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どんなに研究所の内部の人々が忙殺されていても、やはりサラには関係なかった。
今日も今日とて、大学の門前で待ち続ける。
門柱に背中を預け、空を仰いでため息をついてみる。
(待ちくたびれたわ)
心がそうさせるのであろう、体が重い。
仕事とはつらいものだ、責任もあり、精神的負担も大きいものだ、――と、聞いて育った。研究所の付属学校に行っていたから、研究者たちの身を粉にして働く姿も知っている。
だが、こういう形で精神的に辛いのは、想定していなかった。
初めて現場に入ってみて、知識はあるのにすぐに役に立てない自分をもどかしく思ったという研究員の話を思い出す。
そんな話をしてくれた彼女は、その場で役に立とうとがむしゃらにがんばる事ができた。
しかしサラには、がむしゃらになるための課題すらない。
もう一度、ため気をついた。
今日はどうにも気分が重い。セイファを待たずに――いつも必ず捕まえられるわけでもない――、帰ってしまおうか。
そのとき、ふいにサラの前に年配の男性が立った。――スーツを着込んだ、威厳の漂う男性だ。ハルゲン局長のような活動的な迫力ではなく、革張りの椅子が似合うような雰囲気。
「すみませんが、こちらで何をしていらっしゃるんですか?」
聞き方は丁寧だったが、口調の端々や態度は偉そうだった。なんとはなしに、癪に障る。
「・・・人を、待ってるんですけど」
ふむ、と男性は偉そうにうなずいた。
「私はこの大学の者なんですが、一緒に来ていただけませんか」
「なん、でしょうか?」
「門前にここしばらく不審者がいると、学生から何件か情報が寄せられました」
「そうなんですか?」
と聞き返しながら、嫌な予感はしていた。
そして男性は堅苦しく嫌な口調で告げる。
「事務室までご同行願います。ああ、身分証明書をお持ちで?運転免許証やパスポートではなく、所属がはっきりするものです」
説明は堂々巡りに陥った。
「だから!私の所属ははっきりしたんでしょう?」
「まだシステム研究所からの回答がありません」
「研究所の身分証はともかく、基地の研究員コードが偽造できるはずないじゃないですか!」
絶対に不可能、ではないが、
「不審者の言い分だけを聞いて、信用できるわけないでしょう」
大学の前に立つただの不審者に、偽造する理由や技術があるわけがない。
先ほどからサラの目の前にいるつんけんした態度の女性は、ここの事務員だという。堅苦しいスーツを着こなし、髪をきつく結い、めがねをかけた姿からして人から好かれそうにない。口を開いてこれなのだから、きっと友人はいないに違いない。ああ、きっとそうだ。
「埋め込みのチップですよ?!過去ログまで照会する複合型の生体認証ですよ?!偽造にはシステム研究所並みの施設が必要です、国家予算規模の額が必要です!偶然一致の確率は、全世界の人口を分母としたって、分子はゼロコンマの値です!普通偽造不可ってわかるでしょ?!あなたどんな教育受けてきたんですか?!」
時にこういう人間はいる。――科学技術の恩恵にあずかりながら、その原理を知らないのだ。原理を知らないから、専門用語を交えてそれっぽく説明すればすぐ信じたり、逆に片端から疑ってかかったりする。
「とにかく研究所からの回答を待ちます」
少し考えればわかりそうなのに。
百年単位のはるか昔からタイプスリップしてきたに違いない!
