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花と狼 外伝  作者: rotoio
「一の華・トレニア、その自立の挫折と幸福の在処」(作:ゲストa)
2/15

辺境から王都に攫われた《花》と、それを助けた《狼》。

物騒な出会いは、しかし柔らかな絆を生む。

じゃれ合うだけの関係だった彼らに、変化がおとずれたある日の出来事。

 ハールベリス国の王都、ヒンメル。

 新興国にも拘らず、この国の活気と発展の速度は他の目を見張らせるものがある。

 その活力の源は人口の順調な増加であり、その最大の立役者が《リシェ》の守護を唱えた《聖光リヒト教》である。


 はるか昔から男である《(レナード》は、女である花の意思を無視し、力のままに奪い合ってきた。

 文明が確実に発達しようとも、それは“常識”として改められることなく続いていた。


 元々肉体的に弱い花が、心までも踏みにじられたならどうなるか。

 答えは花の短命化となり現れた。

 怪我で病であっけなく、流産、死産も増加し、無事生み落とそうともそのまま命を落としていった。

 偏った出生率により数少ない花は、それでも多産な性質により国の人口を支えていたが、その要が消えていった。

 無力な彼女達こそが、国を支えていたのだ。

 日々寂しくなる国の様子を憂えた狼達の中で、そんな事実に真摯に向き合う者が現れた時、流れは変わった。

 何より、同じ人として花達の不憫を、心に留めていた狼は決して少なくはなかった。



 神話を絡ませ、歌が一つ出来た。



 《花》の意曲げし万象を 我らが牙もて打ち払わん


 《花》の身に降りし万障を 我らが肉もて断ち阻まん


 憩え祖の獣 脈々と流るる血族にその遺志は継がれたり


 謳え我ら《狼》 天より賜りし《花》守る存在ものなり



 そして、己の、ではなく全ての花を護ろうと志す集団が生まれた。



 本能に背くあまりに異質な在りように、彼らを嘲笑う者もいた。

 力無き存在に対し犬のごとき盲従だと。

 庇護を売りに花を取り込もうとしているだけではないかと。

 しかし時と共に彼らが力を増す様を目の当たりにし、侮蔑の声は潜まった。

 何より彼らに希望を見出した国中の花達が奮い立ち、手に手を取ってその元に集ったことで一気に国の命運を握る状況になり、王でさえ忌々しくとも迂闊に手を出せなくなったのだ。


 ハールスに伝わる神話より、主神にして武勇を司る男神《太陽神ゴルト》と、命を司り全ての植物を眷属とする女神、花達の遠い母たる|《春のフリューリング》を崇める聖光教は、こうして生まれた。

 ハールスからハールベリスへと国が分かたれようと、彼らは花と共に在った。

 そして今では。


 『逆らわず、しかし傅かず』


 ナドと既に王権に対しても言い放つまでの地位を得たこの組織は、確実に国に対しての影響力を強めつつあった。

 その権勢を如実に表すのが王都に数多存在する、花の保護を目的とした数多の教会や複数の大聖堂である。

 花を守る為とし、堅固な壁を敷地に廻らせ、装飾性より耐久性を重視した砦のような建物の数々。

 独自の勢力として《神聖騎士(シュテルン・ゼーレ)》と呼ばれるえり抜きの狼を抱え、市井に下りた花にさえもその守護の翼を頑として伸ばし、保護区を敷いて しまうほどに組織の主義は徹底している。

 良くも、悪くも。


 力こそ全てという従来の価値観を色濃く残し、強き者〈王〉を頂点に全てを秩序だて支配し、何者にも脅かされない群れ〈国〉と成したい、本国ハールスに連なる権力中枢《王権派》。

 その陰で手駒として使い捨てられ泣いた幾多の花の為に声をあげて立ち上がり、彼女達を庇護することで結果的に国を豊かにしてみせた聖光教。


 端から目指すものが違うのだ、 両者の間に反目が生まれるのは避けようのないことだった。

 もう今では深く静かな対立が、目に見えぬまま末端にまで浸透していた。

 例え職務を離れた下町の居酒屋であっても、教会兵士と《王国軍シュタルク》兵士が席を同じくすることはなく、語らいと言えば拳でのみだ。


 しかし同族である以上表立っての衝突は無益、よって多少怪しくとも平穏と言える状況が保たれている。

 情勢の安定は円滑な通商を支え、戦がらみでない産業を大きく伸ばしてゆく。

 大陸でもっとも発展したルルカ共和国との交易も活発になり、ハールベリス国は目まぐるしい勢いで変化していた。


 王都に集約され渦巻く沸き立つような熱気、全てが日進月歩の気忙しい空気の中で、その活力の源となる花達は堅固な壁と厳重な守りの内で、時を待ち己を 磨き、準備万端てぐすね引いて外に出る時を、そして自らを守り導くまだ見ぬ狼を待ちうける。


