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The end of the sky  作者: みるく
本編
3/66

2


 平面世界において、イスヴィラは西世界の中心地だ。位置的にはシールド・システムの西端、つまりは世界の端だが、経済の中心都市のひとつであり、文化の発信地であることは誰も否定しない。

 また、このイスヴィラは、システムの管理維持を司るウルダン基地があることでも知られていた。


「なんでですか!目的地は目と鼻の先なのに、今日も行かないって!」


 イスヴィラ国立エアノストラ総合芸術大学の門の前で、サラは叫んでいた。

 何事かと学生たちの視線が集まる。が、ここ一週間毎日のことなので、初日ほどではなくなった。もとより、視線など気にしていない。


「うるさいです。あなたがどこへ行くか決める権利はない」


 目の前の青年は苛立った様子を一瞬だけ見せ、低いトーンでサラの言葉を振り払う。

 同時にサラの眼前に突き出した身分証には、



 [マキ・セイファ] [客員特殊技能者] [システム管理維持室] [特殊警備隊] [教官]



 等の文字が、堅苦しく載っている。

 身分証の写真も、目の前にある実物も、濃い顔立ちの青年だった。華やかで整っていて、そして自己主張が強かろうことは容易に想像できる。人によっては嫌悪しそうなタイプだ。少なくともサラは苦手だった。

 不思議なのはその雰囲気。まるで、湖面のような静けさだ。華やかさとは矛盾するように思える。最初にサラが連想したのは、氷の中に閉じ込められた鮮やかな花々である。


「あなたはただの新人。身分最下位なのに、よく要求できますね。自分の立場、わかってます?」


 顔も苦手だが、性格が最悪だ。


「そういうあなたは私の立場わかってるんですか?!こっちに派遣されてきて、来る日も来る日も美大の門前であなたのこと待ちぼうけです!研修はいつ始まるんですか、仕事はいつ始まるんですか!あなた本当にやる気あるんですか?!」


「あなたこそやる気あるんですか、新人。研修者のしおり読んで、所内規定読んで、イスヴィラ美術館行って、イース博物館行きなさいって指示しましたよ。あなた行ってないでしょ」


 びしっと指を突きつけられてサラは一瞬怯む。だが、すぐに勢いを取り戻した。


「ルールブックは読みました!イース博物館もイスヴィラ美術館も学生時代に行ってます!」


「嘘もほどほどに」


「はぁ?!嘘ついてるわけないでしょう?!」


「読んだ内容を守る気があるなら、こんな行動には出れないはずだと思いますけど?」


 至極不思議、といわんばかりの表情で、青年は首をかしげた。そのすぐ表情の下には、サラへの苛立ちと蔑みがあるのが透けて見える。


 教官の指示には必ず従うこと。


 おそらく彼が言いたいのはここだろう。

 しかし、研究所もふざけている。相手は年下で、畑違いも甚だしい、よりにもよって美大生なのだ。せめて理系大学ならうなずけたかもしれないのに。

 ばかにする気持ちは持ちたくないが、どうしても生まれてきた。

 指示を聞き、一緒に行動していくうちに払拭できる可能性をはじめは期待していたのだが、彼が出した指示は前述の通り。


 研究者のしおり及び研究所内規定の熟読と、その内容に沿った行動。

 イース博物館及び同博物館付属研究所の見学。

 イスヴィラ市立美術館の見学。


 規定について読むのは、仕事のうちだろう。イース博物館の付属研究所はシステム研究所の支部であるからまだ理解できる。

 だが、博物館や美術館見学は、まるで観光だ。

 新人で研修すら終わっていないサラが、システムの要所に派遣されたのは、人員不足からだと聞いていた。

 ならばすぐに仕事に取り掛かるべきではないか。

 というか、たったあれだけの指示を出されただけで、完全に放置されてすでに二週間近く経過している現状は大いに問題有りだろう。

 そんな彼に蔑まれるのは、腹立たしかった。


「人手が足りないんでしょう?だったらこんなことしていて、いいはずがないです。私は確かに新人ですけど、高校の途中から付属学校に行ってます。少しくらい役に立てるはずです」


