだろう。

「小学校のときからの幼馴染でした。でも今はほとんど関わりはありませんでした」

 若い方が手帳に何かを書いている。

「それは本当だね?」

 年配のその台詞は「ウソだろ?」に聞こえて腹が立った。

「あの」

「なんだい?」

「言いたいことがあるならはっきりと言ってください。僕のことを疑っているんでしょう」

 僕は多少語気を荒げた。

「すまん、悪かった、ちょっと回りくどかったな。刑事のクセでね」

「・・・・・・」

 僕は気分が悪かった。

「実は君と彼女が会っているところを見たという目撃情報があってね」

「え?」

 実際のところ僕は高校生になってから一度も圭に会っていない。

「そんなはずはありません。いつのことですか?」

「おい読んでくれ」

 年配の刑事が若手に指示をした。若手は手帳の違うページを開くと

「ファーストフード店の店員の証言によると三週間前の日曜日、君とある女性が話しているのを目撃している。その店員に五十嵐圭の最近の写真を見せたところ、君と会ったのはこの人物に間違いないと証言している。また他の情報から五十嵐圭は一ヶ月ほど前にこの辺りへ戻っていることがわかっている。」

「ちょっと待ってください。僕は本当に会っていない」

「それは本当かい?よく思い出してみてくれないか」

 また刑事は優しい口調に戻った。だが明らかに僕のことを疑っている。三週間前の日曜日、僕は何をしていただろう。

 あっ。

「思い出しました。僕は確かに女性とファーストフード店にいました。でも圭ではない」

「ほう、じゃあ誰といたのかね」

 年配の刑事は身を乗り出して僕に聞いてきた。若い方は手帳にメモを取る準備をしている。

「如月愛という女性です」

「如月愛?」

 年配の刑事はテーブルの上の僕の手を少し見てから言った。

「なるほど。その指輪の?」

 若い方がメモを取る。僕は力強く言った。

「はい、僕は彼女と一緒に店にいたんです」

「じゃあ今から連絡とってもらえるかな?その彼女に」

「いいですけど、今携帯がなくて」

「この店のを借りればいいじゃないか」

「いや、その・・・・・・」

 若い方が口を開いた。

「君は彼女の番号を覚えていないんだろ?いつも携帯のメモリから電話をかけるから」

「・・・・・・はい」

「彼女の携帯番号くらい覚えとけよ」

「・・・・・・はい」

 その通りだった。番号まで覚えていなかった。年配のほうが息をひとつ吐き、言った。

「それじゃあ仕方ない。家に戻ってかけてくれるかな?」

「はい」

 とりあえずこれで僕にかかった疑いは晴れる。しかしなぜ僕が疑われているのだろうか。同時に圭を殺したものに対する憎しみが沸々とわいてきた。僕はファミレスから帰る途中に刑事に話をした。

「刑事さん、圭の写真見せてもらえないですか?最近の写真なんですよね」

「ああ、でもどうして?」

「圭とは幼馴染なんですけど最近は全く会っていなくて。いや、中学の頃あったのが最後なんです。だから・・・・・・」

 僕は少し涙ぐんでしまった。圭にせめてもう一度会いたかった。

 刑事はポケットを探った。一枚の写真が僕に手渡された。

 僕は言葉を失った。

「おいおい、顔が真っ青だぞ。写真を見たって悲しさが増えるだけだ」

 違う。

 違う。

 そうじゃない。

 茶髪、ジーパン、Tシャツ、サングラス。

「刑事さん、この写真、本当に圭ですか?」

 僕は少し興奮気味に尋ねた。

「本当だよ。うそついてどうすんだ。殺される直前の写真だそうだ。実際その格好で遺体も発見された」

 僕は混乱していた。

 写真を見て悲しさがこみ上げてきたから?

 いや、違う。

 写真の圭が僕の思い出と違うから?

 それも違う。

 僕は混乱していた。偶然なのか?できれば偶然であってほしい。


 ・・・・・・同じなんだ。


 何もかも同じなんだ。

 あの日の如月愛と全く同じ格好なんだよ。

 この写真の中の五十嵐圭は。

 体が急に重くなった。顔色も悪いらしい。刑事が心配そうに僕を見ている。

「あの今日はもういいですか」

 僕は写真を刑事に押し付けた。

「だが君の彼女に連絡してもらわないことには」

「明日また来てください。今日の夜にでも連絡をしておきます」

 二人の刑事は困ったようであった。

「どうしますか?」

 若い方が年配に尋ねた。年配は写真をポケットに戻し、こう言った。

「今日はこのあたりにしておこうか、君の顔色が悪すぎる。人の健康を害してまで捜査をするつもりはない。ただし、明日また来るから必ず連絡はしておいてくれ。我々も仕事をしないわけにはいかないんでね」

 僕は二人の刑事に一礼をした。

 家に帰る間、頭は混乱したままであった。ただ体中にいやな予感が染み渡っていくような感覚があった。

 家に着くと母にいくつか聞かれたが適当に話を切り上げ、また自室にこもった。

 如月愛に電話をしてみるが、出なかった。

 仕方なく、メールを送った。

『とりあえず連絡して。至急頼む』


 僕はうすうす勘付いていた。

 そして僕の勘は当たった。

 

 メールは返ってこなかった。


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