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裏短編~いわゆるびーとかえるとかいうジャンル~

裏No.02 龍夜と俺と、愛すべきピザまんと

作者: 藤夜 要

 俺の通っているゼミは有名私立を志望している生徒が多くって。だからレベルは高いものの公立を目指している俺には、少しだけ居心地の悪いゼミだった。

 オカンがゼミに通いたいならここ、って勝手に決めたんだ。根拠には納得したから後悔はしてないけれど。

『私立の場合、レベルが高いほど競争率も段違いに高い難関やん? それでもバッチリ合格できる勉強を教えてくれるゼミやから、公立なら更に堅いと思うんよ。だから尭生(タカキ)も、ここにしぃ』

 確かに、先生の教え方は解りやすいし面白い。ガリ勉丸暗記しろ状態なんかじゃなくて、ジョークも交えて話してくれる分、それが印象に残って勉強した内容も芋づる式に思い出せるから、いい塾だと思う。

 ただ、クラスメートと今ひとつ。私立へ通えるだけの余裕がある家庭の人たちだけあって、普通の会話ひとつひとつが、なんていうかなあ……。

 気分転換にするゲームの話を聞いていても、その種類が多過ぎて、限られた数しか買って遊べない俺には、そんな話になんて追いつけない。

 誕生日に家族とどこそこへディナーに行った、なんて話を聞いても、俺なんか行ったこともない有名な高級ホテルのレストランとか。

 ちょっと浮いているんじゃないかな、という気がする。それは俺の気のせいなんかじゃなくて、一緒に同じゼミに通わされる破目になった千秋もそう言っていたから間違いない。

「も~ぉ、タカを恨むわぁ。あんたが塾に行きたいなんて言うたさかいに、うちのお母さんまで通え、どうせなら同じとこにしぃ、とか~」

 お隣同士のせいで、お互いの母親同士が結託して千秋までゼミに通わされることになったそうだ。一年ほどはそんな恨み言を聞かされていた。いつも二人でつるんでいたせいか、ゼミの仲間には「彼女?」と聞かれて二人同時に即答で「こっちにも選ぶ権利あるわ!」と噛み付いたことがある。

 みんな、嫌な人たちではないんだ。ただ、ちょっと気が引けるだけ。聞き役に徹するばかりで、自分がどこか対等じゃない、っていうのに慣れないだけ。

 千秋が彼女だなんて誤解されてしまうほど、気楽に話せるゼミ仲間がいなかった――二年の夏までは。


 龍夜(タツヤ)がゼミの体験入学に来たのは、二年の夏休みに入ったころだ。体験入学者は何かと塾生の関心を引くが、彼の場合はその立場以上に見た目がみんなの目を引いた。特に、女子の。

 中二なのに、かなり背が高い。多分七十センチは確実に超えている。モデルみたいな体形でツラもテレビで似たようなイケメンとか言われる俳優と似た涼しげな感じ。上半分だけのおしゃれなフレームの眼鏡も女子の好感度を上げているようだ。隣に座っていた千秋も「うゎ、何こんなイケメンがこの学区にいたんや」と小さな声で漏らして、俺の脇を肘で突付くくらいテンションを上げていた。

「お、藤見の右が空いてるな。じゃあ里辺くんはまずこのテキストをやってみてな」

 先生が体験入学者用のプリント数枚を俺の隣に置き、龍夜を手招きで呼び寄せた。

「里辺です。多分正式に入塾すると思うから、よろしくお願いします」

 俺よりも少しだけ低い声。大人びた物言いと関東弁が、この学区に来てまだ間もないと教えていた。

「よろしくっす。藤見、尭生(タカキ)っす」

 つい名前を口にするとき、変な間が空いてしまう。

「里田千秋やでー。里繋がりのよしみでよろしくー」

 バカ千秋、テンション高いの丸解り。

「よろしく」

 龍夜はそんな千秋にも微笑を崩さず挨拶をした。なんだろう……どこか不自然な、こわばった笑みに見えた。


 手書きのネームプレートは体験入学者の印。そこにある字面がかっこよくて、俺がじっと名前を凝視したのが、いろんなことの始まりだった。

(名前、ヘンでしょう)

