婚約破棄は程々に。~「お前のような卑しい愚図とは」と言われましたが、今目の前にいるのは婚約者と入れ替わった王女ですよ?~
エクァノラ王国ではとあるジャンルのロマンス小説が大流行していた。
その名も『婚約破棄もの』。
ヒーローが婚約者である悪しき令嬢の悪行を公にし、大衆の前で断罪するとともに『婚約破棄』を宣言するという痛快さを求めたジャンル。
尚この物語は婚約破棄後のヒーローが、相思相愛の真のヒロインと結ばれるまでがセットである。
さて、この新ジャンルが社会的に大きな影響を及ぼしたのは経済や民の注目度だけではない。
なんとこのジャンルが広まった事で――現実においても、大衆の面前で婚約破棄を突き付けるという、謂わば『婚約破棄の儀』が広まってしまったのだ。
***
ここは王立魔法学園。
その一角で、私は一人の女性を見下ろす。
よよよ、と一人で倒れた彼女の名はポレット・ド・チルモン男爵令嬢。
彼女は涙を流しながらこう言った。
「ひ、酷いです、マルレーヌ様……ッ、私がドナシアンと友人関係であるからと言って」
周囲の生徒の視線が私達に突き刺さる。
「友人関係と言い張るには無理のある接触をしていらっしゃるから、ご忠告しているのですよ」
「そんなの言い掛かりです! どうして意地悪をするんですか……っ、私がドナシアンと仲が良い事と、貴女がドナシアンからよく思われていない事は別問題のはずです!」
ドナシアンというのは、ドナシアン・ド・セヴィニェ侯爵子息の事。
マルレーヌ・ド・ルフェーヴル侯爵令嬢の婚約者である彼はその立場にありながら、人目をはばからずにポレットと身体的な接触――腕を組む、抱き合うなどの行為に出ていた。
社交界の常識を鑑みれば到底見過ごす事は出来ない。
しかし昨今の流行による影響を多大に受けた若者たちは『愛ある結婚』や『気に入らない相手との婚約を白紙にする正当性』に重きを置いた考えに出始めている。
今のポレットの言動も本来の婚約者を『恋の道を阻む悪者』に仕立て上げる為のものだ。
やれやれと思っていると、更にそこへ一人の男――ドナシアンが駆け付ける。
「何をしているマルレーヌ! またポレットを虐めたのか!」
「私は何もしておりませんわ。ただ、お二人の不健全なご関係に苦言を呈させていただいたまでです」
「不健全だと……! 俺はお前に虐められる彼女を守っているだけだ」
「左様ですか。傍から見ればそうとはとても思えませんが」
「何……!?」
ドナシアンは顔を真っ赤にしたが、すぐに鼻で笑う。
「味方などいないお前のその余裕がいつまで保たれるか、見ものだな」
「何の騒ぎだ」
そこへ、黒髪の男性が姿を見せた。
彼の姿を見ると、途端にドナシアンは顔を強張らせ大人しくなる。
そしてポレットを連れるとその場を去って行った。
「何事だ、マルレーヌ嬢」
姿を見せたのはセルジュ・ジラール公爵子息。
「いいえ。大した事ではございませんわ、セルジュ様」
セルジュは顔を顰めたまま周囲を見回す。
ここでは話もろくに出来ないと思ったのだろう。
彼は視線を野次馬の外へ向けると言った。
「もう少し話を聞こう。こちらへ」
彼は学園の生徒会に属していた為、周りもああ、生徒会の一員として騒ぎに関する聴取がしたいのだろうと思ったようだった。
私は大人しく彼についていく事にした。
学園の裏庭で、私は何があったのかを簡潔にセルジュへ話した。
彼はそれを聞き終えると深く息を吐く。
「『婚約破棄』の流行は本当に困ったものだな」
「私もそう思いますわ」
セルジュは無表情がトレードマークのような男だ。
彼の言葉は淡白で、その裏で何を考えているのかは他者に伝わりにくい。
「貴女に関するよくない噂も耳にするが、気持ちの方はどうだ」
「お気遣いありがとうございます。あのくらいでしたら問題ございませんわ」
