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花と狼 外伝  作者: rotoio
「一の華・トレニア、その自立の挫折と幸福の在処」(作:ゲストa)
8/15

「言えよチビ。“何色”だ?」


 上がる面には太い笑み、傷だらけの相貌と相まってどこの無頼か野盗かと他人を退かせるに充分だったが。

 ぼろぼろと、見開かれた翠眼から大粒の涙を零すトレニアに驚き慄き、びくんっと身を退くのは狼の方。

 震える白い指先が触れるや触れずに迫るは、まなじりに刻まれた花刻。



――“朱”ではない、“緋”の。



 開かれてゆく口の中、ひっく、と喉の鳴る音がして。


「っひう、あぁぁあっ、ふ、ぅぁあぁああああぁ~~~ん!!」


 どうしたことかの大号泣だ。


「待て、マテ、なぁっ!?」

「ひぐっ、ふっく……うぇぇぇえぇ~~!!」


「うぁ、泣くなよぉ……」

「うぁああああああぁんっ!!」


 赤子のような誰憚らぬ泣きっぷりの合間にちらちらと窺われるのが己の顔だと、気付いた狼もほんのり泣きそうで。

 流石に無視しきれなくなったディーバが駆けつけて来るが、これまた無力。

 花を前に、狼達が踊る。

 無闇で無意味な謎の手振り、開く口からは意味不明な唸り、オロオロと、わたわたと、泣きじゃくる花に寄って離れて。


「おっさん!いや先輩っ!こんな時どうすんだよ!?」

「おのれ調子のいい、たわけっ、このわしが己が命花を泣かすものか!」


「オレが泣かしてんだぞ!?あんたが泣かさんワケがねぇっ!」

「無礼者めっ!!……と、とにかく原因はお主以外に考えられぬ、謝れ。宥めろ。花の涙は苦手なのだ……っ」


「ンな適当に相手したらますます泣かれるんじゃねえか?」

「ならばわしに抱いてあやして宥めよとでも?」


「ぶん殴るぞクソジジイっ!!」

「阿呆っ、妬いとる暇があるならとっとと動けっ!!」


 言われるがまま踏み出した狼は自棄っぱち、その身体でトレニアをくるんだ。

 何しろ言葉足らずは骨身に染みていて、いつ見ても可愛いトレニアの泣き顔を他の狼に曝すのも癪なのだ。

 ぎゅっと抱き返してくる細腕と、隠してしまったくしゃくしゃの顔に少しの余裕、そっと薄い背を撫でてやる。

 浮かぶ苦笑は、昔のまま進歩のない己が身に呆れた所為か。


「どうなされた我が命花よ、何が貴女のお心を憂わせるのか?」


 ようやく嗚咽と言える具合に落ち着いてきたトレニアに堅苦しくも格好良くおもねってみるが、拳さえ握った繊手が襲い掛かってくる不可思議。

 しかし荒事に慣れた狼にはそういった反応の方が有り難い上に痛くもないので、ぽくぽく、ぺちりと当たるそれを従順に受けてみた。

 漏れる安堵の溜め息は、口の達者な彼の花がけれど言葉に詰まるとこんな風に身体で語るのを知っているからだ。

 やがて見つかった言葉達を、ぽつぽつと投げてくれることも。


「恥かし、よぉ……っく、ナイショ、だったの……春の神サマにも、秘密だったのにぃい……」


 しゃくりあげるトレニアは狼の胸の中に小さな小さな呟きを零す。


「一度だって祈ってないのにっ……ど、どうしてばれちゃうの?……我慢、したけどやっぱりボクのせいだあっ……!」

「聞き捨てならん、花狼の俺に秘密があるのか?ナンだか知らんがどうせバレたんなら言っちまえよ」


「…………ヤだ」

「懺悔だとでも思えよ、言ってみれば楽になるぞ?」


 苛立ちを込めて狼の胸板に額をぐりぐりしていたトレニアだったが、溜め息を一つ、肩を落として。

 大事な人の想いを撥ね付け意固地に示した世間の常識、泣いて喚いての醜態曝して囚われてみせた自尊心すら。

 全て根底はこの本音、この願い、この欲望を隠す為の。



「将軍、欲しいなって……っ」



 めきめきと地位を上げてゆく狼が、誇らしくも酷く遠く。

 余りに無謀で哀しくなるから、友達だと、恩人だと、それ以上の感情など長く認めてこなかった。

 彼の花統さえ訊けなかった想い、ならばそれはいつからの。


 強い狼を通わせる事実に向けられる羨望、覚えた優越感はいつだって痛みを含んだ。

