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巨大コンピューターからの接続を切った途端に、端末の駆動音は落ち着きを取り戻した。
やれやれ、とセイファは大きすぎて全貌が見えないそれを見上げる。
――平面世界を支える一柱。これが五十億とも言われる数の人間を守っているのだ。
そんなシステム管理コンピューターとの接続は、専用の端末でなければ厳しい。が、一般人にそんなハイスペックなものは必要ないのだ。そもそも普通には流通していない。
周囲には小型の端末が置かれた机が並ぶ。床はコンピューターを配線だらけで、慣れないと日に三度は転ぶ。無線化できるものとできないものが世の中にはあるのだ。それぞれの端末の前では、難しい顔をした研究員たちが作業に没頭していた。
「まさかお前、通常端末繋げたのか?」
呆れ顔でセイファの手元を覗き込んだのは、システム管理維持室所属の研究員である。
「通常のしか持ってませんからね」
もちろん、市販されている中では最高クラスであるうえに、あれこれといじってあるのだが。
「持ち替えろよ、手配してやるから。どうせイスヴィラにいる限り、こうやって局長に呼び出されるだろ」
「持ち替えたらそれがさらに酷くなるだけでしょ」
「そうだなぁ」
研究員――ナラは、豪快に笑い飛ばした。セイファは笑えず、苦いものを顔に浮かべる。
セイファにしてみれば、迷惑な話だった。せっかく黎逢を離れ、進路を研究所と無関係の分野に進んだというのに。――いや。イスヴィラがシステムを支える上での要地であることは初めからわかっていたのだ。巻き込まれる可能性も充分に予測できた。それでもこの大学にこだわった理由は、実にくだらない。自身がそう思いながらも突き放せない、その程度にくだらなく、情けない。
「――じゃ、もう帰ります」
愛想笑いも浮かべずに、席を立つ。
「お、もう帰るのか?」
「これ以上、研究所に捉まりたくないんですよ」
一般には非公開、関係者以外立ち入り禁止の敷地内、さらには関係者でもランクC以上でなければ入れない、機密事項満載の部屋である。知れば最後、研究員と言う名の囚われの身になる可能性だってあるのだから、長居したいわけがない。
椅子にかけていた薄手の上着を肩に引っ掛け、愛用の横がけかばんに端末をしまう。
「まったく・・・何の因果でこんなこと・・・」
誰に聞かせるつもりもなかった呟きを耳ざとくナラは聞きつけた。
「何のって、レナラストの、だろ」
セイファが苛立っているのを知っていながら、ナラは楽しげに言うのだ。普段の人柄から見るに、本人からすればちょっとしたからかいのつもりなのだろう。しかし場合によっては悪質な嫌がらせにしか思えないこともある。今はその典型的な例だ。
「・・・・・・とにかく、次は研究所内で処理してくださいよ。じゃなけりゃ、付属の学生なり新人なりを使ってください。僕は一般人です、ただの美大生です、システムの更新だって進んでるんですし、そろそろ僕じゃ対応できませんよ。っつか、いつまでこのクソ不安定なこどものプログラムに頼ってんですか。これがシステムの一部を担ってるなんて考えるだけでぞっとするんですけど」
「いやー・・・いい理論だと思うんだけどね、こいつ。――局長じゃないけど、ほんっとにお前はどうして美大になんて進んじゃったのかね」
「僕に研究職は無理です。向いてないんですよ。趣味みたいなのならともかく、世界を背負いたくはない」
「ま、そうかも。お前みたいに世界とか考えちゃうやつには、荷が重いわ」
ナラはからからと笑うが、――この無責任に世界の平穏を任せているのかと思うと、うすら寒くなる。自分がやったほうが百倍マシ、――とか考えかけて、そう思わせるのが彼の手だと思い至る。
(ま、無責任なのも確かなんだけど)
性格的問題から、いまだに一般研究員――ランクCなのだ。普通なら、ランクAでもその上でもおかしくないのに。
別れも告げずに部屋を出るセイファを、ナラは追ってきた。制服のポケットに両手をつっこんで、猫背で小走りについてくる姿は、なんともだらしない。
「ねーねー、そんなさっさと帰らなくてもいーじゃんよぅ」
「あなたはさっさと仕事に戻ってください、世界終わらせたいんですか?」
「ははっ、面白いジョークね」
「・・・・・・あんたみたいなのがいるから、過労死する研究員が出るんですよ」
「例え誰かを犠牲にしたって、俺はまだ死にたくないからな」
口調は軽いままだったが、思いがけず重い言葉が返ってきた。なので、セイファは反論を見つけられない。
すると、ナラは調子に乗った。
「ね、ね。君んところに預けられてる新人はどんな調子?かわいい?」
「・・・あんたは何が聞きたいんですか」
「主に顔。スタイル。頭の良さ」
「かわいくてナイスバディで、天才ですよ」
投げやりに言うのだが、ナラにはそれが楽しくて仕方が無いらしい。盛大に無駄な動きをして喜ぶ。
「なんだそれ、超っ、見てみたいっ!」
「・・・なんでまだシステムは無事なんだろ・・・?」
半ば本気でつぶやくセイファ。
ナラはそんな相手の様子に構わず、ばしばしとセイファの肩をたたいた。
「で?超人見知りのセーちゃんは、ちゃんとお話できてる?かわいすぎるからって、いじめたりしてない?」
「しません。あんたと違って仕事とプライベートはケジメつけるんです」
「はははっ!」
ナラは何を笑っているのか、セイファにはまったく理解が及ばない。
「じゃ、お前鬼教官やってんだろ?かわいそー。時にはやさしくしないと駄目だぞ。あめとむちってね」