「そうか。何かあった時には必ず伝えてくれ」
「どうもありがとうございます」
セルジュが私の頬へ手を伸ばす。
私は一歩後ろへ退き、それを避けた。
ただ静かに、にこりと微笑みを返せばハッと我に返った彼は気まずそうに視線を逸らす。
「それと、そろそろのようだ」
「そうですか。ありがとうございます」
彼の言葉に私は目を細め、ほくそ笑むのだった。
***
「マルレーヌ・ド・ルフェーヴル! お前との婚約を破棄する!」
その日の放課後。
私は大勢の前でドナシアンからそう告げられる。
彼の傍には当然のようにポレットが立っていた。
「お前は今日にいたるまで、ポレットへ様々な嫌がらせをして来た! 陰湿なものから、殺人を疑うようなものまで……! このような事は当然看過できない! よって婚約を破棄する!」
大勢の奇異の目に晒される私を見て、ポレットが微笑んでいる。
何とも腹立たしい顔だ。
「そもそもお前は何をするにも反論し、そうかと思えば婚約者を立たせる言動に於いては判断が鈍い愚図だった! おまけに執着心と嫉妬が強いとなれば、もう手には負えん。――お前のような卑しい愚図とは一生を添い遂げられる訳もない!」
扇で口元を隠し、二人を静かに見据えていた私はそこまで聞いてから扇をパチンと閉じる。
そしてドナシアンを見据えた。
「私が嫌がらせや、殺人未遂とも取れる行いをした。……これは最近の事でしょうか?」
「ああ! そうだろ、ポレット!」
「え、ええ! 昨日も階段から落とされかけたわ!」
「左様ですか」
私は笑みを深める。
流行りの小説の如く私を追い詰めているというのに、その余裕な姿が気に入らなかったのだろう。
「お前、俺を舐めているのか! 女の癖に――」
思い通りにいかず腹立たしさを覚えたらしいドナシアンは顔を歪め、私を突き飛ばそうと手を伸ばし突き
そこへ――別の手が伸びる。
私とドナシアンの間に立ったのはセルジュだ。
彼はドナシアンの手を掴み、捻り上げると深々と息を吐いた。
「もう充分だろう」
「……ええ、そうですわね」
私は動揺一つせずセルジュを見る。彼が駆け付けてくる事はわかっていた。
金色の瞳に見つめられ、私は頷く。
二人からの言質は取った。
周囲には野次馬――もとい、多数の証言者もいる。
――これで舞台は整った。
私は閉じた扇を振るう。
すると私の体を無数の光の粒子が包み込み、やがて私の姿をガラリと変えた。
紺色の髪は金髪に、真っ直ぐとしたシルエットの髪型はふわふわとウェーブのかかった形に、紫がかった瞳は赤色に。
その姿に周囲が一斉にしてざわめき立つ。
ドナシアンとポレットも同様だった。
皆が唖然とする中、私は深くお辞儀をする。
「ご機嫌よう、皆様。私、アナベル・エクァノラと申します」
「あ、アナベル……王女殿下……!?」
ドナシアンが引き攣った声で私の名を呼ぶ。
他己紹介どうもありがとう。
「何を驚いているのかしら。ここは魔法学園。学園内で生徒が魔法を使う事は許されているでしょう?」
とはいえ姿形を細部に渡ってまで変えられる幻影魔法が扱えるのは極一部――この国では私くらいではあるけれど。
私――この国の王女たるアナベルが幻影魔法の使い手である事は周知の事実である。故に私の正体を疑う者もいない。
そして皆が知る事実がもう一つ。
「彼女と俺は昨今の『婚約破棄の儀』による風紀の乱れを問題視し、『婚約破棄の儀』を行う恐れのある者の調査を国王陛下直々に承っている。アナベルは一ヶ月前から、心身を病んでしまったマルレーヌ・ド・ルフェーヴルに成り代わり、この学園で生活をしていた」
そう言いながら、セルジュが私を抱き寄せる。
――彼は私の婚約者。
そうする事も、堅苦しい言葉遣いを避ける事も許された数少ない相手だ。
「よって、貴方方二人が『最近』のマルレーヌ嬢への疑いとして挙げたものは全て――我が国の王女へ向けた嫌疑となる」
