~ジェームズ・ゴールドスミス~
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ジェームズ・ゴールドスミス
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James Goldsmith
ジェームス・ゴールドスミス
生誕 1933年2月26日
フランス・パリ
死没 1997年7月18日(満64歳没)
スペイン
出身校 イートン校(中退)
職業 実業家
配偶 下記参照
子供 下記参照
表・話・編・歴
ジェームス・ゴールドスミス(James Michael Goldsmith 、1933年2月26日 - 1997年7月18日)は、フランス生まれのイギリスの実業家。
目次 [非表示]
1 プロフィール
1.1 生い立ち
1.2 大富豪
2 家族
3 関連項目
プロフィール [編集]
生い立ち [編集]
イギリス人ではあるが、第二次世界大戦前の1933年にフランスのパリで、ユダヤ系の実業家で国会議員でもあるフランク・ゴールドスミスとマルセル・モーリエの間に生まれた。イギリスの名門校として知られるイートン校に進学したものの、1949年に退学する。
大富豪 [編集]
親の資産を受け継ぎ数多くの企業を経営するほか、投資家で大富豪としても知られ、1986年にアメリカのタイヤメーカーであるグッドイヤーに対して行った買収劇など、自らが率いる投資会社による数多くの仕手戦でその名が取りざたされた。
また、ヨーロッパのみならず、世界を驚愕させた大スキャンダルである「ロベルト・カルヴィ暗殺事件」においても関与が噂された。晩年は政治活動に力を置いたものの、1997年に癌により64歳でスペインの病院で死去した。
家族 [編集]
3度の結婚歴がある。最初の妻であるスペイン貴族のマリア・イサベル・パティニョは、1954年に長女イサベルを出産後急逝した。2度目の妻との間に長男と次女をもうけた。
第3代ロンドンベリー侯の娘アナベル・ヴェイン=テンペスト=ステュアートとは長く不倫の関係にあり、1978年に2人は正式に結婚した。三女ジェマイマ(1974年生、パキスタン人クリケット選手イムラン・カーンの元妻。現在ユネスコ大使)、次男ザカリアス(1975年生、環境活動家)、三男ベンジャミン(1980年生、ファイナンシャー)はアナベルとの間の子供である。
1980年以降、ジェームズは愛人であるフランス貴族のロール・ブレイとアメリカのニューヨークへ移住。彼女との間にさらに二子もうけた。亡くなるまで、ロールを公私ともに妻として扱っていた。
【最近の記事】
ゴールドスミス家御曹司、ロスチャイルド家女性と不倫で離婚
2010年5月13日(木)16時20分配信 ゆかしメディア
ゴールドスミス家御曹司で環境活動家としても有名なザック・ゴールドスミス氏(35)が、妻シェヘラザードさん(36)と離婚することが明らかになった。ゴールドスミス氏が、金融財閥ロスチャイルド家のメンバーで、親戚のアリス・ロスチャイルドさん(26)と不倫をしていたことが原因。英メディアが報じた。
ザック・ゴールドスミス氏は、著名なユダヤ系大富豪・故ジェームズ・ゴールドスミス卿とレディ・アナベルさんの息子。ゴールドスミス氏とシェヘラザードさんは1999年に結婚したが、昨年シェヘラザードさんが夫の不倫を知り、別居していた。不倫相手のアリス・ロスチャイルドさんは、ゴールドスミス氏の弟・ベンさんの妻の妹。
離婚は数週間以内に成立するとみられているが、ゴールドスミス氏の資産が2億ポンドから3億ポンド(270億円~405億円)と予想されるため、莫大な慰謝料が支払われると注目されている。法律家は、同氏の資産のほとんどは父親の遺産のため、妻への財産分与対象にはならないと予想。しかし、2008年のポール・マッカートニー氏と元妻ヘザー・ミルズさんの離婚慰謝料2430万ポンドを凌ぐ金額になる可能性があるとしている。
ゴールドスミス家は中世より、独フランクフルト、英ロンドンを中心にヨーロッパの金融を掌握してきたマーチャント・バンカー。古くからロスチャイルド家とは姻戚関係にあることで知られる。ゴールドスミス氏は、先日の総選挙でロンドンのリッチモンド・パーク選挙区で保守党の新人議員として初当選していた
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yucasee-20100513-3443/1.htm