散る、花びら。
目の前に、小さな泉があった。
今日は満月だったのか。
・・・声を失ってなお、唇が動くのは何故だろう・・・
必要ないのに。
師匠を亡くしてから、奪われたのは声だけでなく、安穏な生活。
姿を隠して、各地を点々とする、日々。
・・・いつまで、続くの?
枯れた、と思った涙は、するすると頬を滑り落ちた。
「何故泣く」
目の前に、男の姿があった。
あまりのことに、体を動かすことが、できない。
男は大きな手で、つい、と彼女の頬の涙を拭った。
気配には聡くなったはずなのに、目の前の男の気配には気がつかなかった。
今更ながらに、目の前の男の存在に震えがきた。
自分の体を守るように、彼女は両腕をしっかりと握った。
震えは止まらない。
男は戦士のようだった。
がっしりとした体つき。彼女が見上げるほどの背丈を持ち、金糸のような髪が背の半ばまで伸ばされていて、緩やかにウェーブを描いている。
彫りが深く、眼光鋭い男、だった。
やたらと威圧感があって、以前一度だけ出会った男に似た雰囲気をもつ男。
嫌な予感しかしない。
深い青色の瞳、のようだった。
深くて、すいこまれそう。
そんな風にのんびり考えていたら、彼女の涙を拭った手はそのまま彼女の腰のところで留まり、気がつけばぐっと抱き寄せられていた。
声にならない叫び。
組んでいた手を離し、男の体を避けようとその胸に手を当てて押そうとしたが、男の体はビクともしない。むしろ離すまいとますます力を込められて、彼女は完全に男の胸に収まってしまった。
男の鼓動は早い。
・・・ドキドキしてる?
捕らわれているのは私なのに、相手の反応が気になるなんて、何か可笑しい。
でも、こうして他人に触れられるのは久しぶりで、懐かしい感じがして、自分がどれだけ孤独だったのか知らされる。
人のぬくもりは久しぶりで、縋りつきたかった。
だが、それは、彼を、自分の過酷な運命に引きずり込むこととなる。
師匠のように。
ひとしきり触れた男の胸から、顔を上げると、「離して」という気持ちを込めて、男を見つめた。
男はため息を吐くと、そっと、彼女の体を離した。
目の前に現れた彼女を、師匠は特に驚いた表情もせずに受け入れ、共に連れて行ってくれた。
聞けば、彼女のように突然この世界に現れる存在があるらしい。
旅をしている間に、彼女はあらゆる時代あらゆる世界から、この世界に「流されてきた」人たちと、会った。様々な話を聞くことが出来て、とても楽しかった。
師匠がいたから。
師匠は、この世界では珍しい「魔女」と呼ばれる人であった。
この世界の理を知り、「魔法」を操る、女性。旅をしている間は、師匠が彼女のことを気にかけてくれて、守ってくれていた。
目の前で、殺されるまでは。
目もくらむような怒りを感じた。
モノか何かのように、師匠の遺体を扱い、その存在をなき者にした。
師匠は何も悪くないのに。
「私」を守ったから?
この容姿に何の意味があるの?
身の内に宿る力を使って、人を傷つけたのは、その時が初めてだった。
花を散らすように、
私は、この世界で忌み者とされる「魔女」となり、ヒトの命の輝きを奪ったのだ・・・