散らせたい花。
エディアルドの心からの言葉に、ユーリの頭は真っ白になった。
いつも尊大で、自分の拒否を受け入れない自信過剰な男が、私と共にあることを望んでいる。
その言葉を受け入れた心が、直後に激しく揺れ動くのを感じた。
体は、動悸が激しく、このままでは心臓が壊れてしまいそうだ。
・・・だがどうやって答えたらいいか、ユーリには分からなかった。
エディアルドはユーリの様子をじっと見つめていたが、戸惑いの強く出ている表情を見て、視線を下ろすと小さくため息をついた。
自分の欲望を優先し、彼女の気持ちを後回しにしてきたつけを、ここにきてすべて払わざるを得ない状況にあることに、エディアルドは臍を噛んだ。
ユーリを妻に望み、その身も心も自分のものとするため、宮廷を捩じ伏せ、反対派を粛清し、彼女の存在を公私共に認めさせるため、彼はここ数日、力を注いできた。
国内外共にやっと落ち着いていたので、急を要する案件などない。だからこそ、エディアルドは自身の問題を先送りせず、今このときに、解決してしまいたかった。
『魔女』との婚姻を約束されて生まれた稀代の王は、前王・・・エディアルドにとっては叔父にあたる・・・の腐敗し混乱した政治を収拾するため、彼の姉たちと共に血の道を、文字通り歩んできた。
大切な血族を彼の荒んだ道に伴わせることなど、決して望んではいなかったのに、リレイラはあっさりと、その身のうちに宿る魔力を使い人を殺め、彼のために王道を整えていった。
リレイラは、ユーリにとっての命の恩人であると共に、エディアルドにとってはかけがえのない、同士であり、母であり、姉であった・・・
その姉が守り、この世界で導いてきたユーリ。姉が命を賭して彼女のことを守った気持ちが、エディアルドには本当に良く分かる。
なよやかで、だけど凛とした、何者にも揺るがされないような雰囲気を持つ、彼女。
だが、ふとしたときに見せる儚げな表情が、見た者の庇護欲を、彼女に対する興味を掻き立てるのだ・・・
自分をじっと見つめるエディアルドの視線に耐え切れずに、ユーリは俯いた。彼女の頭の中はまだまだ混乱していて、まともな言葉がその口からでそうにない。
イヤ、と思っていたのに。
そう口に出すことが出来ない・・・
「俺はもう、ユーリのことを手放すことは出来ない」
触れていた手をしっかりと握って、エディアルドは言う。
「どうか、傍に・・・」
そう言って、ユーリの手をささげるように持ち、額に当てる。
神聖な誓いのようだった。
夜。
静かな夜だった。
夕食は二人きりでとったが、エディアルドもユーリも何も話さなかった。
エディアルドは彼女を急かすまいと、表面上は穏やかな態度をとっており、対するユーリは深く物思いに沈んでいるのか、食事もあまりとらなかった。
最近は忙しくて、エディアルドも食事の後はまた執務室に戻っていたが、今日だけはそんな気分にならず、明日に回せるものは回すよう、宰相に指示を出すと、自分の部屋でゆっくりと報告書を読んでいた。
コンコン。
王妃の間に続くドアから、扉をたたく音がした。
エディアルドはらしくなく、緊張した。
彼女が、自分の部屋を訪ねようとしている。
ドアを開けると、やはりユーリだった。
もう寝る前だっただろうに、彼女はゆったりとしたワンピースを着て、ストールを体に巻いている。
「どうした?」
彼女を入れるために、体半分を入り口からずらすと、彼女はするり、と部屋に入ってきた。
すれ違いざま、ふんわりと花の香りが漂う。
女を知らぬ若造でもないのに、エディアルドはひどく興奮した。
ユーリを自分が座っていたソファに案内する。彼女は何かを決意したような表情をしていた。
向かい合って座らずに、彼女の横に腰を下ろした。
ユーリはふうっと一息つくと、エディアルドの方を向いた。
「私」
エディアルドの瞳をまっすぐ見つめて、彼女は話し始めた。澄んだ声色だった。
大抵の女は、この容貌に魅了され、うっとりとした眼差しで自分を見つめるのに、ユーリだけは最初から、自分の容姿にぼうっとすることなく、まっすぐに見つめてきた。
そして今も・・・自分が王であるにも関わらず・・・へりくだったり、おもねったりしない。対等な存在として認識されるのが、素直に嬉しかった。
「エディアルドのこと、何も知らないの・・・知らない人に、好きになれとか言われたって、ちょっと無理・・・」
貴方が男の人だから、尚更。
そういい終えて、ユーリは少し体から力を抜いた。
緊張しているらしい。
「だけど」
少し恥ずかしそうに、彼女は続ける。
「貴方といると安心するの・・・守られて嬉しいの。だけど、それって、貴方が王様だからなのか、お師匠の弟だからなのか、分からない。弟だから大事にしたいと思うの?傷つけたくない、どうでもいいと思えない。だけど・・・」
話していて混乱してきたのか、彼女の言葉から相反する気持ちが見え隠れする。
『傷つけたくない』と思っているのなら・・・少しは期待していいのだろうか?
エディアルドはなんだかだんだんとアワアワしてきているユーリを見ながら、自然に微笑んでいた。
その顔をみたユーリは、真っ赤になって俯き「これだからイケメンてキライ・・・」となにやら不穏な空気を漂わせていた。
「要するに、私のことを知りたいんだな?」
すぐ傍にあるユーリの体を抱えあげると、エディアルドは自分の腿の上に置いた。「ぎゃわっ」となんとも色気のない叫び声がユーリの口から飛び出す。なるほど、これはユーリの地の表情というやつなのか。真っ赤になりながらも、彼の腿から降りようと、小さな手で両肩をギュウギュウと押してくる。
痛くもかゆくもないのだが。
「だったら、話をしようか」
「へ?」
一生懸命逃れようと体を動かしていたユーリは、エディアルドから言われたことに、驚いた表情を見せた。
「出会ってから間もないのに、俺のことを知る機会なんてそんなになかったはず・・・今夜は、お互いのことを話そう」
そう言って、エディアルドはユーリを腿から下ろすと、彼女から少し距離をあけて、長いすに座った。
ユーリは目をぱちくりさせていたが、エディアルドの態度にゆっくりと微笑むと、座っている長椅子に置いてあるクッションを一つ手に持って、それを抱え込んだ。
長い夜になりそうだった。