 熱を排した親愛の言葉を深読みもせず受ける狼が、憎らしくさえ。

 不可視の呪縛を断ち切るようにつまらなさそうな狼へと、繰り返し花結びへの憧れを。


 故郷の懐かしい森よりも深く、胸に居着いた人だった。

 幼い頃と理由は変わっても消えぬ願いだ、せめて共に在れる狼だったならと。

 そうして願う程に切なく思い知った、花でしかない自分。


 けれど、今は……今だから。

 花に生まれたことこそ、祝福だと知った。


「ごめんね?」


 また泣きだしそうな目をして、それでも手を伸ばして。


「ボク、欲張りだ」


 顔を包まれ引かれるがままに身を屈める狼の、右の眦へと恭〈うやうや〉しい口付け。


「もう絶対退かない。誰にも……渡すもんか」


 左の花刻へも柔い熱が沁み、こつんと額と額が合わさる。

 神意を得てしまった今、鮮やかな翠の双眸は決意を秘め欲に深まりもう揺るがない。


「――ボクだけの“狼”――」


 唇へのそれは、拙いながらも貪欲だった。

 合わせるだけに飽き足らず、唇を割り、舌を伸ばして奥へ奥へ奥へと。

 壁を這う蔓の如くにゆっくりと、唇の裏を歯列を越えて、怖じるような大きな舌に絡め、探り、擦り付けて。

 呼吸の限界まで探索したトレニアは、身を退いてほう、と息を吐いた。

 そして怒るなら怒れと見上げた先には……ナニか目の据わった狼の惚けた表情があった。


「万歳っ……ぅっおぉおお~~偉大すぎるぜ神よ!!天の覇 火の威 不壊なる太陽神っ、春の神でもなんでもいいがイイ仕事するじゃねえか!生まれて初めて見直したぜっ!!顔も知らんが父よっ、母よっ、生んでくれて感謝するっ!ハッハァーっ見やがれ世界中の野狼ども、こいつが!俺の!!命花だぜぇ~~っっ!!」


 トレニアは狼が大好きだったが、この浮かれきった生物の隣にいるのは少しばかり気恥ずかしかった。

 罪悪感を羞恥が凌ぎそっと身を退こうとしたが、がっつりと身を囲う腕が緩むことはなく、そもそもそんな仕草気付かれてもいないようだった。


「――そこの罰当たり、話がある」

「チビっ、荷物まとめて来い帰るぞ家に!!心配すんなよ、お前の部屋は用意してある。こんな事もあろうかってな、あ、いや何年も前から作っちゃいたんで、今のお前にゃ子供っぽいか?不満があったらちゃんと言うんだぞっ」


「――そこの恥ずかしいの、話があると言っとろうがっ」

「馬車か、馬車がいるかっ!?俺ん家結構な距離だしな、登城用の奴を……いやいや、いっそ馬で帰ってそこら中の奴に見せびらかすってのも捨てがたいな……チビ、馬は好きか?」


「そんな下心駄々漏れにしておいて誰が頷くってのさ!?それにそんなに急にここ出るのは無理だよ」

「イヤだっもう決めたんだ!お前だってもう放さないって言ったろ?一緒に帰るぞ、そしていちゃつくっ!!苦節半年ようやくこの日この時がっ……待ってろ、腰が砕けるほど俺サマの“気持ち”を見せつけてやるぜぇえっ!!」


「いきなり何をする気だ貴様、トレニア嬢はナニも知らんぞ」

「ええいさっきからごちゃごちゃ煩せーぞジジイっ、花狼のよしみで黙って行かせるぐれえの思いやりはねぇのか!?」


 じろりと険悪な流し目一つ、ドスの効いた声を出すも、その両手がトレニアをかいぐりし回していては形無しだ。

 今更ながらに第三者の存在を思い出したトレニアは、これまでの場面を思い起こしてか途端に真っ赤になって身なりを直す。

 そんな両者へ掛けられる声は、この鷹揚な花護には珍しい憂鬱を含んで険しかった。


「行かせてやりたいのは山々だがな……トレニア嬢は閨房の講習ことごとくを受けておらぬと聞いておる」

「デ、ディーバっ……ばらさないでよぉ」


「いかん、これだけは両者が知っておかねば悲劇を呼ぶぞ」

「……話が読めねえんだがどういうことだ?」


「端的に言えばだな…………地の果てに生えるという子宝の木、狼は決死の覚悟でその樹から実を一つ取ってくる。狼はその実を花に渡し、花は実を腹に植えるとあら不思議、立派に赤子が生まれてくるというわけよ。知っておったかトレニア嬢?」

