~シフ家;ジェイコブ・ヘンリー・シフ~
「歴史は、夜の寝台で、築かれる…少なくとも、ロスチャイルド家に限っては、その通りである。歴史の闇は、夜の帳ほど、暗く、淫乱な物語である」
*ロスチャイルド系投資銀行
クーン・レーブ商会
ワーバーグ(ウォーバーグ)銀行
サロモン(ソロモン)・ブラザーズ
レーマン(リーマン)・ブラザーズ→破綻
ラザール・フレール(ラザール・ブラザーズ)
J&W・セリグマン商会
ゴールドマン・サックス(ザックス)
ディロン・リード
ヒル・サミュエル
ハンブローズ銀行
ルイ=ドレフェス銀行
これらの名前は、業界の人間が耳にすれば、いずれめ見張る大物ぞろい。善良な人々は、このようなマーチャント・バンカーの活動に、一向に、関心が無い。
⇒マーチャント・バンカー
手形の引受をする引受業務の業者のこと。
19世紀のロンドンで発達した外国手形を引受信用(手形の満期日における支払保証)という形で国際決済に深く関わっていた。
満期日の手形支払いによって生まれる荷送人=手形振出人に対する貸付を後で、委託荷物の販売代金によって回収する方法を使っていた。英語ではMarchant Bankerという。http://www.1gaitame.com/archives/2005/09/post_450.html
戦争に狩り出されては悲憤し、、莫大な税金をせしめられながら、その原因さえ知ることがない。たとえば、筆頭に記したクーン・レーブ商会ひとつ見ても、わが国には忘れらない歴史がある。
日露戦争亜は、この商会なしには語れないからだ。
*「クーン・レーブ商会」は、ジェイコブ・ヘンリー・シフによって育てられた投資銀行である。
商会の創設者は、アブラハム・クーンと、ソロモン・レーブ。この両家のファミリーネームを組み合わせて、「クーン・レーブ商会」となったが、
両家は事業で手を組んだだけでなく、クーン家の娘イーダと、レーブ家の息子モリスが結婚して、一族となっていた。
創設者ソロモン・レーブの娘テレサと結婚したのが、ジェイコブ・シフであり、日露戦争で日本に資金を調達した。
1904年(明治37年)-戦費が無いまま日露戦争に突入した日本は、日銀副総裁の高橋是清に命じて、一千万ポンドという巨額の日本公債をロンドン・シティーで売り出した。
しかし、売れなかった。一縷の望みを抱いて駆け込んだのが、ロスチャイルド家だった。だが、ここでも、断れらた。
高橋是清は、誰かに入れ知恵されたのか、アメリカに飛んだ。ウォール街だ。そこで、一千万の半額を引き受けてくれたのだ「クーン・レーブ商会」のシフだった。
ユダヤ人ジェイコブ・ヘンリー・シフは、いかなる人物だったか。投資銀行「クーン・レーブ商会」を育て上げた男は、ユダヤ人などという枠でくくることはできない…“ロスチャイルド人”であった。
*シフは、ロスチャイルドの本家・フランクフルトで、1847年に生を受けた。シフ一族は、金融業を営んでいた。
祖先は、ロスチャイルド家の初代マイヤー・アムシェルと、家を二つに区切って住んでいた。一方に、赤い楯をかかげ、もう一方の扉に、“舟”の絵を掲げ…Schiffは、ドイツ語で、舟である。
ロスチャイルド家と共に育てられたシフが、金融業でのし上がるのは、自然なことだった。
十八歳でアメリカに移住し、クーン・レーブ一族となってからは、「ユニオン・パシフィック鉄道」に融資するなど、次々と鉄道事業で商会を成長させ、パートナーとして、オットー・カーン、あるいは、ワーバーグ銀行のポール・ワーバーグ、フェリックス・ワーバーグらを迎えて、国際投資銀行の地歩を築いていった。
フランクフルトのゲットー以来、ロスチャイルド家とシフ家ほど、親密な家族はなかった。
ロンドンのロスチャイルド家は、表向きは、高橋是清を追い返し、裏ではシフの手を通じて、日本の公債を買いつけ、さらに、日露戦争で日本の優勢が明らかになると、「パンミュア・ゴードン商会」を通じて、日本公債を買い集めた。それが、ロスチャイルド家だった。