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ようやくよい黒豆茶を出す喫茶店に出会えた。
これまでに訪れた店の数、七件。苦労の末手に入れた、至福のひと時である。
サラは、飲み物と言ったら黒豆茶の国ガリアス出身。
普段飲むことにまでこだわるほどではないが、しかし、これを飲むと落ち着けるくらいに馴染んだ味だ。
店内に、客の姿はまばらだ。平日の午後四時ということを考えれば普通だろう。店はそれほど大きくない。暖かで柔らかな調度品で整えられている。
ゆったりとソファに腰掛けて、お茶の香りを楽しみ、嫌なことを頭の中から追い払う。
この先、どうすればいいのかは意識的に考えない。
見方によっては出社拒否のような状況だが、もともと仕事場が用意されていないのだから仕方がない。
また一口お茶を口に含む。
りぃん、とかん高く少々耳障りな鈴が鳴った。ドアに付けられた、来客を知らせるものだ。
自然とそちらに目を移したサラだったが、驚きで目を逸らせなくなる。
――入ってきたのは、ナターリアだった。
大学のキャンパスで見たときは目立つ人だなぁくらいに思えたが、今見れば立派に奇抜なファッションだった。彼には似合っているのだが、場に似合っていない。これが似合うのは、舞台のような人に見られる場所である。
ナターリアはぐるりと店内を見回すと、すぐにサラに気づいた。
「サラ!」
満面の笑みで呼ばれた。
喫茶店で出すには少々大きすぎる声だったが、それを大目に見ようかと思える、いい笑顔である。少なくともあの笑顔の瞬間は、無邪気に見える。
「ナターリア・・・えっと、どうしたんですか?」
何のためらいもなく、ナターリアはサラの正面へと座り、発酵茶を頼んでいる。
「何しに来たと思う?」
「ええ・・・?予想もつかないというか、ここへ来たのは、偶然ですか?」
「うん。運命感じるね」
「ええええええっ、なんですかそれっ、嘘ですよね?やめて下さい、あわわわ、無意味に照れてしまいますっ」
「あはは、反応かわいーい。でも、無意味って言い方は気に食わないな。いいじゃん、普通に照れたら」
発酵茶が運ばれてきた。ナターリアはさっそく一口飲んで、一息ついている。
その時間で、サラは冷静さを取り戻した。
偶然ならまだいい。だがその可能性は低い。――では偶然ではなかったとして、ナターリアはなぜサラのもとに現れたのか。
セイファはナターリアを警戒している。ナターリアはレナラストを熱烈に支持していることはサラも実感済みなので、セイファの主張ももっともだと思えるのだ。
「あの、ほんとに偶然です?」
「いや、偶然は半分くらい」
「・・・はんぶん?」
「サラのこと探してたの。大学に来てなかったしさー、それでどこにいるか考えてみたんだ」
「え、でも私、この店初めてですよ・・・?」
「会社には居場所がないようなこと言ってたし、ストレス溜まったら外に出て解消するタイプっぽかったし。あと、黒豆茶。好きだし、飲むと落ち着くって言ってたよね。だから、喫茶店とかに居そうだなーって。黒豆茶を出すところは少ないから、絞り込むのは簡単。でも一発目であたるとは思わなかったな。運命感じるね」
ナターリアは、無邪気な明るさと、底知れぬ何かを矛盾なく持ち合わせる。それ自体に嫌悪感はない。むしろ明るさに惹かれてしまう。
だが。
これは信用してはいけないのだ。サラが、研究所の研究員である限り。
「あの、私に何の用で?」
「ん?セイファからね、頼まれたの」
「・・・・・・え?」
耳を疑い、記憶を反芻し、やっぱり疑った。
「・・・はあ?」
「セイファ、面倒くさそうなのに捕まってたからね。しばらく君の相手は無理じゃないかな?で、代わりに俺が」
「面倒くさそうなの・・・・・・?」
「俺もちょっと捕まったことあるんだけど、あれはねー。セイファならうまいこと撒くと思うよ?ただ、今日明日でできるとは思えないな」
「あのぅ、その面倒くさそうなのって、なんなんですか?」
「総合メディアの記者。個人的にレナラストのネタ追ってるらしいよ」
レナラスト。
その名前にぎょっとする。
まただ。
その響きは、世界を動かす力を持つ。――最悪なことに、厄介な方向にばかり働く力らしい。
「レナラストの・・・しかし、どうやってセイファに?」
セイファがレナラストのことを知っているらしいことはわかる。
レナラストの父親だというピアと親しくしていたし、セイファがレナラストについて語るとき、近しい人間についてそうするような口ぶりだったから。
だが記者はどんな情報網でセイファにたどり着いたのだろうか。
「詳しいことは知らないけどさ、セイファはレナラストの知り合いだから」
「そうですか・・・・・・」
どうするべきなのだろうか。
ナターリアから離れる、というのがセイファの望む回答だとは思う。だがサラは、寄ってくる相手を強引に振り払えない。
「ねえ、サラ。これから予定あるの?」
「いえ、特には・・・・・・」
と言ってしまってから、「しまった」と思う。用事があると断ればよかったのだ。
「じゃ、デートしようっ」
「でーと・・・・・・」
「反応うすーいっ。いいじゃんか、市内観光。おごるし。あ、ここもおごるね。――すみませーん、お会計」
「え、あのっ、ナターリア?!」
強引に連れ出される。
なにやら、ややこしいことになってしまった。