「役立つわけないでしょ。思い上がりも甚だしいです。新人なんて、良くてゼロ、普通はマイナスにしかならない。今の状況に新人ねじ込んだら、他の皆さんから呪い殺されます」


「じゃあせめて内部がどんな状況にあるとか、・・・色々教えてくれてもいいじゃないですか。よりにもよって、放置はないでしょう?」


「事情があるんじゃないかって、察することもできないの?」


 冷たく吐き捨て、彼はサラに背を向けた。

 とっさに追おうとしたが、さらに温度を下げた言葉がかかる。


「命令。まだ消化してない指示を、今からこなしてくること」


 彼は振り返りもしなかった。

 一分間ほど立ち尽くした後、サラは我に返った。

 腹立たしくて、涙が出そうになる。


 通称システム研究所――正式名称は、宇宙開発研究所/幻想天穹シールド・システム管理維持局が持つ付属学校は、エリートが集まる世界屈指の教育機関だ。そこの大学卒業となれば、世間では一目置かれる存在だった。サラは高校から在籍しているので、エリート意識は強いほうだと自覚しているし、それが過剰にならないよう常に自制する気持ちもある。

 成績は真ん中といったところだったが、システム・ガーディアンと呼ばれる特殊警備隊に配属されたことは、少しくらい自惚れても良いと恩師に言われていた。


 特殊警備隊――正式名称、管理維持室警備部特殊警備隊――は研究員の中でも、もっとも幅広い知識とシステムに対する深い理解を必要とすると言われている。

 研究員が一日中巨大コンピューターとB.M.I.で繋がっている管理維持室、システムの効率化や安全性の向上を研究するシステム研究室、閉鎖世界における経済の停滞や混乱を管理する対外政策室、システムの物理的な管理維持を目的とする技術室等、研究所にはさまざまな部署がある。特殊警備隊は管理維持室の一部として組織された、技術室と管理維持室の間を取り持つ部署だ。研究所を幅広く見る位置にあるため、上層部には特殊警備隊出身者が多くいた。


 つまり、出世ルートなのだ。

 現在はウルダン基地の司令部トップにいるハルゲン基地長も、特殊警備隊の出身だという。


(そりゃあ、初めから全部うまくいくわけないわよ。それが社会ってもんでしょう?知っているわ。だけど、)


 ため息をついて、歩き始める。


(これはないでしょう?ねぇ?)


 イスヴィラ美術館見学?意味がわからない。

 美術品にあまり興味は持てない。

 それよりも、方程式のほうが美しく見える。

 世界のあらゆるものが数式に置き換えられる。さまざまな現象を、簡潔に記号のみで表すそれこそ芸術だ。

 芸術品だって、美しいものには数式が潜む。


(ほら、有名な絵だって、その構成が黄金比であると有名だわ)


 まさかそれを体感し、研究してレポートでも提出するのが研修だとでも言うのか。――まさか。そんな悠長なことをしていたら、同期にあっという間に抜かされる。

 出世にそれほど熱意を燃やしているのかと聞かれると、答えは否だ。しかし、集団で行われる新人研修から引き抜かれる形でイスヴィラ派遣となった。自分は優秀なのだと、一瞬や二瞬やそれ以上、自惚れた。

――思い上がりも甚だしい。――?

 蓋を開けたら、これだ。


(情けないじゃないの、こんなの)


 とぼとぼと市街へ向かう道を歩きながら、サラは目が潤む感覚を味わっていた。

 エアノストラ総合芸術大学は、イスヴィラ市街から遠くない。駅からバスも出ているが、歩くのが苦になるほどの距離はなかった。

 イスヴィラ市は国名と同じ名を持つにふさわしい、文字通り国の中心地だ。平面世界の始まる遥か昔からある、石畳にレンガ造りの建物が並ぶ街並みを大事に守り続けている。風情あるそれは、観光地としても有名だった。

 観光地として同時に挙げられるのが、イスヴィラ美術館。所蔵する美術品の数・価値共に世界屈指だ。文化の発信地の名は伊達ではない。

 一方、イース博物館は、科学技術の展示施設だった。付属研究所は、システム研究所の支部だ。なぜ研究所のほうが付属という名称なのかは、昔から謎とされていた。

 どちらも広大な展示施設だ。夕方近い今からは、片方にしか行けない。


(博物館のほうが、まだマシよね)


