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無垢な頃  作者: 鮎沢琴美
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第二章

 今日は日曜日なのに普段では考えられないくらい早く目がさめた。

 まだ六時にもなっていない。目覚ましは八時に鳴るはずだった。

 階段を降り、洗面所へ行く。顔をいつもよりしっかりと洗う。まだ誰も起きていない我が家は新鮮であった。平日にしろ、休日にしろ、家族の中で一番朝起きるのが遅い僕にはかなり貴重な体験である。

 早く目がさめたのはいいが、昨日眠りについたのはそう早くもなかった。

眠れなかったのだ、あの手紙を何度も読み返し、さまざまな想像をめぐらし、気づけば深夜一時は過ぎていたと思う。だから正確に言えば深い眠りに入ったのは昨日ではなく今日なのだ。そしてその手紙の人物に会うのも今日なのだ。

 鏡に映った僕の顔はお世辞にもイケメンとは言えない。僕は手のひらで頬を叩き、リビングへ向かった。特にすることもなく冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注いだ。そしてまた手紙のことを考えていた。

 はっきり言って僕には何の心当たりもない。特にクラスの女の子と仲良くしているわけでもなく、仲良くされているわけでもない、ということはクラスの中に僕の影のファンがいたことになる。ただクラスの女の子とは限らない。別のクラスの子かもしれないが、全く心当たりがない。そして誰かのイタズラの線も消えてはいない。こんなことを考える度に心臓が僕の皮膚を突き出るのではないかと思うくらい鼓動する。実際とてもドキドキしている。期待もあるが不安もある。ここまで来ると早く会ってしまって楽になりたいのだが、待ち合わせ時間は午後二時、あと八時間もあるのだ。

 結局妙に静まり返ったリビングは居心地が悪く、また部屋に戻り、僕は机の引き出しから再度手紙を出し読み返した。


 『私には勇気がないのでこうやって手紙を書くことにしました。でも何を書いていいのかわかりません。だからとにかく言いたかった一言だけ書きます。あなたのことが大好きです。それだけです。普通はここに自分の名前を書くんだろうけどやっぱりなんだか恥ずかしいです。その代わりといってはなんですが、今度の日曜日会ってくれませんか。待ち合わせ場所はあなたがいつも使っている高校の最寄り駅で午後の二時に。もちろんこの手紙があやしいとか他に好きな人がいるんだったら来てくれなくてもかまいません。では日曜日の午後二時待ってます』


 読み返してまた思う。

 名前さえ書いてくれていれば、こっちも心構えができたというのに。

 しかし「来てくれなくてもかまいません」の部分により、イタズラの線は僕の中では薄れた。だからといって可能性ゼロというわけではないが。あの手紙を発見したときから、ぼやっとしたイメージが僕の中で現れたり消えたりを繰り返していた。

 それは幼馴染の姿だった。もちろん待ち合わせ場所が高校の最寄り駅となっている以上この手紙の主は同じ高校の人物であろう、それが本気であれイタズラであれだ。だからそんなわけはないと頭の中で思っているにもかかわらずそのイメージは消しても消しても浮かび上がる。

僕は自分でわかっているのだ、その手紙の差出人が幼馴染の五十嵐圭であればいいのにと思っているのだ。

 小学校のときは彼女とよく遊んだものだったが、中学生になりその機会は減った。どっちがどうしたからというわけではなく、ごく自然にだった。しかし昔から知っているということもあり、たまにではあるが話をしたりした。簡単な近況報告というところだっただろうか。二人が別々の高校へ行くと知った僕は彼女に何か告げるべきであった。すごくありがちな使い古された言葉を。しかしその言葉は僕の口から出ることはなく、だからもちろん彼女の耳に入ることもなかった。僕は彼女に「じゃあな」としか言わなかったと思う。彼女は僕のことをどう思っただろうか。もともと僕のことなんてただの幼馴染としか思っていなかったかもしれない、そのほうがいい。そうでなかったとしたら、僕はすごい後悔をすることになる。もうかなり前に過ぎてしまった話なのにいつまでもこの心の奥の隅に浮かぶのはなぜなんだろう。


