野分②
北の皇国の皇帝の来訪を聞いてから、ユーリは落ち着かない気持ちをもてあまして、自室で過ごしていた。
読みかけの本も、調薬も気が進まず、起床してからずっと、王の庭園を眺めていた。
朝食後は侍女たちも忙しかったようで、ユーリは珍しく、部屋に独りきりになっていた。
扉の前には護衛の騎士が立っていたが、彼らは基本、親しく声を掛けてくることは無かった。
・・・というか、声を掛けるのを禁じられていたらしい(エディアルドに。後に聞いたことであるが・・・)
庭園の見える窓際の椅子で、ユーリがぼんやりと過ごしていると、俄かに扉の向こうが騒々しくなり、甲高い女性の声が聞こえてきた。
「開けなさい!!私はセレドニア侯爵夫人ファメリア、王の叔母です!!」
「し、しかし・・・」
「私に逆らうことが許されると思ってるの!?開けなさい!!」
直後、ものすごい音を立てて『王妃の間』の扉が開かれた。
入ってきたのは、極彩色の衣装を纏った、でっぷりと太った女だった。
扉の外で散々騒いでいたので、この女性が何者かは分かった。
だが、何をしにきたのだろう・・・
これまで、この女性のことは、エディアルドにもエレイラにも紹介されたことは無かった。
セレドニア侯爵夫人ファメリアと騒いでいた女性は、ズガズガとユーリの傍に近寄ってきた。
扉の中の護衛騎士が、あわてて彼女の後ろから近づいてくる。だがその体に触れることは無かった。
身分の高い女性に無断で触れることは、この後宮に勤めている彼らに認められた行為ではない。
必死の形相でセレドニア侯爵夫人を制止しようとするが、彼女はどんどんユーリに近づいてくる。
程なく、彼女はユーリに触れられるまでの距離に立った。ユーリのことを嘗め回すようにジロジロ見つめてくる無遠慮で容赦ない視線に晒され、ユーリは彼女と目を合わせるでもなく、ゆっくりと立ち上がって、頭を垂れた。
「・・・そなたがユーリか」
態度も声も尊大な響きを持っていた。
ユーリはゆっくりと顔を上げると、しっかりと目の前に立つ女性に目を合わせた。
「はじめまして、ですね。ユーリと申します」
再度、頭を垂れると、またしっかりと顔を上げたが、ユーリはゆっくりと、元の椅子に腰掛けた。
当然、招かれざる客・・・セレドニア侯爵夫人ファメリアに、椅子を勧めることはしない。
『王妃の間』には当然、来客用の応接セットが整えられていたが、ユーリの「売られた喧嘩は買う」生来の気の強さが、セレドニア侯爵夫人ファメリアに椅子を勧める気持ちにさせなかった。
なんじゃ、このババア。
心の中で毒づきつつ・・・こんな風に他人に立ち向かうまでに気持ちが強くなってきていることに、ユーリはひどく驚いていた。
向こうの世界で、ひどい親戚の叔母をこうやって口汚く罵って、父に怒られてた・・・
ユーリの心が元いた世界の方にトリップしかけたのを止めたのは、目の前に立つセレドニア侯爵夫人ファメリアだった。
「・・・そなたに会いたかったが、エディアルドは心の狭い男でのう・・・機会が掴めなかったが、こうして会うことができてよかった」
あまり嬉しくなさそうな口調だが、なんともいえない表情でそういう彼女は、『王の庭園』を見ながら話を続ける。
「あれらの母が生きているころは、こうして『王の庭園』で遊ぶ子供たちを見つめていたものじゃ・・・」
そうしてセレドニア侯爵夫人ファメリアは、窓に近づいてそこから見える『王の庭園』に、何か懐かしいものを見つけたかのように目を細めた。
「そなた・・・『王の庭園』を散策したことは?」
セレドニア侯爵夫人ファメリアが振り返ってユーリに尋ねる。彼女はこの部屋から出たことは無かった。
ユーリが無言で首を横に振ると、セレドニア侯爵夫人ファメリアは、気の毒そうな表情をしてユーリを見つめた後、後ろに控えていた護衛騎士に大声で命令した。
「今からユーリを『王の庭園』に案内する」
そう言って、彼女は有無を言わせず、ユーリの手をとって部屋から出たのだ。
「まあ、そういうことです」
北の皇国皇帝との邂逅の後、王の間に連れてこられたユーリは、エディアルドと遅れてやって来たエレイラの前で、セレドニア侯爵夫人ファメリアとのやり取りを聞かせた。
「庭園に出た後、彼女はちょっと所用があるからと姿を消しました。・・・まあ、私ももっと何か抵抗したほうが良かったのかも知れませんが、『王の庭園』だし、あんまり危険もないかな・・・と、思ったりして・・・」
エディアルドからひしひしと何か黒いものが漂ってくるので、ユーリは取り敢えず、少し彼から離れようとして・・・失敗した(涙)
離れようとした体を、エディアルドが両腕で阻止し、挙句自分の太ももの上に乗せたのだ・・・
何の羞恥プレイ・・・!!
エレイラはにこにこ笑ってるし、宰相さんは目を合わせないようにしてるし、護衛騎士さんたちは笑いを堪えてるし・・・誰か助けて!
というユーリの心の叫びは、誰にも伝わらなかった。
「ミルドレッド、セレドニア侯爵夫人ファメリアと侯爵を呼び寄せよ」
「はい」
宰相のミルドレッドはそう答えると、王の間から退出した。
エレイラはユーリのほうを見ると、心配そうな顔をしたが、ふう、とため息をついた。
「ユーリ・・・そなたには魔力があり、大抵のことは心配することもあるまいが、もうちょっと危機意識を持て。
誰もがそなたに好意的ではないのだ・・・特に王権が強化されて甘い汁を吸えなくなる連中にとって、そなたは目障りで、邪魔な存在なのだから」
「はい・・・気をつけます」
ユーリはうなだれたが、エレイラはエディアルドの方を見ると、彼に厳しい目線を向けた。
「このことについてはそなたにも責任があるぞ、エディアルドよ・・・ユーリは賢い娘だ。元来きちんと自分を律する力が備わっている。いつまでも一方的に扱っていては彼女の心を得ることはできんぞ」
実に厳しい台詞を実弟に言うと、彼女も王の間から退出した。護衛騎士はエレイラの退出と同時に扉の外に出て、王の間にはエディアルドと、ユーリだけが残った。