"The Jade"――翡翠の本気
ボックス席の接客ではもう限界なので店の経営をステージ中心にするとのこと。おひねりじゃなくてチェキも大事な収入になりますね、きっと。←そういうの行ったことがないので想像だけで書いています。
俺は店に降りていった。キャストたちが忙しく開店の準備をしていた。どうもこれまで以上にステージと楽屋で人の出入りが激しい。
「なんかいつもと雰囲気が違わないか?」俺は店長のエラに訊いた。
「どう考えてもボックス席での接待はもう限界なので、これからはステージ主体でやって行くことにしたのよ。うちの子たち、みんな芸達者だし。」
「なあ、メロ。どうしたんだ、そのかっこう?」
「きょうからステージに立つんだよ。エルフたちとトリオを組んだんだ。翼や角を隠すと、ほら、私、ほぼエルフだから。」
なるほどな、たしかにピッタリだ。長身美女2人に挟まれたキュートな妹という感じで人気が出そうだ。火は吐くなよ。
キュイーン!アンプのハウリングが聞こえる。ステージからだ。
「はい、みんなちょっと作業の手を止めて集まって!」翡翠さんがバンドメンバーを集めている。
「セッティングの前に、まだピカピカの状態でアー写を撮ります。ステージの横に飾って、チェキを撮ってくれたお客さんにも配ります。私たち”The Jade”の初ステージです。悔いのないパフォーマンスを!」
「それじゃみんな、アンプのゲインをすべてチェックして!」翡翠さんの指示で、みんな楽器と機材の調整に余念がない。
「ダブルネックでチューニング大丈夫?」
「はい、大丈夫です。」リードギターの顔に緊張が浮かぶ。
「ゲインを上げすぎなんじゃない?」翡翠はベーシストのセッティングを見て指摘した。
「このくらいにしないとドラムスやギターのアタックに飲み込まれてしまうんです。」
「あなたの物理アタックは?」
「指の力が弱くて...」
「みなさん、ペダルボードのエフェクターの調整にミスはない?」
「OKでーす!」
「じゃあ、ワンコーラスだけ試しに音を出してみるわよ。」
「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」ドラマーがスティックでスタートを告げる。
「Nobody knows that nobody lives....♩」翡翠さんの透明な声がエネルギーを帯びて放たれた。
すごい。躍動感が半端ない。前にここで分身たちと演じたガールズバンドとは比べものにならない。前のが大学祭で一番良くできたバンドだったとすれば、今のはインディーズであちこちの事務所からスカウトが来るレベルだ。
「はい、ストップ!もう1回チューニングして!ちょっとリードの分身参、こっち来て。」
「なんでしょうか?」
「なぜダブルネック使っているの?音が安定しない。」
「ステージ映えするかと思いまして。」
「映えとか関係ないから。音が外れているの。最初のリフ、1カ所ミスってた。ディストーションのレベル上げすぎ。ということで、あなたは収束です。」分身参はその場で消えた。
「ベースの分身弐,こっち来て。」
「な、なんでしょう?」
「あなた、パワーが足りないわ。分身によって個性があるから、たまにそういう子も出ちゃうのね。アンプのゲインでごまかすようじゃベースは失格です。まあ私のせいでもあるのだけれど、残念ながら収束です。」分身弐はその場で消えた。
俺が知る翡翠さんではない。バンドの鬼だ。収束させているのであって、殺しているわけではないが、しかし明らかに簡単に消している。デリートしている。
「残ったのはドラムの分身壱だけか。この子は正確にリズムを刻むし、しっかり仕事をしてるわ。さっそくあと2体、召喚しましょう。」
翡翠さんが召喚の術式を構築し始めたとき、俺はとうとう声をかけてしまった。
「翡翠さん、どうしてそんなに...」
「厳しいかですか?ご存じのように分身は人ではありません。私自身が原子から呼び出し、また収束させる、言うなれば私自身の小さな窓です。最高のものを築き上げなければ、中途半端なものに満足していては、私自身の堕落になります。分身に自我はありますが、それは彼らにとってのイデアである私への分有によるものです。彼らの演奏テクニックや音楽性は、私に与るそのあり方に左右されます。そして、それに大きく関係するのが、私自身の存在の揺らぎなのです。完全を目指さなければなりません。」翡翠さんは一気に語ってから息を整えた。
「天地に宿る森羅万象の理よ、光と影の狭間に姿を分かち、識の表裏より実と虚を現せ。今ここに、森羅万象より取り出されたる元素を用いて我が身を写し、我が心、我が力、我が形を二つ現出せしめよ。急々如律令!」
翡翠さんの分身、ベーシストとリードギターが顕現した。さきほどの分身とは見た目も服装も、そして持っている楽器もかなり違う。
「なかなかの逸材が出たようです。」翡翠さんは目を輝かせている。
「精一杯務めます。よろしくお願いします。」弐と参は頭を下げた。
「セッティングが終わったら、また音を出します。」翡翠さんはマイクの位置とフットペダルを調整している。
「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」ドラマーがスティックでスタートを告げる。
「Nobody knows that nobody lives....♩ But the shadows that’ve been ourselves pretend to play their roles and whisper that it’s all OK....♩」
圧倒された。音楽のことは良くわからないが、わからなくてもわかる。これはすごい。ひとりでに涙が流れてくる。
「OK,ストップ!大丈夫そうね。よし、今夜はこれで天下統一の狼煙を上げましょう!」
え?これ、本当に翡翠さんなの?
バンド、本気になると雰囲気がヤバいですね。こういうのも経験はありませんが。少ししか...。