 僕は圭のことが


 「いつまで寝てるの」


 目覚まし代わりの母親の声が響く。どうやらまた眠ってしまっていたらしい。

 時計は一時をさしていた。

 母親に出かけることを伝え、手紙が夢でないことを確認し、急いで家を出た。なんか最近こういうのが多いな、もっと時間に余裕を持った生活をしないと。

 駅につくとちょうど電車が来ていた。この分なら約束の時間までには必ず着く。今日は踏み切りの故障は起きないでくれよ。吊り広告を見ながら祈った。

 幸い何のトラブルも起きることなく目的の駅に着いた。まさか学校が休みの日までこんな場所に来るとは。でもポケットの中の手紙を思ったらいつもの駅の光景がまるでドラマのワンシーンのようにも感じられるのだ。なんでも気持ちの持ちようとはよくいうけれどなるほどなと思った。

 改札機に定期券を通し、時計を見る。

 一時四十分。

 少し早くつきすぎただろうか。駅を出て少し辺りを見回してみるが僕が探すべき人は見つからなかった、というのもそこにいたのはいかつい格好をした兄ちゃんと白いひげを生やした老人、世間話をしているおばさん二人であった。この中に該当者がいても困るなと思って仕方なく僕はあと十数分待つことにした。何もすることがない状態で待つというのは予想以上に時間がたつのが遅い。しかし一分たつごとにやはり緊張は増していく。電車の中や駅を降りてからはさほど緊張感はなかったのにここにきて突然増してきた。それはたぶん現実味を帯びてきたからではないだろうか、今この情景で間違いなくドラマが始まるのだと、数分後には全く違う世界が始まるのではないかと。

 僕は空を見上げた。

 初夏の心地いい快晴の空だった。

 少しして向こうのほうから僕と同年代くらいの女の子がやってきた。僕は直感的にこの手紙の人物だと察した。しかし全く見覚えがなかった。

 女性は茶髪に、若い女性歌手がしているようなサングラスをかけ、ジーパンをギリギリまで短くしたようなボトムス、アイラブなんとかと書かれたTシャツ、つまり典型的ギャルだった。僕はそっち系とは全く関わりがない。

「あなたですか」

 まだこの女性だという根拠がないのにもかかわらず、僕はつい聞いてしまった。すぐにしまったと思ったが、

 「はい、私です。如月愛といいます」

 表情を薄く緩ませて彼女は僕に名前を告げた。

 「如月愛さん、ですか」

 僕は何を言っていいかわからず、ただ彼女の名前を反復しただけだった。

 この状況も何か変なので僕と如月愛はどこか座って話せる場所ということでファーストフード店に向かった。

 高校の知り合いがいないことを願って。


 お昼も過ぎた頃ということもあり店内はまばらであった。彼女に注文を尋ねるとコーヒーと言ったのでコーヒーを二つ注文した。この店はよく来るがハンバーガーを頼まなかったのは初めてだと思う。僕は彼女に会う前はいくらなんでも自分が全く知らない人は来ないだろうと思っていた。なぜなら僕と何のかかわりもなしに好意を持ってくれるというのはほぼ皆無だろうと思っていたからだ。もちろん一言も話したことがないとなるとやはり僕の見た目ということになる。となると僕はもっと自分の外見に自信を持っていいのだろうか。外見に関してはコンプレックスしか持ったことがない僕でもだ。そんなつまらないことを考えている間にすぐにコーヒーが二つプレートに乗せられた。お金は僕が払った、たった数百円だが女性になにかおごるというのはいいものだということを知った。席についてコーヒーを一口飲み、さて第一声何と言おうかと考えていると、

