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花と狼 外伝  作者: rotoio
「狼の射止め方」(作:riki)
14/15

後編

『おいでアマリネ。まったく君は、力加減を知らないのかい?』

「……大陸語はわからないわ」


 少しきつめに握られた手首は止血のためだろう。懐剣を取り上げたレジスの咎める目つきに、一体誰がぐずぐずしてた所為なの?と睨み返す。

 腰に回った腕がアマリネを抱き寄せた。足の間に引きこまれ、密着した肌にどぎまぎしていると、「僕は才能がないからね、気のきいた誓約の言葉が思い浮かばない」と狼がこぼす。

 元来特別な言葉を必要としない花狼の誓約に定型詞を用いるのは、国や教会で教育を受けているハールス人だけだ。ルルカやトリスタンは決まった誓詞がなく、ラウハイに至っては舞だという。噂によると、ルルカ狼の花請いはそれぞれ攻略対象の花に合わせた気障な口説き文句らしい。


「あら、ルルカ狼なのに?」

「ハールスの花(君たち)の認識は偏っていると思うんだけど……。――アマリネ、僕の芳しい《希花》」


 苦笑いしたレジスが表情を改めた。

 頬を包まれ、まだ湿っていた目尻を無骨な指が拭う。そのまま滑るように髪に分け入った指先が後頭部に回り、鼻先が触れ合う位置にまで引き寄せられた。


「ルルカを出てから色々なことに投げやりになっていた。鍛冶じゃなく彫金を選んだのも、挑戦より逃避だった。異国で花を得るなんて想像もしていなかった。君に出逢ってからの日々が僕の人生で一番価値のあるものだよ。……君の声も視線も関心も独占したい。他人と分け合うなんて花護でも御免だ。双属で自分を偽るのはもう限界だったんだ。君と誓約を交わしたい。その胸に咲く花紋はなが欲しい。僕を《花狼リカード》にしてくれないか」


 夢にまで見た、《花請い(フラーゲン)》。

 本当は、口説き文句なんていらない。花狼になりたいと言ってくれたことだけで充分なのだ。アマリネはとっくにレジスを愛しているのだから。

 こくりと肯き、頼りなく震える声で返事をした。


「も、もちろんよ……。ありがとう……レジスがあたしを望んでくれるだけで、嬉しいの」


 緑色の瞳が柔らかに細められ、「愛している」と囁いたレジスの唇が額に触れる。頬、唇の端、とんで鼻の頭。もう、と拗ねた唇をしっとりと塞がれた。

 唇へは初めてだ。レジスの唇は温かく、思っていたよりやわらかだった。触れていた時間は短かったが、アマリネにはとても長く感じた。


「……君を丸ごと僕のものにしていいかい? そのかわり、僕は一生君のものだ」

「……あたしの花狼になって、レジス。あたしの全てをあなたにあげる」


 交わした笑みを生涯忘れることはないだろう。


『ネサンス・モンターニュのに坐すリュミエール、御名と我が“牙”にかけて。アマリネ・ハールスラントに永久の忠誠を捧げ、護り、愛することを誓う』


 異郷であることを慮ってか、滅多と口にしないルルカの神の名。朗々と紡がれた大陸語は理解できなかったけれど、それがレジスの誓いだとわかった。

 「君の国の言葉でいいよ」と促す声に、大きく息を吸う。この日のために教会で学び、この瞬間のためにベッドで暗唱した誓詞。


「……御高覧あれ、我が爪牙。花の末裔たるこの身護りしは、猛き、剛き、誇らかなる獣。天分かつ陽と月の下、我が血、我が身、我が心と花紋、捧げて応えん、汝の忠誠」


 じわりと全身が熱くなる。見えない火が身体の中で燃えていて、そこに風を送られているようだ。気分の高揚は花紋を中心に手足の末端まで巡り、充足感にほうっと息を吐いた。最後の文句は囁きに近くなった。