 そんな花達待望の、月に一度、聖堂教会の大聖堂で行われる|《花結び(バンケット)》の儀は、多くの若い狼達の憧れでもある。

 年嵩の狼の花に手を出すなど命に関わる愚行、自らの花を得ようと思えば限度はあれ、参加者全員に機会のある花結びへの出席に勝る場はない。

 王宮に登録された《武》や《農》・《工》・《商》の階位、階級に従って申請し、その実力に応じた花紋を持つ花達との言わば見合いに臨むのだ。


 厳格な審査、気の遠くなる倍率、見事参加を果たせても、花の受け入れる狼には限りがあり、一番人数の多い一花片、加えてニ花片・三花片の儀でも五人に 一人《花》を得られるかどうかである。

 花の系統が偏ってしまったある儀など、九割以上が泣いて帰る事態となった。


 その状況でさえ、他国より圧倒的に“まし”であるというのだから国外の状況は凄まじい。

 隣国トリスタンなどは力が全て、元々体格に恵まれ戦闘に長けた民族とあっては花の争奪は熾烈を極め、その影響で多くの花が傷付いている。

 強き《氏族長シーク》は力の誇示に花を幾人も幾人も闇雲に独占し、戦いに明け暮れる日々の中では満足な医療の発展する余地もなく元より狼より短い寿 命を縮めていた。

 当然人口は増えるどころではなく、乱暴にも他国の花を攫う事でそれを解消しようという動きも出てくる。

 ルルカ、そしてトリスタン。

 永くこの二人種と、少数民族がまばらに占めていた大陸に、北から新参したハールベリス国は格好の標的となった。

 共通の敵、それがハールベリスで覇を競う王権派と教会派の一番の歯止めといえた。


 だが、敵がいつも外に在るとは限らない。

 光あるところ陰が落ちるのは世の常、王都と呼ばれるヒンメルにも身を持ち崩した、或いは後ろ暗い過去ごと健全な社会から背を向けた輩といった、行き場の無い者達の溜まり場となる場所が幾つかあった。

 他国の間諜や犯罪組織が隠然たる勢力を誇る怪しげな路地裏は、何度警備の兵が叩いたところで実体無く移ろうだけだった。



 それでも諦めない者も確かに居るだろうが、ふらりとその込み入った影の中へ入る一人の狼には、およそ気負いや義憤といった言葉など縁遠かった。

 国王軍の制服をだらしなく気崩したまま無造作に、滑らかに、得体の知れない人影の間に溶け込んでゆく。

 影の中、昏く沈む髪は血を思わせる赤で、瞳はごく薄い灰色。

 本国ハールス程ではないにしても、この国に在って金と青の色彩を纏わない者が一段低く扱われるという因習は根強く、卑屈さや裏返しの好戦性を剥き出しにする狼は少なくない。