「そんなのどうやってお腹に植えるの?」


「臍に乗せるのだ」

「えぇっ、その為におへそがあるんだ!?へぇ~っ、へぇ~~っっ、凄いや知らなかった!!」


「……………………イヤ、俺にもあるんだぜ?」


 絶望的なツッコミを他所に感心しきり、熱心にお腹を撫で回すトレニア。

 めっきり打ちひしがれた狼がそれでも声を潜めてディーバに詰め寄る。


「じじいっ何で緋紋の教会に居て肝心な知識がすっぽ抜けてんだか言ってみろっ」

「さて、トレニア嬢は興味に偏りは在っても、さぼり癖は無かったんじゃが……」


「俺が教えるのか!?手取り足取り……って、ちょっといいなオイ」

「ど阿呆。欲情の最中にそんな余裕があるのか若造?一旦恐怖を覚えさせてみよ、拭うのは容易でないぞ」


「お、俺にどうしろってんだっ?」

「知識を備えさせてからコトに及ぶのを薦めるな。お主たちの体格差ではトレニア嬢が痛い目を見るは不可避、心構えの有る無しは大きいと思うが?」


 ぎりぎりと歯噛みする狼を鞭打つように、守護騎士はもう一押しする。


「トレニア嬢、先程の話は作り話じゃよ、すまんな」

「へっ!?もうっ、からかわないでよ~……じゃあ、本当はどうなの?」


「そこの花狼に聞くがよい」

「そうだ、将軍なら知ってるよね。ねえ、赤ちゃんはどこから来るの?」


「それ教えてやれ。手取り足取り」


 ディーバのせせら笑うが如くの煽りに、曇りのない眼を一杯の信頼と好奇できらっきら輝かせる命花サマ。


「…………ある所にだな、コウノトリっつうでっけぇ鳥がいるわけだ」

「己で首を絞めてどうする!?」


「あんただけにゃ言われたくねぇっ!!チビッ、なんでサボった?お前好奇心の塊だろうが」

「だって~……みんな、狼を見る目が変わるって。怖いって言ってる娘もいたし。絶対そんなこと無いと思うけど……将軍嫌いになるのは、困る」


「…………俺も嫌われんのは困るんだが、お前が緋紋になってからもう正直、辛抱堪らん匂いがするわけだ。花狼になっちまったら尚更、傍に居るだけでクラクラくる。上から下まで舐め回したくなる。頼むから狼の気持ちっつうか切実な事情を教わってこい!」

「今さらっと凄いコト言ったよ!?しないよねっ?そんな……っ……」


「空耳だ。いいから、頼むから早めにその講習ってやつを受けてくれ。お・ね・が・い♪」

「……捨て身だね将軍。りょ~かい、すぐ受ける。ディーバ、違う花の位の時に潜り込ませてくれる?って笑い転げてないで聞いてよっ」


「うぐっ……ふっ…………うむ、しっ、承知した」

「くそっ、てめぇえっっ!!」


 ぷっつりと、狼――グラウの理性が切れたのが多分この時。

 きっかけはやはり直接的な恥辱、そりの会わぬ相手の前で、形振り構わず曝した懇願。

 危うい閾値まで高まってしまった欲望が、しかし叶わないという鬱屈も大きかった。

 そうして傷付いたアレコレを更に容赦なく責め苛むのは、恐らく全てを聞き取れる範囲になおも潜む気配の数々だ。

 衝動の弾けるままにぎちり、射殺さんばかりの凝視を受けて出るのは……出て、来るのは……出るわ出るわ。

 わらわらわらっと三人四人、走り出た人影はきっちり半円に散開すると各々の牙に手を掛けて、一糸乱れずぞろりと抜いた。

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