出会いと出発
――ピタッ。
何か冷たいものが額に乗せられたのがわかった。
体の四肢がすごく重たい。まるで全身に重りを着けているようだ。
どうにか身体を起こすと、額に乗っていたものがハラリと落ちた。同時に瞼も起こす。すると、周りの光景が目に飛び込んできた。
どうやら、ヒロトは屋内にいるようだ。周りには家具が必要最低限なほどにあるが、その全てが木材で作られていて、この家屋も同じく木材で作られていた。
檜の匂いとは違うが、やさしく温もりに満ちた空気が鼻孔をくすぐった。
ふと、手元に落ちたものを手に取ると、ただの『湿った布』だった。
そしてこれを乗せてくれた人がいるのであろう左側に視線を送る。
「ねえ、大丈夫?強く頭を打っているようだけど」
鈴のような綺麗な声。薄く青みがかった髪はまるで澄みきった川の流れのようだ。顔は端整でクラスの女子よりかは顔の大きさは小さい。ぱっと見で美人だと分かる。
だが、その顔に違和感のある所が一箇所だけあった。
――耳が尖ってる!?
「うわおっ!!」
目の前にいる少女の耳の形に驚き、思わずヒロトが反対側に飛び退ろうとするが、反対側には運悪く壁があった。気持ち二メートルくらい飛ぶつもりだったため、案の定壁に激突した。
その反動でそのままベッドに逆戻りする。
「うう……いてて」
再度打った頭を摩りながら起き上がると、目の前で耳の尖った少女がクスクスと笑った。
「ふふ、あなたっておもしろいのね」
笑い方に気品があるため悪い気はしなかった。
「まだ、自己紹介してなかったわね」
ヒロトは佇まいを直して、ベッドの上で正座した。
最初に自己紹介をするのは、彼女からだった。
「私はシウル。訳あって家名は言えないわ」
「俺は、速崎寛人だ。……ヒロトって呼んでくれ」
髪の色と似た蒼の双眸がヒロトを見つめる。
「へ~ヒロトって言うんだ。あんまり聞かない名前だね。どこの種族?」
「種族っていっても、分類学上では自分が人間だと思ってるけど」
この少女からは俺が両生類にでも見えてるんだろか、とそんな懸念をしたがそれ以上に驚いたことが起きる。
「私はエルフよ。だから、ほら」
そう言って、シウルは後ろに向き直り、部屋の真ん中に据えてあるテーブルの上の皿を指差す。そして指をクイッと上げると、皿は不思議なオーラを纏ってふわっと浮いた。ヒロトはただただ驚くのみ。
シウルは指でさらに指示すると皿が水平に移動しだす。皿がシウルの手元に着いたところで不思議なオーラは消えた。皿の中にはスープが入っていてスプーンもセットになっている。
「ね?エルフでしょ?ほら、食べて」
シウルはスプーンでスープを汲み取り、ヒロトの口に近づけた。
(って、ちょっと!これって『あーん』て奴じゃないか!?)
今まで女子の食事といえば、妹との朝食と夕食くらいである。それも会話のない乾いた空気の漂った食事風景ばかりである。
「ねえ、ちょっと!早く口開けてよ!」
シウルは痺れを切らして語気が強くなっている。
俺は仕方なく口を開けた。
ぱくっ。
口の中でトロトロとしたスープが芳醇な香りを広げる。
「これすごくおいしいよ!シウルはいい嫁さんになりそうだね」
シウルから皿ごとスープを受け取り食べ進める。
「な、なな何を言ってるんですか!!……お嫁なんてまだまだで……」
シウルの言葉の後半はよく聞き取れなかった。ただ、シウルは顔を赤らめて、それを隠すように手で覆っている。赤くなった耳までは隠せてないけど。
□ □ □
「ニンゲンってこの大陸では聞かない種族よね?海の向こうの大陸から来たのかしら?」
シウルのスープを飲んだ感想で顔を赤らめてから数分後の事だ。
ふとしたことで、シウルは疑問を問うてきた。
スープを飲ませてもらう時にシウルが人間ではないことは確認済み。
そして、ヒロトが自分にいた世界とはまた違う世界に来てしまったことも意識的に感じ取った。
さて、シウルの疑問なのだが、この異世界の召喚ものにはあまり関心がなかった為に知識はほとんど皆無。基本的なことは分かっている。
そういうヒロトの答えは――
「うん。俺は向こうの大陸から来たんだ」
ヒロトの答えはその世界の話に合わせることだった。下手に本当の事を言って変に目をつけられても困る。
その答えにシウルはもの珍しそうにヒロトを見回す。
「私初めて見ました、向こうの大陸から来た方を」
「そ、そうなんだ~」
ヒロトは決まり悪そうに顔を背ける。なおもシウルはヒロトを見回す。その純粋な瞳にグサリと胸をえぐられるような気持ちだった。
その胸をえぐられるような気持ちを払拭するために話を変えることにする。