 気持ち的に、もとよりそれほど興味のない芸術品を楽しめる状況ではない。

 高等学校時代に何度も行った、馴染み深い博物館へと足を向けた。





 イース博物館の入り口からすぐのホールには、巨大な平面世界図の展示があった。地形の凹凸を立体的に、かなり精密に再現しており、海の部分には実際に水を張っていた。

 サラはあっさり素通りする。

 博物館の入り口で身分証を見せれば、入館料は必要なかった。

 ここはシステム研究所の管理する施設であり、サラは研修中とはいえそこの研究員だ。

 イース博物館はもともと、考古学から最先端化学まで様々なものを展示する、世界有数の巨大博物館だった。増設されたのは、平面世界の幕開けから二十年目。節目の年を記念して、シールド・システムに関する詳細な展示室を作ったのだ。

 とは言え、システム管理技術に関してはシステムへのテロ行為を警戒しているので、あまり情報公開されていない。

 中等教育から初期の高等教育かけて学ぶのは、ここで公開されている程度の知識だ。

 逆に言えば、ここでは学校で習った程度の知識しか得られない。

 そんな場所の見学を指示されると、ばかにされているように感じられる。

 何度となくため息をつきながら、サラは館内を適当に歩いた。

 面白いと思えるような、目新しいものはない。

 歴史は、かつて見たものよりほんの少しだけ書き加えられていた。


 ヌ・イラ博士による新型B.M.I.開発。三年前の平面世界内と外界両方からの同時テロ。システム終了に向けた、外界との交易拡充。近年の、外界とのサミットに関する簡単な説明。

 そして。


「――システムへのテロ行為の増加が社会問題化している。かつては切り捨てられた外界からのテロが主だったが、近年は平面世界内部からの攻撃が目立つ。平面世界内の経済の停滞や、それに伴う犯罪の増加、治安悪化などが関連していると思われる。


 徐々に増加傾向にあった内部からのテロは、四年前に劇的に増加。

 システム研究所は二十三年に新設されたばかりの特殊警備隊の規模を大幅に拡充した。また、警備時に研究員が携帯できる武器の強化の必要性を訴え、新たに国際法案を統一機構に提出。認可されたが、民衆から強い非難を浴びている」


 社会問題の項目は、五年前とかなり違う。

 当時はテロ増加を懸念する一方で、経済的停滞の憂慮に焦点が絞られていた。

 だがこれらは、一般のニュースでもわかることだった。


(四年前のテロの劇的増加。――ああ、レナラストの絵がもてはやされた時ね)


 それはどこもかしこも青に染め上げられた年だった。

 当時、サラは研究所付属学校に在籍していた。そこは世間から隔絶された世界だったため、サラを含めた同校の生徒たちは、街が青くなった事実を先に確認した。その後に青くなったきっかけを説明されたが、理解には至らない。青い街を気持ち悪いと感じてしまった事実は覆せなかった。

 宗教じみていて、それでいて教義もなにも存在しない。――狂気だ。

 システム研究所と統一機構が躍起になって弾圧を含む手段を用いてブームの沈静化を図ったが、熱狂的な信者――と言っていいものか――は地下に潜り、テロ組織となっているという。


(で、私は彼らからシステムを守る、特殊警備隊隊員、の訓練生。――でもそんなの知ってるのに)


 あの年下の教官――セイファの意図するところがわからない。

 こんな半端な知識を見せて、一体何のつもりだ。

 苛立ちが再び鎌首をもたげてきたところで、ふと気づく。


(レナラストについての記述がない)


