野分①
「久しぶりだな、『厄災の娘』よ」
見下ろしてくる傲岸不遜な眼差しは、鋭く深い青色の瞳。
ゆったりと纏ったローブは真っ白で、おそらくシミ一つついていないだろう。
何度もリプレイしてしまう過去の情景の中で、目の前の男は無表情に、何のためらいも無いような表情で、剣を振り下ろした。
師匠の、首筋に。
夥しい紅の血は、あの日、今日と同じように白いローブに降りかかり、私の世界も真っ赤に染めた。
あの日から、目の前の男は、何一つ変わっていない。
まず最初に感じた思いは、「怒り」だった。
恐怖ではなく。
あの日と同じように、私を見下ろしてくる「北の皇国」の皇帝・・・オレスティン3世は、睨む私の瞳をじっと、見つめていて。
その表情には、少し驚きの色が見て取れる。
師匠が殺された、あの日。
私はただ、怖くて、逃げることしか考えられなかった。
師匠は、北の大陸を放浪していれば、いずれは殺される運命にあると、ある時ぽつりと、そう言った。
ここでは、私たち魔女は禁忌の存在であると。
「厄災の娘」と恐れられ、常人には恐れられ、忌避される存在の魔女が、生きることが難しい土地であると。
そう言いつつも、師匠は北の大陸を放浪するのをやめなかった。
南には、魔女が存在することが許される場所など、いくらもあると聞くのに。
師匠は、頑なに、北の大陸を出ることをしなかった。
目の前にいるこの男を、愛していたから?
そんなこと、ユーリには受け入れられなかった。
オレスティン3世は、あの日、殺し損ねた「厄災の娘」を目の前にして、少し驚いていた。
あの時は、ただ怯え、震えていた娘が。
現実より逃避し、身のうちにある力を揮い、皇国の呪術師を残らず再起不能にし、転移して逃げた小娘が。
今は皇帝たる私の目を見据えて、怒りをあらわにしている。
気に入らない。
オレスティン3世は、ゆっくりとユーリに近づいていった。
アリアネンド王宮の、王の庭で。
ユーリは図らずも、北の皇国皇帝、オレスティン3世と望まぬ再会を果たした。
実は、足が動きません。
ユーリは近づいてくるオレスティン3世から離れようと、足を動かそうとしたが、膝が笑い、足はその場に根が生えたように動かず、若干自分の背中に冷や汗が流れているように感じた。
目の前にやってくる皇帝からは、「気に入らない」オーラがビシバシ漂っていて、強がって彼のことを睨んでいたユーリは、少しばかり後悔した。
ここはアリアネンドの王宮なのに。
エディアルドに迷惑がかからないとも限らないのに、北の皇国の皇帝に喧嘩を売るようなことをしてしまった自分の軽率さにいささか呆れ、ユーリは下唇をかんで俯いた。
自分のつま先を見ていたユーリの前に、誰かが立った。
正式な王の装束を見慣れていたユーリは、その靴を履いている人物が自分を庇うように立っているのを感じ、顔を上げ、その背中を見つめた。
いつも柔らかな声しか聞いたことの無いユーリの、聞き覚えの無い・・・ぞっとするような冷たい声で、アリアネンドの王、エディアルドは、オレスティン3世に言った。
「貴方がなぜ、ここに」
ゆっくりとユーリの背中に腕をまわしたエディアルドは、彼女を自分に引きつけ、隣に立たせた。
「ここは『王の庭』。私の家族以外は立ち入りできないようになっているのですが。
・・・もしや、迷われたとか」
エディアルドの丁寧な口調は、本当に慇懃無礼だな・・・などど失礼なことを考えつつも、ユーリは彼のおかげで足を動かすことが叶い、いつでも動ける体制を整えることができた。
対するオレスティン3世は、突如出現したアリアネンドの王に驚きつつも、それを表情には出さず、ゆっくりと、頭を下げた。
「そうですね・・・迷い込んでしまったようです。ご案内いただこうと思い、そちらの方に声をかけたのですが」
「そうですか。では他のものに案内させましょう。宰相」
エディアルドが声をかけると、傍に控えていた宰相のミルドレッドが丁寧に頭を下げ、皇帝を案内していった。
知らないうちに息を詰めていたらしい。
オレスティン3世が見えなくなって、ようやくユーリは思いっきり息を吐いた。
皇帝が見えなくなっても、エディアルドはユーリの腰を掴んだままだ。
彼女はするりと身をかわすと、彼の目の前に立って、ゆっくりとお辞儀をした。
「ありがとうございます、エディアルド・・・助かりました」
「いや。かまわない・・・だが、なぜこの場所にいるのか、そのことは説明を」
「あ・・・はい」
そうして、今朝面会を求めた人物のことを、エディアルドに説明した。