前編
花結び(お見合い)で一目惚れしたアマリネ。双属になれたはいいものの、相手は変人ルルカ《狼》だった。一緒に暮らして一年半、未だに手を出してこないってどういうこと?
赤と緑と紫の硝子の奥、何色かわからない瞳をじっと見ていたら、ふいにその狼が微笑んだ。
悪戯が成功した仔狼のような、茶目っ気のある笑顔に見蕩れる。
――この《狼》だと思った。
+++++++++++++++
教会主宰のお見合い――|《花結び(バンケット)》は、毎月開催される。
ハールベリスではほとんどの花が教会に属し、街中で野良の花がフラフラしているということはまずあり得ない。
しかしそれは見方を変えると、教会が花を囲いこんでいるともいえる。狼側の不満解消と、花に出逢いを提供するため、教会は花結びという場を設けていた。
教会に保護され寝食と教育を受けている以上、花の出席は義務だ。決まった相手がいないアマリネも断ることはできなかった。
花の一生は狼によって決まる。
狼にとって花結びは己の《主花》を見つけるために本気で挑むものかも知れないが、花にとっても自分の《花狼》を得るために必死になる宴だった。
強い狼ほど容姿に優れ豊かな財を誇る。だが実力主義の狼社会において、誓約が破棄された時の失明は命取りだ。当然強い狼ほど地位の失墜と隣り合わせの誓約を厭う。
それに誓約を交わさなくても花を手に入れる方法はあった。教会に認められるほどの地位と財力があれば、《花守り》として花の身柄を引き受けることも可能だ。《双属》関係を結んでもいい。
教会は最大の売り手市場であり、それらの関係に難色を示すものの、最終的な選択権は花が持つ。花自身が望めば否やとは言えないのだ。
合意のもとに行動を共にする双属関係は気軽だが脆く、お互いに捨てるか捨てられるか、別れの可能性は常に付きまとい続ける。
永続を求めるなら誓約を。花はいかにして強い狼を自らの花狼にできるか、それが人生の命題といっても良かった。
来年十八を迎えるアマリネも、「はやく花狼を持て」と教会からせっつかれていた。
最も少ない系統の《希花》とはいえ、絶対的に狼の数が勝る。花として香りが弱い《一花片》のアマリネにも出席するたびに花請いがあった。けれどピンとくる狼がいなかったのだ。
――あの夜までは。
花結びは夜に行われる。
下位の花結びに集う狼は多い。一花片でも得られれば上々、世の中には生涯《主花》を持てない狼の方が多いのだ。
花は総じて夜目が利かない。灯された炎程度では、鼻息も荒く群れた狼の造作は十把一絡げ。それでも顔と身形がいい相手を物色しようと目をこらす仲間にまじり、アマリネはぼんやり周囲を眺めていた。
ひしめく狼の中で彼が眼を引いたのは、おかしな色硝子の眼鏡をかけていたからだ。
ピカピカ光る金縁が近づいて来た。
ここまで傍に寄られればさすがに見える。
金縁に嵌っているのは、赤と緑と紫の三色硝子だった。一期一会と意気込む狼がしゃれた格好で挑む中、完全に狙いを外しているとしか思えなかった。
髪色は明るいようだし、ハールス人だろうか? 一体瞳の色は何色なんだろう、とじっと見ていると、アマリネの視線に気づいたらしい狼がふいに微笑んだ。
……あの瞬間の胸の高鳴りは、心臓疾患を疑ったくらいだ。
いつもは憂鬱な花結びも夢うつつの内に終わっていた。我に返って自分の花護に頼み彼を調べてもらうと、奇抜な格好のためか身元はすぐにわかった。
レジス・ル・カリエ。
ルルカの狼だという。
彼は面会を申し込んでくれるだろうか?
また逢いたいと望んでくれるだろうか?
それに、一花片のアマリネを気に入ってくれるかわからない。あの場には下位の希花が他にもいたのだ。一花片より二花片に、二花片より三花片に惹かれるのは狼の性だから。
じりじりと待った数日が、これまでで一番長く感じた日々だった。
「落ち着きなさいよ」と同室の花にたしなめられても効果はなく、念願の申し込みがあったと聞いた時は舞い上がって夜も眠れなかった。
面会を重ねること十回。
正直緊張で何を喋ったかさっぱりだ。笑顔が素敵だとか、陽の元で見る瞳は緑だったこととか、眼鏡の種類が無駄に豊富なこととか、服装がちょっと変わっているといった印象だけを覚えていた。
相手の感触も悪くはなく、そろそろかと胸をときめかせていた。
……レジスが望んだのは《花狼》ではなく、《双属》と知ってショックは隠せなかった。
双属の繋がりは脆い。共に暮らしたいというだけの意思表示、そう受け止められたけれど、それでもよかった。隣にいたらいつか彼が望んでくれるかもしれないという希望があった。
ルルカ狼だと渋る教会に「あたしが行きたいんだからいいでしょう?」とごり押しし、気に入らないと唸る花護には「泣かされたらあなたに言うわ」と約束して、申し出を受けた。
+++++++++++++++
人は見かけによらないもの。
ルルカ共和国は大陸で最も歴史が長く、文化の発展を極める国だ。色眼鏡を差し引いても、レジスは涼しげな容貌と優しい笑みが印象的な、洗練されたルルカ狼に見えた。
それが、それが……。
「なんて美しいんだろうっアマリネ!!」
眼鏡の奥にキラッキラ輝く瞳。釘づけの視線は開いた胸元に集中している。
一花片の花紋が熱して焦げつきそうな熱い視線は、残念ながら寄せて囲って上げた、会心の盛り上がりを見せる胸に注がれているのではない。
“目”のつけどころが間違っているのだ。
はぁ、と虚しい溜息に首元でしゃらんと鳴る金鎖。細くよじった上に青で流線を象嵌した鎖の素晴らしさは、なるほど音に聞こえる《工》の国、他の追随を許さない彫金技術だと感嘆するが。
(……双属の花を掴まえて、褒めるのが首飾りだけってどういうこと?)