 しかしゆっくりと歩む彼には怠惰と紙一重にも見えるほど余裕に満ちた雰囲気があった。

 さもありなん、しなやかでも強い狼の身体、だがこれ程までに鍛え上げられれば、並の者など相手にならないと一目で判る。

 おまけに顔といわず腕といわず、目を引く傷を刻みこんでいるとあっては無法が法となる裏社会の只中であっても、少々似非くさい秩序の番人の前に道が開く。


「……やっぱ家帰るならここが近いか」


 くぁ、と大欠伸、ついでにしゃあしゃあと嘯く狼は、しかし次の瞬間ぴくりと尖った耳を揺らした。

 何が聞こえたかそのいかつい顔を歪め、泣く子ももっと泣くいっそ見事な凶相となって。


「夜勤明けの俺サマを更に働かそうなんざぁ喧嘩売ってるとしか思えねえな。チッ、ヤってやるよっ!!」







「はなせっ、はなせよクソッタレっ!!」

「ケッ、汚ねえ口だぜ。辺境の花なんぞこんなもんか?話が通じる方が高く売れるがコレじゃあむしろ値が下がるな」


「違いねえ、オラ黙れよガキが。家畜だってな?これだけ痛い目に合わされりゃもっとおとなしくなるってのによぉっ!!」


 微かな物音を頼りに駆けつけた狼の目にした光景は、ある意味予想通りで、だが予想以上に胸の悪くなるものだった。

 二人組みの狼、その片方が苛立ちのままに振り上げる手になど目もくれず、耳の丸い痩せこけた子供が悶いていた。

 襟首を掴む自分の倍はある手に小さな爪を立て、少し腫れた顔の中、必死の眼に涙は無かった。

 くしゃくしゃに縺れた髪、薄汚れたという言葉では足りない服、折れそうに細い足首に紅く残る拘束の傷痕。

 ……ざわり、と。

 箍の外れた狼の殺気が、二人の罪人に届き彼らを即座に飛び退らせた。


「こっちに来な《ユング》。俺はそいつらをブチのめしたいんだが、お前がいると邪魔なんだ」


 不審気に見守っていた二人組みは闖入者の纏う制服を認め顔を顰めたが、一方が唐突ににやりと笑う。


「聞くなよガキ、そいつは俺達からお前を横取りする気なのさ。見ろよあの面、アレが正義の味方って顔か?ここの兵士はみんな腐ってんだ、なんたって奴らの悪事を取り締まる奴なんていないんだからな!」

