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The end of the sky  作者: みるく
本編
18/66

17


 どこに行きたいかと問われて、反射的に答えた場所は「イスヴィラ美術館」だった。行きたかったわけではなく、セイファに行けと言われていた場所だ。ナターリアの顔を見ていたら、なんとなく思い出してしまった。

 ナターリアはその回答が気に入ったようで、先ほどから満面の笑みである。


「うれしいな、美術館デートっ」


 サラは薄い反応しか出来ない。彼女の知識は理数系に偏っている。美術品に対しての予備知識など皆無だ。

 だが考えてみれば、美術館に行くには最高の連れである。彼は芸術家の卵なのだ。芸術家の名前はもちろん、バックグラウンドや作品の鑑賞ポイントももちろん知っているだろう。

 セイファに怒られるかもしれない可能性は、この際無視する。バレなければいいのだ。


 イスヴィラ美術館は市内の中心部にある。二百年ほど前に設計、建造されたもので、ガラスや鏡を駆使した採光に特徴がある建物だ。ナターリアによれば、テーマは光と影なのだとか。入館料を払うときに、ナターリアが学内パスを出せと言うので出したら、かなり割引してもらえた。サラの持っているパスポートは、学生証とほぼ同じ効力があるそうだ。


「イスヴィラ美術館は照明にこだわってるんだ。光の当たり方で美術品は見え方が違ってくる。彫刻なんかはとくにそうだね。シャープに見せてドラマティックな演出をしてみたり、全体を淡く照らしてやわらかくしてみたり」


 ほら、と見せられたのは同じ彫刻が並んでいるエリア。それぞれに違う角度、違う強さで照明が当てられている。


「この美術館を設計した人の作品もあるよ。あちこちから光が差し込むように設計された展示場所にある彫刻なんだけど。時刻によっても季節によってもびっくりするくらい変化するんだ」


 あとから行こうね、とナターリアは楽しそうに言う。この表情には裏がない。心から芸術品を好いているのだとはたから見ていて分かる。


「すごいですね。私、素人なのでぜんぜん知らなかったです」


 サラは一時期イスヴィラに住んでいた。そのときにこの美術館も訪れている。

 だが予備知識もなく、ぐるりと回っただけだった。


「あー、確かにここは敷居が高いって聞くよ。俺は別にそんな思わないけど」

「そりゃ、ナターリアは美術を勉強しているわけですし」

「それもある。けど、――ここが敷居高い理由は、ジャンルも作家も時代もごちゃまぜに展示しているせいじゃないかな」

「え?現代アートではないんですか?」

「中央のメイン展示室は現代アート。うーん、なんて説明すればいいかな」


 ナターリアは首をかしげた。


「ここは時代ごとに並べたり作家ごとにまとめた展示をしないんだ。どちらかといえば、ここにあわせた作品を飾るというか・・・・・・作品とそれを演出する空間を大切にしてる」

「演出というのは、さっきの照明にこだわっているという話ですか?」

「そう。当時はこんな風に絵を鑑賞するのが一般的だった、とか、そんな知識があるとおもしろくなるのは確か。あとはそうだな、頻繁に展示物を変えるよね。メインの展示場所って、本当に現在活躍している人たちの作品なんだよ。ただ、クセが強いというか、・・・ここも敷居が高いと思われる原因かなぁ」

「へえええ」


 案内表示にしたがって進んで行くと、暗い印象の展示室にたどり着いた。他と同じように絵画や彫刻が飾られている。先に、多くの人が足を止める場所があった。

 近づいてみると、それは大きな絵画である。

 いくつかの球体モチーフとして、深い藍色や銀色で描かれている。人が多くて解説の小型モニターにまでたどり着けない。


「宇宙っぽいイメージの絵ですね」


 何気なく言うと、ナターリアが首をかしげた。


「これ、知らない?」

「え?」

「レナラストの絵だよ。幻想三部作で彼女の作品のラストナンバー。天球儀」

「ああ・・・それで」


 人だかりの意味がようやく理解できた。


「知りませんでした。以前来た時はまだありませんでしたし」

「そっか」


 ナターリアはうなずいて、再び絵を見上げている。うっとり、という言葉がぴったりくる表情だ。

 あたりをよく観察してみれば、絵の横には警備員が二人立っている。さらに、鑑賞する客に混じって私服の警備員がいた。いかにも美術鑑賞に来ているふうを装っているが、体つきと視線の行く先が他の客と違っていた。