 小声で囁かれた意外な言葉に、俺の肩がびくりと跳ねた。じっと見ていた自覚がなかったので、それにも妙な後ろめたさを感じた。

(ちげーよ。龍夜なんてカッケー、とか思って)

 そう言って慌てて猫背になっていた背を少しだけ伸ばして、俺のネームプレートを見せた。

(読まれへんやろ? 電話とか、書いて見せることが出来ないときなんかは漢字を伝えようにも言いようがないし。こっちの方が、ヘンやん?)

(藤見尭生の方がかっこいいじゃん。(ギョウ)って読ませれば、中国の伝説上の王様の名前だよ。きっと尭のように生きろ、みたいな願いが込められてるんだよ。いいな、重みのある名前で)

 すげえ、と思った。俺はそんな話もギョウって読むことも知らなかった。

(そんなん、知ってる人にしかそう思ってもらわれへんやん。龍なら誰でも知ってるし、強いってイメージもあるし、そっちのが断然カッコええやんか)

(ただのドキュソネームだよ。本当はリュウヤって読ませたかったのに、おばあさんが反対したから人並みの読みにさせたんだって)

 妙なところにコンプレックスを抱いたもんだ。俺はそう言って苦笑した。

(俺、読まれへんわ、ってよく言われてるから。名前でいろいろ感じるのは、最初だけと違う? 俺も読めない言われても、今は気にしてへん)


 ――だから龍夜も気にするな。


 俺は敢えて名前を呼んでそう言った。彼に自分の名前を好きになって欲しいと思ったから。どうしてかと言えば、たった数秒、たったひとつの言葉で、俺のコンプレックスを綺麗さっぱり拭い取ってくれたから。

 龍夜に偉そうに言った俺こそが、一発で判ってもらえない自分の名前に長い間コンプレックスを持っていた。




 宣言どおり、龍夜は正式に塾生として俺と同じゼミに通うようになった。最初のゼミ内模擬テストまでは生徒の希望クラスに入れるのだが、龍夜は俺と同じ応用コースからスタートした。

「少しでも知っている人のいるクラスの方が、いろいろわからないことも教えてもらえるかと思って」

 そう言ってほんの少しだけ頬を染めて小首を傾げる。口にしたそれには、ちょっとだけ甘えが混じっている気がした。

「そうやんねえ。引っ越して来たばかりや、言うてたもんね。勉強だけやなくて、お店や遊び場とか、いろいろ教えたげるッ」

「うん、ありがとう。まだ学校で親しい友達が出来てないから、嬉しい」

 舞い上がる千秋の横でそれを聞いた俺。彼の視線が千秋ではなく、俺に向いていたのになぜかどきりとした。


 龍夜の家は、このゼミがある最寄駅から近いそうだ。

「線路の向こう側なんか。チャリを使わんのん?」

「うん。自転車だとすぐに通り過ぎてしまうから。いろんなものを見落としてしまうだろう?」

「うわ、なんか芸術家みたいな感覚やね、それ。タカとはえらい違い」

「やかましわ」

 三人でそんなくだらないけれど、気楽な話をする。それはいつしかゼミの教室だけにとどまらず、ゼミを終えた後、近所の公園でブランコを漕ぎながらだったり、チャリ通の俺や千秋がチャリを押しながら龍夜の家近くのコンビニまでの帰路だったり。部活の話や東京にいたころの話、お姉さんがいるということや、実は彼女の都合で自転車で通っていないのだとか、お姉さんが彼氏と夜のデートをするとき、決まって龍夜をだしにして車を出し、「龍夜のゼミが終わるまでネカフェで時間を潰している」ことにしてデートをしているんだとか、いろいろと龍夜の人となりを知った。




 いよいよ学校では具体的な志望校を問われるころ。二年の冬、クリスマスソングの賑やかな音からクリスマスの予定なんかの話題から流れ流れて、話は恋バナみたいなことになった。