「黙れクソ野狼、いいから来いチビっ!」


 狼二人が退いたことで一人取り残されていた花は、新たに現れた狼に少しだけ近付いたものの、猜疑を促す言葉に苦しげに顔を歪め俯くと。

 どちらの狼にも等距離の間を縫って転がるように走り出す先は、ヒンメルの暗部、厄災の吹き溜まり。


「最後はイイ子だなぁお前も!!そら、もっと走らないと悪い狼に捕まっちまうぞ!?」


 けしかける狼の隣では、薄ら笑いを張り付けた片割れがもう身構える事さえやめて兵装の狼を見遣る。

 狼に比べ少な過ぎる花の出生率、満たされない狼達の渇望は手にする手段の正邪など問いはしない。

 多くは仔を為すには危うくなり、加えて容色の衰えから護り手たる狼に捨てられた花。

 そして、教会の厳重な保護の無い辺境からこうして商品として攫われてくる花。

 ……彼女らを集めた非合法な娼館は、莫大な利益を生む。

 今追わなければ誰かが確実にあの花を捕らえ、どことも知れぬ場所に引きずり込むのは火を見るより明らかなのだ。


「どうするんだ兵士さんよぉ、大事な花が逃げちまったぞ?まさか見捨てるわきゃねえよなぁ?」

「こう、するさ」


 ヒィィンッ、と耳鳴りのような音が一瞬に。

 何が起きたかわからぬまま仰向けに倒れた狼達の胸を、喉を、温かい血がとろとろと這ってゆく。

 その胸を一線に薙いだのは、鋭く深い眼に見えぬ刃だ。


 生まれを問わずに狼は皆、多かれ少なかれ《ルーフェン》と言う不可視の力――精神力・体力・生命力に根ざした精気エネルギーを操る。

 拳に岩をも砕く力を与えるのも、そうしておいて傷一つつかぬ強度を得るのもその技によるのだ。

 《牙》とも呼ばれる狼達の剣や身に纏う鎧、氣に馴染み行き渡らせた武具は鈍らず折れず曲がらずと、桁違いの性能となる。

 放てば風の性、広く人を薙ぎ倒し、縒り絞れば当たるを切り裂く凶悪至極の使い勝手だ。

 幼い頃より修練を積むのはより上を目指す狼ならではの性質であり、この実力主義の国の徹底した方針でもある。

 それでも、自在と呼べる次元で使いこなせるのはほんの一握り。

 《錬氣れんき》と呼ばれる氣の精錬は天与の資質に恵まれぬ者には酷く困難――で、あればこそ。


 ふてぶてしい狼の纏う余裕は、揺るがぬ実力在ってのものだった。

 抜く手も見せず現れた大振りの両手剣、気を飛ばした余波で僅か熱を持つそれをまた鮮やかに収め、狼は彼らに背を向け走り出した。


「後で教会の奴らが迎えに来る。じゃあな、頑張って生きてろよ」


 聖光教に属する者は、花に加えられた危害に対し残忍なまでの報復を代行する。

 背中越しの淡々とした捨て台詞は、どんな励ましより彼らを奮い立たせたかもしれないが。

 血泡に咽ぶ喉からは、感謝の言葉は紡がれなかった。









「止まれそこのチビっ、毛玉ぁっ!手間かけさせてんじゃねえぞ!!」

「……っひ…………っぁ!」


 止める者など誰も居なかった。

 鬼のような形相の狼を諭したり、怯えきった花への恫喝を制止したりする良識の徒など。

 そもそも厄介事には関わらないのがこの一帯の住人達の規律であり生活の知恵であった。


 縺れた足で花の転げ込んだのは悪臭に塗れたゴミの詰まる袋小路、窓程の小さな抜け道も、その向こうで息を潜める者と目を合わせた瞬間叩きつける勢いで閉じられた。

 身を返す間もなく捻じ込むように押し入ってくる狼の巨体を、小さな花が絶望の眼差しで見詰める。

 怯えしゃがみ込む姿を目止め、花の確保も確実になった今にしてやっと、狼は自らのやり方がちょっぴりマズかったことに気付く。


「あ~……ナンもしねえからこっち来いよ。どこへ連れてかれるにしてもココよりはましだろうが」


 どこまでも不器用、言葉選びすら下手な狼であった。


「もう、ほっとけよぉっ……ボクは帰りたいだけなんだ!!」


 口を開いた花の声は、叫び疲れたように嗄れていた。


「何処にだよ?帰る場所は判るのか?蕾が一人で辿り着けんのかよ?今はとにかく風呂入って飯食って寝ちまえ、後のことはそれからだ」

「王都まで来た花がのこのこ帰れるもんか!どうせあんたボクを教会に連れてくんだろ!?」


「花ってだけでタダ飯食わす結構な場所だ、そう嫌うこたねえよ。帰りたいなら帰ればいい、緋紋になって、狼たらして、どこにでも連れて行かしゃいいんだ」

「狼のあんたに何がわかるっ!?ボクは今帰りたいんだ!勝手なことばかり言うなっ!!」


「お前が攫われたのは俺の所為か?状況見ろよチビ、勝手言ってんのは誰だ?俺昨日寝てねえの、眠てえの。これ以上ぐだぐだ言うなら抱えてくまでだぜ、どうするよ?」


 答えなど知れているとばかりにすかさず間を詰め屈み込む狼の、頭上に空隙。

 力なくへたり込んでいた花が俊敏に地を蹴り、狼の肩を足場にその背後へと躍る。

 花としては瞠目に値する身ごなしだったが、意表を突かれた程度で逃亡を許すほど狼の力量は甘いものでなく。


 着地と同時に花の後ろ襟が無造作に掴まれ、引かれた。

 倒れる所を巧く掬われ、花が膝の裏と背にごつごつとした感触を覚えた時にはもう、狼は袋小路を抜け歩き出していた。

 横たわるような姿勢とその高さに怯えたか、花はしゃにむに自らの上半身を支える手を引き剥がすように握り。

 骨張り筋の浮いた、剣を握る為か皮膚が所々タコのように厚い大きな手の、その親指に――噛み付いた。


 ぎりぎりと、小さな顎が軋むさまを無言で見下ろす狼。

 歩みさえ止まらぬことへの不審と不安をあらわに目を上げる花に、にいっと発達した犬歯を剥く。

 びくりと身を竦めた花は、恐らくそれがこの狼の笑顔であることに気付かなかっただろう。


「その気の強さ、嫌いじゃねぇ。お前が狼なら《武》に推してやっても良かったな」


 悔しげに一層食い込む歯など気にも止めぬ風情、狼は変わらぬ歩調で歩く。

 振り払いもせず、咎めもせず、止めるきっかけを失った花の反応を、例の損な笑顔で窺いながら。

 恐らく本気の時でさえ甘噛み程度だった顎からゆるゆると力が失せ、焦燥にぎらついていた目の焦点がぼやていくさまを。

 薄く残った歯型を見詰め、恐る恐るとろりと舌を這わせる姿、鮮やかに滲んでいく翠の双眸を。


「~~っボクだって狼に生まれたかった……っ!!」


 ほろりと雫が零れる前に、狼は着崩したコートの中に花を埋めてやる。

 薄汚れた花からは鋭敏な鼻にはきつい青く饐えた臭いがした筈だが、何も言わず膨らんだ胸元をぽんぽんと叩いて。

 押し殺された嗚咽が小さな寝息に変わって暫らく、手近に在った教会で花を保護した経緯を説明しながら。

 ついでに“チビ”との面会の予約も取り付けようと決めている己の気紛れに、狼はまたちらりと牙を見せた。

 途端少々すすけた風情、ひょろりとした受付の狼がびくっと目を上げて。


「ちょいと旦那、事務手続きってのは時間が掛かるもんっすよ?そう凄まんで下さい」

「凄んでねえっ!!」

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