「そ、そんな……!」
「私達、そんなつもりで言ったんじゃ……!」
「あらあら、今になって取り乱してしまって。後ろめたく思う気持ちがあるならば……初めからしなければよかったものを」
「お、王女殿下、どうかお慈悲を……!」
「私達が間違っていましたぁ……! だ、だから……!」
ドナシアンもポレットもその場に跪き、許しを請う。
何とも惨めな姿だ。
私は周囲へ視線を投げた。
二人の言葉により、マルレーヌに関する悪評は偽りであると証明された。
それ故に、悪評を信じてしまったことに罪悪感を覚えているようだった。
これからは、マルレーヌが不当な扱いを受ける事もなくなり――彼女が心を病む要因は消える事だろう。
私は再び正面へ向き直ってから二人へ笑いかける。
「因みに、先程私に振るおうとなさった暴行も忘れてはおりませんから」
「ひ、ヒィッ」
ドナシアンが悲鳴を上げた。
「処罰に関する報せは、追ってお送りいたしますわ。貴方方も皆様も――これに懲りましたら、もしくは危機感を覚えた方がいらっしゃいましたら、今一度よくお考え下さいませ」
私はセルジュへ目配せをし、彼を引き連れてその場を立ち去る。
「婚約破棄は程々に」
***
今回の件によるドナシアンとポレットには一ヶ月の停学処分を学園へ依頼した。
王族を軽んじての行いでないことは確かですし、彼らから言葉を引き出したのは私の意図によるところも強くありましたから、王族を愚弄したとして罰するには罪が聊か重すぎるのだ。
そもそもは彼等を罰する事で、『婚約破棄』に関する意識の改善をさせる事が目的だった。
私の目的ははなから、ドナシアンとポレットではなく――周囲の野次馬貴族達だった。
今回の件は瞬く間に社交界に広まるだろう。
となれば、『婚約破棄の儀』への考えも改められるはずだ。
まぁ……停学から明けたドナシアンとポレットに待っていたのは社会的孤立であったようだが、こちらは自業自得だ。
二人の悪評は社交界へ轟き、彼らの家も大きな影響を受ける事になるだろう。
またマルレーヌは学園へ復帰し、友人達からの謝罪を受け入れた上で、今は楽しい学園生活を送っているとか。
「どうもありがとう、セルジュ」
「いや……」
そのような報告を、私は王宮の屋外テラスで、セルジュから聞かされる。
テーブルに置かれたカップに口を付ける私はくすりと笑う。
「これで『婚約破棄』のブームも過ぎればいいのだがな」
「問題ないでしょう。それに、もしまだ続くようなら……」
お茶を一口飲み下してから私はカップを置いた。
「――同じ事をするだけよ。……この風潮が消えるまでね」
「……俺はもう勘弁願いたいのだがな」
「私と触れられる時間が減るから?」
冗談めかしに言えば、彼は不服そうに顔を顰めた。
その頬は僅かに赤い。
マルレーヌとして学園へ潜入している際、私達は勿論他人として振る舞わなければならなかった。
どうやらそれが、彼には随分と堪えたようだ。
本当に、何と愛らしい人だろう。
「セルジュ。こちらにいらして?」
私は彼へ両手を伸ばす。
セルジュは目を瞬かせたあと、僅かに頬を緩めて頷いた。
それからテーブルを回り込んで私の隣に立つと、優しく私を抱き寄せた。
私達は顔を寄せ合い、そっと口づけを交わす。
「暫くはゆっくり過ごす時間が欲しい」
「ええ、そうね。お父様に提案して、旅行にでも行きましょうか」
「っ! それはいいな。今すぐ直談判に行こう」
「もう、いくら何でも今すぐには難しいわよ」
顔を輝かせ、彼はすぐに頷く。
セルジュの素直な反応を見て、私は声を上げて笑ったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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