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Ⅰ
サフラテスがいいでしょう、と画面の向こうで言ったのは、この国――西端の国イスヴィラ出身の男だった。すでに黎逢に渡って三十年という年月が経過している。そのためか、自然に彼の口からこぼれ出る言葉は黎逢のものだった。
「新人は要りませんよ」
イース博物館館長のラウドは相手の申し出をそう言って切り捨てた。相手にあわせて、わざわざ黎逢語での返答である。
「カナデやユースはどうしたんです?彼らはイスヴィラにも慣れている。彼らのほうが、こっちとしては都合がいい」
「どちらも、各地に派遣されています。他の人材は、無理です」
「ウルダン基地が管理する地点がいくつあるとお思いですか。システムの端が西にもあることを、忘れているんじゃないでしょうね!」
「もちろん、忘れていません。だからもう一人ガーディアンを派遣しようと言っているんです」
「新人を?」
「新人を」
イライラと訊ねるラウドに、画面の男は憎らしいほどに表情を崩さない。
「サフラテスはパンの出身です。前期中等教育はイスヴィラで受けたと言いますから、そちらにも詳しい」
「問題は、どれだけガーディアンとして役に立つかです。こっちには新人教育をするような暇も施設もありませんからね。地理に詳しいとか、イスヴィラ語を喋れるかなんて、爪の先ほどの役にもたちませんよ」
「こちらの現状として、サフラテス以外を送る余裕はありません。明日の正午過ぎにそちらに着くでしょうから、迎えてください。以上です」
通信は一方的に切れた。
理性が働くよりも先に、画面を殴りつけている。――映像を写す大判のフィルムはやわらかくこぶしを受け止めただけだった。
苛立ちが増したところへ、内線通信が来客を知らせる。間をおかず、許可も取らず、客――セイファが入ってきた。
「不機嫌ですね」
痩身の青年だ。濃いまつげに縁取られた瞳は、美しい闇色である。
芸術を愛し芸術に愛される容貌だと評したのは、現在世界でもっとも権威ある彫刻家だったか。――それは彼を的確に現していて、現にセイファは美術大学の学生である。
「お前、ガーディアンにならないか?」
あいさつもなしにそんなことを言うラウドに、慣れきったセイファは苦笑すらもらさない。
「今さら進路変更なんて面倒ですよ」
セイファはいつものくたびれた横がけのかばんを下ろし、自らも手近な椅子に腰を下ろす。
先ほどは自分と同じイスヴィラ人と黎逢語で会話し、今は黎逢人とイスヴィラ語で会話する。ラウドはなかなか奇妙な気分だった。
「惜しいことをしてくれる。システムの維持には、研究者が何人あったって足りないくらいなのに、なんだって美大なんぞに進むんだ」
「それは職業選択の自由というもんです」
「バイトしないか?新人ガーディアンの教育」
「それって僕がするの、おかしくないですか?」
明らかに全員年上で、学歴も上じゃないですか、とセイファは笑う。
「美大なんぞで何を学ぶんだ。芸術の世界はもうすでに飽和状態だろう」
「ええ。そりゃあもう。それなのに、美大の競争率知ってます?ありえないですね、この時代に、食っていけもしないのに」
「お前がそれを言うのか?」
「小手先の業ならあるんで。食うには困りませんよ、今でも」
飄々とした態度でセイファは言う。そして態度を変えず、「あくまで小手先の、ですけどね」と続けた。
彼は現在、美術大学の学生で構成されるデザイン会社で、デザイナーをやっているらしいことをラウドは聞いている。うまくやれば、卒業後も職には困らないのだろう。
「それで?今日は何があったんです?」
「ガーディアンを一人派遣するように本部へ連絡したら、なんと新人を遣すと言われたよ。こっちには新人教育する施設も人材も余裕もないっていうのに」
「はあ・・・新人って、この時期だと実地研修も終わってないんでは?」
「そうだ。戦力的にはゼロかマイナスにしかならん」
「黎逢の本部も切羽詰ってますね」
「それもこれも、レナラストのおかげさ」
とげとげしく言い捨てるラウドに、セイファは苦笑で応じる。
「彼女のせいじゃないですよ。勘違いしてる世間の輩が悪いんです。彼女はただ芸術を追及しただけですからね。そもそもレナですよ?絵を描くことしかできなかった彼女が、システムについて言及すると思います?」
「思う人間が多いから、研究所が困ってるんだ。ガーディアンが足りん。この忙しい時期に、新人教育まで押し付けられたら、身動きが取れん」
セイファは肩をすくめた。
「館長さんは、いつだってご多忙だ」
「ラスト・ブルーなんてものが流行ってからだ!それまではまだ三食まともに食う時間くらいあったっていうのに」
「ご飯食べないと、体持ちませんよ。少しは休んでくださいね」
「だから手伝えと言っている。お前なら、本部の許可がすぐに下りる」
「無理ですよ。本部のトイさんに、僕嫌われてますから」
「背に腹は変えられん。あいつも馬鹿じゃない」
セイファは正式な中等教育さえ受けていない。
それでも、新人よりはよほどシステムに精通していることは確かだった。
学歴では何もわからない。大規模かつ複雑に展開されているシールド・システムの概要を理解するには、どんな天才であれ、ある程度の年月が必要なのだ。
だから研究所では、中等教育から専門知識を叩き込もうとして、付属の学校まで作っている。ただし、そこの卒業生は、研究員たちが命を削るようにして働く現場を見ているため、研究員になりたがらないのが現状だ。
セイファも、内部を知るからこそ関わりたがらない一人だった。
「何が報酬なら動く?」
「ウルダン基地の、ブルーフィールドを見せてくれるならいいですよ」
軽い口調で、セイファが言った。許可されるなんて微塵も期待していない様子だったが、ラウドは三秒間で結論を出す。
「・・・俺が許可する」
言うと、セイファが顔を引きつらせた。
「え、本気ですか?」
ラウドがうなずいてみせると、今度はあきれたようにため息をつく。
「――えっと・・・じゃあ、大学生としての行動を制限しないって条件もつけて」
「許可しよう。だから新人をお前に一任する」
「僕が問題起こしちゃって、その責任でクビになっても知りませんからね」
セイファはあきれた表情を崩さず言う。
ラウドは「ふん」と荒っぽく応えた。
「この人手不足の時代に、貴重な技術者をクビ切りできるわけがないだろう」