第一章
目覚まし時計の故障ではなく、おそらく無意識に僕が時計を止めたのだろう。母親の怒鳴り声で目が覚め、時計を見て心臓が止まりそうになり、大急ぎで顔を洗って学生服を着て家を飛び出した。
僕は朝が弱い。
幼い頃からずっとそうだったから仕方ない。漫画じゃないので食パンをくわえながら登校できないため午前の授業は空腹との戦いになることが多い。それにまさか食パンをくわえながら電車には乗れまい。今日起きた時間より少し早く目覚めていれば朝食は食べることができないにしろ、コンビニで何かを買うことはできたのに。
今はそれどころじゃない。
でも焦っても電車は焦ってはくれないから、携帯電話の時計を何度も見ながら電車を待つ。いつもは僕と同じ制服を着たやつがちらほらいるが、今日に限って皆無であった。しかし焦りは次第に諦めへと変貌していく。その決定打がこのホームに流れるアナウンスだ。
「次に到着の電車踏み切りのトラブルにより少々遅れます、お急ぎのところまことに申し訳ありません」
とっさに遅刻の理由について電車が遅れたからだと言い訳しようと思ったが、この電車がダイヤどおりについても結局始業時間に間に合わないことに気づき、あきらめることにした。僕は決して遅刻をして先生に注意を受けるのがいやなわけではない。授業がすでに始まっている教室に遅れてはいるのがいやなのだ。みなの視線をいっせいに受ける気持ちの悪さがいやである。そういう視線が大好きな人も世の中にはいるようであるが、僕はそのような人間ではない。
携帯電話の時刻が時刻表の時刻をちょうど十分こえた頃、僕の前に電車が到着した。
「どうしたんだよ、また寝坊か?」
優がニヤニヤしながら聞いてくる。
「電車が遅れたんだよ」
うそをついても仕方ないのにうそをつく。僕と優は学校に来る日は毎日この学生食堂で昼食をとり、そのまま五時間目の予鈴までまるで中身のない話をする。
「今度のテスト、ホントやばいなあ、古典の授業大体寝てるからなあ」
「自業自得だよ」
「そういうお前はどうなんだよ」
「テストは前夜が勝負だ。今は何も考えてないよ」
「出た、一夜漬けマニア」
僕はテスト一週間前でみんなが本腰を入れても実際何もしない。テスト勉強はテスト前夜から始まるのだ。一夜漬けマニア?なんとでも呼べばいい。これで結構いい成績が取れているんだ。テスト当日の午後は吐きそうになってるけど。
「僕は短期集中型だから」
「ふーん、夜中は寝るもんだと思っている俺には無理だ」
「今からこつこつやればいい、そうだ、今度のテスト勝負しないか?負けたら昼おごりで」
「えー、勝負するならハンデくれよ、50点くらい。一年のとき、そのくらい差があったろ?」
「50はきついな、10ならいいぜ」
「10点なんてほとんど変わらないだろ。あ、そうだ。テスト全部の合計じゃなくて俺が教科を三つ選んでその合計で勝負っていうのはどうだ?それならハンデは無しでいいぜ」
優も考えたな、たぶんその三つは
「じゃあ数学、物理、生物で」
やっぱり。
優はいわゆる理数科目にはなかなか強い。というか、一年のときにあった僕との合計50点の差はすべて英語や古典の大幅マイナスポイントが乗っかっていたからなのだ。僕は理数系はあまり得意ではない。数学はまだ大丈夫か、問題は物理だな。
「決定、この教科で決定」
高らかに優が叫ぶ。今回も一夜漬けフル稼働だな、こんなことしてるから朝が弱くなるんだよというツッコミは伏せておこう。
「そろそろ予鈴鳴るから教室いくか」
「そうだな」
二人立ち上がったときに聞き覚えのあるメロディが流れた。優の携帯だった。
「おっと、マナーにするの忘れてた。危ねえ、授業中ならなくてよかった」
「誰からだ?」
「誰でもいいだろ」
「お前こそコレか?」
昨日の帰りに優がやったポーズと同じポーズをとった。
「違うよ、そんないいもんじゃない。ほら予鈴なってるし。さっさといくぞ」
「はいはい、わかりました」
僕は優のメールについて面白い想像をめぐらしながら小走りに階段を上がり教室に向かった。退屈な日々にはそんな些細な想像をするのが結構面白い。
午後の授業が始まった。昼食後の英語の授業はこれでもかと思うくらい眠気を生む。幸い今日は一度も当てられずにすんだ。当てられたとしても何も答えられないから一緒ではあるが。本日最後の授業である世界史はビデオを見た。
いや、見ていない。
そのかわりに夢は見た。
幼馴染で中学まで同じ学校だった女の子が出てきた。夢の内容は覚えていない。ただ笑っている幼馴染がそこにはいた。笑っているけどなぜか手をグーにして僕の頭を小突いてくる。
なぜ?