 あまり人がいない左側の絵画二枚に近づいてみる。投影用のフィルムに映された絵画のレプリカだ。解説によれば、レナラストの作品、幻想三部作。

 片方はピアの工房で、セイファに見せられた作品「幻想世界」だ。

 もう片方にも見覚えがあった。――現在もっとも有名で、おそらく歴史上もっとも世間を騒がせた作品、「蒼穹」である。

 問題の作品は、タイトルどおり、美しい青で描かれていた。なるほど、空を連想させる。きらきらした清浄な朝を思い出す。

 団体客だったらしい人々が移動したので、サラは改めて「天球儀」の前に行ってみた。解説を読もうとしたところで、ナターリアがそばに寄ってきた。


「どう?」

「えっと、あっちの蒼穹はさすがに知ってました」

「だろうね」

「でもこの絵も綺麗ですね。見ていたら、吸い込まれそうです。錯覚を利用しているんでしょうか」


 言いながら解説に目を落とす。やはりそういった技法が使われているらしい。


「これは、写実主義のレナラストには珍しい作品なんだ」


 へえ、と一度うなずいたが、一拍置いて、耳に残った違和感に気がついた。


「レナラストって、写実主義、なんですか・・・?」


 サラは首をかしげる。


「たくさんの作品を見たわけじゃありませんが、この方の作品は、なんていうか、・・・全部、幻想的に見えますよ?この天球儀ほど現実離れした感じではありませんけど、構図もそうだし、色使いなんかがとくに鮮やかで」

「レナラストの見る世界は、ああなんだって」

「ええ?」


 改めてレプリカの作品を見る。――こんなにも色鮮やかな世界を、現実では見たことがない。


「シュルレアリスムって意見もあるけど」

「シュルレアリスム?」

「写実的なんだけど、非現実的な構図や色合いの絵」

「ああ、なるほど。そう言われれば納得できます」

「色々なジャンルに手を出した人ではあるんだけどね、でも本人は写実主義を名乗っていた。そしてその本人が、この絵は想像であると言ったらしい」

「はあ・・・・・・」

「これはレナラストが自ら発表した最後の作品でもある。『幻想世界』が発表されて二年後、これが世に出てきて、そして彼女は姿を消した」


 解説の最後に、発表された年と作品番号がつけられている。


[65 No.52-3]


「あれ?『幻想世界』の次にこの『天球儀』ですか?『蒼穹』は三部作の真ん中の作品ですよね?」

「そう。空白のナンバーがあるのに、レナラストは消えてしまって、事実を確かめようがなくなった。そんなときに、どこからか出てきたのが『蒼穹』」

 ナターリアと一緒に、『蒼穹』のレプリカ前まで移動する。彼が解説のスクリーンに手をかざして操作すると、違う映像が表示された。直筆のメモのようだ。

「レナラストが残した、最後のメッセージと言われてる」

「最後・・・・・・?」


 ――壊して。このあおいそらはにせものだから。


 一部の文字が乱れている。たった一文が、便箋の真ん中に書かれていた。次の便箋に移り、やはり短く書かれている。


 ――わたしは空果てる場所で、まっている。


 この短いメモ内容にも聞き覚えがあった。ラスト・ブルーのきっかけとなったものだ。今ではメディアに圧力がかけられているから聞かれない。

 レナラストの絵は、多くの人々の心を掴み、虜にした。そして彼女が残した言葉の意味を、人々は探して実行しようとする。

 サラは首をかしげた。


「この方、だいぶ、・・・・・・お疲れだったのでは」


 サラが思い出したのは、勉強のし過ぎでノイローゼになった級友である。

 だがナターリアは少し驚いたようにサラを見た。


「サラって独特な思考してるね」

「いえ、ナターリアほどでは」

「俺の思考は普通だと思うけど。まあいいや、次に行こうか」

「あ、はい」


 もう一度レナラストのメモを見て、サラは先に進み始めたナターリアを追った。


「ナターリア。あのメモって、どういう状況で見つかったんですか?」

「状況?」

「ええ。そもそも『蒼穹』はなぜ見つかったんですか?」

「さあ?代理人が匿名で発表したって話だけど?」

「メモも一緒に?」

「たぶん。俺も詳しいことは知らない」


 代理人と聞いて、サラはレナラストの父ピアを思い出す。あのメモは、その父親に宛てた物ではないのだろうか。――破壊を促すため、世間に向けられた言葉ではなくて。


「どうしたの?なんか気になる?」

「ええ・・・だって、あの絵とメモが原因でテロが激増したんでしょう?でもあのメモ・・・・・・」

「彼女はシステムを壊せなんて言ってない?」

「・・・ええ。私には、そう思えません」


 今までもテロの原因だとは思えなかったが、あの直筆を見てほぼ確信に近いものを得た。


「そんなこと、今まで散々言われてるよ」


 あっさりとナターリアは言う。テロなど興味がない、そう言わんばかりに。


「言われてるけど、テロをやりたい奴らはいるって事。きっと、いい口実なんだ。憂さ晴らしのね」

「憂さ晴らし・・・・・・」


 閉ざされた世界の閉塞感が、不満を生むのだといわれている。

 その不満が、テロのエネルギーとなる。


「でも、テロが出来る環境を整えているのはシステムそのものです」

「馬鹿はそんなこと考えないよ。あ、次の展示、面白いよ」


 ああ、と心の中で嘆息する。

 ナターリアは、知らないのだ。

 この平面世界にも食糧問題があって、貧しい地域があって、それでもシステムの維持が優先される。正義のために弱者が切り捨てられる。

 サラだって、現実を己の目で確かめたわけではない。だがそれらを失くすためには研究者たちが努めなければならないと教わった。サラも共感できた。


(そうよ、だから、こんなところで、こんなのんきなことしてちゃいけないのに)


 焦燥が胸の辺りでざわめいた。


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