「月が綺麗ですね」は告白では使えない。
お読みくださりありがとうございます。
前田奈穗と申します。
お楽しみいただけますと幸いです。
「あっ、今日満月ですかね」
彼女のその言葉に、男は自然と、ある言葉を思い浮かべてしまった。
──“月が綺麗ですね”
この瞬間、ずっと考えないようにしていた感情を、自覚するしかなくなった。
とうとう認めてしまった。
自覚したところで、どこまでも純粋無垢な彼女相手に、何が変わるということもないのだが。
彼女の横顔が、ただ真っ直ぐに夜空を見上げている。頭上にくっきりと輝く丸い月。
──死んでもいい。
返事にその言葉を選ぶ人間の気持ちが、なんとなくわかってしまう気がして。
静かに苦笑した。
素直な彼女には、婉曲的すぎて似合わないそのやりとりを、月など興味もない自分が思い描いている。
気がつけば、戻れないところまで来ていた。
──────────
「あっ、今日満月ですかね」
頭上のまんまるな月を見て、女はぽんと口に出した。
満月のときは、なんだか月がいつもより明るく見える。
──眩しいなあ。
それからふと、ある言葉を思い出した。
──“月が綺麗ですね”
初めて知った時には、大人な伝え方だな、なんてどこか他人事のように思ったけれど。
今はなんだか、その気持ちがわかる気がする。
好きな人と見る月は、一段と綺麗だった。
斜め上、彼を見上げると、その横顔は同じように月を見上げている。
彼はこの月を見て、何を考えているんだろう。
──月が綺麗ですね。
もしも今そう言ったら、どんな顔をするだろう。
その端正な横顔からは想像もつかなくて、だから少しだけ、言ってみたい気もするけれど。
でもせっかくこの気持ちを伝えるなら、もっと真っ直ぐに伝えたいと思う。
──好きです。
必ず言うから、待っていてください。
夜空を見上げる彼の横顔に、女はそっと願った。
──────────
一年後。
「起きていたのか」
「えへへ、もうちょっとお話したいなあと思って」
男がシャワーから戻ると、彼女はまだ起きていて、おかえりなさい、と笑った。
気怠そうな雰囲気を纏いつつも、やはりあどけないその姿。
まだ見慣れなくて、隣に潜り込むのは勇気が要った。
緊張を隠すように横になれば、彼女は無邪気に擦り寄ってくる。その頭を撫でれば、彼女は「頭撫でてもらうのすきです」なんて嬉しそうに言う。
こんな風に過ごす夜はまだ数回目のはずなのに、自分よりずっとこの状況に適応している。
ひたすら素直にそんな事ができてしまう彼女は、男にはいっそ恐ろしくもあった。
「あっ、今日満月ですかね」
ふと、彼女が振り返って窓の外を見た。そこにはくっきりと輝く丸い月。
「ああ」
「あっ、そういえば」
思い出したように、彼女が振り返る。
自然と上目遣いになった透明な瞳と、目があった。
“月が綺麗ですね”
囁くような声が、男の耳を撫でていった。
彼女は悪戯っぽくまた笑う。
月明かりの下、いつもより緩慢な彼女の仕草は全て、どこか妖艶で。
「……本当は、前にも一回言ってみたくなったことがあるんです」
でも、告白する前だったから、やめました。
秘密を打ち明けるようなその口ぶりは、それでもやっぱりあどけなく、男はその緩急を、ただ見ていることしかできない。
「言ってみるとやっぱり、ちょっと恥ずかしいですね」
彼女は結局、照れて俯いた。
「それに、好きですって言うほうが、やっぱり伝わる気がします」
……だから、あの。
次に顔をあげた時にはもう、彼女はすっかり無邪気な顔で笑っていた。
「好きです」
──死んでもいい。
今度こそ、男はそう思った。
──────────
三年後。
男がシャワーを浴びてから寝室に戻ると、彼女は今でも起きて待っている。
先に寝ていろと言っているのに。
「おかえりなさい」
いじらしく笑う彼女の隣に、すっと潜り込んだ。華奢な身体を抱き寄せると、彼女は嬉しそうに腕を回して男に擦り寄る。
「あったかい」
「……君も」
嬉しそうに腕の中で揺れている彼女がかわいくて、しばらくそうしていると、ふと、彼女は振り返って窓の外を見た。
「あっ、今日満月ですかね」
その言葉につられて、男も窓の外に目をやった。
くっきりと輝く丸い月。
「やっぱりまるくて大きいからかなあ。満月って、他の月より眩しくないですか?」
頭一つ下から、愛しい伸びやかな声がする。
「愛してる」
途端、彼女がぱっと振り返った。
きらきらと輝くうっすら潤んだ目。驚きと高揚で暗がりでも染まっているとわかる頬。
そんなに見られるとやりづらい。
男はもう一度、彼女を腕の中に閉じ込めた。
柔らかい腕が、ぎゅうと応えるように抱きしめ返す。
「私もあいしてます」
男は、吐息だけで笑った。
ふと窓の外を見れば、夜空に浮かぶ月が綺麗だった。
お読みくださりありがとうございました。
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※作者は現在、長編も連載しています(2026/03/20ごろ完結)
『失恋を買わせてほしい。六百万で ――春な忘れそ――』
余命宣告を受けた少年と虐待される少女の物語。
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