「今日も十一時まで時間を潰さなくちゃ。姉さんの彼氏、バイトの上がりが遅いから、逢う時間もその分だけ伸びちゃったんだって」

「まだアリバイ係を続けてるん?」

 龍夜の家の近くにあるコンビニが龍夜とそのお姉さんとの待ち合わせ場所なので、そこへ向かう途中でそんな話を聞いた。

「うん。だって、彼氏のこと、本当に好きみたいだから。彼氏も姉さんと遠距離になるのが耐えられない、って、仕事を辞めてついて来ちゃうくらい大事にしてくれてるし。早く結婚しちゃえばいいのに、とは思うけど」

「お姉さん、大学に入ったばっか言うとったよねえ。彼氏も同い年くらい?」

「ううん。向こうは社会人三年目だった。でも辞めちゃったから、今は就活しながらバイトで生活してる。そんなんじゃ、うちの親に反対されるに決まってるって、まだ隠してる」

「へえ、お姉さんの彼氏と直接そういう話もしてるんや」

「弟みたいに思ってくれてるから。いい人なんだ。ただ、姉さんがああいう人だから、逆に彼氏の方がだまされてないかな、って、心配なときはある、かな」

「ああいうって?」

「自分がこうしたいと思ったら、親にも平気で嘘をつけちゃうところ」

 そう言ったとき、龍夜の顔がひどくゆがんだ。笑っているつもりなんだろうけど、とても苦々しい顔をしていた。

「女って怖いよね。真顔で嘘を言えちゃうんだもん」

 何かいやな思い出でもあるのかな、と思ったから、俺は軽い口調で茶化す言葉を返した。ついでにささやかながら、ガキのころからの付き合いである幼馴染にエールを送る意味もこめて。

「あー、言えてる。出来ないアホもいるけどな」

 そう言って千秋の頭を小突くと、千秋は顔を真っ赤にしてがなり立てた。

「ちょっと、あたしのことソレ?!」

「当たり前やん」

「ああ、そう言われてみれば、里田さんはわかりやすい」

 龍夜はそう言って穏やかな笑みを浮かべると、まっすぐ千秋を見下ろした。

「……え?」

 あ、なんか今、俺お邪魔ポジションに入ったかも。そう思ったから、気を利かせたんだ。そういう方向に仕向けたのは俺自身だし。

「あ、やべ。俺ゼミに忘れ物した。千秋、先帰っといて。龍夜、また明日な!」

 俺は逃げるようにチャリにまたがり、ゼミを目指して全速力でチャリを漕いだ。自分で誘導したのに何逃げてるんだよ。なぜかそう思った。別に逃げる必要なんてないのに、おかしいな。

 無性にピザまんが恋しくなった。




 ピザまんはガキのころからの大好物。初めてそれを食ったのは、一人っ子の俺にとって弟みたいな存在だった飼い犬が死んだとき。普段は「豚まん以外は認めん」とわけのわからない持論を押し付けるオカンがコンビニで慌てて買って来てくれた。

『食べたいモン食べたら、少しは元気になるか思うて』

 あとで買ってくれた理由を尋ねたら、そんな風に言っていた。

 それ以来、友達と喧嘩をしたとか、オトンやオカンと言い争いになってねじ伏せられたときだとか。いつもそんなときは、ピザまんが恋しくなって小遣いをはたいて食っていた。ピザまんの売っていない夏場は、いつもネガティブな感情を引きずってしまって、ピザトーストでごまかしていた。


 熱々のピザまんを三つ買ってから、ゼミの裏にある公園で独りソイツにぱくついた。

「あんま、美味くないやん」

 メーカーが変わったんやろか。それとも冷めるのが早いからやろか。そんな独り言が無人の公園にぽろぽろぽたぽた零れ落ちる。

「おかしいな。俺、別に千秋のことが好きなわけやないねんけど」

 期待に満ちた千秋の横顔を見たら胸が痛くなった。それ以上にショックだったのは、千秋に期待を抱かせるような笑みを浮かべていた龍夜の表情。龍夜はあっという間に俺らと違うクラスになり、英才コースでもトップクラスに入るほどの秀才だ。女子に黄色い声を上げさせるほどのイケメンで愛想もよくて、だから千秋みたいな平凡なヤツじゃ似合わない。龍夜もそう思っているとばかり思っていたんだ。

「あれ? なんか、おかしいな」

 俺、千秋を応援するつもりで逃げて来たはずだよな? 玉砕して欲しくて背中を押したわけじゃない……よな?