レジスは宝飾品をこよなく愛する彫金バカだが、それはいい。
とくに自分の手がけた作品は我が子のように可愛がる親バカだが、それもいい。
問題はアマリネに、《花》としての興味を示さないことだ。
「これは黄昏の海を見て思いついたんだよ! 金色にうねる波のカーブにちらちら見える青が艶かしくて、ああこれを鎖で表現できたらっ!と試行錯誤していたんだ。ヒンメルはいいね、海がよく見える。ルルカに海はないから創作意欲が湧き上がってくるよ!」
「……最近工房にこもりきりだったのはそういうわけね」
アマリネの憤懣も沸き上がってグツグツ煮え立っている。
二人が暮らすペレル教区は、王都ヒンメルの港町だ。潮の香りに胸を膨らませ、入り江に落日の影を見るのがアマリネの日常で、新鮮な驚きをもって語るものではない。しかし山岳地帯出身の狼には創造のひらめきを与えたらしい。
好かれては、いるのだ。
八割が仕事の内容でも会話はあるし、言動の端々から好意を持ってくれているのは伝わる。
奇人の見本市と名高いルルカ出身で、こだわりが強いという《工》の狼で、おまけに花統が《希花》という三重苦から、多分少しは変わり者だろうと予測していた。
ドンピシャに当たった予測は全く嬉しくない、レジスは想像以上の変人だった。
一緒に暮らして一年半。普通はあんなコトやこんなコトがあって当然、なければ不思議だというのに、二人は誰に突っ込まれても疚しさのカケラもない、清らかすぎる関係だった。
己の花統とみれば誰彼構わず襲いかかる、教会の教え(脅し)は嘘だったのだろうか。
「思った通り、君の白い肌には金色がよく似合う。淡い金も捨てがたいけれど、今回の落日の赤が混じった濃いものもいいね。ハールス人は本当に金と青が好きだから、この鎖も受けると思うんだ……」
持ち上げて出来栄えを見分する指先が、肌に触れている。仕上がりを確かめるようにレジスが指をひねると、垂れ下がって胸にかかった鎖が回転する。ころ、ころり、と冷たい金属が肌を転がり、小さく身体が震えた。まるで鎖を使って愛撫されているようだ。
「とっ、とても綺麗だから、気に入る花は多いと思うわっ」
ぴたりと指の動きが止まる。
「……そう、ならよかった。君の評価は信頼できるからね。ずっと独りで作業していると段々客観的に見られなくなってくるんだ。花が身につけるとどういう風に映えるのか、こればかりは実際君に着けてもらった方がわかりやすい」
すっと引かれた狼の手を掴まえて、アマリネは深呼吸した。
一歩前に出て、色硝子の眼鏡を奪う。
「……もっと近づいて見ればよくわかるんじゃない?」
そのまま金髪の頭を引き寄せてむにっと胸に押しつけた。
元々胸は人並みにある。大きい方がレジスの好みなのかと頑張ってみただけだ。胸の谷間に鎖がこぼれ、花紋に頬を寄せる形になった狼の吐息が熱い。挑戦的な表情で取り繕っていても、大胆な振る舞いに心臓が飛び出しそうにドキドキしている。
見下ろした狼はぱちりと瞬きし、「強く押し当てると痛いだろう?」とへらへら笑って彼女の腕をほどいた。抵抗しても敵わないから逆らうのは無駄だ。ムッと唇を尖らせて睨みつける。
「……痛いってレジスの頬が? それともあたしの肌が?」
「もちろん君の肌が。いや僕の鎖も、かな?」
(……この金属が痛がっているとでも? 半分でいい。大負けに負けて五分の一でいいわ、自分の作品にかける愛情と興味をあたしにも向けなさいっていうのよっ!!)
