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花と狼 外伝  作者: rotoio
「一の華・トレニア、その自立の挫折と幸福の在処」(作:ゲストa)
3/15

 狼の気紛れはその後も続いた、二度が三度へ、隔月が月に一度へ、更に。

 今日も今日とて足を向ける狼は、しかし焦燥に舌を打っていた。



――チビめ、至れり尽くせりの扱い受けてるくせに何でやつれやがんだよっ……?



 見知らぬ狼を相手にあの威勢、ならば全く馴染みのない世界でも子供特有の柔軟さで上手くやるだろうと思えたのだ。

 だがその予測は楽観に過ぎた、花に訪れた変化は急激にして深刻。

 豊かだった言葉も表情も見る見る精彩を欠き、泣き腫らすことすらなくなった眼は暗い飢えに翳る。

 二桁を数える訪問の末に狼の前に居たのは、無力感と焦燥に塗り固められた惨めな生物だった。

 いい匂いのする身体、なのに髪は水気なく枯れて、肌は血の気を失いがさついている。

 清潔で優雅な服を着ても、柔らかな布に現れる輪郭は病的にやせ細って鋭い。


 狼には甘えるなと、張り倒してやりたい気持ちも確かに在った。

 認められない現実を己を閉じる事で拒絶し、衣食住満ち足りた生活の中で、尚死ぬ花など虫唾が走る。

 この王都ですら住人を守る秩序は若く脆弱、法から零れた貧しく弱い狼は何の頼りもなく生きるしかない。

 彼もそうであるからこそ培われた能力は高く、病的な程に凝った野心が強い意志となり今の地位を掴ませたのだ。


 忘れられない光景、現実、街を遍く歩けば抜け出した闇の中でもがく者たちの姿は、今だそこここに。

 どれだけの狼が、この楽園の外、王都という強烈な光に落ちた濃い陰で這いずりながら生きているか。

 同じ命が花でさえあれば飢えも乾きも知らずに済む不公平を妬み羨み……黒々とした感情すらも糧にしなければ生き残れなかった。



――けどあの頃でさえ、死にてえなんて思ったこともないがな。



 それが万に一つも望みのない結果と知っていて、しかし何度も繰り返す自問。

 ……あの時逃がしてやれば或いは、と。

迷いを振り切るように、やせた小さな身体を思いきり抱き締める太い腕。


「何を為されます!?」


 花に付き添う《仔狼クライン》が非難の声をあげるが、彼らにどうにも出来ないなら彼のやり方でやるまでなのだ。


「……傷つけやしねえよ、だから少し静かにしてろ」


 空腹にのたうち、その日その日を生き抜く事しか出来ず、怖れと不安に満ちていた時期に。

 貴重な慰めを彼に与えたのは、身を寄せ合う仲間達の温もりだった。



――俺は狼で、こいつは花で。でも俺たちは人という(つがい)だ。



「~~っ?……や、ぁあ!」


 声を掛けてももう、ろくな反応を見せなかった花がのろのろと抵抗を始めた。

 得たりと更に抱き竦める腕は、小さな頭を己の心臓に押し付ける。

 閉じた世界を鼓動で揺らし、自分という存在を響かせる為に。

 切れ切れの抗議はやがて途絶え、長い沈黙を経て、ほんの小さな呟きが零れた。


「…………り、たい」

「おう、何でも言ってみろ」


「かえりたい」

「そうか」


「ここ、ちがう……っ」

「おう」


「あっ、あいたいの」

「そうだな」


「もう、ゆめでも、あ、あえなっ……っ」

「ああ」


「さみしいよぉお……っ!」

「……独りじゃねえだろが」


「~~っひとりだっ!ボクはひとりだ!!」

「違う」


 がり、と太い肩を鷲掴む細腕で上体を跳ね上げ、瞳は初夏に輝く若葉にも増し生気に滾る。

 刹那、眼差しに呑まれ生まれて初めて狼は花に見惚れた。

 屈辱に代わりに芽生えるのは、確信。


「ちがうっ!?あんたに何が、何が分かるっ!!モーントの花は何色?野生のラフィークを見たことあるの?“牙の護り”を持ってるの?ボクの“命の樹”はどこさ!?ボクの居場所はココじゃないっ、仲間なんかどこにもいないっっ!!」