「何がおかしいの?」

 唐突に降ったその声で、俺は手にしたピザまんを砂の上に落っことした。

「龍夜……」

 慌ててベンチから立ち上がり、残ったピザまんの袋をしっかり抱えてから振り返ったら、そこには駅の向こうで別れて来たはずの龍夜が立っていた。

「びっくりした。どないしたん?」

「一応報告しておこうと思って」

 ツキリと左胸が痛む。生真面目な龍夜らしい行動だ。

「あー、龍夜も勘違いしてたんかな。俺、千秋とは龍夜が思ってるような関係と違うで」

 あまりにも龍夜が今にも泣きそうな顔をしていたので、先手をついてそう言った。

「どう思ってると思ったのかな」

 そう言ってベンチに腰掛けた龍夜の表情は変わらない。俺は釣られた格好で隣に腰を下ろし、考えている間の時間つなぎに、ピザまんの袋を龍夜に差し出した。

「食う?」

「ありがと。尭生って時々これ買って食べてるよね」

 まだわずかながらも湯気を立てているピザまんを見つめながら、やっと龍夜が笑みらしきものを見せてくれた。それを見たら、なぜか心ン中に刺さっていた棘がポロリと落ちたようなイメージが浮かんだ。

「へこんだときに食うと、なんか元気出るから。あと、腹減ったし」

 あとの半分は言い訳だ。うっかり本音を漏らしたので、それをヘンに誤解されたくないからだ。

「やっぱへこんでたんだ。どうして?」

「や、だから」

 今だけは、龍夜の賢さを恨んだ。そこはいっそスルーして欲しかったんだけど。

「里田さんを泣かせてごめんね」

「……へ?」

 危うく二個目のピザまんも落とすところだった。

「尭生が気を利かせてくれたのは判ったんだ。期待に沿えなくて、ごめんね」

「えっと」

 おかしい。ピザまんが突然美味くなった。

「へこんでたのは、里田さんのことが好きだから、でしょう? 好きだから、自分の気持ちよりも里田さんの気持ちを優先したんでしょう? なのに僕が全部台無しにしちゃった。ごめんね」

 龍夜はそう言って、ピザまんを一齧りした。

「美味しいね。へこんでいても、元気が出るね」


 ――大切な人と一緒に食べるなら。


「……えっと、龍夜?」

 心臓が跳ね上がる。言われた意味をあれこれいろんな拡大解釈をしてしまう。それはえっとつまりその……一体、どういう意味だろう?

「僕ね、あんまり人のことを信用しない主義なんだ。みんな僕の見た目で勝手に自分好みなイメージを膨らませるだけのくせに、勝手に裏切られたの騙されたのと罵って捨てていく人ばかりだから」

 だから、女の子も女の人も、嫌い。なんていうか、その表現が、東京での龍夜が経験したことの一部を物語っていた。

「うぅんと……イケメンはイケメンなりの苦悩がある、っていうヤツ?」

「ふふ。僕、尭生のそういうところ、すごい好きだよ。ぶっちゃけた言葉は信じられる」

 好きという言葉に過剰反応した。とうとう二個目のピザまんも落っことしてしまった。

「すすすすす」

「トモダチって意味にしといてよ。でないと、やっと信用出来る人と出会えたのに、また僕は独りぼっちになってしまう」

 って、そんな切なげな瞳で笑って言われても、やっぱりそれはいろんな解釈が出来てしまうわけで。

「きっと明日からはこういう時間を持てないだろうから。今のうちに伝えておこうかと思って」


 ――トモダチでいてくれてありがとう。里田さんが気まずい思いをするだろうから、もう一緒には帰らない。


「里田さんのこと、恋愛感情じゃないとしても、大切な人には変わりないんでしょう? 横取りみたいなことは、したくないから。そういう人がどれだけ大事か、僕が誰よりも知っている」