 「来てくれてありがとう」

 彼女がまず口を開いた。

 続いて僕も緊張で声が裏返らないよう注意しながら

 「こちらこそ手紙ありがとう、でもひとつ、失礼なのは承知で聞くけど、あなたは僕とどういうつながりがあるんだろう?もしかしたら僕が忘れているだけかもしれないけど」

 彼女はううんとかぶりを振って答えた。

 「私のことを知らないのは当然かもしれない、私は中学のときあなたの隣のクラスにいただけだから」

 「隣のクラス?」

 自分のクラスでさえクラスメイト全員を思い出すというのは困難になりつつあるのに、隣のクラスといわれればはっきり言って数人しか出てこない。考え始めた僕を見ながら彼女は続けた。

 「そんなに考えなくても知らなくて当然よ、本当は中学の間にあなたに手紙のことを伝えたかった、でも」

 僕は自分の頬が赤くなっていることがわかる。恥ずかしくなってまたコーヒーを口に含んだ。必死に声を振り絞って聞いてみた。

 「どうして僕なんだろう?」

 そんなこと聞かなくてもいいのに心の声がそういった、しかし知りたかった。だが返ってきた答えは

 「雰囲気かな」

 「雰囲気?」

 「いや、それとも違うかもしれない。フィーリングっていうのかな、こんなことを言っちゃ悪いけど、あなたのどこが好きとかそう言うのじゃなくて、理由っていわれても説明できない」

 「そう、なんだ」

 僕は彼女にどういって欲しかったのかわからないが少し中途半端な気持ちになった。

 「それでね、どうかな?私と付き合ってくれる?」

 「え?」

 いきなり本題に入られ言葉に詰まった。そうだ、彼女は手紙に対する僕の返事を聞きたくて今ここにいるのだ。僕は少し考えた。彼女と付き合うことについてではない。どうしても知りたいことがあった。

 「もうひとつきいていいかな」

 「いいわよ、何でもどうぞ」

 僕はききたいことを改めて整理し、彼女に問いかけた。

 「君と僕は中学校は同じだけど高校は違うよね。どうして待ち合わせ場所が僕の高校の近くの駅なの?それにどうやって高校の僕のクラス、僕の机を知っている?そしてどうやってその手紙を僕の机に入れたんだい?」

 彼女に会うまで、彼女と僕の関係を知るまではプラスのドキドキしかなかったのに、ここにきてどこか不安にも似たドキドキが押し寄せてきた。だっておかしいじゃないか。冷静に考えてみると恐ろしくもなってくる。少々強い口調で言い過ぎたかと思ったが彼女の態度は柔らかいままで

 「高校には忍び込んだ、クラスは知り合いから聞いたし、座席表は教壇の机に張ってたし」

 そう笑顔で言うもんだから、「そう」と間抜けな返答しかできなかった。

 「え?忍び込んだって?学校の部外者が簡単に忍び込めるのか?」

 「日中は無理よ、夜中に門を飛び越えて」

 「は?」

 「警備員もいないしね」

 僕は周囲に目をやった。今の会話の音量は大丈夫だっただろうか、誰かに聞かれていたらまずい内容のような気がするし、彼女のように笑顔のままする話でもない。

 「でもカギは門は飛び越えられても肝心の教室にはどうやって入るんだ?」

 「ねえ?」

 「ん?」

 「そうやって私の質問に答えないまま終わろうとしてるんじゃない?」

 「質問?」

 「だから私と付き合ってくれるの?はっきりして欲しいな」

 「それはもちろん」

 「OKね」

 「うん」

 半ば押された形で承諾した。これでいいはずだ。断る理由がないのだから。

 そして如月愛は僕にメールアドレスを紙に書いて渡し、「そろそろ帰らなくちゃ」と告げてあっさり去っていった。僕のことを好きになってくれたからだろうか。理由はわからないが、気づけばプラスのドキドキしか僕の体内には残っていなかった。彼女のアドレスの書いた紙をポケットにそっとしまい、少し残っていたコーヒーを一気に飲み干し、店を出た。


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