どうして?
目を覚ますとそこには可憐な少女ではなく、中年の男性教師が僕の頭部軽くはたきながら、起きろというメッセージを視線で伝えてきた。
あっ。
と間抜けな声を出した僕を待ってたかのように終了のチャイムが鳴った。今日はあまりいい一日ではなかったが、まあそんなものだろうか。明日は目覚ましを三つセットしよう。ちなみに今日は二つセットしていた。
机から教科書、ノートを取り出し、置いておくものとかばんに入れるものに分ける。理想としては全教科を机の中において帰りたいが、そんなに容量がないので仕方なくいくつかかばんに詰め込む。
そのときにひらりと一枚の封筒が落ちた。
なんだったけ?と思いながら拾うと僕宛の封筒であることがわかる。それはまあ、僕の机に入っていたからそれはそうであるが、封筒にきちんと僕の名前が書いてあったから間違ってこの机に入ったものではないだろう。こんな封筒もらった覚えないなあ。
なんだろう。
そう思って封筒を破り、中の手紙らしきものを引き抜いた瞬間、すぐさまその手紙らしきものを封筒に戻しそのままかばんの中に放り込んだ。汗が出ていた、冷や汗に近いかもしれない。教室を早く出たかったが担任が毎度恒例のホームルームを始めた。しかし会議があるらしくそうそうに話を切り上げ、みんなで挨拶をしぞろぞろと教室を出て行った。 ラッキー。
そう思ったがやはり優が声をかけてきた。ここは平静を保とう。
「今日世界史のとき寝てたろ、結構みんな気づいてたぜ。起きたときのお前の反応面白かったあ」
「はいはい、そうですか」
教室から出て階段を降り、靴を履き替えるまで話題が居眠りに限定されており、何人かのクラスメイトも茶化してきた。僕は適当に対応をする。僕はあくまで普段どおりのはずだったのに。
「お前、今日なんかおかしくない?食堂のときは何も思わなかったけど」
どうして気づくんだ、この男は。
「別に何にもないけど」
「そうか、なんかおかしい気がするんだよな、どっか体調でも悪いのか?」
ナイスな言葉だ、よし、そういうことにしておこう。
「ばれたか、そうなんだよ、ちょっとおなか痛くてさ。家に帰って薬飲むよ」
「そうか、まあ気をつけろよ。じゃあな、また明日」
いつもと同じように門の手前の分かれ道で優と別れた。
門を出て駅まで向かう間、あの封筒のことを考えていた。かばんを開ければすぐに取り出せるが、ここでは無理だ。家に帰ってじっくりと読みたいところだ。封筒から手紙を出したときのあの驚き。やっと僕にもやってきた青春。可愛らしいキャラクターの便箋に丸い文字。
きっとアレに違いない。
おっとやばい、やばい、表情筋が緩みすぎてにやけてしまいそうだ。顔に力を入れる。駅のホームで電車を待つ間も電車に乗ってからもその電車を降りてもそのことだけ考えていた。
でもいったい誰だ?
しまった、あのときに差出人の名前だけでも見ておくべきだった。でもこのドキドキ感はたまらないな。いや、ちょっと待てよ。これは誰かのイタズラかもしれない。いわゆるドッキリだ。その考えを消すように僕はかぶりをふった。そんなことは帰ってから手紙をじっくり読めばわかるじゃないか。それにもうすぐ家に着く。全速力で走って帰りたかったが、僕はあえていつもと同じように帰った。そのほうが優越感が増すような気がしたからだ。
家に着いてからもいつもと全く同じように「ただいま」を言い、自分の部屋に入り、かばんを置いた。そしてそこからが違う。大急ぎで封筒をかばんから取り出し、勉強机の上に置き、いすに座り、ひとつ深呼吸をした。
封筒から手紙を取り出す。
それは間違いなくラブレターであった。