 弾圧までして鎮火した出来事を、展示したくはないのか。そりゃあそうだろうと納得する。

 今この瞬間も悲鳴をあげている研究所、その原因である酷い人員不足――殊にガーディアンの不足は、四年前から始まっているのだ。

 あれだけ大きくなった事件について、ここで少々口を噤む意味は不明だが、研究所の意地やプライドと思えばなんら不思議はなかった。


 そのとき、静かな館内に大声が響き渡った。

 怒声である。「ふざけるな――!」確かにそう聞こえた。

 どこから聞こえるのかと幾度か首を左右に巡らせる。すると、入り口に通じる回廊から、男性が入ってきた。

 ――ウルダン基地のハルゲン基地局長である。

 歳は四十半ば。頭には白いものが幾筋も混じる。普段は穏やかだと聞くが、顔に刻まれたしわはそう思わせない位置にある。イニア系の強い血筋らしくイスヴィラの平均と比べると小柄であったが、纏う威厳がそれを大きく見せた。


「このくそ忙しい時に!俺が外に出たタイミングを狙ったんじゃなかろうな!」


 その彼の後を追ってきたのは、黒髪を高い位置で結わえた女性だった。白い長衣は、研究員の制服だ。金色のバッジは、対外政策室所属を表す。

 それと並ぶように金髪の男性が入ってくる。彼も研究員の制服と金のバッジをつけていた。


「この人数では埒があかん!エリーティアを呼び戻せ!ナラに穴埋めをさせろ!」


 局長がまた怒鳴り声を上げる。小数だがその場にいた入館者たちの視線が彼へと集まる。


「ですが!」


 女声研究員が言いかけて、言葉を飲み込む。そのまま三人は、奥の部屋へと入っていった。

 サラは思わずその後を追った。

 目の前で、分厚い金属製のドアが閉まる。張り紙があって、内容は簡潔に、「関係者以外立ち入り禁止」。立ち入るのをためらっていたら、ドア越しに彼らの会話が微かに聞こえてきた。


「・・・テトはがら空きになりますよ!」


「警備隊の人員を送れ、多少は役に立つ」


「無茶ですよ、警備隊の頭に特殊がつくのとつかないのじゃあ、使える武器がまったく違います」


「多少は役に立つ」


 同じ言葉を繰り返した局長に対し、反論はなかった。


「俺が責任を取る。使える人員はすべて使え。すべて。――すべてだ」


「了解です」


「それと、マキに連絡を取れ。俺が直接交渉する」


「・・・・・・本気で?」


「言っただろう、――使える限りすべてだ。ためらうな、天秤の片側は世界だと知れ」


「――承知」


 先ほど閉まったばかりのドアが、勢いよく開けられて、盗み聞きをする形となっていたサラは心臓を跳ね上がらせた。

 出てきたのは黒髪の女性研究員だ。彼は一瞬驚いた表情でサラを見たが、忙しさに押されたのか、次の瞬間には興味を失って去っていく。

 開け放たれたドアがばねの力で自然と閉じきってしまう直前に、サラはそれを押しのけて、中へと声を張り上げた。


「ハルゲン局長!」


 局長は歩みを止めて振り返った。同じく、金髪の男性研究員も。


「誰ですか。関係者以外は立ち入り禁止で・・・」


「いい、待て」


 サラの姿を見て顔をしかめて追い出そうとした男性研究員を、局長が止める。


「・・・なんだね。サフラテス研修員」


 さりげなく名前を呼ばれたことに内心感動しながら――覚えてもらえていた!――、サラは必死に次の言葉を探した。

 まったく自分の相手をしてくれない教官への不満?いいや違う、そんなことを言うべき時ではない。


「緊急事態でしたら、わたくしもお手伝いを・・・」


「新人には荷が重過ぎる。関係施設には近寄らず、教官に指示を仰ぎなさい」


「そ、その教官から指示がない場合は・・・?」


「すでに彼に一任してある。適当なことはしない人間だ。確実に彼の指示を聞くことが、君の安全に繋がる」


 でも彼は、教官なんてする気ありませんよ、という台詞は飲み込んだ。

 その合間に、局長はサラから興味を失い、先へと歩みを進めている。研究員の男性も同様だ。

 それをさらに呼び止める気力など、サラに残っているはずがなかった。





B.M.I.

; Brain-machine Interface/ブレインマシンインターフェイスの略。ブレインコンピューターインターフェイスとも。脳と機械を直接繋ぐ技術。

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