 龍夜は一気にそこまで吐き出すと、残りのピザまんを一気に頬張った。いつもゼミの夕飯タイムでも、そんな品のない食べ方をしないのに。まるでやけ食いをしているようだった。さっきまでの俺みたいに。

「じゃ、おやすみなさい」

 ベンチから立ち上がる龍夜を呆然と見上げる。帰ろうと背中を向けた龍夜の背中に向かい、俺は気づけば叫んでいた。

「待ちぃさ!」

 手が勝手に龍夜の手を引っ張った。無理やり座り直させて、こちらを強引に振り向かせていた。

「……何泣いてんねん。俺よりでっかいくせに」

 いや背丈は関係ないだろう。哀しい関西人のサガが、自分で自分に突っ込みを入れる。

「おまえのそういう早合点なところが、みんなをドン引きさせてるんと違う? 勝手に自分の理想にイメージしといて勝手に離れてく言うとったけど、それはおまえも同じなんと違うか? 俺がいつ千秋が大事とか言うたん? いやそらどうでもええってわけとは違うけど、あいつが俺にくっついてんのは、おまえと仲良うなりたいからやっただけやんか」

 あ、俺、今嘘ついた。そう思った途端、冷や水を浴びせられた気分になった。龍夜は嘘が嫌いだと聞いたばかりなのに。見透かされそうな透き通った瞳が、眼鏡越しに俺を見定める。

「……トモダチでいても、いいの?」

 改めて聞くなこの阿呆。繊細な彼にはダイレクトにそう言えはしなかったけれど。多分、顔にそれがモロ出ていた。その証拠に、龍夜の表情が一変した。

「龍夜が来る前までは、千秋はゼミやめたいってずっと言うてたんや。成績も塾ってる割には上がらんし、千秋のオカンが塾を変えようか言うてたのをずっと駄々ってたんよ。多分あいつ、このゼミはやめると思うし、それに、その、なんつうか、だから」

 トモダチでいい、という言葉をどうしても口にすることが出来なかった。

「ピザまん、買い直しに行こう。僕がダメにしちゃったから、僕がご馳走するよ」

 龍夜がそう言って、やっと自然な笑みを浮かべてくれた。引っ張られて初めて気づく。俺はずっと、龍夜の手を握ったままだった。




 千秋は冬休みの間にほかの塾見学をしてそちらの方へ移った。お互いに龍夜の話はしない。そもそも学校では女友達に事欠かない千秋だから、俺と接触する機会も激減した。たまに回覧板を回しに来たとき、相変わらずのバカ話をちょこっとする程度だ。

「あ、そうや、タカ。聞いて聞いて」

 春休みに入って間もないころ、千秋がオカンに頼まれて作り過ぎた惣菜を届けに来たときに、今通っているゼミで同じクラスになった男と付き合うことになったと知らされた。

「おま、受験生になるのに、そんな余裕あるんかいな」

「受験生だからこそ、励みになるんやん。一緒に勉強しとったら、めっさはかどるし楽しいもん」

「……さよか」

 そして妙な沈黙が数秒。

「里辺くんに、ごめんね言うといて」

 告白して玉砕したとき、龍夜を引っ叩いたらしい。

「知らんかった。なんで? おまえ、そんな暴力女とは違うやん」

「ほかに好きな人がいるから、とか見え透いた嘘を言うたんやもん。ちょっと前まで自分で“女は嘘をつくから嫌い”言うたくせに、バカにしてると思うたら、つい」

 それに対する言葉が咄嗟に思い浮かべられなかった。浮かんだ言葉は

“ほかに好きな人が、いるんや”

