酔っ払いにご注意
濃霧の森を歩いて数時間。
自分がどの方向にどのくらい歩いたのかわからず、ただただ、シウルを見失わないように追いかけるだけだった。シウルが「霧が出てる間は話しかけないでね。霧の意味がなくなるから」と言ってこの数時間沈黙が続いていた。
もう何十本目となるだろう、種類の分からない木を眺めていると、東の方から明かりが差した。
木々の間から朝日が差し、思わずヒロトは立ち止まった。
「元の世界と変わらないな」
ふと、そんな言葉が口から漏れた。
毎日、太陽を気にして生きてきたわけではないが、きっと希望に満ちていて輝いていたことだろう。
でも、ここ最近に偶々見た太陽はそんなに輝かしいものだっただろうか。まるで、己の心の中の絶望が映し出されたように暗い太陽だった。
――じゃあ、この太陽はどっちなんだ?
「ヒロトォ、何やってるのぉ」
いつの間にか、霧は晴れて結構先にいるシウルが手を振って、早く来いと、催促していた。ヒロトは頷き、手も振り返した。
「今、行くよ!」
ヒロトはシウルの元に駆け出した。
今はまだこの太陽が希望なのか絶望なのかは分からない。
それはこれから探し出していけばいいことだ。
森を抜けたヒロト達は広い草原に突っ立っていた。
後ろの森は東西に長く広がっている。遠くには山が大きく連なっていて、一周丸々山に囲まれていた。そして、少し遠いが街のような建物も見えている。
おそらく、シウルの言っていた「一泊する街」というのもあの場所なのだろう。
「なあ、シウル。ちょっといろいろと聞いておきたいことがあるんだけど」
「なにかしら?」
ヒロトの突然の質問にシウルは快く引き受けてくれた。
「この大陸の地理について基本的なことでいいから教えてくれないか?」
ヒロトはまだこの世界の地名を『エウリーの森』と『ウエスキル王国』しか知らない。せめて、この大陸での主要都市だけでも知っておきたかったからだ。
「まず、この大陸は『七王国三十二街村』で形成されています」
シウルの先生口調に耳を傾けながらヒロトは思った、元の世界の『一都一道二府四十三県』と似たような表現だな、と。シウルは質問の答えを続ける。
「遠くに見えるあの山が『国境山』と呼ばれていて、この山の内側に一箇所だけ『王国』が存在していて、その王国が治めているのが街や村なの」
「だいたい一つの王国はいくつの街や村を治めてるんだ?」
「一つの王国に決まった街の数はないわ。一つの王国に一箇所の街村もあるし、十の街村を治めているところもあるわね」
つまり『国境山』内の王国の治めている街村は同じ数ではなく、それぞれ違っているということ。
シウルの説明を頭の中で整理していると、
「――待って!!」
突然のシウルの制止の声にシウルの一歩後ろを歩いていたヒロトは気をつけの姿勢で止まった。
腰を低くしたシウルに倣ってヒロトも姿勢を低くする。
シウルは辺りをキョロキョロと見回して、ふう、とため息を漏らした。
「な、何があったんだ?」
ヒロトはさっきの行動について恐る恐る訊いた。
シウルは柔和な笑みで返す。
「なんでもないわ。さ、早く行きましょう」
結局シウルの行動は謎のまま、ヒロト達は再び歩きだした。
□ □ □
最初の街『エウリック街』(シウル曰く『エウリーの森』の名前の由来となっているらしい)に足を踏み入れたヒロト達は本日の宿屋を探していた。
街は中世ヨーロッパの建築様式と似ていて、建物が全て石で造られていた。その所為なのか、ちょっとした海外旅行気分になってしまう。
街を見渡せば、さまざまな所に旗が掲げてある。赤の地に青のトカゲが描かれていた。その旗が建物一軒一軒に掲げられていて、何かの目印のように見られる。
歩き始めて数十分後、街の中央部に近づくにつれて、小さな賑わいが聞こえてきた。
街の中央は大きな広場となっていて、そこには人が溢れるように埋まっている。
「今日はなんかの祭りなのか?」
広場の騒ぎに圧倒されつつヒロトは隣のシウルに尋ねた。