「知らん、見てねえ、持ってねえ。故郷を忘れろなんて言ってねえんだ。ただ仲間ってのは離れていても仲間だ、違うか?」


 そっと髪をいじられた花はぴくりと目を閉じて、やがて触れる手を細い目でそろそろと追う。

 困惑か、激発の名残か、妙に無防備なその様子にまたぞろ牙を剥きそうになり一端唇を噛む狼。


「待ってる奴がいるんだろ?俺なら行きたいとこがありゃ絶対に行く。仲間に会いたきゃ諦めねえよ、お前はどうだ?」

「ボク……?」


 わしゃわしゃと、髪を掻き回す手つきは乱暴なほどでも。


「諦めんなよ勇敢なチビすけ、お前に出来ないことなんかねぇだろ?」

「あっ……あたりまえだろ……っ!」


「眠れ。食え。生きろ。お前が死んでも誰も喜ばない……俺もな」

「…………知らないよっ」


「気合いが足んねえなぁ?はん、お前の仲間とやらも意気地なしばっかだったりしてな」

「違うに決まってるだろ!!ボクも……ボクだって……っ!」


 一丁前に言い放つ啖呵の震えも、“仲間なんかいない”花が縋り付く先もひとまず脇へ置いて。

 とりあえず顔色の悪い花の体温を少しばかり上げてやろうとがっちり抱いていた狼は、いつの間にかいつかのように、寝入ってしまった花に気付かず。

 躊躇いながらも促す仔狼に導かれた小さな寝台、ゆっくりと横たえ覗き込むやつれた寝顔から離れない視線の不思議。

 触れるがさついた手の温もりに微か表情が和らぐのを見取れば、何とも言えぬ感慨が狼の腹を奥底から炙るのだ。



――こいつは生きる、俺が生かす。《死神ヌル》が相手だって、俺のものは俺のモノだ。



「見事なお手並みでした……!そうだ、暫らくこちらで子守などいかがです?」

「やれるかよっ!!……けど、チビが起きたらまた来ると言っといてくれ」









 その後気力の戻った花の体調は順調に回復していったが、山野育ちゆえの例外的な身体能力も遺憾なく発揮された。


 故郷に焦がれ逃げ出す花を、捕まえるのはいつでも同じ、唯一人。

 孤独の痛みで身を駆る花が、掴まれるのはいつでも同じ、唯一人。


 人馴れしない独りの花へと、注がれるのは粗野な温もり。

 時に痛いほど不器用な狼、それでも伝わる確かな温もり。


 形無く生まれた感情は、定まらぬままに隔たりをゆっくりと埋めて。


 花と狼、その出会いから三年という月日が流れた頃――









「よおひょろいの、面会だ入れろ」

「旦那ぁ、いい加減にして下さいよ。面会は予約を取って下さいとあんなに……っつうかおいらにはガースって名が……って、あ~~もう言い飽きましたね」


「うっせえ三年も受付なんぞに居座りやがって。《教会》に居りゃそれこそ生まれは関係ねえんだ、這い上がれよ!」

「人にゃあ向き不向きってのがあるんですよぉ。しかし凄いね旦那は、一介の騎士からこの春には《男爵フライヘーア》サマだ。トリスタンの奴ら、またうちの花にちょっかい出してきたんでしょう?そいつを阻止した功成っての昇爵って巷じゃ大評判だ。おめでとう御座いますシュトルム卿!!」


「やめろむず痒いっ!!たまたま昔のつてから話が流れて来ただけだ、大したこたしてねえよ。それに男爵位なんざ騎士の上ってだけで、領地も私兵も持てん使い捨て、危ねえばっかのつまらん役職だろうが」

「いやいやいやご謙遜を!平民が貴族になるなんざあ滅多と無い話ですよ?南方遠征の時にゃトリスタンの将軍倒して一躍名を挙げ、大貴族サマの護衛にも抜擢、ここ数年ろくな休みも取らず形振り構わずのご活躍だ、大したもんじゃあないっすか!!」


「ふんっ……!」

「なのにココにゃあマメに通うってんだからもう言葉もありませんとも!!誘拐事件も速攻解決の話にゃ思わず笑っちまいやしたよ、さもありなん、旦那の大事な大事なカワイイ花を連れて行かれちゃ堪りませんもんねぇ?どんなに必死に働かれたのか想像もつこうってモンでさあ」


「喧しいわっっ!!……相変わらず褒めた分だけ落とすなテメエは。出世がドン詰まってんのはその口が災いしてんじゃねえか?」

「まあまあ、図星だからって怒るこたないでしょうが。それより旦那、忙しかったのは分かりますけど結構なご無沙汰でしたねえ?暫らく前、お嬢様が面会の予約を確認しておられましたよ、そりゃあしょ~んぼりと」


「あ~~…………怒ってたか?」

「へっへっへ、さてどうでしょう?あ、突然の面会ですから予定の調整に暫らくお時間戴きマース。良かったデスね!謝罪の言葉なり考えておられたら待ち時間なんてあっという間デスよ!!」


「ぅああぁああ~ムカつくっ!何でこんなのがいつまでも受付けに居座ってんだよ可愛い花でも置いとけよ!!」

「この良く回る口が受付け向きだと上が言うんですよ、さあさ中へどうぞ?」


「ああ入るが覚えとけ、お前はいつか絶対殴る」

「うへぇ、怖い怖い」

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