「――我、汝が主たるを、此処に誓言す」


 双方の合意さえあれば誓約の手順はどの国も変わらない。

 花が自らの意思で流した血を狼が口にし、花紋に口づけることで成立する。

 今回はアマリネ自身がつけた左手の傷がある。すでに出血は止まっていたが、腕を伝った血の跡はまだ生々しく濡れていた。


「ずいぶん零れてしまったね、勿体ない……」


 囁いたレジスの舌が、左腕を這った。

 肘から手首へと赤い筋を丹念に舐め上げ、ぴちゃぴちゃと掌で水音を立てる。

 アマリネは刺激に眉をしかめた。

 もう血は口にしている。あとは花紋に口づけるだけでいい。

 なのに陶然とした表情の狼は無言で舐め続ける。流れた血の跡はすっかりなくなった。

 もはや誓約に必要な血を口にしているだけとは思えない執拗さにぐっと拳を握って阻害すると、レジスはやっと顔を上げた。


「……レジス? 誓約を交わすんじゃなかったの?」

「……誓約、ああ……そうだね」


 暗闇の中で青白く光る目。なぜかぞくりとした。


「アマリネ、ここは場所が悪いと思わないかい?」

「……それは、床の上はちょっと……と思うけど」


 あと一動作で誓約は成り、そうしたらこの身体を内側から炙る熱は昇華されるはず。

 正直場所なんてどこでもいいから早く口づけて欲しかった。無言の催促をもってちらっと夜着の襟刳りを引き下ろすと、狼の目が一層ギラギラと輝いた。


「じゃあベッドに移ろうか」

「え? きゃっ……!」


 突然身体が宙に浮き、アマリネは咄嗟に目の前のものにしがみ付いた。『役得だね』と呟く意味はわからないけれど、レジスが上機嫌らしいのはわかる。

 降ろされたのはベッドの上だった。捲れあがった裾を直そうとしたら、トン、と押されて仰向けに転がった。起き上がろうとしても肩を押さえつける腕が邪魔で動けない。


「何、するの?」

「何って、誓約だよ? あとは君に口づけるだけだ」


 ぐっと圧し掛かってきたレジスがアマリネの唇を奪った。

 身動きを封じるように巧みに体重をかけられる。重くはないが、密着した身体からレジスの熱が伝わってきて落ち着かない。

 重ねたままで、唇を端から端まで舐められる。じりじりと、蟻の歩みよりなお鈍く這う舌に息が苦しくなってきた。このままでは窒息してしまう。一向に離す様子がないレジスに抗議しようとしたら、開けた唇の隙間から舌が入ってきた。驚愕に閉じ損ねた口腔を無遠慮な熱が探り回る。


「んーっ!?」


(……ななな、なにこれっ……! キスってこんなだったの!?)


 額は初級、頬で中級、唇で上級。さらにその上があると知識では知っていたが、晴れて本日上級者になったアマリネには、知識と体験のずれに思考がついていかない。


「ぅン! ……アっ、ん……ふぁ……」


 歯列をなぞり、絡められ、吸われ、唇を甘噛みされた。レジスの舌に翻弄され、飲み込めない唾液はむしろ積極的に啜りとられた。頭がぼんやりとし、勝手に瞳が潤む。閉じた瞼の裏の闇にチカチカ星が瞬き、心細さにぎゅっとレジスの服を掴んでいた。仄かに鉄錆の味がする深いキスが終わった時には、散々貪られた唇が熱く、息が乱れていた。

 少しも留まることのない唇が零れた唾液を追って頤に、そして首筋へ。脈打つ血の道をゆるゆると下降し、鎖骨に軽く喰いつかれてアマリネの肩が跳ねる。

 小刻みの呼気は忍び笑いだ。羞恥によじった身体は何なく狼にいなされた。


「ひゃっ……違う、違うってば、そこ、はっ……やぁ!」


 布越しだからいい? とんでもない!