「それよりもさっさとマキ・セイファを呼んでください!彼が証言してくれます!」
「彼にはすでに連絡済です。彼からの回答はまだですが」
「あああああもうっ!じゃあ彼が来るまで黙っててくださいよ!私は、あなたが疑う理由もわかりますけど!だけどあなたにとってこの事象は、ふたを開けてみるまで結果がわからないんですよ?!それを一方的に決め付けるのはどうかと思います!」
「我が校の学生たちの安全を守るためです」
「大義名分だけじゃなくそれなりの理論に基づくべきでしょう!」
証拠もなく検証することもなく相手を悪と決めつけるなんて、どんな思考回路なのか。相手をあまりに理解しがたいと、苛立ちが異様に募る。
部屋の隅では、サラをこの部屋まで案内した男性が疲れた様子で遠くを見ている。強引だったが、彼のほうがまだ話のわかる人間だった。地位もこの女性より高そうなのに黙っている。厄介事はごめんだという意思表示だろう。――そんなに厄介な事務員、置いておかなければいいのに。
そのとき、ノックもなく事務室のドアがあいた。喧騒に満ちていた部屋が静まり、視線が一点へ集中する。
無言で入ってきたのは、セイファだった。華やかな顔を、不機嫌そうにしかめている。
サラをここへ案内した男性が立ち上がって、何か言おうとしたのを、彼はさっと手ぶりでさえぎった。
「説明は不要。廊下まで聞こえていました」
あれだけ叫べば、聞こえるだろう。冤罪をかけられそうになったのだから、あれくらいの主張は必要だった。大人気なかったとは思うが、後悔したり恥じたりすることではない、――とサラは自分に言い聞かせる。
「その人の身分証に間違いはありませんよ。所属を復唱しましょうか?――宇宙開発研究所、幻想天穹シールド・システム管理維持局、システム管理維持室、警備部、特殊警備隊所属、ランクE、サラ・サフラテス。ウルダン統制区における身分は、準研究員」
迫力というものは、彼にはない。歳も若く、体格は標準より少し細いくらいだ。
だが、この瞬間、この場を支配したのは彼だった。
男性が、恐る恐るといったていで口を開いた。
「彼女の身分は、研究所に問い合わせ中だ。しかしきみは・・・」
「ラウド・ハルゲン基地局長より、彼女の現地案内を任されています。ああ、イース博物館館長のほうがわかりやすいですか?まぁ、要はアルバイトですよ、アルバイト」
「きみは、うちの学生だろう。研究所と何の関わりが?」
「なんの関わりもないですよ。ただ、館長と知り合いってだけです」
関わりを否定されたのならそれを信じる。当たり前だ。
ウルダン基地は、この平面世界を維持するシステムの一柱。最先端技術の塊であり、またそれが生まれるところ。世界中の科学者が集まるところ。
間違っても美大生が関わるような場所ではない。
「しかし彼女がいうに、きみは教官だと・・・」
「連絡の行き違いですよ。教官が手配できなかったので、それまでの繋ぎとして僕が雇われました」
「なるほど・・・・・・」
その説明は、常識で考えたら一番しっくりくるはずだ。
だがサラにはそれが嘘だとわかっていた。
ただの案内人が、客員特殊技能者の刻印が入った身分証を持っているわけがない。
そもそも、現地の素人青年を案内役につける理由などない。サラはイスヴィラに住んでいたことがあるのだから。
セイファがふいに、鋭い一瞥を寄越した。――口を挟むな、と。
そんなことせずとも、口を挟む隙などなかった。セイファは沈黙した水のように滑らかに事を進めていくのだから。
「彼女の身柄、引き取っていいですか?どうしても信用ならないというなら館長に直接通信をいれますよ。お忙しいでしょうから、可能な限りとりたくない手段ですが」
「いや、問い合わせをしているから・・・」
「明日、館長からこっちの事務に連絡を入れてもらうようにします。問い合わせは取り消しておいてください。研究所のみなさんの迷惑になりますから。・・・ああ、外部からの問い合わせが中に通るまでには時間がかかりますよ。一日くらい。僕も経験あるんですよ。当時は館長の個人アドレス知らなくって、研究所に連絡したら、返事来たの三日後でした」
端からこの場の支配者はセイファだ。そして誰もそれを奪おうとしなかった。
彼の意見が、通らないわけがない。
大学側の二人は沈黙で、セイファの意見を受け入れたことを示した。