無邪気に笑い声を上げるナラの横で、セイファはため息をついた。
あめをやろうにも、ほめられる行動をしないのだ、あの新人は。
「・・・『完全なる客観は存在しない』」
「ん?なんか言った?悩み事か?」
「いや・・・僕ってその、コミュニケーション能力低いのかな、とか思って」
「うん。強調して低いと言ってやるよ」
あっさりと肯定が返ってきた。
セイファは一瞬立ち止まる。――目の前は、すでに施設の出入り口である自動ドアだ。
「なんだなんだ、やっぱり新人とうまくいってないのか、セーちゃん。お兄さんに相談してごら――」
セイファは一歩進んで振り返り、ついて来ようとしたナラの顔面を手のひらで押し返した。
「ぶへ」
「仕事に戻ってください」
ナラの体を突き放すと、二人を隔てるように――もしくはナラを逃がさぬように――自動ドアが無感動に閉じた。
「セイファ」
研究所の施設からようやく逃げ出したセイファの背中に、声がかかる。
セイファは青く晴れた空を見上げた。今日も良い天気だ。だがいつまでも現実を無視できるわけでもないので、セイファは振りかえった。
そこには、予想したとおりの少女の姿がある。ブランド物の洒落たベージュのワンピース・ドレスに、ロングカーディガン、髪飾り。――再会したときには驚き、会うことが多くなった最近では苦笑ばかりが浮かんでくる。
ずいぶんと衣装持ちになったものだ。自分たちといた頃は、似合いもしない研究所の古くなった制服を着ていた。――セイファは、自分も含めたあの場に集った人々のことを、束の間、懐かしむ。
「ユニ、来るなって言っただろう」
「ヨハンもそう言うの。どうして?」
「君は研究所に属してる。僕らは違う。――だからだよ。何度も説明させるな」
セイファは湧き上がる苛立ちを押さえながら言う。
彼女の中身は、見た目よりもずっとこどもだ。呆れるほどに、昔と変わらない。それゆえに、昔の自分を見ているようで痛々しく、腹立たしい。
「レナはどこに行ったの?音沙汰ないままよ。セイファは絶対に知ってるって、ニアス、言ってる」
「知らないよ。でも、たぶんもう戻ってこない」
「死んだの?」
「・・・・・・死んだ、わけじゃないと思うんだけどね」
幼いなら幼いなりに無知でいればいいのに、彼女はどんどん語彙を増やしていく。言葉の意味も、彼女なりの答えを出す。――なのに、芯の部分は幼いまま。
「本当に、見てて痛いんだよ。もう少し僕が大人なら、笑って受け入れたかもしれないんだけどね。――残念ながら事実は違う。ということで、引き取ってくれ、イーニアス」
セイファは彼女の背後からゆっくりやって来た青年に告げる。
研究所の制服を違和感なく纏った青年だ。研究所の制服は、左右にスリットの入った長衣とその下にゆったりとしたズボンを合わせている。
青年の制服デザインは、システム研究室所属を示している。それはセイファに縋り付いている少女にも言えることだ。制服は身に着けていないが、同室所属の証明であるエンブレムを、ペンダントにしている。
青年――イーニアスはセイファを見て微笑んだ。とても悲しげで優しい表情だ。
「ユニも淋しいんだよ。近くに住んでいるっていうのに、なかなか会いに来てくれない君も冷たいと思う」
「大学が忙しいんだ。そっちだって、自由に外に出られない身分だろう」
「まあね。――あ、知ってる?レティが、今新人教育受けてるんだって」
「知らなかった。良かったじゃん、数少ない〈お仲間〉だ」
にしても、同じ新人ならばあのサフラテスではなくレティを寄越せばいいのに。と、セイファは苛立ちと共に吐き出す。
イーニアスはにこにこと笑って、その苛立ちを受け止めた。
「聞いたよ。新人教育を引き受けたんだって?」
「その話は今やめて。腹立ってくるから」
「・・・あんまり苛めないであげて」
「苛めなんて面倒なことしないよ」
「君がそのつもりでも、相手がどう取るかの問題なんだけど。――あ、ごめん。もう行くよ」
ピピッという小さな電子音を、セイファの耳も拾っていた。イーニアスの耳につけられた、小型スピーカーからの音だ。
「また会おう。――ユニ、行くよ」
呼びかけに応じ、少女はセイファから離れた。
去りながら、イーニアスは通信に応えている。そんなイーニアスと、少女は手をつないで無邪気にはしゃぐ。
セイファも歩き出した。嫌なものに会ってしまったと思いながら。
彼らのことが嫌いなわけではない。むしろ、愛情を注ぐことが出来る数少ない対象だ。
ただ、彼らを見ていると自分が嫌になる。
ピピッと音がした。イーニアスの耳元で鳴った音より、約短三度高い音――セイファの耳元で、通信が入ったことを伝える音である。
「――はい?」
右耳に触れて、応答する。
相手は、イーニアスだった。きっと振り返れば姿を見ることが出来る距離にいるのに。
『ねえ、セイファ。――もしマルティを助けられるとしたら、君はここに来て協力してくれる?』
「・・・・・・ニアス、何を言ってるんだ」
『もしもの話だよ。もし、――』
「僕がそこに入ってしまえば、自由は許されない。マルティをどうにかするより先に、やらなきゃいけないことが山のようにある」
『もし、マルティを助けられる方法を見つけたとしたなら』
「そもそもマルティを助けることに、どうやったって危険が伴うだろう。それがほんの数パーセントだとしても、ニアスは世界を賭けることができる?」
沈黙。
セイファはとどめをさす。
「・・・僕にはできない」
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