 という、なんとも表現しがたい複雑な気持ち。

「ホンマになんも聞いてへんのね。男同士の友情ってわからんわあ」

 新しい恋ですっかり元気を取り戻した千秋は、呆れたようにそう零し、「ほんならね」と帰っていった。




 中学生活最後の一年は怒涛のように目まぐるしく過ぎていく。

 龍夜には千秋のその後をすぐに伝えた。彼は心の底からほっとしたように大きな溜息をついて微笑んだ。

「よかった。誰かを傷つけたり傷ついたりとか、そういうの、本当に苦手だから」

 最近になってようやく解った。龍夜は人一倍、人の心の動きという部分に敏感だ。人をなかなか信じないのは、ある意味で意図的に自分へ言い聞かせている部分もある。俺にそう思わせるくらい、本当は人を信じたいヤツなのだ。傷つきやすい分、人も同じくらいのダメージを受けると思い込んでいる節がある。だから、最初から人に心を開かない。信じないのではなく、臆病なだけなのだとやっと解った。

 ゼミは俺にとって居心地のよい場所に変わった。龍夜のお陰だ。始めのうちは、そんな彼に勇気を持って欲しいと思って、まずは自分からゼミの仲間に寄り添ってみようと足掻いてみた。話してみれば気さくな連中で、別に金持ちならではの話題でないといけないわけじゃない。そして俺が足がかりになるつもりでいた龍夜の方が、話してみれば却って話題が豊富で男女問わずにみんなが龍夜に打ち解けていった。

 だんだんと交流の輪が広がっていく龍夜を見て、少し寂しいと思ったり、ほっとしてもみたり。それでも、何事もそつなくこなす秀才にネガティブな嫉妬を抱かないのは、ことあるごとに龍夜がなんでも俺に話してくれるからかも知れない。

「タカ、僕、また一人友達を失くした」

 いつもの公園で、そんな泣き言を聞く。俺よりもデカいくせに、眼鏡を外して俺の肩で嗚咽を漏らす龍夜の背中をさすりながら、何度こうして慰めたのだろう。その数さえも、忘れた。

「今度はどうした」

「一之塚さんにコクられて、いつもみたいに断ったんだ。そしたら、魚住くんが一之塚さんを好きだったらしくて、好きなヤツって誰だよ、って」

 えらい剣幕でまくし立てられたらしい。その問いに答える義務はない、と俺も確かにそうは思うが、それをそのまま龍夜は言っちゃったらしい。

 毎度このやり取りを繰り返すたびに、邪魔な好奇心が湧いて、困る。

「答えれば納得するんと違う? 誰よ、その“好きな人”って」

 出来るだけさりげなく尋ねるのに、どうしてもすごく緊張する。聞いたところで知らない人、っていう可能性が高いのに。龍夜とはゼミが同じなだけで学校は違うし、東京にいたころに関わっていた人のことかも知れないのに。

「タカ、ピザまんが食べたい」

「また話をそらしよった」

 いつもそうやってはぐらかされては、ほっとしたり肩を落としてみたり。

 そのころには、いい加減俺の中に自覚が出来ていた。それはひどくおかしなことで、誰にも言えないことだけれど。

「だって、好きになっちゃったんだもん」

 そんな言葉にドキリとさせられる。

「ピザまんが」

 そう付け足されるとき、いつもコンマ数秒間を空けられる。

「食わせなきゃよかったー。俺、金欠」

「じゃあ僕がおごるから、ピザまんのやけ食いに付き合ってよ」

 そう言って少しだけ元気な笑みを浮かべる龍夜が、俺にとって奇妙な意味の“好き”な対象になっていた。




 三月。私立を志望していた龍夜が一足先に合格をゲットした。俺も一応滑り止めの私立を合格し、そしてやっぱりピザまんで合格を祝う。まだまだ寒い弥生の空の下で食うピザまんは、相変わらず少し物悲しくて、そして泣きそうなほど温かい。

「なーんでピザまんなんよー」

 ゼミの裏にある公園で、そんな愚痴を零しながらも本当はピザまんが食いたい心境だったりする。

「だから、好きになっちゃったんだってば」

 そう言って龍夜は相変わらずピザまんを食べるときだけ思い切り大きな口を開けてぱくついた。

 二週間後の公立入試、俺のそれが終われば、合否がどうであっても龍夜とこういう時間を持つのがオシマイになる。さすがに高校コースまで通塾するのは、オカンもオトンも生活の面で厳しいから、まずは独学でどこまでついていけるか見てからだ、と、やんわりと継続を反対されたから。