 肌色を透かす夜着の薄さでは吐息の温度も伝わるのだ、双丘に押し当てられる唇の熱と感触を遮ってはくれない。嬲るように周囲を啄ばんだ狼は、中心でつんと尖る頂きにふうっと息を吹きかけた。


「……違うって? ……ここはどこ?」

「バカバカっ、変態ぃぃっっ! 意地悪しないで、誓約してよぉっ……!」


 早く、彼のものになりたいのに。

 早く、彼女のものになってほしいのに。


 ぽろりと溢れた涙を、「ごめんっ度が過ぎたね」と慌てた狼が拭う。

 アマリネはその手を掴まえ、がぶっと噛みついた。

 がじがじと指を齧り、上目遣いに復讐の効果を窺うと――レジスは微妙な表情をしていた。


「君の怒りは充分わかったんだけど、ね。……涙目でソレ、かえってそそられるんだけど……」


 慌てて指を離し、困ったように笑う狼の胸を拳で叩く。


「もうっ、真面目にしてよ……!」

『いや、掛け値なく本気だよ』

「言い訳ならハールス語でしてっ」

「……ちょっと我を忘れて暴走してしまいました。すみません」


 殊勝に謝る態度に反省の色が見え、渋々ながらも許さざるを得ない。新たに意地悪な一面を知ってしまった狼だが、惚れた弱みはアマリネにある。

 拳を解いて、夜着の襟に手をかけた。着崩れた前合わせは簡単に開いた。


「あたしの花紋はなをもらって、レジス」


 深紅に咲く、一花片。

 下位でも花紋に誇りはある。

 ひとつしかない花びらを捧げたい、ただ一人の《狼》。

 目を奪われたように凝視していたレジスが、固く襟を握っていたアマリネの手を取った。緊張で冷たくなっていた指先にキスをされる。

 緑色の瞳が真摯に彼女を見つめていた。


「――ありがとう。君は必ず僕が護る。絶対に花を散らしたりしないと約束するよ」


 燻っていた火種は容易に熾った。

 レジスの唇が花紋に触れると、ぽっと火を点すようにして胸が熱くなった。空っぽの身体に温かな息吹を吹き込まれたようだ。頭の天辺から爪先まで満ち足りた気分で、自然と顔が綻ぶ。


「……レジス」


 花紋につけた唇が動いた。横にそれ、胸の盛り上がりをそろそろと辿る。


「レジス……?」


 ちゅくっと音が立ち、小さな痛みが走った。

 顔を見せて欲しいのに、どこまで意地悪な狼なんだろう。


「レジス!」


 肌に吸いつく狼の頭をがしりと掴み、ぐいっと引き剥がす。レジスは低く呻くと、いかにも不承不承という体で顔を上げた。


「何だい? 僕の《主花アウリーシェ》」


 鏡など見えない暗闇で、緑の瞳は自信に力強く光っていた。

 目を凝らすと色合いは沈んでいても、眦に刻まれたのは《花狼》を表す朱色の――。


「花刻があるわ……」

「意外そうだね?」

「本当にあたしのことが、好きなのね」

「……疑われるのは自業自得だけど、信じて欲しいから何度でも言うよ。君が好きだ。愛しているよ、アマリネ」


 みるみる視界が潤み、レジスの慌てた顔がぼやけた。

 誓約の成立はお互いに同じ想いを抱いていることの証明だ。

 初めはアマリネが好きになった。笑顔が素敵で、多少変わった性格ではあったけれど、人となりを知れば知るほど欠点さえも愛すべき個性になった。

 何よりもこの一年半、アマリネをとても大切にしてくれた。


 泣きやまないアマリネの頭を撫で、「擦ると腫れるから」と嘯く狼の唇が涙を拭った。

 ようやく息が整った頃には大泣きをした自分が恥ずかしく、火照った頬を持て余していた。急に泣きだしてしまい、レジスの反応が気になる。怒ってはいないようだけれど。


「ごめんねレジス。う、嬉しくて泣いちゃったの……」

「気にしないで。狼として光栄だよ。――それにしても、君は甘いね、血も唾液も涙も汗も。……やっぱり額でやめておいてよかったなぁ。一度蜜の味を知ってますますそう思うよ。解禁の今でも、何だか手加減できそうにないし……」


