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無垢な頃  作者: 鮎沢琴美
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第九章

 優が僕を呼び出したのは奇しくもあのファーストフード店だった。如月愛にコーヒーをおごったあの店だ。ここから始まったんだ、何もかも。

 朝の十時、店の二階のテーブルで待っているとメールが来た。僕は注文を済ませ足早に階段を上がった。コーヒーではなくコーラを頼んだ。

 あたりを見渡すと窓際の席に優はいた。

「優、元気だったか・・・・・・そんなわけないか」

 四人がけテーブルに座っている優はいつもと変わりがない気がした。日ごろから顔にでないタイプであるからそう不自然には感じなかった。ただ声のトーンは少し暗い。

「真っ先にお前に連絡するべきだったんだろうな」

 そう言って優は下を向いた。

「僕こそ、気が動転していて」

 僕は優の正面に座った。

「仕方ないさ、お互い」

「うん」

 それきりお互い黙ってしまった。

 店内に流れる音楽がやけにむなしく感じられた。

 僕は優に自分の考えを伝えようとしたがなかなか上手く切り出せなかった。目の前にいる優は果たして僕の戯言を聞けるだけの心の余裕を持っているのだろうか。そう考えると少し前まで事件の推理を試みた僕は優以上に冷静なのかもしれない。いや、冷たい、というべきだろうか。

 沈黙は続いているが、やはり優も何か伝えようとして僕を呼び出したはずだ。

「何か話すことがあるんだろ?」

 僕は思わず口から出た言葉の不自然さに鳥肌が立った。僕は何を言っているんだ。

 窓の外を眺めていた優はこちらを少し見て

「うん」と答えたがその声は蚊の飛ぶ音のように小さかった。

 そう言ってまた優はまた黙ってしまった。

「いいよ、別に無理しなくても。変なこと聞いてごめん」

「いや、いいんだ。うん、いいんだ・・・・・・」

 優はそう言うと隣に置いてあったかばんを取った。

「なあ、この店出ないか」

「うん、いいけど」

 僕は意味がわからなかったが、とりあえず同調した。

 店を出ると空は少し曇っていた。遠い空に厚い雲が見えてなんだか気分が滅入った。

「ついてきてくれ」

 優はそう言うと歩き始めた。

「どこに行くんだ?」

 僕がそう言うと優は歩を進めながら答えた。

「特別な場所じゃない。その場所には何の意味もない」

 優はそう答えた。「意味がわからない」と返そうと思ったがどうでも良くなった。とにかく優についていこう。それだけ思った。

 高校の方向とは全く逆であまり見慣れない景色だった。優はどこに向かおうとしているのか。

 駅も通り過ぎて、はじめは大きな道路に沿った歩道を歩いていたが次第に中の道に入った。住宅街であったが、勤めに出ているためだろうか人の気配はなかった。ただ家という箱がずらっと並んでいるようだった。

 僕ら以外にいるのは電線に乗ったカラスくらいだった。

 さらにその住宅街も抜け、まだ進む。時計を見るともう15分ほど歩いていた。

 しばらくして優は立ち止まった。

 そこには更地があった。何の目的で存在しているのかわからないだだっ広い一画であった。 この時間帯だからだろうか、やはり人は少ない。

 優は重そうに口を開いた。

「ここだ」

「え?」

 僕は優の台詞の意味がわからなかった。何が「ここ」なのだろう。

「この場所には意味はないんだ。ここで起きたことに意味があった」

「優?」

「俺はこの場所で圭ちゃんに会ったんだ。会ってしまったんだ」

「・・・・・・圭に会った?」

 僕は狂ったように興奮していた。頭の中がまたパニックになっていた。冷静に気づきあげたピラミッドが一気に崩れていく。

 気がつくと僕は優の両腕を掴んでいた。

「圭に会ったのか! いつだ、いつ会ったんだ」

 優は何も答えなかった。僕は優の腕を激しく揺らしていることに気づき、われに返った。

「ごめん」

「おまえは謝らなくていい。謝らなくていいから・・・・・・」

 ひとつ間を置いて優が再び話し始めた。

「謝るのは俺のほうなんだから」

 さっきから優の台詞の意味が全くわからなかった。優は続けた。

「三週間くらい前にこの辺りを歩いていたんだ。言ってなかったけど俺には彼女がいて、この辺りに住んでいた」

 いつもの僕らなら「彼女」という話題だけで色めきたったが、今はそれより先を知りたかった。

「夕方くらい、今日みたいな天気だったから空は暗かった。俺はこの辺りの道、もちろんこの更地の前を通った。いつも人通りがなかったけどその日は違った。この更地に人影があった。それも見覚えのある人影。でもそれが誰なのかなかなかわからなかった。なんせ格好が前と全く変わっていたからだった。でも少しして何となくわかった。それが圭ちゃんであると。俺は無意識にそっちへ近づいた。すると向こうも俺に気づいた。『優くん?』って言われたそのときに今までずっと抑えてきたものが爆発してしまった」