無言で鎖を外し、眼鏡と一緒にレジスへ返した。
毎度毎度出来上がった作品はまずアマリネに渡される。指輪、首飾り、腕輪、耳環。花の装飾品を主に請け負うレジスは、「出来を確認するには、花に身に着けてもらうことが一番だ!」と言うけれど、本当はそれ“だけ”が目的で双属にしたんじゃないかと疑ってしまう。
はじめて逢った時に笑ったのは、アマリネが自分の作品に目を止めたことを喜んだからで、面会の時に交わした会話の記憶がないのは、彫金うんちくが耳を素通りしたからに違いない。
それで幻滅したかと問われれば、熱は上がるばかりで。
相変わらずのおかしな眼鏡も、大陸訛りのハールス語も、夢中になったら寝食を忘れる気質も気に入っているのだから、恋は盲目、あばたもえくぼとはよくいったものだ。
「旦那様、食事の用意が出来ていますから、どうぞ召しあがってくださいな?」
猫なで声でウフフと微笑む。
レジスの顔が引きつったのを見届け、部屋を後にした。
(――首を洗って待つといいわ、この朴念仁の彫金バカの変人狼め! か弱い花にも意地があるってことを思い知らせてあげるからっ!)
レジスは希少金属を産出するラウハイと貿易を行う唯一の国、ハールスを目指してやってきたそうだ。《工》の狼なら誰でも珍しい素材を扱いたいと思うものらしいけれど、アマリネにはよくわからない感覚だ。
ルルカの大使館でハールス語を学んだ後、今はギルドを通じてペレル聖堂教会御用達の工房で働いている。「下請けだけどね」と謙遜するが、他国の狼が自分の工房を持てるのは才を買われてのことだろう。
ハールベリスにも本国から希少金属が流れてくる。ここで数年過ごし、いずれはハールスに渡り、あわよくば直接ラウハイに出向き工房を開くのが夢だと笑っていた。「そのためにはお金を貯めないとね。お金があればいいというものではないけれど、不便を強いると君の元花護に殺されてしまう」と苦笑していた。
別にお金は要らない。今でも充分食べていけるし、少しずつ蓄えも増えている。レジスが行きたいなら本国だろうが東の果ての島だろうが、どこへでもついて行く。
ほしいのは別のものだ。
見えない、掴めない、数えることもできないもの。だから不安になってわからなくなる。
一目見て好きになった。「一目惚れなの? あの眼鏡《狼》に? ……変わった趣味をしてるわね」、と同室の花にさんざんからかわれた。膨れる半面、恋敵がいないことにこっそり安堵して。
《工》の狼は徹底した縦社会だ。通常双属になっても身の回りの世話をする機会は少ないが、個人の工房を持ちながらも見習いを置かないレジスの世話は、アマリネが行っていた。
一緒に暮らすうちに育てていった想い。
料理の腕は平凡だって自覚があるのに、「おいしい! 君の料理は僕が今まで食べた芋料理の中で最高においしいよっ!」と毎回褒めてくれる。
血だらけになる指にもかかわらず、ちっとも上達しなかった裁縫の腕。レジスが作った方がよほど上手いだろう歪なシャツは、生地がくたびれるまで着てくれた。
楽しそうに話してくれるから、理解できないたがねの良し悪し講義も面白く聞こえる。
そして寝る前の挨拶。
大抵工房にこもっている狼は、アマリネの姿を見ると綺麗に手を洗った。前髪を分けてくれる仕草は丁寧で、額に触れる唇に毎回ドキドキしている。
でも……おやすみのキスじゃ物足りなくなってしまった。
(まだ近づけるでしょう? 隣に座るより、手を繋ぐより、もっとレジスに寄り添えるでしょう? ねえ、一日一日積み重ねられる喜びに、あなたのことを大好きになるのはあたしだけなの……?)
一か月は、早すぎると思えた。
半年は、いつその瞬間がくるかとベッドの中でソワソワしていた。
一年経ち、魅力がないんだと落ち込んで女を磨いた。
とうとう一年半。もう待つことはやめた。
彼が来ないならこちらから攻めようと、ことあるごとに傍に寄って、くっついて、触れたのに――手を出されない。むしろこちらを避けているような節すらある。
「……いい加減、ケリをつけるべきよね?」
自分のために、レジスのために。
不毛な関係なら、双属は解消した方がいい。少ないとはいえ希花は他にも居る。レジスはルルカ人だからか位階は《職人》だけれど、実力でいえば《技師》と呼ばれてもいい腕前だ。遠からずさらに《工》の位を昇りつめるだろう。一花片で手を打たずとも高位の花を選べる立場になる。
花紋を指でなぞる。
生まれ持った香りの強さは変えられないし、年齢とともに香りも容色も衰える。
もうすぐ十九になる。花の盛りと讃えられる今、求められないなら……今後もレジスに求められる可能性は低いだろう。
服を脱ぎ捨て、ごく薄手の夜着に袖を通す。自分で見下ろしても冒険しすぎたかと躊躇うぐらいに白い生地の下、肌色が透けていた。入念に洗い上げた身体。化粧水をはたきこんだ肌はしっとりと潤っていて、最後に確認したモノも太腿にあった。
緊張に震える指でそっとレジスの寝室の扉を開ける。
耳の良い狼に気づかれないように忍び足で部屋に入り、ベッドに向かった。
花狼を得た先輩の花によると、「狼の心を射止めるには、一に香り、次いで容姿、最後は気立てがものをいう」らしい。容姿には自信がないが、作戦はちゃんと考えてある。
――今夜が決戦の時だ。