 憂う口ぶりでいながら、そこはかとなく滲み出る雰囲気が物騒だ。

 ごくりと息を飲んで尋ねる。


「…………レジスは、あたしにひどいことなんて、しないでしょう……?」

「うん。だけどいやらしいことはしたい。君はどこもかしこも美味しそうだ」


 舌なめずりをする狼が、花よりも婀娜っぽい流し眼をくれた。

 アマリネの誘惑とは段違いの威力だ。攻勢に出た狼のこれが本性だとしたら、教会が警鐘を鳴らすのも頷ける。教会で箱入りに育った花が太刀打ちできるものではない。

 でも、レジスが本気で求めてくれることは嬉しい。


「……狼を射止めるものって、やっぱり香りだったのね」


 レジスが変わったのは誓約を交わすと決めてからだ。発破をかけたのはアマリネだけれど、決定打を作ったのはやはり懐剣だと思う。流れた血が惹きつけたのだ。


「射止めるって、何の話だい?」

「《花狼》を得るための秘訣よ。第一に香りだって花の間でいわれてるの」

「ううん……香り、なのかな?」

「じゃあ罠かしら? レジスも抗えなかったのは、血の香りでしょう?」

「ふふっ、そう言えば君は策士だったね。でも違う。香りだけならもっと強い花もいるだろう?」

「……《一花片ルマ》じゃご不満?」

「おっと、誤解しないで。花は感情が高ぶると香りが変わるのは知ってるよね?」


 教会で聞いた気はするけれど、普段の自分の匂いさえわからないのに、強弱の差がわかるはずもない。


「君は花の中でも特別感情に左右されやすい性質みたいだね。一緒に暮らし始めてから少しずつ香りが変わってきたんだ。君は香草のような香りだけど、時々すごく甘みが強くなる。単純に甘いんじゃなくて、後に残るピリッとした香味が癖になるんだ。この一年半クラクラし通しだったよ」


 ――「思ったことがすぐに表れる」と花護に指摘されたのは、“顔”にだと思っていた。鏡の前で表情筋を鍛えていたら笑われたことも、自分の百面相ゆえと信じていたのに!


「あっあたしがあなたを好きなことっ、いつから知ってたの!?」

「君が怒るから言わない」

「~~ずるい! ずるいわ《狼》って!! レジスだけわかるなんて不公平じゃないの!」


 筒抜けだったのだ! それもおそらく最初から。

 レジスの本当の気持ちがわからずにやきもきしていた時、のほほんとしていたのはアマリネの気持ちに胡坐をかいていたからに違いない。なんて悪辣な狼だろう。

 涼しい顔のレジスをキッと睨みつける。


「ひどいじゃないっ、黙ってるだなんて!」

「僕も我慢していたんだよ。四六時中好い匂いの花と一緒に暮らしていて、その気にならない狼はいないだろう? まさか鼻をつまむわけにもいかないし」

「知らないっ。あなたなんてずっと我慢してればいいんだわっ!」

「主花のお望みのままに……と言いたいところだけれど、こればかりはとても我慢できそうにないね。今の君の香りも、とびきり甘い」


 アマリネは反論できず、唇を噛んだ。

 匂い消しのお茶も狼返しの軟膏も、レジスを誘惑するために戸棚に放り込んだままだ。誤魔化しようのない香りで愛していると叫んでいるようなもの。

 花狼になった狼は、主花に対して嗅覚の鋭敏さを増す。

 誓約により《氣》の力が上がるのは主花を守るため、鼻が利くようになるのは主花の異変をより早く察知するため、といわれている。

 嬉しそうに笑う朱の花刻が入った目許を見て、悔しまぎれに尋ねた。


「……それで、結局狼を射止めるものは何なの?」

「それぞれの好み、という他ないなぁ。花統には体が反応するけれど、僕の心臓を射貫いたのは君という存在だよ。君の笑顔、君の声、君の視線、君の香り、君の心、健気な誘惑も、全てが僕を惹きつけてやまないんだ。君と出逢ってから作る作品は、いつも君に合わせることを前提に作っていた。どこからの、誰の注文であってもね。僕にとって《花》というものはどんな想像も君に帰結してしまうらしい。そうでなければ創造のひらめきも生まれないんだ。職人としても狼としても、僕には君が必要だ。愛しているよ、僕の可愛いアマリネ」


 仕返しにしばらく焦らすつもりだったのに、「だからおあずけなんて酷なことは言わないよね?」と迫るレジスにうっかり頷いてしまった。

 ……何だかんだ言っても、掻き口説く手腕は間違いなくルルカ出身だ。

 狙い通りに射止めた《狼》は、花の手折り方を心得ていたらしい。




 アマリネの花言葉/魅惑的

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