クラリモンド
新メンバー登場です。クラリモンドって誰?
俺は長いこと悩んだ末に心を決めて、召喚の呪文を唱えた。
「人文知を極めたプリモの名において召喚する。幽玄の闇に潜む美しき吸血鬼クラリモンドよ、顕現せよ!」
「明るすぎるわ、ここ...」
「異世界へようこそ、愛を知らぬロミュアルドに愛と恍惚を教えて消え去ったクラリモンド。」
「私を呼び出して何をなさるつもり?」
「私はちょっとした店を経営しておりましてね、その店に花を添えていただこうかと。」
「私はヴァンパイアですが、かまわないのですか?」
「ええ、あなたは悪しきヴァンパイアではありません。ロミュアルドからも指先から少しだけ血を吸ってそのあとは手当てをしていました。」
「何でもご存じなのですね。」
「はい、あなたのその後の悲劇も含めて。」
「いかに人を愛したからと言って、悠久の闇に閉ざされた者と人間が結ばれることはありません。覚悟の上でした。」
「この召喚は1週間限定の約定によるものです。この異世界をその間だけ楽しんでいただけませんか?楽しい仲間たちもいます。」
「悲劇を纏った私のような女でもよろしいのでしょうか?」
「仲間には様々な女がいます。決してあなただけ浮いてしまうことはありませんよ。」
「わかりました。1週間お願いします。」
クラリモンドを伴って店に戻ると、エラが出てきてクラリモンドを一瞥し、すべてを悟ったようだった。魔の者は魔を感じ取れる。
「あら、新しいお仲間?」エラは屈託のない笑顔で迎えた。
「ああ、クラリモンドという。19世紀のパリから召喚した。」
「まあ、そんな生々しい歴史世界からいらしたのね。」
「よろしくお願いします。」クラリモンドは頭を下げたが、その瞬間少しふらついた。
「まあ、足りないのね、愛が....」エラは悪戯っぽく笑って俺を見た。
「いえ、そんな...」元々透けるように白いクラリモンドの肌がますます青白くなった。
「ともかく部屋に案内させよう。メロ!」俺はメロを呼んでクラリモンドを部屋まで連れて行ってもらった。
「良いのかしら、あの子、ヴァンパイアでしょ?」エラは少し心配そうに俺に尋ねた。
「ああ、だが何も悪いことはしていない。ただ愛を知らない男に愛と愉悦を教え、夢幻の中に引き込んで愛し合っただけだ。」
「ロマンティックなのね。」
「ロマンティックと呼んで良いものかわからないが、作者はテオフィール・ゴーティエ。世俗を嫌った世捨て人、美的孤高を貫いたお方だ。」
「プリモのくせに今日はなんだか偉そうね。そんなことより大丈夫なの?あの子、愛と血がなければ倒れてしまうわ。」
「俺が何とかしよう。」
「ははーん、そういうことなのね。」エラがすべてお見通しという顔をした。
「何がそういうことかわからないが、ともかく何とかしよう。」
「ねえ、ねえ、あの子、部屋に入ったらすぐベッドに倒れちゃったわよ。」メロが戻ってきた。
「貧血だな。よし、俺が何とかしよう。」
「あなた、さっきから何とかしようばかり言ってるけど、血を吸わせる気なのね?」エラはあきれた顔で俺を見た。
「そうだよ。悪いかよ?」俺は開き直った。もうふてぶてしく居直るしかない。
「じゃあ、私には精気を吸わせて!」メロが変な方向で平等を主張した。
「おまえ、客からちびちび吸ってるじゃないか。俺はお試しで吸わせてみるの。どんなものか見極めたら、おまえたちみたいに客からちびちび吸うことを認める。」
二人は反論できなかった。そうだろう。自分たちもやってるんだからな。しかも、客はそれを喜んでいる。クラリモンドも、原作を読んだ限りでは、悪しき影響を与える吸血ではなく、むしろ軽い恍惚を与える甘美なひと噛み...む、待てよ?「ちょこっと」を意味するドイツ語の ein bisschen や英語の a little bit ってbissen, bite 「噛む」から来てるじゃないか。ちょっと与えてお返しにゾクッとする...良いね、これ。
「クラリモンド...」眠っているクラリモンドの髪を俺は撫でた。指を差し出しても噛んではくれないだろう。たしか原作では...リンゴの皮を剥いていたら指を切ったんだっけ。その指をクラリモンドが口にくわえた。なんかチクリするものはないかな?捜すとないもんだな。クラリモンドが身に付けている服にも金属は見当たらない。俺は部屋の文机の引き出しを開けた。羽根ペンとペーパーナイフが出てきた。おう、これだ。刺すと切る、うーん、刺すのほうが被害が少ない。俺は羽根ペンで左手の人差し指を刺し小さな刺し傷を作った。血が出ている。良し。俺はクラリモンドの唇に血を一滴垂らした。
「クラリモンド、大丈夫か?」目を開けたクラリモンドに俺は呼びかけた。
「指、舐めても良いですか?」クラリモンドは力なくそう言った。
俺は黙って指をクラリモンドの口に挿し入れた。温かい唾液が指を包む。俺はゾクッとした。指先から微少な血液が彼女の体内に取り込まれている。
「ありがとう...もう大丈夫...」クラリモンドは月光花のような儚い微笑を見せた。
「ねえ、いつまでエロいことしてるの?」廊下でメロが無神経な声を上げている。
俺はドアを開けた。メロは、「ああ、やったな、おまえ」という顔で俺を見てニヤニヤしている。エラも階段を上がってきた。
「どうだった、プリモ?」こちらは平然としている。さすが創業400年の老舗だ。
「もう大丈夫だ。ほんの数滴で回復した。これなら俺だけでも日々の生活の糧になれる。」
「うーん、でもお客さんにも分けてあげようよ、いや分けてもらおう、かな。」さすがに店長だけあって、エラは抜け目ない。
部屋からクラリモンドが出てきた。宙に浮いている。浮遊メンバーがまた増えた。
「あら、あなた飛べるの?」エラが尋ねた。
「飛べるというか、私、重力と無縁の存在なんです。でも注意していないとエーテルとして大気に溶け込んでしまう。」
神話からの召喚が続いたので、久しぶりに近代小説からの召喚です。儚くも美しい。指をしゃぶるなんて、ちょっとエロいです。