 優は立ち止まった。

「俺はずっと圭ちゃんが好きだった。中学時代のことだし、もう会うこともないだろうし、そんな思いは上手く心の奥に隠されていたんだ。この思いは永遠に現れないはずだった。でも目の前にその本人がいる。本人がいたんだよ」

 優の口調が興奮し始めていた。圭のことが好きだった?そんなことは聞いたこともないし、勘ぐったこともなかった。僕は全く気づかなかった。

「優、本当か?」

 僕はそう言葉を発したものの優はそんな言葉聞いていなかった。その語り口調に熱がこもっていた。僕は努めて冷静に聞こうとした。ここで何があったのかを。優の一字一句を逃さずに。

「俺は思わず圭ちゃんに言ってしまった。開かれるはずのなかったこの思いが口から矢のように出ていったよ。はじめは圭ちゃんも驚いた顔をしていたけど取り乱しもせず俺の告白を全て聞いてくれた。俺が話し終えると圭ちゃんは言ったんだ。『ありがと。でも私は今片思いをしてるの。今から告白しにいこうと思う、そうね、今の優くんみたいに』ってな」

 僕は何も言葉を発することが出来なかった。優は続ける。

「お前だよ、圭ちゃんはやっぱりお前のことが好きだったんだ。俺はそんなこと前から知ってた。見てりゃわかるんだよ、悔しいけど、つらいけどわかってたんだよ。告白するって聞いた後、俺は確実に狂っていたんだ。『どうして俺じゃダメなんだよ、どうしてあいつなんだよ』って大声で怒鳴り散らして気づいたら首を絞めてたんだ」

 優は涙を流しながら叫ぶように僕に言った。

「お前さえ、あの時にちゃんと圭ちゃんに告白していればこんなことにはならなかったんだ。俺がここで圭ちゃんと会わなければこんなことにはならなかったんだ。俺は神様を恨むよ」

 僕はただ呆然としていた。何と言えばいいのかわからなかった。幼馴染を殺した犯人を前に激怒しなければならないはずだ。復讐しなければならないはずだ。

 でも体が動かない。

 体全部が震えて頭の中が真っ白になった。

 優は興奮したまま続ける。

「俺は動かなくなった圭ちゃんを前にどうすることも出来なくなった。ただこわくて逃げたかったけどそんな精神力が残ってなかった。そこへ時間になっても来ない俺を心配した彼女がやってきた。彼女はもちろん驚いたよ。でも冷静だった。『私に任せて』と言って俺をなだめた。とりあえずこの死体を隠して何にもなかったことにしようと言った。そしてもし見つかったときのための偽装工作をしようと言った。その偽装工作というのが俺以外の誰かに罪を着せるということだった」

 僕は優の言葉をただの記号のように聞いていた。言葉の意味などもういらない。音のない広場に優の声だけが響いている。

「俺の彼女はある人物を犯人に仕立て上げようとした。圭ちゃんと同じ格好をしてその人物に会い、圭ちゃんがまだ生きているように思わせる。タイミングを見計らってその人物の上着のポケットに死体の髪の毛を入れる。圭ちゃんがしていた指輪をペアリングとして送る。物的証拠をさりげなくその人物へ流していく、如月愛という架空の人物として」

 僕の脳がやっと反応してきた。すべてがここで明かされた。

 僕はどうすればいい?

 一番大事な幼馴染を殺した無二の親友にどう接すればいい?

 もうこんな芝居はやめにしてあの頃に戻らないか?

 しかしこれは紛れもない現実で悲しいけど真実なんだ。

 僕はめまいがした。

「これで最後だ」

 優は僕に銃口を向けていた。これは本当に現実なのか。

「お前は幼馴染を殺してしまった罪悪感から自ら死を選ぶ。警察はそう判断する。これですべて終わる」

 カチリという物騒な音がしてその黒い先は僕を的確に捉えている。僕はやはり動けない。逃げなくちゃいけない。殺されてしまう。でもショックが大きすぎて体が動かない。

「これで最後だ」

 そう言うと優はその黒い先を僕に向けたまま近づいてきた。一歩一歩近づくそして一定の距離で止まる。

 まだ死にたくない。

 しかし僕はこの状況に関して恐怖を覚えることすら出来ない。

 とにかく何も出来ない。

 何も考えられない。

 動けない。

 すでに拳銃の引き金に手はかかっている。

 それを引けば優の言うとおり全てが終わる気がした。


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