Elle est morte?―― Non, non plus.
クラリモンドはあの干からびた聖職者のなかに、かつての恋人の「そうなったかもしれない姿」を見たのでしょうか。
クラーマーの一件があってから、クラリモンドは夢見がちになった。存在が周囲に溶け込んでおらず、ぼーっと虚ろを見つめていることが多く、声をかけてもときどき聞こえない。かといって塞ぎ込んでいるわけでもなく、ただこの世との接続が希薄になったような状態だ。ときどき、彼女がかつて冗談めかして言っていたように、エーテル体になって大気に溶け込んでしまうのではないかと思われるほど、存在が薄まっている。
「ねえ、クラリモンド、この世界に召喚されてからもう3日になるけど、何か悩みでもあるのかい?」俺は周囲に誰もいないときを見計らって声をかけた。
「いいえ、みなさん優しくて、とても良くしていただいております。」
「愛が欲しいのではないの?」
「愛は...1つだけで十分です。」
「そうか...ロミュアルドに会いたいのか。」
その名前を耳にすると、クラリモンドははらはらと涙を流した。それは涙...なのか?嗚咽は聞こえない。笑顔のようにも見える。涙のようなものは落下することもなく、宙に消えて行く。
「ロミュアルドが何を考えていたのか、今となっては全くわからないのです。たしかに私はあの方を誘惑しました。夜の帳の向こう側からあの人の部屋に忍び込み、法衣を脱がせ、飾り立てられた可愛らしい服を着せ、彼の手を取って夜空へ連れ出しました。私の宮殿で、彼は王子、私はお妃、甘い交歓の時を過ごしました。そのとき彼は何を思っていたのでしょう?一時の快楽に身を委ね、朝日が昇るころ、眠りこけた私の顔を見て、破戒を悔いて激しく自分を責めたのでしょうか?魔物の誘惑に屈した自分を許せなくなったのでしょうか?愛の契りを後悔したのでしょうか?信仰だけにすがって生きてきたお方です。愛は...できれば知らずに一生を終えたかったのでしょうか?それとも、あれは愛ではなかった、受難だったと自分に言い聞かせたのでしょうか。ああ、ロミュアルド、あなたの本当の気持ちが知りたい。」
何百年もの時の流れの中でただ一度だけ、奇跡のような愛を見つけてしまったクラリモンド。届かない相手と知りつつもついに手を伸ばしてしまった彼女を、ロミュアルドがどのように受け止めていたか、心の機微に疎い俺はまったくわからなかった。あの物語、最後はどうだったか?いや、最後よりも大事なのは最初だ。あれは老人になったロミュアルドが自分の若いころの恋について語ったもの、そう老人の昔語りだ。ほろ苦い哀愁として記憶の底にしまっておいたもの。それはクラリモンドの奇跡のような愛にふさわしい受け止め方だっただろうか?こんな爺の坊主にも艶っぽい話はあったんだということになると、クラリモンドの愛に対する扱いが雑ではないのか?俺は試練の女神の言葉を思い出していた。
「プリモ!」考え込んでいた俺をエラが揺さぶった。「どうしたの?魂がどこかに遊びに行ってた?」
「エラか。あれ?クラリッモンドは?」バーカウンターからクラリモンドが消えている。
「外に出ていったわ。もう歩いていなくて浮遊していたけど、大丈夫なのかしら、あの子?」
クラリモンドは空に浮かんで月を見つめていた。その姿は羽根のない天使のようだった。「ロミュアルド...あなたはなぜ?...」
「クラリモンドよ、ロミュアルドと話をしたいのか?」試練の女神の声がした。
「はい、女神様...」クラリモンドは小さな声で答えた。
「店の前で待つが良い。」
しばらくすると法衣を着た若き聖職者が現れ、クラリモンドを見つけると駆け寄ってきた。
「ロミュアルド!」
「クラリモンド!」2人は手を取り合い抱擁した。
「クラリモンド、逢いたかった。」
「私もです、ロミュアルド...」
「君を失ってからの日々は空虚だった。人生の意味が何なのかわからなくなった。」
「失った?違います。殺したのです。」
「セラピオンが...君の遺骸に聖水をかけた。」
「あなたは傍らで見てらしたのね?」
「身体が固まって動けなかった。」
「どうして止めてくださらなかったの?殴り飛ばしてでも...」
「わからない。動けなかった。」
「私と逢えなくなることはわかっていたのですね?」
「ああ、きっと心の奥底で、いつか終わりが来る、そう思っていたのだろう。」
「いいえ、いつか終わりにしよう、そう思っていたのだわ。」
「そうかも知れない。夜に騎士ロミュアルドとして君と逢い、昼間は司祭ロミュアルドとして聖職をこなす、そんな二重生活がいつまでも続くはずがないと思っていたのかもしれない。昼の存在を捨てて夜に飛び込む勇気がなかった。」
「わかっていました。私はあなたにとって一時の安らぎ、私の愛はあなたにとって逸脱の悦び...悲しいことですが...私はあなたの愛妾...恋人でも妻でもありませんでした。本当はあの宮殿で王子とお妃として暮らしたかった....今度こそ本当にさようなら、ロミュアルド...平穏でつまらない人生を。」
「気が済んだか?」女神の声が響いた。クラリモンドが頷くとロミュアルドの姿は霧となって消えた。
クラリモンドが二本の足で歩いて店に戻ってきた。その顔にもう悲しみの影は見られなかった。試練の女神は俺に何を見せたかったのだろう。昼の存在を捨てて夜に飛び込む勇気がなければ誠意を負って女に接することはできない、そういうことだろうか?
「ねえ、しみったれた顔して何を考えているの?」エラが俺の腕を取った。
「いや、今の場面、考えさせられるなあと思って。」
「場面?何のこと?」
「クラリモンドとロミュアルド...」
「何言ってるの?クラリモンドはしばらく空で月を見たあと、降りてきて店に戻ったわよ。」
「そう...だったのか。」
「経営者がそんなしみったれた顔をしていちゃ店が盛り下がるわ。奥でシャンパンでも飲んできなさい。」
俺はカウンターの隅でプロセッコを開けた。飛び出さないようにコルクの栓を手の平で受け止めた。
「あ、それ私が好きなやつ!」ステラがパタパタと飛んできた。両翼が揃ってから、ステラはとても陽気になった。
「なら一緒に飲むか?」
「うん、乾杯しよう!」
「私も交ぜてください。」クラリモンドもやってきた。
クラリモンドの顔にはもはや一切の憂いが見られなかった。2人の人外の金髪美人に囲まれて、俺は素直に幸せな気分になった。俺は文字を書く人間だ。夜に飛び込む覚悟が必要になることは今後もないだろう。飛び込んだらもう物語は紡げない。
女神はロミュアルドを通してプリモに何を見せたかったのでしょう?