「それに、タカが言ったんじゃん。落ち込んだときに食べると元気が出る、って」

 二つ目に手を伸ばした龍夜が、ピザまんを見つめながらポツリと呟いた。

「何落ち込んでるんよ。合格して一足先にゼミを離脱やん。高校対策講座は受けへんのやろう?」

 口にして改めて実感する。今日で龍夜と同じゼミに通うのは終わりなのだ。俺が通っている間は、帰りに電話で呼び出すことは出来るだろうけど、もう時間を共有することはない。俺の知らない龍夜が大半を占めるようになる。

 いつまでトモダチでいられるんだろう。

 そんな不安がどっと押し寄せる。

「タカ?」

 気がつけば、俺の頬張ったピザまんが薄い塩味になって湿っていた。

「ふ……ッ、はんへほへぇひょ!」

「なんでもなくないじゃん。泣いてるじゃん」

 うるさい黙れやかましわ。人の気も知らんとズケズケと情けない人の状況を実況中継しなやボケ。

「……なんで落ち込んでるんだ、って、それに、答えても、いい?」

 少しおどおどとした龍夜の声に、俺は思わず顔を上げた。

「はひ」

「お父さんがまた転勤なんだって。受かった高校には通えそうな距離だけど、もうこんな風に、タカとは簡単に逢えないところへ引っ越すんだ」

「……へ?」

 ピザまんが落っこちた。こいつとピザまんを食うと、いつもピザまんが悲惨な目に遭う。ピザまんがかわいそう過ぎる。

 龍夜は落ちたピザまんをコンビニ袋へ放り込み、最後に残ったひとつを俺の手に握らせた。

「はい。食べ納め」

 そう言って強引に俺の口へピザまんを押し込んだ。

「ほはッ、はにふんぐぇ」

 ピザまんが潰れるやろうが。息が詰まりそうなほど強い力。それが苦しくてピザまんを噛み千切る。龍夜に掴まれた手首が解放され、俺はやっとピザまんから口を離すことが出来た。跳ねたピザソースが口の周りについて気持ち悪い。

「そんでもって、僕も、これで食べ納め」

 龍夜は寂しげな笑みを浮かべたまま、俺の手にしていた食べ掛けのピザまんを残らず平らげた。

「ちょ、おま、それ俺の食べさし」

「あはー、美味しかった」

 全力でスルーかよ。

「でも、きっとトラウマになっちゃうだろうから、もう二度と食べられないや」

 龍夜がゆるりと立ち上がる。冷たくて澄んだ空気に映える夜空を背景に、寂しい微笑が俺を見下ろす。

「ずっとトモダチでいたかったのに、もうトモダチでいられないから。いられないくらい」


 ――好きになっちゃったから、しょうがない。


 頭の中が真っ白になる。龍夜が口にしたそのトーンは、いつもピザまんに対して言っていた調子とすごくよく似ていたから。

 ここで「ピザまんが?」とボケるのは、かなりマズいリアクションだと思う。でも、じゃあ、どう答えればいいんだろう。俺はハッキリ言って、今の関係を崩すのが、ものすごく、怖い。