「……さ、さあ?」
シウルもこの騒ぎを前に苦笑いで返した。
広場には男女問わず、騒ぎ、酒を飲み、踊っている人達ばかりだ。二人と広場の人達にははっきりとした温度差が表れていた。
試しに近くにいた男性に声を掛けた。
「なあオッサン、これはなんの祭りだ?」
そう言ってヒロトは男性の肩に手を掛けた。
振り向いた男性は酷く泥酔していた。顔は赤く、息からはアルコール臭が漂っている。
「あ?なんだ迷子か、ガキ。さっさとおうちへ帰んな」
しっしっ、と手を振って軽くあしらう。そしてまた一杯、酒の入ったグラスを飲み干した。
その態度に憤りを感じたが、あくまで冷静に話を聞き出すんだ、と自分に言い聞かせて再度ヒロトは男性に聞き返す。
「これはなんの騒ぎなんだよ。その酒臭い口から教えてくれよ、ジジイ」
さっきよりも笑顔で訊いた上で、たっぷりと皮肉を込めた。
男性はヒロトを睨み、近くのカフェのテーブルに割れんばかりの勢いでグラスを叩きつけた。ヒロトもそれに対抗して男性を睨みつける。
傍から見てもその光景は一触即発の危険な状態だ。彼らが争えば周りの人達に危害が加わるのは避けられないだろう。
「ちょっと待って!」
二人の仲裁に入ったのは隣にいたシウルだった。
シウルの両手が二人を引き剥がす。彼女のおかげで彼らの抗争は収束した。
男性は近くのカフェチェアを引き、ドスンと座った。ヒロトも向かいの席に同じようにドスンと座る。シウルは二人の中間距離で三角形になるようにちょこんと座った。
ヒロトと男性はそれぞれ腕と足を組み、テーブル越しに睨み合っている。
「ネエちゃん、水を一つ!」
男性が手を上げカフェのウエートレスを呼んだ。
はいですぅ、と店の中から元気な声を上げて、紙とペンを持ってウエートレスがやってくる。
「えっと……まずは水ですね。他は?」
ウエートレスは紙に一つメモし、あとの二人に注文を伺う。
「俺は、水を」
ヒロトはウエートレスに顔を向けず指を一本立てて見せた。
ウエートレスは紙に横棒を引いて新たに書き直す。
「水を………二つですね」
ウエートレスとしては確認のつもりで言ったのだが、彼らには癇に障る言葉となった。
「「違う!!」」
ヒロトと男性の声が綺麗に重なった。
二人は完全に理解を拒んだ。
だからシウルは両手を顔の前で合わせて「おねがい」とウエートレスに口の形で伝えるのだった。
はうぅ、と情けない声を出しながら、注文を繰り返す。
「水を一つと……水を一つ……ですね」
二人は同時に頷いた。
とりあえずホッとしたウエートレスはシウルへと顔を向けた。
「私は何か甘い飲み物を」
シウルの注文にウエートレスはパアッと晴れた顔をして、
「はい!! 承りました!!」
今日一番の声音で注文を受け、店の中へスタスタと戻っていった。
シウルは目の前で睨み合う二人から目を背けようと、店の周りへと視線を移した。
今座っている席以外にも四つのイス付きのテーブルがある大きなテラスだ。店内にも同じようなテーブルとイスが並んでいる。
だが、店内とテラスでは明らかに人の数が異なっていた。店内には全てのテーブルが埋まるほどの数。テラスの人数はたったの三人。ヒロトと男性とシウルのみ。
祭りがあっている最中に周りの店が空くなんてことはあるはずがない。
シウルの記憶では、テラスにはいる時はまだ客がいたはずだった。
それが今では三人以外誰もいないのだ。二十人近くの客が一斉に消えたとも考えられない。
テラスの周りにも異様な空気は流れていた。広場の端からテラス端までの人が極端に少ないのだ。まるで何かの壁のようで、何かを避けるように。
その理由にたどり着くのに時間は掛からなかった。
答えはすぐ目の前にあった。
ヒロトと男性。
目の前で睨み合い、殺意さえも出そうな雰囲気に客が遠のいてしまったのだ。
これでは、店にいい迷惑だ、とシウルは居心地悪そうに身を捩る。
テラスの客が減ったおかげというべきか、注文の品はすぐにやってきた。
