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無垢な頃  作者: 鮎沢琴美
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第五章

 もう待ち合わせに早く着きすぎることはない。僕の心にもある種の余裕が生まれてきたのだろうか。毎週会っていればそうなっても仕方ないか。待ち合わせは前と同じ、僕が苦手な都会の駅。都会といっている時点で田舎者をさらしているようなものだが、やはりこの空気にはなれない。人はいつものようにありの大群のようになってまるで僕を襲おうとしているのではないかと思うほどうじゃうじゃしている。

 僕はふと時計に目を落とした。

 待ち合わせ時間を過ぎている。

 あれ?と思ったその瞬間にメールが来た。

『少し遅れそう。ごめんね』

 ごめんねのあとにハートがついているから許す。僕はこれからも女性に簡単にだまされることだろう。

 仕方なく待つ。

 自販機があったので缶コーヒーを買った。この苦さと甘さが少々の暇つぶしになるだろう。飲みながらあのときの、はじめて如月愛に出会ったときもファーストフードの店でコーヒーを飲んでたな。とかそんなことを思い出していた。缶コーヒーを飲み干し、五分くらいしてから僕の待つべき人がやってきた。

「待った?」

「少しね」

「ごめんね、ねぐせが直らなくて」

「気にしないでいいよ」

 そういいながらねぐせの彼女を想像して、一度見てみたいと思った。心から思った。

「あ、そうだ。買い物って何か欲しいものがあるの?」

「リング」

「リング?」

「怖いのじゃないよ、ペアリング」

「あ、ああ。指輪ね」

「恋人同士なんだから。私はペアルックでもいいかなって思ったけど」

「それはちょっとやりすぎじゃない」

「冗談よ、冗談」


 そんな話をしながら都会の街をいく。背の高いビルが僕らを見下ろしているような錯覚に襲われる。さっきからやたらとスーツ姿のサラリーマンと行き違うがこんなところでずっと仕事をしている神経が僕にはわからない。


「こっちこっち」


 まるで僕らと違う都会の空気に打ちのめされそうになるのを彼女の声が止めた。

 百貨店か?

 こんな建物を何と言うのだろう。

 商業ビル?いや、ちがうな。


「ここでリング見てみない?」


 その建物から放たれる「おしゃれ」という強いオーラに僕は場違いではないかと思うがとりあえずカッコはつけてきたからギリギリ大丈夫だろう。

 それにしてもこの前の映画のときもそうだが、やけに彼女はこういった都会の空気に慣れている気がする。僕と同じ中学だったんだよな?高校生になるとみな流行を求め都市部に集まってくるのだろう。女の子は特に。でも男だって来てるか。僕がそういうのに疎いだけだ。こんなどうでもいい考え事はやめにして手招きする彼女のほうに早く行こう。


「ぼーっとしすぎだよ」

「はい」


 建物の中に入るときらきらといたるところが光っていた。それは田舎ものの僕にはそう見えるという比喩ではなく、金属のきらめきだった。いわゆるアクセサリーショップだ。とはいえセレブが集うような宝石店ではない。そう、僕らの世代にも買うことが出来るリーズナブルな店だった。しかしいくらリーズナブルだとはいえ、財布が年中寂しい僕にとっては結構な額だった。


「えーっと、リング、リングっと」


 圧倒されていた僕を尻目に彼女は店内を歩き回っていく。せっかくなので僕も見ることにする。


「あら、可愛いカップルね」


 店の店員か、いや、店長か。他のスタッフに比べ少し年上のようだ。僕らを見て微笑みながら声をかけてきた。

「何をおさがしですか?」

「あの、リングを。おそろいのリングが欲しくて」

「リングならこちらになります」

 二人は足早に売り場のほうへ進み、僕は遅れないようについていくのがやっとだった。

「こちらです。どうぞ」

「ありがとうございます」


 そして彼女は真剣にそのウインドウに目を凝らし始めた。僕も見るフリをするが、どれがいいのかわからず、ただ選ぶフリをしていた。彼女が気に入ったものをすれば良い。僕にアクセサリーへのこだわりはない。


「ダメだわ、いいのがない」

「え?こんなに種類があるのに?」

「うん、なんかしっくりこない」

「しっくりって・・・・・・」

「他の店回ろう」

「うん、別にかまわないけど」

 いったい何が気に入らなかったのかはわからないが、彼女がそういうので次の店に行くことにした。


 二件目。

「うーん、いまいち」


 三件目。

「ここもダメ」


 四件目。

「惜しいけど、違うな」


 結局、何件も回ったが、僕と彼女はリングを買わなかった。くたびれた僕が彼女を喫茶店に誘い、店内に入ってコーヒー一杯の値段の高さに驚き、注文を待つ間に彼女に聞いてみた。


「いったい、何がダメなの?僕から見れば結構いいのもあったと思うけど」

「うーん、なんていうか、フィーリングがね」


 なんか前にもこんなことを聞いた覚えがある。

 コーヒーが運ばれてきて、二人ほぼ同時に口をつけた。


「フィーリングねえ」

「私ね、やっぱりリングって大切だと思うんだ。二人が恋人である証って言うか、それを持ってるといつでも相手のことを思えるでしょう」

「うん」

「だからやっぱり妥協したくないって言うか、うん」


 少し変わった性格と言うのだろうか、こだわりが強いと言うのか。

 でもそんなところが僕は好きだ。


「君がそういうなら仕方がない、もう少し回るか」

「うん・・・・・・あ、ちょっと待って、もう時間」

「時間?ああ、門限か」

「ごめんね」

「仕方ないよ、でも前から思ってたけど今時、門限って珍しいね」

「そうかな?まあ、うちは結構親が厳しいから」

「うん、じゃあ今日はここでお別れだ。駅までいこっか」

「きょうはありがと」

「また来週見てみようか」

「うん」


 夕方になり、来たときよりも数段人の数が多くなっている中をはぐれないように手をつないで歩いていく。今まで恋人とは言ってもなんだか僕と違う世界の言葉のようで少し恥ずかしくもあったが、もうずいぶんなれた。こうやって自然に手を引くことが出来るし、誰が見ても僕と彼女はお似合いのカップルだろう。誰も疑いやしない。

駅について電車が来るまで彼女と話をし、手を振って別れた。もう彼女の格好の違和感も特に感じなかったし、如月愛は如月愛以外の何者でもないことが今日のリング探しでわかった。


 彼女を乗せた電車が行き去った。

 僕は毎週彼女に会い、そのことに満足している。


 恋人同士なんだよな、僕らは。


 そう思ったときにふと気づいてしまった。恋人同士だったら普通するべきものが欠けてはいないだろうか。彼女は生粋のプラトニックなのか。それとも僕から来るのを待っているのだろうか。

 本当にカップルなんだよな。

 僕と彼女は付き合っているんだよな。


 まだこの季節の日は長いが、それでもずいぶん薄暗くなってきた。そして僕の心に一種の不安が生じていた。この不安がどこから来るものなのかわからない。


 バカ、何を考えているんだ。そんなに気になるんだったら今からメールでも電話でもして彼女の気持ちを聞けばいいじゃないか。

 いや、また来週にも会うじゃないか。

 そのときでいい。

 何を焦っているんだ。

 今日も恋人の証であるリングを買いにいったんだろう。


 僕と彼女は恋人同士なんだ。


 沈んでいく太陽が僕の心に重なるようで頭の中からその悪いほうの考えを無理やりに消した。


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