「えへへ、もう逢うこともないから、恥の掻き捨て、っていうの? 人の顔色ばかり見て、しておけばよかったっていう後悔ばかりして来たから」

 龍夜がそう言って、はっとしたように眼鏡を外す。濡れてしまった内側を指で乱暴に拭っていた。

「それじゃダメだ、って教えてくれたタカなら、甘えても赦してくれるかな、なんて。ゴメンね」

 トモダチとしてでなく、大好きだった、なんて改めて言われたら。

「――って、言ったやんな、俺」

「え?」

 腹立たしさで声がくぐもる。誰に対してかと言えば、俺自身に対してだ。

「早合点するのがおまえの悪い癖、言うたやろうって言うてんのや!」

 怒鳴りつけるなんてのは、ただの八つ当たりだ。そんな自分に自分で腹が立つ。

 きっとそれを叶えたら、たくさん龍夜の泣く日々が待っている。その原因が俺になる。俺はそれが怖かった。

 だけど結果的に、今こうして龍夜は泣いている。俺のせいで。それならいっそ――。

「タカ?!」

 そんな声が間近に聞こえたのは、俺が龍夜のブルゾンを思い切り引っ張ってヤツを俺の前に引き寄せたせいだ。勢いのまま、龍夜が俺の前に覆いかぶさる。その頭を乱暴に掴んで更に引き寄せた。

「……ッ」

 ファーストキスがピザまんの味って、どうよ。つか、それ以前のことのが仰天モノか。

「わぁったか! 勝手に自分ひとりで決めつけんなやボケ!」

 そうだ、解ってた。龍夜も俺もお互いにおんなじ気持ちだってこと。

 臆病者の龍夜が、これだけ勇気を出したのに。ウダウダと踏ん切りをつけられないでいて先手をつかれた自分自身に一番腹が立っていた。

「おまえがその気なら、とことん付き合ってやるよ! ろくな思いをしないやろうけど、それはきっとお互い様やろうから覚悟しとけよ!」

 喧嘩腰かよ俺。情けなさに泣けて来る。

「だから、これっきり、みたいなこと……言いなや……」

 俺の突飛な行動で腰を抜かした龍夜が、俺の足元にへたり込んでいる。呆然とした顔から目を背け、俺は膝の上で握られた自分の拳を睨みながら、やっとの思いで口にした。

「遠くても、会いに行く。バイトして金を貯めて、龍夜のいるところへ会いに行く」

 お互いの知り合いがいない場所で、人目を気にしなくてもいい場所を探して、そこで思い切り本音で話せる時間もいっぱい作る。

 離れてる間は、ちゃんと電話する。メールも送る。共有する話題が尽きないよう、精一杯の努力する。大事にしたいから。――大好き、だから。

「だから、食べ納めとか、言いなや」

 多分きっとこれから一生、ピザまんは、へこんだときに思い出すものじゃあなくなるから。大好きの象徴に変わってしまったから。

 吐き出すだけ吐き出すと、そのあとの静寂がやたら居心地の悪さを強調した。

「……タカ。ピザまんのソース、ついたまんま」

 柔らかな声が居心地の悪さを溶かし、冷え切った握り拳が龍夜の手で温められる。そっと触れるだけのお返しのキスは、如何にも龍夜らしい遠慮がちなものだった。

「逢えない間に、タカとキスしたくなったら、ピザまんを食べて我慢する」

 そんなアホな対策を聞いて俺は思い切り噴いた。

「アホちゃう?」

 いつもの口調が戻って来る。ゆっくりと立ち上がれば、龍夜もそれに合わせて屈めた上半身を起こし、パンツについた砂を払い落とした。

「アホだもん。でもピザまん、本当に美味しいから好きだもん。いいじゃん」

「あれはな、あのコンビニのだから美味いんやで。前にほかのコンビにで買うたら、カレーまんのが美味かった」

「僕、あんまんしか食べたことがなかったんだよね。変り種って、もし失敗したらすごく買ったことを後悔しそうで」

「アホやし。食わずに実は美味かったって人から聞いて後悔する方がもったいないやんか」

「そだねえ。じゃあ今からカレーまんを買いに行こう?」

「俺の奢りかぃな」

「僕の合格祝いでしょ?」

「う……そうやった」

「タカが合格したときには、僕も嫌というほどご馳走してあげる」

「おう!」

 一見、何ひとつ変わらない会話。何も変わらない俺たち。誰にも言えない秘密だけれど。きっと誰にも理解されないだろうけれど。

 それでも、きっと後悔だけはしないという確信があった。

 夜空に浮かぶ三日月だけが「それでいいよ」と言ってくれているかのように、緩い弧を描いて俺たちを照らしてくれていた。

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