注文の品は先ほどのウエートレスが持ってきた。改めて見ると、彼女の顔には少しばかり緊張が走っているようにも感じられる。後ろの店内から店長らしき人が心配そうに見送られる始末だ。
「注文のお飲み物です」
水をヒロトと男性の前に置いて、オレンジ色の液体が入ったグラスをシウルが恐縮そうに受け取る。
ウエートレスは深深と一礼して振り返って帰っていった。
一見、何の緊張もないように見えるが、帰る時、手と足が同時に出ている。
シウルはそんな可哀想なウエートレスを見送って、グラスに入っている飲み物を付属のストローで一口飲んだ。甘い口触りがこの飲み物のリピーターを増やす要因となっている。
水を一息で飲み干した二人は少し落ち着いたようで、物々しい雰囲気の喧嘩腰が少し和らいだ、ような気がした。
バン! とテーブルが突然揺れた。原因は先程まで喧嘩腰だった男性だった。
「すまなかった!つい酔っていたとはいえ、アンタに迷惑をかけちまった。ワシは酒飲むと態度が悪くなっちまうんだ。どうか許してくれ」
額が擦り切れんばかりに頭をテーブルに当てる男性。その反対側では、男性のあまりの豹変さに目を見張るヒロトが水を飲み干していた。
「いや、別にいいよ。俺も売り言葉に買い言葉なところがあったし」
どうやら二人は仲直りしたようで、シウルも胸を撫で下ろした。
まだ男性の豹変さにヒロトはついていけずそっぽ向いている。
「まあ、なんだ。昔から言うじゃねえか。酒に飲まれても俗世間に呑まれるなって」
「言わねえよ。せめて酒には飲まれるなよ」
ワハハ、と笑う男性。それに負けないくらい笑うヒロト。
二人は笑いを交わす度に声が盛大になってゆく。
それを傍観していたシウルはとうに呆れていた。
「これ訊くの三回目なんだけどさ。この騒ぎはなんなんだ?」
顔を騒ぎの方に向けて男性に尋ねた。
カフェでこんな騒ぎがあったにも関わらず広場の中心では騒ぎ、踊り、酒を飲んでいた。
「あれは『街娘安全祭』っていうやつだ。広場の掲示板にも貼ってあるが、どこの誰かわからない奴が魔王の生け贄になってくれたらしいんだ」
男性の指し示す広場の中央に視線をやると、掲示板らしきものが豪華に飾られ貼り紙が一枚あった。遠すぎて貼り紙の写真はよく見えない。
「それで毎月それぞれの街から娘を三人ずつ奉納しなければいけなかったこの日に街の娘が安全であることを祝うのさ」
憂いのこもった瞳を空に向け、そう告げた。
おそらく、この男性も娘を奪われた親の一人なのだろう。
もう亡き娘を想う切ない瞳に思わず同情してしまった。
「明日には連れてかれた娘たちの『追悼式』を開くんだ。良かったらアンタらも出席してくれ。たぶん、娘たちも喜ぶだろうさ」
「わかった。絶対に行くよ」
「ちょっと、ヒロト」
貿易船の心配をしたシウルが制止にかかった。
「大丈夫だよ。一日くらい遅れても貿易船はまた来るだろ?」
「まあ、そうだけど……」
言い収められたシウルは沈黙した。
「ありがとうよ。今日泊まる所は決まってるか?ないなら俺の家に泊めてやるよ」
男性は高揚して宿泊場所まで提供していた。それにシウルは食いついた。
「本当ですか!? やったよヒロト! これで宿泊代が浮いたよ!」
珍しくテンションの高いシウルはヒロトの手をブンブン振った。
「わかったわかった。わかったから離してくれ」
「あ、ごめん」
シウルから手を離されてもヒロトの脳はグルグルと振り回されていた。
「俺の名前はガッタ。ガッタ=シグムロック」
思い返せばまだ自己紹介をしてなかった、とあわてるヒロトとシウル。
「俺の名前はヒロト」
「私は、シウル」
「おう! よろしくな、ヒロトにシウル」
ガッタは二人の肩をバンバンと音の鳴るほど強く叩いた。
その時――
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」
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