「そ、そういえば、ここってどこなの?」
窓からは木漏れ日に光る木々が見える。
予想では自然が豊かな所なのだろうと思う。エルフのイメージとなると自然の中で精霊などと戯れている様子が思い浮かぶ。
「ここは『エウリーの森』よ。『ウエスキル王国』の西の方にある森なの」
「えう……すき……何だって?」
ヒロトが反芻しようにもうまく聞き取れず、理解も追いつかなかった。
「ヒロトはこの大陸の地理については勉強不足なのですね。ヒロトはどうしてこの大陸に来たのですか?」
どうして来たのか、と聞かれても、なぜここにいるのかもわからないヒロトとしては答えようもないことだった。この大陸と向こうの大陸との繋がりが分からない為に何と答えようか逡巡していると、ある言い訳を思いついた。
「いや~、それがね。ちょっと記憶がないんだよね~。気づいたらここにいたって感じ?」
口調がちょっとチャラいのはきっとテンパっている所為だろう。ヒロトの答えにシウルは考え込むように顎に手を当てる。
やがて、シウルは何か思いついたように顔を上げた。
「では、向こうの大陸に戻ったら記憶が戻るかもしれないわね!」
いつのまにか、シウルは身を乗り出すようにヒロトに近づいていた。
シウルの髪からはほんのり甘い香りがしていた。さらに女の子の顔が近いこともあって、かぁと顔に熱がこもる感じが分かった。シウルも今の状況に気づいたのか、またしても顔を赤らめた。
「………」
「………」
二人とも顔を逆方向に向けたままで会話が進まなかった。
言葉を出そうにも口の中がからっからなのだ。スープに手を伸ばそうとしたところでシウルが突然口を開いた。
「『ウエスキル王国』に行けば向こうの大陸との貿易船があるからそれに乗せてもらえれば戻れるよ。私がそこまで案内するから行きましょ」
よし、今度はちゃんと聞き取れたぞ、『ウエスキル王国』。
それにしても向こうの大陸に行ったところで元の世界に帰れるという保障はない。でも、このままシウルに迷惑をかけるわけにもいかない。スープをもらった恩もあるから早々に返したい気持ちもある。この恩は船に乗る前には何かしらで返そう。
まずは『ウエスキル王国』まではシウルの世話になるしかない。
「じゃ、じゃあよろしく頼むよ。『ウエスキル王国』ってのはどのくらいかかるんだ?」
「えっとね。ここが『エウリーの森』の中心ぐらいだから、この森を出て近くの街まででだいたい一日くらいかな。それから街を出て『ウエスキル王国』まで半日ってところかな。だから街で一泊してから『ウエスキル王国』に行く順路だよ」
だいたいのスケジュールが脳内に書き留められた。だが、一箇所問題がある。
「俺、お金っていうか、宿泊代持ってないんだけど……」
今の所持品というのも、携帯と腕時計しか無い。まさか、女の子を追いかけて来た神社で異世界に連れてかれるとは夢にも思っていなかった。
まあ、金が無いなら野宿するしかないわけで。新聞紙とかあれば一夜は過ごせる。高校三年生にしてホームレスの極意を会得してる俺って……。
「宿泊代くらいなら私が払いますよ?」
「え? 大丈夫なの?」
とてもじゃないが、この家を見る限りでは裕福な暮らしをしているとは思えない。他人に施すお金があるならもっと住み心地の良い家を買うなり、もっと豪勢な食事代にかけるべきだと思う。
「今とても失礼なこと考えてなかった?」
「ソンナコトナイヨ」
似非外人風の口調で否定を表した。
訝しげな表情をこちらに向け、俺は手を振ってみせた。
突然、シウルが立ち上がり、言い放った。
「じゃあ、話がまとまったところで。早速近くの街まで行きましょ」
「え?もう行くの?」
突然のことでハッと顔を上げる俺に、シウルがシャランシャランと音のなる布袋を腰に着けて催促する。
「さっきも言ったけど、ここから近くの街まで一日かかるの。この森では昼間になると魔物があまり出てこないから、朝の内から出て行った方がいいのよ」
「そ、そうなのか。シウルに任せるよ」
この森には魔物が出てくるのか、と思ったヒロトは見てみたい好奇心と安全に辿りつきたい気持ちが混ざって複雑な表情となる。
とりあえず外に出てきたが、すっかり日も落ちて霧が深くなっていた。ほんの五メートル先が霧で見えないくらいの濃霧。
「ヒロト、私から離れないでね」
そう言うシウルがいきなり霧に紛れそうになる。
「あ、待って、シウル」
シウルを追いかけてヒロトも霧の中へ。
二人の姿は月夜の下の霧に溶け込んでいった。
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