「行きましょう」
最後の台詞はサラに向けて。
――彼はサラがソファを立つのを待たず、事務室を出て行った。
セイファに追いついたのは、いつもサラがセイファを待っていた正門まで来たときだ。
「セイファ!ちょっと待ってくださいよ!」
「――僕は怒ってるんですけど、わかってます?」
曇りのない氷塊を思わせる雰囲気をまとい、セイファは振り返った。すぐにまた前を向いて歩き出したが。
サラは怯まず彼の隣に並んだ。セイファは相手を圧倒するわけではないのだ。
「今日も何もしないつもりですか?!いい加減に・・・!」
「こういう場所で研究所だとか基地だとか叫ばないだけの頭はあるんだと思ってましたけど、買いかぶりすぎてました。不審者扱いされたうえに身分証明を研究所に頼るって、あんた馬鹿?」
「・・・は?」
もちろん、大学の門前で、ウルダンの名を出すほど愚かではない。
システム研究員であるというだけで、場合によってはテロの対象になる。だから研究員たちは外で自分の身分を標榜しないし、戦闘訓練を受けた者以外、滅多なことでは研究所関連施設から出ない。
だが身分証明は研究所の名を出さなければできないではないか。
「あんなあほらしい問い合わせに対応できるほど、基地は暇じゃないです。ばれたら減給されると思いますよ」
「でも・・・!」
「言わせてもらうと、どんなにあれが僕のせいでも、僕はただの美大生で、研究所とは無関係の人間なんだ。僕が負える社会的責任はない。すべての責任は館長が負う。だから、僕は失敗するわけにいかない。意味わかる?」
「・・・・・・」
「たとえばこれが、システム維持に関連する重要な事柄だったら?一人二人が降格やクビになっても、何一つ解決しない。犠牲は平面世界に生きる者すべて。外界にも影響あるよ。取れる責任なんて、そこには存在しない。責任が取れるなら、それほど楽なことはないんだ」
彼の言うことが、理解できないわけではなかった。
だが、今自分が説教されなければならない理由を見つけられない。
「じゃあ少しくらい何か話してくださいよ!」
必死に探して、出てきた言葉がそれだった。
文句はいくらでもある。一言ではまとまらないほどに渦巻いている。
セイファはサラの必死さを感じ取ったのか、歩みを止めた。そしてサラを凝視し、――ため息をついて目を伏せた。
「話すって、何を?」
「いくらでもあります!仕事のこととか状況とか!仮にでもあなたは私の上官なんでしょう?だったら、」
「『事情があると察することもできないの?』」
いつかと同じ台詞を冷たく吐かれたが、怯んだりしない。
「それは、私に察しろと?察して当然、常識だと?常識を他者に求めるなんて愚の骨頂です。そもそも常識ってなんですか?平均値?客観的に正しいもの?うそですよそんなの、完全なる客観は存在しません。――あなたの言う常識は、一個の主観にすぎない」
涙が溜まりそうになるのを必死で我慢して、セイファをにらみつけた。顔立ちは華やかなのに、深い湖を思わせる静けさを纏う、――見ていると溺死させられそうな相手ではあったが、どうにか耐え抜いた。
セイファが無言のままサラに背中を向ける。
「『命令。まだ消化してない指示を、今からこなしてくること』」
やはり、いつかと同じ台詞をぞんざいに投げつけられる。何か言い返そうとしたとき、セイファはふと右耳に手を伸ばした。
「・・・なんですか」
通信が入ったらしい。右耳にワイヤレスの小型スピーカーをつけているのだ。
「――一般回線は危ないですよ、さっさと切ったらどうですか」
挑発的な口調だった。
「・・・・・・いいですか、僕は部外者です。なら、付属の学生使ったほうが何倍も・・・・・・わかりましたよ、行きます」
いらいらした様子でセイファが再び右耳に触れ、通信を終えた。そして、ちらりとこちらを振り返る。
「僕、もう行きますから」
別れの言葉を交わすこともなく、彼はサラの視界から姿を消す。
通信で彼が喋った言葉はほんの少しだったが、それでも相手が研究所であることは明確だ。
研究員であるはずのサラを差し置いて、なぜ部外者である彼が呼び出されるのか。
衝動をぐっとこらえて、手のひらに爪を食い込ませた。
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